これが運命だと? 人で賑わう市場の中を、子供達が楽し気に笑い合いながら走り回る。
彼らの親と思われる者が、無邪気な子供達に気を付けるよう声を掛けているところを、ファイノンは微笑ましく見つめていた。
「何を見ているのですか?」
実験道具や材料になりそうなものが詰められた袋を両手で抱えながらアナイクスがファイノンの元へ戻ると、彼の視線の先にあるものを見て表情を穏やかにしていた理由を察する。
すぐにアナイクスの方へ視線を戻したファイノンは、師が抱えていた荷物をひょいと持ってしまう。あ、と思った時には彼に次の場所へ行こうと促されてしまっていた。
「そんなに子供が好きでしたか」
「うーん……好き、というか、元気にしている姿が純粋に可愛いなって。それに、先生と僕に子供ができたら、どんな子になるんだろうなって思ったりしちゃってさ」
思わず語ってしまった自分の妄想が恥ずかしいのか、耳まで真っ赤にさせながらファイノンは照れたように顔を綻ばせた。
オンパロスには男女の性別とは別に、アルファ・ベータ・オメガに分類される第二性が存在している。
通常は同性同士で子を成すことは不可能ではあるが、第二性がオメガの人間であれば、たとえ男同士であっても子を成せる。
ファイノンとアナイクスは、樹庭時代の師と教え子という関係ではあるが、今では想いを通わせた恋人同士でもあった。
しかし、彼らの第二性は互いにアルファ。どんなに望もうとも彼らでは子を成すことはできない。
「ならば、私がオメガになりましょうか」
「え……ええっ!?」
ふむ、と何かを考え始めたと思えばアナイクスはさも真面目にそんなことを口にするものだから、ファイノンは驚きのあまり大きな声をあげてしまう。
アルファ同士の人間でも子の成せる方法は存在する。
どちらかが孕める体──オメガへと体を作り替えてしまえば良いのだ。
ただし、一度オメガになれば二度と元の体には戻れない。
必要なのは、一生をオメガとして生きる覚悟と、相手への深い愛。つまり、これは遠回しにプロポーズをされていると言っても過言ではなかった。
ファイノンは年上の恋人が自分に対して、オメガになってもいいと思える程の愛情があるということを知ってしまい、照れと嬉しさで顔が更に赤くなる。
先の大きな声のこともあり、何事かと集まる視線から逃げるようにファイノンは足早に市場を進んだ。
追いかけるように彼の後ろを歩くアナイクスの表情は、心做しか柔らかくなっているようにも見えた。
普段は実験や研究、大好きな大地獣に関わる事以外でなかなか表情を変えない男が、年下の恋人をからかい楽しむ姿など珍しいにも程がある。
オクヘイマに張り巡らされている金糸が、彼らの穏やかなやりとりに、微かな反応を示していたのを二人は知ることはないだろう。
重い運命を背負う者であっても、幸せを享受するのは全ての生きる者に与えられた平等な権利なのだから。
しかし、無常にもオンパロスの危機的状況は止まることはない。
火種を返還する最中で、ファイノンの恋人は命を燃やして帰らぬ人となった。教え子への期待と、来世でまた会おうという約束を残して。
もう一度会えた時に、自分は最後までやり遂げたのだと胸を張っていえるように。それからのファイノンは、ただひたすらに世界のの救世主たらんとした。
全てが終わり、オンパロスに平和な時が流れ始めた時。目の前に再び立つ愛しい人を、強く抱きしめる。
もう二度と、消えてしまわないようにと。
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「気が乗りませんね」
「仕方ないよ、今後の黄金裔についての話し合いだし。欠席してる内に決まった内容が都合の良くないものだったりしたら先生だって困るだろう?」
「それは、そうですが」
滅亡の危機を脱し、平和が訪れた今。黄金裔は何の為に存在するべきか。
その答えを出すために、アグライアからの招集を受け、新たな生を受けてオンパロスに転生した黄金裔達が創世の渦心へと向かっていた。
当然、ファイノンとアナイクスにも招集の通達は届いている。研究に集中したいからと言って集まりをすっぽかしてしまいそうなアナイクスを連れてくるために、ファイノンを向かわせたといっても良いだろう。
あからさまに不機嫌な様子を浮かべるアナイクスをなだめながら歩いていると、甘い香りがファイノンの鼻腔をくすぐる。
「そういえば、珍しいね」
「? 何がです?」
「え? 先生が香水つけてるなんて、珍しいなって」
「香水? 私がそんなものを付けるはずがないでしょう」
転生して嗅覚がおかしくなってしまったのではないか。アナイクスから疑いの目を向けられるが、何度すんすんと嗅いでも、やはり彼から甘い香りがするのだ。
