玻璃の月 ──ナニカが軋んで、壊れていく音が聞こえる。
僅かだけ、弓を降ろして、何時の間にか包帯を解いていた首に触れる。そこには、幾筋もの醜い傷跡が走っている。中でも一際大きいものに触れれば、「どうしてぼくは死ねなかったんだろう」というふんわりとした疑問が浮かぶ。
思い返せば、随分刹那的な人生だった。創作活動と戦いばっかりで。
戦いとは何も没相手だけじゃない。学校の成績は完璧に。時には弁舌で教師をも上手く扱って。──そうでなければ、あの場所は年々強くなる規制の中で守れない。学校の隠蔽体質に感謝を示したのはこの時くらいだろう。あそこを守るのも、自分の為だったけれど。
──孔雀みたいだな。
ふと、そんな後輩からの言葉を思い出す。多分、こうやって尾羽みたいに沢山の矢を持っているからというのもあるけど、それ以上にぼくは自分を見せなければ生きていけないのだ、と。
今のように飾り羽を大きく広げて、在り方を示す。認められるように、「正しく」。──自分は、そうしなければこの世に在れない。
自由に物語を書けるなら、別に討伐の義務が課されていてもどうでもよかったのだけど。──だってそれは、物心ついた頃から当然だと在ったものだから。それでも、苦しくて仕方がなかった。どうか、自分のようなモノでも「生きていていいのだ」と認めて欲しかった。
結局、暴発したわけだけども。楽になりたいという誘惑に引き寄せられて。何もかもを滅茶苦茶にしてやりたくなるような衝動に負けて。──そして、少ししかない血溜まりを目の前に、今のぼくは目を覚ました。落ちた月の代わり、玻璃で作った模造品。
そんなぼくの人生で、数少ない誇れるもの。あの家に沢山詰まっている幸福の記憶。あの家に残ってる、綺麗な記憶。自分を押し潰してしまうくらいに忘れてしまったもの、壊れてしまったものが沢山ある中で、それだけはまだ輝いている。自分すら、気を抜けば「どうでもいいもの」として扱いそうになるのに。ほんの少しだけの、時間なのに。
それを、人は未練と呼ぶのだろうか。
正直、今のぼくは真っ当に人間をしていない。誰かの挙動を思い出さなければ、前は出来ていた筈の人としての行動すら上手くできない。
今はまだ覚えているけれど、近い将来、きっとぼくには何もかもが残らない。今築いている記憶も多分そうなんだろうな、という確信めいたものもそこにあった。
イタル、イオリと過ごした陽だまりの瞬き。
夜の下の楽しみに色を加えてくれた白蓮くん。
あのまま燃え朽ちるのか、それとも更に美しく咲くのかどうか、少し鑑賞しているのも面白そうだな、と思う華の彼。
くるくると色々なものが渦巻く坩堝を作っている辺りとか、どことなく行動や言動だとかが蛇を連想させるドン・ファンの闇医者。
それらの記憶は欠けることを惜しむように、空に浮かぶ満月のように。──でも、月は満ちては欠けるものだから。だからまぁ、そんなこともある。少しだけ、エンディングが他人より早いだけで。
これでも、諦めの良さだけは自信があるんだ。
さっきのように乱暴でも一応止めたりはするけれど、どうしようもないことだってあるんだから。
弓を持ち直して、弦を引く。冷たい耳鳴りのような音が、微かに鼓膜を震わせている。
正直歯応えはないんだけどこれはこれでいいかな、と思うような没が多くて有難い。少なくとも、生きていると実感させてくれる気がするから。
今は、まだ。
喧騒が届く。人の生きて、死ぬ音が聞こえる。作品は産まれ、壊れ。これが何でもない日常の一部に、排斥されることもなく当たり前のようにある光景を、ぼくは──
矢を放てば、軽やかに硝子の砕ける音が耳に届く。命中した没が、硝子の欠片を置いてシュレッダーゴミの紙吹雪になったのが見えた。
それと同時に、何かの歯車が壊れた音。
──そうだね。後は、壊れていくだけだもの。
*
ここから先は楽しいデモパレードの話じゃなくて、別の話。途中停車はないし、ぼくの話ではないけれど、あと少しの間楽しんでいってくれるかな。
桜が咲く頃には、全部終わる筈だから。