私たちドクターのこと応援してますから!「あ! ねぇ見て! アベンチュリンが表紙の雑誌、来週発売するんだって!」
「本当!? 予約しておかなくっちゃ!」
「発売日当日には即完売だもんね」
「アベンチュリンが表紙の時はもっと増刷すべきだよ」
「わかる~!」
かしましい女性達の会話は、聞こうとしなくても耳に入ってきてしまうものだ。
出勤前、行きつけのカフェでテイクアウトのドリンクを買いにきたレイシオは、女性たちの騒がしさに思わず顔をしかめてしまう。
だが、会話に夢中になっている女性たちがそれに気づくはずもない。
早くオーダーしたドリンクができないものかと、おひとり様用の席で最新の医学書を読みながら、組んでいた足を徐に組み替える。
「そういえば、アベンチュリンってしばらく休業するらしいよ」
「え!? 何で!?」
「撮影中に怪我したとかで、その治療だって。ほら、公式のSNSでも昨日出てるし」
「うわぁ……可哀そう。早く治るといいよね」
テーブルに乗せていた呼び出しブザー震えだし、オーダー品が完成したことを告げる。
ようやくかと手にしていた本をカバンへ戻すと、レイシオは静かに立ち上がった。
受け取り口でドリンクを受け取ると見知ったアルバイトの青年から「今日もお仕事頑張ってください!」と爽やかに送り出された。
駐車場に停めていた愛車に乗り込み、職場である大学病院へ向かって車を発進させる。
通勤ラッシュよりも早い時間だけあり、道路はそこまで混み合ってはいない。何度か信号のタイミングで停車することはあったものの、職場へと着いた時には勤務開始三十分前とかなりの余裕があった。
ロッカーの中にスーツのジャケットを仕舞い、代わりに白衣へと袖を通す。扉部分に引っかけていたネームカードを首から下げて、最後に鏡で身だしなみを整える。
人と関わる職業である以上、必要最低限の清潔さというのは必要だ。
始業までまだ時間はある。担当している入院患者の様子を見に行くため、レイシオは病棟へと向かう。
レイシオは世界でも有数の大学病院に勤める整形外科医である。彼の手にかかれば、痛めていた体もたちまち回復し、骨折さえも綺麗に治すことができるという優秀なドクターであった。
その優秀さゆえに、彼の治療を求める者の大半は有名はスポーツ選手ばかり。しかし、どんなに患者が著名人であろうとも遠慮など一切しないのが院内が誇る優秀なドクターレイシオなのだ。
そして一週間前、彼の元に新たな患者がやってきた。
「失礼。怪我の様子はどうだ?」
病棟の最上階。世間的にも名前も顔も知られている有名人が入院する広い個室に一人の男がフォーク片手にしかめっ面をしている。
しかし、レイシオがやってきたことに気が付いた彼は、その表情を一気に輝かせる。
さすが華やかな芸能の世界にいるだけあり、寝起きで髪のセットが整っていなくても彼の美しさが損なわれることはない。
「教授~! やっぱりこのご飯の味どうにかならない? 薄すぎて食べた気がしないんだ」
「提供される食事は栄養を考慮したものだ。食べなければ治るものも治らないぞ」
「じゃあ、教授が僕に「あ~ん」ってしてくれたら食べるよ」
「バカなことを言う元気はあるようだな。では僕はこれで失礼する」
「待って待って待って待って! 冗談だって!」
付き合い切れないと呆れて病室から出ようとしたが、必死に引き留められた。
ベッドへと近づき、彼の顔色と足を固定している器具に異常はないかを手早く確認する。
その間も、彼は渋い顔をしながら食事を食べ進めていた。
「今朝、君の話をしている女性達がいた」
「へぇ、また僕の性格が悪いとかかな」
「……何故君はいつもそう自分を下げるようなことばかりなんだ」
「世間から見た僕の印象のままに言ったまでだよ。ろくな実力もない顔だけ俳優、言動が胡散臭くて裏では同業者を虐めている、貰ったギャラはお酒と女遊びで散財し放題。僕が怪我をしてアンチたちはネット掲示板でさぞ大喜びだろうね」
あんまりな言いように聞いているだけでもレイシオの気分が悪くなる。表舞台で活躍すればするほど、こうしたアンチや世間からのあらぬ噂は後を絶たないもの。
本人は事実無根な噂話に振り回されるほど暇ではないと口では言っているが、こうして話題に出すあたり少なからず気にしてはいるのだろう。
