何気なくて幸せな日のこと「……たんじょうび?」
「おう」
「今日、?」
「おう!」
「今日が、ミッチーの、誕生日?」
「だから、そうだって」
思わず頭を抱えたオレに、相手は悪びれることなく「びっくりしたか?」なんて得意げに笑っている。その笑顔もかわいいと思ってしまうあたりオレもなかなか重症なのだが、まぁ、かわいいものはかわいいのだから仕方がないと開き直りたい気持ちもある。
恋人が突然訪ねてきたかと思えば何故かコンビニのケーキを持っていた。不思議に思いながらも甘いものを食べたい気分なんだろうと勝手に解釈して、冷蔵庫にある食材で適当な夕飯を作って一緒に食べた。
ミッチーは料理があまり得意ではない。というか決まったメニューしか作れない。カレー、シチュー、チャーハン。あとは野菜をちぎったり刻んだりしただけのサラダ。焼肉のタレで炒めた肉。今のところオレが食わせてもらったのはそんなところ。正直なことを言えばどれも「まずくはない」という感想だったが、ミッチーが作ってくれたという一点だけで全てが絶品の料理だったし、実際に「最高にうまい」と伝えたし、そうするとミッチーは得意げな笑顔で「また作ってやる!」と言ってくれた。
ミッチーは年上だからとかそんな理由で、俺の世話を焼きたがる。進学して地元を離れたあとは流石に会う回数も激減したが、在学中はなにかと理由をつけてオレの家に来ていた。得意でもない手料理を振舞ってくれたし、昼飯用のおにぎりを握ってくれた事もある(お弁当はハードルが高かったようだ)。休みの日には掃除だの洗濯だの手伝ってやるよ!と意気込んでやって来ては、すでにオレが済ませているのを見て残念そうな顔をしてみたり。だからたまにオレはわざと部屋を散らかしたし洗濯物を溜めてみたりもした。そうするとミッチーは「しょうがねぇなぁ」と言いながら四角い部屋を丸く掃除し、使ったことの無い洗濯機と格闘したりしてくれた。
そんなミッチーが面白くて可愛くて大好きだし、誰かが自分のために何かをしてくれる事がこれほど嬉しいものなのだと教えてくれた。ミッチーといると温かくて柔らかい気持ちになれる。オレはミッチーが大好きだし、ミッチーといる時の自分も、わりと好きだ。
だが、今日に限ってはダメだ。気づけなかった自分にガッカリしている。
料理が得意じゃないミッチーは手料理を振る舞う時いつも食材を買ってきた。自分に作れるメニューに合わせた食材を。今日はそれが無くて、だからオレが冷蔵庫にあるもので適当に作った。ミッチーはオレの後ろをチョロチョロしながら「なに作ってるんだ?」「ひと口!味見!」とはしゃいでいた。
そもそも平日に連絡もなくやって来ること自体がおかしかった。いつもなら前日には連絡をくれたし、お互い学校があるから平日に会えることは滅多にない。久しぶりに会えてオレも嬉しかったから、違和感に気づけなかった。
食事を終え、ミッチーが嬉々として出てきたケーキを食べ始めた。モンブランといちごのケーキが1つずつ入ったアソートパック。年上ぶりたいミッチーは「どっちがいい?」とオレに先に選ばせてくれたが、チラチラと動く視線が「自分はいちごのケーキがいい」と主張していた。だからオレは迷わずモンブランを選んだ。
半分ほど食べたところでなんの気もなく「ケーキなんて珍しい」と言った俺への返答が「誕生日はケーキだろ?」だったものだから、オレは今頭を抱えているのだ。
「なんで先に言ってくれないんだ!」
「聞かれてねぇし」
「そりゃ、そうだけど!」
1ヶ月半ほどまえ、ミッチーはオレの誕生日を祝ってくれた。まだ春休み中だったので、デートして外食して、オレの家に泊まっていった。教えていないのにミッチーはオレの誕生日を知っていたし、オレはその事が嬉しくて嬉しくて「ミッチーの誕生日はいつなんだ?」なんて聞くこともしなかった。確かにそうなのだ、聞いていない。
だからといってミッチーは怒ってるとか拗ねてるとか、そんな風でもない。聞かれてないから言わなかった。ただその事実を伝えられただけ。オレとしてはちょっと怒ってくれた方がまだマシな気持ちだ。あれだけ祝ってもらったのに、オレは恋人の誕生日も知らず、本人が買ってきたケーキを誕生日ケーキとも思わずにもう半分以上食べてしまったのだ。
「プレゼント、用意できてない……」
「メシ作ってくれただろ」
「そんなのプレゼントにならないだろ」
「なんで?オレは嬉しかったけど」
だって、さっき食べ終えた夕飯は冷蔵庫の残り物で作った野菜炒めと適当な味付けをして焼いた鶏肉と、お湯を注ぐだけのわかめスープだ。ミッチーより料理ができるとは言っても、突然の来訪で作れるものなんて限られてる。そしてそれが誕生日のディナーに相応しくないことなんて明らかだろう。
「桜木はオレの作るメシ、嬉しくねぇの?」
「……嬉しい」
「だろ?オレだって嬉しい」
「だったらミッチーは、もしオレの誕生日を知らずに、その日が終わる頃に知らされたらどう思う?」
聞かずにいたオレが言えることではないが、自分の憤りがいまいち伝わっていないことが癪で、つい尖った声が出た。目を丸くしたミッチーは、八つ当たりにも近いオレの問いに、それでも怒ることなく腕組みをして「うーん」と考え始めた。
「……がっかり、するかも」
「うん、オレはいまガッカリしてる」
「そっか、うん。そうだな。ごめん」
