字の癖の話字の癖ってあるでしょ。直そうとしてもふと出ちゃう書き癖っていうやつ。ムーミンのは筆圧が強めで一つ一つの文字が大きいし、ムーミンママのは小さいけど止め撥ね払いが丁寧で、ムーミンパパは達筆だよね。スニフは少し丸っこいのがちょっと可愛いと思ってて、フローレンのはサラサラ流れるみたいな書き方。君は男の子っぽい硬さがある字を書くよね。雑……とは言ってないけども。僕は好きだよ、君の字。
で、本題はここからなのだけれど。ちょっと待ってね、今書くから。……はい、この字って、君から見てどう思う? 昔から変わってない?
……そっか、変わってないんだ。
あのね、僕さ、この字にすごい違和感があるんだ。身体は書き慣れた字を書いてるんだけど、頭の中で思い浮かぶ自分の字と一致しなくて。ま、心当たりはあるんだけどね。
つまり何が言いたいかっていうと、僕と、『僕の身体』はやっぱり別物なんだろうなって思って。君が大事にしてくれていたのは、多分この身体の本当の持ち主。今話している僕じゃない。……ほら、よく言うじゃないか。記憶を無くした後に形成された人格は、記憶を無くす前の人格と同一か否かって話。
…………この話をするかどうか、すっごい悩んだんだ。君に迷惑かけたくないし心配もかけたくないのに、こんな話して何になるのって。だけど、君には誠実でいたいからさ。
君の大事な「ぼく」を奪ってごめんね。
いつか、必ず返すから。
それまでもうちょっと待っててほしいんだ。
言いたいことを全部吐き出した結果、残ったのは僅かな罪悪感とチリチリした胸の痛みだけだった。おそらく他の人よりたくさんの音を聞き分ける耳が捉えているのは、浅くなった呼吸を落ち着けることもせずじっとこちらを見つめている原の身動ぎの音。
今までだってたくさん傷つけて来たのに、僕はまたこうして塩を塗りこんでいる。僕は君が大切にしていた「ぼく」じゃないのだと、大事になんてしなくて良いんだよと、突き放すような言葉で外堀を埋めている。
だって、おかしいじゃないか。
僕が彼の「ぼく」の身体を乗っ取ってしまったのは事実なのに。僕が彼を縛り付けて良いわけがないのに。彼が他人であるはずの僕を気にかける必要なんて、全くないのに!
———机の上に投げ出していた手が、黒い手袋に包まれたそれに包まれる。さらりとした、布の感触。耳が捉えた浅いままの呼吸音。恐る恐る原の目を見つめ返すと、真剣な表情が徐々に泣きそうな顔に変わっていった。
「……ごめん、ごめんね。酷いことを言った。君の今までを否定するようなことを言った」
「だけど君に嘘は吐きたくない、誤魔化したくもないから、今言った言葉は取り消さない」
「君が『ぼく』を大事にしてくれたように、僕も君のことが大事なんだよ。大事で、大好きで、僕の宝物なの」
「………………ね、泣かないで。それは、君の『ぼく』のために、とっておいてよ……」
ずっ、と鼻をすする音が重なる。空いた手で濡れた原の頬に触れようとして、寸前で動きを止めた。僕が触れて良い温度ではないだろうから。
握られた手は熱く、行き場をなくした手は冷たく、指先から混ざる温度が心臓へ辿り着いてどくどくと脈を打っている。目から溢れ出た液体が首まで伝って気持ち悪い。こんなに傷付けておいて泣くなんてと心の奥底で自己嫌悪しても、一度流れ出した感情は止まる事を知らない。
二人向かい合って泣く姿は、側から見たらきっと滑稽だった。