アダルシの話「やあそこの君、ちょっといいかな?」
いつものように、適当な男へと声を掛ける。
ふらりと立ち寄った盛り場で、半ば自暴自棄なこの行為は 週に一度ほどの頻度で既にお決まりのルーティーンと化していた。
自分が密かに心に熱を燻ぶらせている相手とまた仕様もない理由で口喧嘩となり、
これ以上話が拗れる前にと外へと飛び出す。それもまた毎度の事だった。
素直に自分の気持ちを伝えられたなら、どんなに楽だったことか。
それを拒んでいるのは今までの複雑に拗れ切った蟠りの所為で、
最早腐れ縁とも呼べないほどの幾千年もの冷え切った関係性の所為でもあった。
その上 自分を傲慢の王へと成り上げたプライドが、
憎まれ口と罵倒ばかりを吐き出した挙句、毎度毎度アダムへの好意を口から出す前に喉を塞ぎ閊えるように蓋をしてしまうのだ。
見慣れた薄暗いバーで男を漁り、
素直になれない自分への苛立ちと欲求不満な性欲を自虐的に掃き捨てるのにももう慣れてしまっていた。
見知らぬ男をアダムに置き換え、後に残るのは酷い虚無感だと言うのに
身体を求められる度、気の狂うような倒錯感で快楽に素直な身体は打ち震えた。
しかし、その日は何もかもが違っていた。
私が雑に腕を組んでいた男が、見慣れた金色の光と共に消し飛ばされ、薄汚い床の一面に鮮血が飛び散った。
反射的に顔を上げると、自分が良く見知った
密かに好意を抱いている人物その張本人が、金色の燐光を纏った斧を一振りし 面倒くさそうに血液を拭っている姿があった。
「あ、ア... アダ、 ...ッ!?」
「……あー、悪い。もしかして好きでヤっていたんだったか?」
地獄に堕ちた今も、煌々と輝く羽根の後光で逆光になったその表情から、彼の感情を窺うことが出来ない。
「あ、いや 違う。...助かったよ ...ありがとうアダム...」
私はとっさに心にもない事を口走っていた。
不特定多数の男と寝ていることがバレたのか?これ以上幻滅されたくない。
様々な感情が目まぐるしく脳裏を駆け巡り、何とか取り繕うために目を強く瞑った。
「……」
お互いの沈黙は数秒だったであろうが、まるで途方もないほどの時間が経ったかのように感じる。
冷汗が自分の肌を伝って滑り落ちる感覚が、先ほどまで蒸し暑かった酒場に似合わない 凍えるような空気が張り詰めていた。
「…なあ、用がないなら、帰るぞ。お前は?」
不意にかけられた言葉に、はっと意識を取り戻した私は、こくりと頷いて黙って彼の後を追いかけた。
家までの帰り道はお互いに沈黙が続き、
私はとぼとぼと足元に視線を泳がせながら 前を歩く大柄な背中を追いかけていた。
アダムは今何を考えているのだろう
到底好かれてはいないと思ってはいるが、僅かな期待が心の何処かに傲慢にもしがみついている。
彼が自分の気持ちに気づいているわけがない。
私でさえも、この感情を自覚したのはごく最近なのだから。
ティーンエイジャーの少女の様な、まるで望みのない希薄な感情が、私を強く束縛している。
これが彼を裏切った罪の代償なのだろうか?それが彼への戒めになるのなら、それでも良いと思ってしまう自分が居る。
全くくだらない話だ。女々しい自分に嫌気が指す。
「…よく行くのか?ああいう場所に」
ふいに掛けられた言葉に、私はパッと顔を上げた。
「あ、いや?初めて行ったな はは...」
「ふん、そうかよ。」
少し目を泳がせながら、また嘘が口から零れ出す。
自分のこういう所が、彼に嫌われる理由なのだろうか…
心がじわじわと鬱に染まりだすのを感じながら、ふらふらと歩いていると
いつの間にか立ち止まっていたアダムにぼふりとぶつかった。
「ッ痛!」
「なんだよ、騒々しいな…」
ヒリヒリと痛む鼻先を抑えているところを、
アダムにぐいと腕を引かれてまた体格の良い彼の胸元に体を埋める。
久しぶりに触れ合った箇所が、じわじわと熱を持っていく感覚を全身の神経が貪欲に拾い上げていく。
単純で強欲な脳に嫌気が差しながら、それでも喜んでしまう体に頭を振って抗おうとした。
「っ、あ...」
アダムの足が止まっている事に、そっと目を向けると
いつの間にやら如何わしいホテルが立ち並ぶ繁華街に足を踏み入れてしまっていたようだ。
一度熱を持ってしまった脳内に、欲望の色が混ざるのに一刻の時間も要さなかった。
邪な想像にぱっと赤くなってしまった顔を隠すように帽子を深く被りなおそうとしたが、生憎身分を隠して男を引っ掛けに来ていた為、いつもの帽子は家に置き去りにされていた。
「クソ、地獄の道は分かりにく過ぎるだろ。全く…この辺りの治安はどうなっているんだ?なァ」
「え、あ そ...うだな?」
「…おいおい、なんて顔してんだ。まさかそこまでウブなわけじゃあないだろう?カマトトぶってんなよ...」
相変わらず表情の読めないアダムの顔が近づいてくる。
軽いパニックになりかけた私は、顔を引きつらせながらアダムの体を押しのけた
「そ...ッんなわけないだろうが、お前こそ!私をこんな所に連れてきてどうするつもりだ!?さっき助けた見返りに私をこんな...ッ う、」
自分でも何を口走ったかが分からず、失言に気づいた時にはすでに遅く私は羞恥と絶望感で顔を真っ赤にし、口をはくはくとさせていた。
そんな自分を見下ろして、アダムはぱちぱちと瞬きをした後に
「…テメェがそうなることを望んでいるんだったら、私は断らないがなァ?」
「……は?え?」
アダムが発したこの言葉を飲み込むのに、酷く時間がかかったような気がした。
「それで、どうする?このまま帰るのか?たまには素直になったらどうだ。」
自分を見透かしているようなアダムの目が、まっすぐに私を貫いていた。