「彼女たちは君が怪我をした報道を見て心配していた。帰りを待ちわびているファンもいるのだから、好き嫌いなどせずに食べろ」
入院中の様子を見ていて、レイシオは彼が偏食気味であることには気が付いていた。
プレートに乗せられた野菜はいつも最後まで端っこに残されていたからだ。
あまりの偏りっぷりに一度だけ普段の食生活について聞いてみたことはあるが、彼曰く現場でのケータリングやゼリー飲料がほとんどで、好きなものだけを食べて栄養はサプリメントで補うといったもの。
基本的に食べられれば何でもいいが、嫌いなものは食べたくないというスタンスなのだろう。
故に、こうしてレイシオが病室に足を運んでは野菜も食べるよう促してはいるが、なかなかに進まず少量食べるにも一苦労だった。
まるで子供の相手をしているようだと頭を悩ませたものだが、どんなに時間がかかっても必ず食べきろうとする努力は認めている。
なんだかんだでレイシオも、この少し困った担当患者のことを放っておくことができないのだ。
「もうすぐ始業の時間だ。僕は仕事へ戻るから、君はその野菜をしっかり食べきること」
「はぁ~い。じゃあね、教授」
ひらひらと呑気に手を振りながら、彼は病室から出ていくレイシオを見送る。
アベンチュリンは、数年前にとある大手芸能事務所が売り出し始めた新人モデルだった。
美しい容姿と目を引く極彩色の瞳。それに加えて巧みな話術で場を盛り上げることにも長けていたいた彼は、瞬く間に世間に周知されることとなる。
今ではモデルだけでなく俳優業やバラエティ番組への出演など、その活動の幅は多岐に渡っていた。
しかし、一気に人気が出てしまったがために、彼を良く思わない人も多い。軽そうに見えてしまう見た目と言動も相まって、よからぬ噂も後が絶たないというわけだ。
今回彼が病院のお世話になることになった理由というのも、彼に対する遠回しな嫌がらせ行為が大きな事故に発展してしまったという何とも後味の悪いものだった。
噂を鵜呑みにし、アベンチュリンに対して良い感情を持っていなかった同業者が、機材の一部に細工をした。ほんの少し驚かす程度だったと犯人は言っていたが、結果的に落ちてくる機材から女性スタッフを庇ったアベンチュリンが片足を骨折するという最悪な展開となったのだ。
「タレント業というのも難儀なものだな」
殆ど人が通らない廊下で、ぽつりと呟いたレイシオの独り言を聞くものはいない。
時計はもうすぐ始業開始の時間を示していた。
+++++
外来での診察やカルテの確認を終え、病棟ではそろそろ夕飯が始まる頃だろう。
一区切りついたところで、パソコンの画面を落としてから彼の病室へ向かうために椅子から立ち上った。
室内へ入れば、案の定朝と同じように彼は野菜と睨めっこをしていた。
「小児科の子供でさえ残さず食べているぞ」
「本当に君は毎回毎回僕を煽るようなことばかり言うよね。これでも頑張って食べてるんだけど」
「努力は認めているが、あまりにも時間がかかりすぎる。冷めては美味しくないだろう」
彼は大きなため息をつきながらも、フォークに突き刺したままだったニンジンを渋々口へと運ぶ。
もういっそのこと子供のように褒めれば良いのでは? そう思い立ったレイシオは、嫌そうな顔でニンジンを咀嚼する彼の頭にぽんと手を置いた。
レイシオからの接触に驚いた彼は目を丸くしている。
見上げようとするも、がしがしと頭を撫でくり回され、そうもいかなかった。
「な、なに突然!?」
「野菜を食べたから褒めたんだ」
「え? もしかして君、僕を子供扱いしてる?」
「嬉しくなかったのか?」
問われた瞬間、彼は黙り込んでしまう。深く俯いたと思えば、彼の手に握られていたフォークはプレートに乗せられていたもうひとつのニンジンを刺したと思えば、あっという間に口へと運んで行った。
もう一つ食べてやったぞ!と言わんばかりの視線を送られ、レイシオは彼の可愛らしい行動に笑みを溢してしまう。
撫でてやるだけで野菜を食べるのならば安いもの。彼の望むがままに今度は優しく頭を撫でてやれば、今までの食事ペースの遅さが信じられないほどの早さで食事を平らげてみせた。
