恋人としたいこと恋人ができたら、こんなことをしたいとか、一緒にあの場所に行きたいとか、夢は山ほどあった。一緒に登下校したいという小さなことから、体を重ね合わせるような大きなことまで。初めてできた恋人は、少しずつ少しずつ、俺の望みをすべて叶えてくれた。
甘やかされている自覚はある。なんせ2歳も年上だ。もともと部活の先輩という立場なこともあってか、俺の恋人はとにかく俺に甘い。付き合い始めた時だって、明らかに俺からの告白に動揺していたくせに、なんども諦めずに思いを伝えるうちに絆されて首を縦に振ってくれた。
「……ミッチー」
「おはよ、桜木。コーヒー飲むか?」
「ん……シャワー浴びたのか?」
「昨日あのまま寝ちまったからなぁ」
目が覚めたら、一緒に眠ったはずの恋人は隣にいなくて、かわりに漂ってきたいい匂いにつられてキッチンへ向かう。そこには上裸でコーヒーをいれている恋人がいて、同じく上裸のまま後ろから抱きついた。コーヒーの香りにつられて来たが、ふわりと香る甘い匂い方がそそられる。シャンプーなのかボディーソープなのかわからないが、ミッチーから香る甘い匂い。
肩にグリグリと頭を押し付けていると、こめかみ辺りにちゅっと唇を落とされる。
「お前もシャワー浴びてこいよ。その間に朝メシ作るから」
「ミッチーと一緒に入りたかった」
「一緒に入ったらシャワーだけじゃ済まなくなるだろ」
「それも込みで、一緒に入りたかった」
「ばぁか」
やんわりと引き剥がされ、今度は正面から唇にキスされる。ミッチーはキスが好きだ。2人きりになると隙を見てはミッチーのほうからキスしてくる。唇に、頬に、鼻に、額に。情事の最中には耳元や首筋や胸にも腹にも。とにかくちゅっちゅとキスしてくる。もちろん嫌じゃないしむしろ嬉しいので甘んじて受け入れているのだが、ちゅっちゅとキスして来てその気にさせといて放置する悪い癖もあるので、それはいただけない。
「ほら、シャワー。その後朝メシ。んで、今日は一緒に出かけるんだろ?」
「むっ……」
久しぶりにお互いの休みが重なって、ミッチーの部屋に前日から泊まり込んで、今日は一緒に新しいバッシュを見に行く約束をしていた。泊まりたいと言ったのも泊まったからにはセックスをしたいと言ったのも新しいバッシュを一緒に選んで欲しいと言ったのも俺だ。ミッチーの尻に伸ばしかけていた手を叩かれてしまえば、大人しく引き下がるしかない。
昨日つけた首すじの跡も弄られすぎて赤く腫れた乳首も、ぜんぶ晒したままキスなんかしてきておいてお預けなんて。
「さっさと買い物済ませて帰ってこようぜ。そしたら続き、な?」
しょぼくれながらバスルームに向かう俺の背に、甘やかな声が飛んでくる。勢いよく振り返れば優しく細められた目と視線が合った。ほら、やっぱりミッチーは俺に甘いんだ。萎んだ気持ちはあっという間に元通りに膨らんで、鼻歌混じりにシャワーを浴びる。
短い髪をガシガシとタオルで拭きながら、ふと思う。ミッチーは俺の望みをぜんぶ叶えてくれるけど、じゃあミッチーの望みはなんなんだろう。俺はミッチーの望みを叶えられているのか。
「なぁミッチー」
「ん〜?」
「ミッチーは、なんか、したい事ないのか?」
短いシャワーの間に整えられていた朝食をいただきながら、さっき思ったことを聞こうと思った。思いついた時に聞いておかないと気になって仕方がない。モンモンと考えたところでミッチーの頭の中なんて俺にはわからないのだ。
ミッチーはピザトーストに齧りついたまま、不思議そうに首を傾げている。どうも質問の意味が理解できていないらしい。