「ちがう、ごめんはオレのセリフで……ミッチーの誕生日を知らなくて、何もしてやれない自分にガッカリしてる」
手を広げて「おいで」と示すと、大人しく近づいてきたミッチーはオレの意図通りに膝の上に座った。オレはミッチーを後ろから抱えるように抱きしめる。こうするとミッチーが全部丸ごと自分のモノになったようで気分がいいのだ。
ミッチーはミッチーで年上ぶりたいのと同時に、こうして甘やかされるのも好きだ。膝の上で抱っこされたり、頭を撫でられたりするのが気に入ってることを隠す様子もない。
「ちゃんとプレゼント用意したいから、また週末に会えるか?」
「今週は無理かも。でも来週なら空いてる」
「じゃあその日、改めて誕生日会するからな」
ぎゅうっと抱きしめる腕に力を込めると、ミッチーは「わかったわかった」と笑いながらその腕をタップした。タップされた所で離したくはないので、ミッチーが苦しくない程度に力を緩めるくらいに留めておく。多少自由がきくようになったミッチーはオレの腕の中で、再度ケーキを食べ始めた。首だけで振り返りながらオレにも食べさせてくれた。その振り返りながら上目に見つめてくる表情が好きであることは、たぶんミッチーにもバレている。
ケーキを食べ終えてからも、ミッチーはオレをイス替わりにしたままテレビを見たり喋ったりしていた。シンクには洗わなければいけない食器があるし、部屋の隅には畳まなければいけない洗濯物がある。いつもならミッチーが「しょうがねぇなぁ」と言いながらやり始めるけれど、今日のミッチーは存分に甘える気らしく、なにも手を出さない。オレも今日は、見て見ぬふりをする。家事は明日でもいいけど、ミッチーの誕生日はもうすぐ終わってしまうから。
「なぁ、桜木」
そのまま今日はもう寝よう、布団でゴロゴロしながらお喋りの続きをしよう、と交代でシャワーを浴びた。先にシャワーを済ませてゴロゴロしていたミッチーは半分眠ってしまっていたようだが、オレが隣に寝転がると薄く目を開いて擦り寄ってきた。
「やっぱ、プレゼント、今がいい」
「今って、そんなこと言われてもなにもない」
「ものはいらないから、その……イチャイチャしたい」
「イチャイチャ……?」
オレの胸に顔を埋めるミッチーの表情は見えない。だけど真っ赤に染った耳を見れば、それが「お誘い」であることは明らかだ。今日は平日で、オレもミッチーも明日は学校で、部活だってある。バスケが第一のオレたちは、「そういうこと」はミッチーの休み前日しかしないと決めていた。だから当然今日だって、ただ一緒に眠るだけだと思っていた。
「明日学校じゃねーのか?」
「午後からだから、大丈夫」
「でも、」
「……誕生日だし、ちょっとくらい、いいだろ?」
甘えた声でそんなことを言われてしまえば、ダメだなんて言えるわけがない。仰せのままに、と呟いて、首筋を撫でる。それだけで熱い吐息を漏らすミッチーが可愛くて愛おしくて、噛み付いて泣かせて丸ごと全部食べてしまいたい。オレがそんな衝動と戦ってることなんて、ミッチーは知らないんだろうなぁ。今日もオレは牙を隠して、甘い身体に舌を這わせる。
誕生日を免罪符に、ミッチーは甘えに甘えてきた。キスしろとかぎゅってしろとか、可愛らしい命令もあれば、もっと強くして、イってもやめないで、なんてこちらの理性を殴る言葉まで素直に吐き出した。望まれればなんだってしてやりたくなるのは、オレの元々の性格なのか、それとも相手がミッチーだからなのか。後者であればいいな、なんてことをぼんやりと考えながら、望まれるままに中を穿った。その度に漏れる声すら甘そうで、ひとつも取りこぼさないように舌で絡め取って。
そうやって、気づけばずいぶんと長い時間愛し合っていた。
「ぜんぜん、ちょっとじゃなかったな」
「すまん、止められなかった」
「だからなんで謝るんだよ、オレがしたいって言ったんだろ」
「明日……いや、もう今日だけど、学校大丈夫か?」
「へいき。そんなにヤワじゃねぇよ。それに……」
隣で寝転んでいたミッチーは上体を起こし、オレを見下ろす。細められた目も口角を上げた口元も上気した頬も、ぜんぶぜんぶオレだけが知ってる。オレだけに向けられている。
「こんな桜木を知ってるのがオレだけで、オレが独り占めしていいんだって思うと、最高の気分なんだよ」
オレが考えていたことと同じような事を言われてしまい、くすぐったくなる。ミッチーの誕生日なのに、オレが喜ばされてばっかりだ。
「誕生日会はなにが食べたい?」
「リクエストしていいのかよ」
「なんでも言いたまえ」
「えー、じゃあ牛丼とか?」
「色気がないな、ミッチー……」
「だってヤったら腹減った!」
高らかに宣言するようにミッチーのお腹がぐるるると声を上げた。オレとミッチーは顔を見合せて笑ってしまう。こんな他愛もないやり取りが幸せで、大切で、かけがえのないものなんだと思う。
ミッチーのリクエストは無視して誕生日会はたくさん料理を作ろう。プレゼントもちゃんと用意して、部屋を飾り付けたりして、いっぱいおめでとうを伝えよう。生まれてきてくれて、ここにいてくれて嬉しいんだって、めいっぱい伝えよう。
それはそれとして。
「ミッチーのせいでオレも牛丼の口になってきた」
「お?行くか?」
「行くか!」
夜中に食う牛丼はそれはそれは美味しくて、この先牛丼を食う度に今日のことを思い出すんだろうな、と思った。何気なくて幸せな、今日の日のことを。