「やればできるじゃないか」
今後も今のように早く食べれたら片付けの看護師が困らないだろう。
よくやったと再び褒めようとすれば、彼が強くレイシオの手を掴む。
「それ、他の患者にもしてるの?」
レイシオを見上げる彼と視線が重なる。何故そんなことを気にするのか理解ができなかったが、正直に「君にしかしていない」と答えてやれば、緊張していた面持ちが明るいものへと変化する。
どうやら更に彼に懐かれてしまったらしい。あまり深入りすべきではないと分かっているが、主治医として彼を放っておくことはできなかった。
彼は患者でレイシオは医者だ。適切な距離を見誤らないようにしなければならない。
しかし、あれ以来レイシオが部屋に来るたびに野菜頑張って食べたから褒めておくれという熱烈なアピールをされる。
それだけには留まらず「今日も素敵だね」やら「眼鏡を外した姿もカッコイイね!」やら。何かとレイシオを褒めちぎってくることが増えた。
気にしないようにしていも、顔を会わせるたびにまるで大切な人を見ているかのように優しい表情でレイシオを見つめてくるのだ。気にするなというのが無理な話だろう。
彼の行動が何を意味しているのか。答えを求めてレイシオはふらりとナースステーションへと顔を出した。
中で仕事をしていた看護師たちは突然のドクターの来訪に驚いていたが、レイシオから「相談があるのだが……」と言われれば聞かないという選択肢はない。
「実はだな──」
彼の名前は出さないように、彼がレイシオにしていることを話せば看護師たちの意見は満場一致で「それ絶対口説かれてますよ」だった。
恐れていた事態に、やはりそうなのかと頭を抱えるしかない。
「ドクターはお綺麗ですから、アプローチされるのも無理ないですね」
「それで、ドクターを口説いてる命知らずはどこのどなたなんですか?」
恋バナの気配を察した看護師たちに取り囲まれ、怒涛の質問タイムが始まろうとした時だった。
廊下から「教授~!」と何とも間の抜けた声が聞こえる。
この病院内でレイシオをそのように呼ぶのは一人しかいない。しかし、彼は足の骨折で病室にいるはず。
恐る恐る声の方向へ視線を向ければ、松葉杖を器用に使い近づいてくる彼がいる。
病院内でも彼が入院していることは情報として共有されていたが、実際に会える者は限られていた。それもあり、突然の人気タレント・アベンチュリンの登場にナースステーションがざわつきはじめる。
ずっと病室に籠っていることに耐え切れなくなったのか、それともリハビリの成果を早く見せたかったのか。驚く周囲に構うことなく、アベンチュリンはカツカツと松葉杖を鳴らしながらレイシオの元へと近づいていく。
世間には彼が怪我をしていることは公表されているが、どこに入院しているかは公表されていない。
幸い彼らがいる場所は、アベンチュリンのような表舞台で活躍する人が入院するための場所となっているため、守秘義務というものはしっかりとしている。
それでも、病院というのは公共の場だ。いつどこで誰が見ているのかも分からない場所にのこのこと出てきてしまったことに焦り、すぐさま彼を病室へ戻そうとした。
「見てくれよ! 僕こんなに歩けるようになったんだ!」
「確かに歩けるようになったことは喜ばしいことだが、勝手に病室は出ないようにと言っただろう」
「だって一番に君に見て欲しかったんだよ」
「あぁ……全く……」
褒めてくれとレイシオに求める姿は、まるで飼い主にご褒美を求める飼い犬のようでもあり、そんなやりとりを見ていた看護師たちの目には見えないはずの尻尾がぶんぶんと勢いよく振られている幻覚が見えていたらしい。
「騒いで申し訳ない。僕はこのバカを病室へ送ってくる」
廊下の奥へと消えていく二人の姿を見送ると、看護師たちは話声が漏れてしまわないように、きゅっと輪になって小さな声で話始める。
このやりとりで彼女達は全てを察し、そして確信を得た。
「やっぱり、あれってそういうことよね」
「だってあからさまだもの」
「ですよね~」
──ドクターレイシオを口説いてる人、アベンチュリンだ!!!
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