最悪の吉日──ピピピピ……
本日は休日。間違ってセットした目覚ましに起こされる。普段は覚醒まで時間がかかるのに、今日ははっきり目が覚めた。
───よし、ひさびさに散歩しよう。
まだ家族の誰も起きていないかと思ったが、部屋から出ると兄ちゃんが紅茶を淹れているところだった。
軽く挨拶をして、洗顔と髪のセット。朝食は…今はいいや。歯磨きをしながらカレンダーを見ると、今日は大安らしい。
部屋に戻って着替えをする。Ꭲシャツ、ジーンズにベルトをして、お気に入りの半袖パーカーを羽織る。姿見を確認してニヤリと微笑む。
よし、
「大丈夫。今日もイケメン。」
ウェストポーチに財布とスマホだけ詰め込んで、部屋を出る。リビングで兄ちゃんが本を読んでいた。
「あ、夢翔どっか行くの?紅茶飲む?」
「んー……いや、いいや。」
「──、そう。行ってらっしゃい。」
……意味深な間。バレている。
兄ちゃんには隠し事できねえな、と考えながら、せめても明るく、行ってきまーすと一言。家を飛び出た。
□■□■□■
そう言えばとチャージ残高を確認。残りは1300円。往路に使えるのは650円までか。行けるとこまで行ってやろう。
駅につき、電車に乗り込む。スマホは封印。窓の外の町並みを眺めつつ電車に揺られると、1時間ほどで終点についた。乗り換えてあと3駅なら行けるか。
これ以上は残高が足りない。仕方ないから降りる。初めて来た駅だ。家や学校の周りと比べると、随分自然を感じられる。平たく言うと田舎。深く息を吸い込むと秋風の香りを少し感じた。深緑一色だっただろう林も暖色に変わりかけ、トンボも飛んでいた。夏も終わるのか。
■□■□■□
20分ほど歩くと少し栄えている地区に入った。そう言えば朝食も取っていない。目についた喫茶店に入ってみる。朝食とも昼食とも言えぬ微妙な時間帯。俺の他には新聞を広げたおじいさん一人のみ。カウンター席、1つ開けて隣に座る。メニューを広げ、一番大きく載っていたサンドイッチを一つ、あとはアイスココア。よし、プリンも頼んじゃおう。
「お兄さん、1人ですか。」
そう話しかけられた。店には軽快なジャズと、調理をする音が心地よく響いている。
「はい。散歩中に見つけたので、昼食にと。」
微笑みながら返答。そこから少し世間話を交わす。ここには毎日通っているらしい。筋金入りの常連さんだ。
サンドイッチが到着すると、店一番のおすすめなんだと教えてくれた。一口かぶりつくと、レタスのシャキシャキした食感が食欲をそそる。なるほど確かにこれは美味い。一気に平らげると同時にプリンも到着。カラメルのない部分を一口。昔ながらの硬めで甘ったるいやつだ。親がよく「懐かしい」と言っているやつ。まあ、俺は懐かしいって言えるほどの年齢じゃねえけど。次の一口はカラメルも。苦味がちょうどいい。この喫茶店は良いな。また来たい。今度はけっしーでも誘ってみようかな。
食べ終わると、ココアを飲みながらまたおじいさんと雑談。昔からこの街に住んでいるらしく、色々教えてくれた。ここは昔、有名なジャズバンドがあったそう。この喫茶店でかかっている曲は、そのバンドの代表作だとか。この先を行ったところに楽器屋さんがあるという話も聞けたので、店員さんとおじいさんに別れを告げて外に出る。
□■□■□■
5分も歩かないうちに目的の楽器屋さんについた。店頭のショーウィンドウにテナーサックス。懐かしい。アンティークなボディに惹かれていると──
「吹いてみます?」
「え、でも俺今買えませんよ。」
「あはは、いいんですよ。もうあまり客も来なくなった寂れた店です。吹いてもらったほうが楽器も喜びます。」
そんなに吹きたそうに見えてしまったのだろうか、と苦笑い。でも、ここはご厚意に甘えてしまおうか。
2年ぶりに手にした楽器は、やけに小さく、軽く感じた。リードを湿らせ、ネックだけで吹いてみる。良かった、まだ音は出る。本体につけて息を入れる。軽い抵抗感のち、体に響くような音がでた。大好きな懐かしい音。でも衰えは否めないな。
「久しぶりの楽器ですか?」
「やっぱり分かっちゃいます?」
「ふふ、そうですね。もともと吹奏楽部でしょうか。吹き方がジャズじゃない。」
「へ〜。吹き方でわかるんですね。俺はまだまだ半人前です。」
いつだったか、彩華について、桜楓の吹部を見学をしたときのことを思い出す。やっぱり高校の吹奏楽は中学よりもすごかったし、なかでも彩華と深月の音色は──、
と、せっかくの機会、何か一曲吹きたいところ。一つだけ覚えてる曲。初めて練習した、大好きな曲。俺がテナーの魅力に堕ちた曲。
「Top of the worldですか。」
「一番好きなんです。メロディも、歌詞も。」
■□■□■□
楽器屋を出て、俺は今誰もいない公園のベンチにいる。ふう、と一息。こうも周りが静かだと──、
「嫌でも思い出しちまうな。」
『夢翔って別にいうほどでもなくねw』
『分かるw兄に比べて、能力低いよな。』
金曜放課後、生徒会終わり。すっかり暗くなったあとの生徒用玄関で、聞いてしまった、俺の話。普段は気にしない、普段なら気にも止めないのだが──
「隣、に居たのが……」
瑠璃に聞かれた。聞かれてしまった。一番聞かせたくなかった。カッコつけたままでいたかった。
「ふう。」
俺にしては落ち込んでいる、と、客観的になる。この散歩は、俺の流儀。沈んだ気分を戻すため。いつもの明るいイケメンになるため。俺のことを誰も知らない地に行き、そこで出会った人と話して世界を広げる。
──でも今日は…あんまり…。
「あ、猫。」
くあ~、と牙をみせてあくびをする猫。こちらに気がついているくせに、何食わぬ顔でまた眠りにつく。
「はは、兄ちゃんみてえだ。」
…………。
(兄ちゃんに敵わないことなんか、俺が一番知ってんだよ。)
そうだ。誰よりもわかっている。そのせいで兄ちゃんが苦労していることも、それに比べて俺は愛嬌がいいだけだということも。ま、人付き合いは俺の方がうまいのか。
「あ、なんだ。分かってんじゃん。」
全体的には敵わなくても、俺にできて兄ちゃんができない事だってある。それに瑠璃だって、そんな事で俺を嫌いになるような子じゃない。
誰になんと思われようと、俺はかっこいいんだ。
「──よし!!帰るか!!」
思ったより遅くなってしまった。夕食までに間に合うか?
「しゃあねえ。言い訳考えねえとな!!」
軽食を取ったっきり何も口にしていないから、お腹が空いた。今日の夜ご飯は何だろう?明日も休みだし、明日こそ昼間で寝ていようか?家にこもって映画を見るのもアリだ。兄ちゃんも付き合ってくれるかもしれないし!!
「ヤベ、兄ちゃんからの連絡全無視してた。」
画面の消えた暗いスマホに写った俺の顔には、朝とは違い、一切の陰りも無かった。
「やっぱ俺ってイケメンだな!!」