「いつも俺のしたいことばっかりさせてくれるから。俺もミッチーにしてやれることないのかと思って」
ミッチーはむしゃむしゃとピザトーストを咀嚼しながら、ぱちぱちと目を瞬かせて俺を見つめている。
「ほら、なんかあるだろ?恋人ができたらあんなことしたいなーとか!考えたことあるだろ?」
ごくんと咀嚼したあと、ミッチーはようやく俺の言葉の意味を理解したのか笑顔を浮かべて頷いた。
「俺はさ、恋人には尽くしたいほうなんだよ」
「尽くしたい……?」
「なんでもしてやりてぇし、俺がすることで喜んでくれたら、すげぇ嬉しい」
伸びてきたミッチーの手が俺の口元を拭っていく。「ソースついてた」と言いながらその指を舐める姿は無駄に情欲的だ。またひとつ、恋人とやってみたかったシチュエーションをクリアしてしまった。
「だから、桜木がしたいことが、俺のしたいこと」
ごきゅっと喉が鳴った。何故だろう、ミッチーから目が逸らせない。色素の薄い茶色い瞳は大好きだけど、いまは何故か少し恐ろしくも感じる。
「だってさ、桜木」
「な、なんだ?」
「したいことなんでも叶えてやれば、お前は俺から離れないだろ?」
「は……?」
「俺の事ずっと好きでいて、ずっと恋人でいたいと思うだろ?」
「そりゃ、そうだけど」
「俺、すげー重いんだよ。そうだな……わかりやすく言えば、恋人を俺に依存させたい。俺がいなきゃ息もできなくなるくらい、俺に溺れさせたい。わかるか?」
わかる気がする。なぜなら俺自身がすでにミッチーなしでは息もできないほど、ミッチーに溺れてしまってるから。もしも今ミッチーに別れ話なんてされたら、本気でなにをしでかすかわからない。
頷いた俺に伸びてきた手が、今度は頭をやさしく撫でる。
「いい子だな」
怪しげな色を湛えていた瞳がふっと緩んでいつもの光が戻ってくる。一瞬で見慣れた子どもっぽい笑顔になって、こっちは気持ちがついて行かない。心臓が少しだけザワついている。
「いてっ」
「さっさと食えよ、冷めちまう。今日のオムレツは自信作なんだぜ?」
軽くデコピンをしてからミッチーの手は戻っていき、自信作だというオムレツを口に運んでいる。俺も何度か瞬きをしてから、ミッチーに習ってオムレツを頬張った。俺が好きな中がトロトロのオムレツ。そういえばミッチーは俺の好きな食べ物とか味付けの好みなんかも細かく聞いてくる。ミッチーが作ってくれるメシはいつもどれも全部美味い。それはミッチーが作ってくれたというフィルターがかかっているからだと思っていた。だけど本当はそうじゃなくて、完璧に俺の好みに合わせて作ってくれているのか?
「どした?」
笑いながら首を傾げるその仕草も大好きだ。俺だけに向けられる特別な声も、素肌に俺のTシャツをブカブカで着ているのも、ぜんぶ好きだ。
もしかして、俺は勘違いをしていたのかもしれない。ミッチーは俺に告白されて、流されて付き合ってくれたのかと思っていたけど、そもそも俺がミッチーを好きになったのは何故だった?今まで好きになった女の子たちとは全然違うのに、何故ミッチーを好きだと思ったんだったか。
「さくらぎ?」
「……なんでもない。オムレツがめちゃくちゃ美味くてカンドーしてた!」
「だろー?俺、料理の才能もあるみたいだな〜」
褒めれば素直に喜んで調子に乗る。可愛い年上の、俺の恋人。細かいことはどうでもいいか。だってどうせ俺はもう溺れてる。もうミッチーから離れることなんて無理なくらい。
「桜木がしたいこと、なんでも言えよ?俺がなんでも叶えてやるからな」
一生手放す気も、手放される気もないくらいに、溺れているんだ。