以前は薬品の匂いばかりを纏っていたアナイクスがついにオシャレに目覚めたのか、それともヒアンシーあたりに勧められたのか。ファイノンの予想はどれも外れ。
本人が否定したとなれば、この甘い香りは一体どこから漂うのか。その答えは、思っていたよりも早く見つかることとなる。
創世の渦心へ足を踏み入れた途端、アナイクスの体が支えを失ったかのように崩れ落ちてしまったのだ。
「先生!? ぅ……この、香り……さっきよりも強く……?」
咄嗟にファイノンが受け止めるものの、腕の中のアナイクスからは更に強く甘い香りが出ている。
それはまるで、オメガがアルファを誘うかのようだった。何故、同じアルファであるアナイクスからオメガのような現象が起きるのか、そしてそれが誰に対して向けられていたものなのか。
異変を察したヒアンシーが、すぐさま携帯していた即効性のある薬品をアナイクスの腕に打ち込み、その場は落ち着きが戻る。
アナイクスの体に何が起こったのかを知るために、まずは検査をすべきではとなり、結局この日の集まりは中止となってしまった。
細かい検査のため、アナイクスはヒアンシーと共に一度樹庭へ戻る運びとなる。
残されたファイノンの目の前には、自らの頭を抑えたアグライアが「まさか……そんな……」と呟いていた。
震える彼女の手には、空になった抑制剤の瓶が握られていることなど、誰も知らない。
「やぁ、先生。体調はどう?」
翌日、辛抱堪らず樹庭へと訪れたファイノンは、医務室のベッドで文字通り縛られているアナイクスの元にいた。
ヒアンシー曰く、物理的脱走防止策だそうだ。一体彼は研究のためという名目で何度医務室を抜け出しているのかと呆れてしまう。
とはいえ、ベッドでしっかりと休めているのもあるのか、顔色は昨日と比べて回復していた。
ホッと安堵の息を零すファイノンに、アナイクスはこれを見なさいと丸められた一枚の紙を差し出す。
「どうやら、手間が省けたようです」
「手間って、一体何の……?」
紙を広げれば、それはアナイクスの健康状態が細かに記されている診断書だった。素人目で見ても、各項目は健康体と言えるのか?となるような散々な結果であることが察せられる。
もしかして何か大きな病気だったりするのだろうかと戦々恐々と見ていたファイノンだったが、最後の項目を見た瞬間「え……」と目を丸くした。
そこには、はっきり「第二性:オメガ」と書かれている。
見間違いかと思い何度か目を擦り、紙を見返すも、書かれている内容は変わらなかった。
「オメガ……? 先生、オメガになったの……?」
「そのようです」
まさか転生によって第二性が変化するとは思いもよらなかったのだろう。とはいえ、元々ファイノンと番になるためにアルファからオメガに体を変化させるものやぶさかでないと考えていたアナイクスにとっては今回の出来事は手間が省けて僥倖程度のことだろう。
ただ、アナイクスがオメガになったことで彼らが番になるためには避けられない懸念が、ひとつ生まれてしまった。
「問題は、私の運命の番とやらが…………はぁ、あの女だということです」
アナイクスからの説明を聞き、ファイノンは昨日のアグライアの様子を思い出した。
おそらく彼女も気付いていたのだろう、己の運命の番がアナイクスであることに。
流石は相思相愛のモネータとサーシスの半神になった者だ。その意思とは関係なく、彼らの体は互いが運命であると糸が引き寄せてしまうのだろう。
その事実を心底嫌そうに語るアナイクスの傍で、ファイノンは手にしていた診断書をサイドテーブルへと置いた。
「とにかく、病気とかじゃなくて良かったよ。突然オメガになって先生も大変だと思うから、今はゆっくり休んで。先のことはまた今度考えていこう」
「ファイノン……?」
まくし立てるように言葉を残し、ファイノンは医務室を出ていってしまう。
ベッドから動けないアナイクスには追いかける術はなく、寂しげな彼の背中を目で追うことしかできなかった。
人気の少ない樹庭の通路で、ファイノンは自らの胸ぐらを強く掴み、手近な壁へと身を預ける。
「そっか……僕は、先生の運命の人じゃないんだ」
少しだけ。ほんの少しだけ期待をした。
アナイクスがオメガになったと知り、自分が運命の相手になれたのではないかと。
平和な世界で、やっと愛する人と幸せな時間を送れると思った矢先の出来事に、気落ちしてしまうのも仕方のないことではあった。
運命をねじ曲げてでも、彼を自分の番にするべきか。
運命に従い、自分が彼を手離すべきか。
答えなど、簡単に出せるはずがないのだから。
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