「愚痴くらいは聞いてやる」「そういえば、君の御家族は見舞いに来たりしないのか?」
今日もアベンチュリンの見張りという名の食事の世話を焼いていたレイシオが、ふとそんな疑問を口にした。
入院して以来、彼の元へ来たのは社長であるダイヤモンドと同じ事務所に所属している女優のジェイド、そんな彼女のマネージャーであるトパーズの三人だけ。
家族が見舞いに来たという様子は一度もなく、触れてはいけないだろうかと思いながらもつい聞いてしまった。
「僕の家族は皆いないよ。両親は物心がつく前に病気で他界してるし、面倒を見てくれた姉は交通事故で亡くなってるから」
「それは……すまない、嫌なことを思い出させてしまったな」
彼の故郷はかなり遠い場所にあるというのはメディアに出ている情報で既に公開されていて、レイシオも認知していた。家族も故郷に住んでいるのなら、彼の元へ見舞いに来るというのは難しいことなのかもしれない。その程度の考えだった。
まさかこんなにも重い回答が返ってくるとは思わず、レイシオは申し訳なさで肩を落としてしまう。
アベンチュリン本人は「気にしなくていいよ!」と務めて明るく振舞ってはいるが、その心に残る傷は浅いものではないだろう。
「もうずっと昔のことだよ。さて、今日も完食だ!」
空になったプレートを示すと、レイシオは白衣のポケットに入れていた手をアベンチュリンの頭にポンと置く。
そのままぐりぐりと撫でてやれば、最初の頃の困惑はなく、ご機嫌に顔を綻ばせていた。
アベンチュリンは大手芸能事務所に所属するモデル兼俳優である。
芸能歴は二年にも満たないが、その見目の良さからモデルデビューして僅か半年足らずで話題に上がり一躍時の人となったことは世間の記憶に新しい。
演技の才もあり、話術にも長けている。神から一物だけでなく二物をも与えられた奇跡の役者と褒め称えられることも多かった。
けれど、それ故に同業者からの嫉妬や、彼の活躍を快く思わない過激なアンチも数多く存在する。
しかし、アベンチュリンの主治医として、彼を近くで見てきたレイシオにとっては、なんともバカバカしい噂程度にしか思わない。
怪我をしている間も、彼は努力を怠らなかった。
次の撮影のための台本を読み込み、役作りのために原作小説に何度も目を通したり、数々の雑誌からのインタビューに答えたりと、入院中でもできることをしている。
見た目と言動で誤解されがちではあるが、彼はレイシオが今まで見たきた中で誰よりも真面目な人間だった。
けれど、アベンチュリンは裏の姿を絶対に見せない。故にこうした悪い噂が出回ってしまうのだろう。
「リハビリ後にまた様子を見に来る」
「ん。今日もお仕事頑張ってね、教授」
アベンチュリンに見送られながら、仕事へと戻る。それはもうレイシオにとっては日課ともいえるものとなっていた。やらなければ、どうにも落ち着かないほどに。
彼との距離感を注意しなければと気をつけていたにも関わらず、だんだんと自分が彼に絆されていっていることに、レイシオはまだ気付いていないのだろう。
スケジュール通りに業務を進め、アベンチュリンと約束していた時間となれば彼の元へ向かう。これは、主治医として担当の患者をメンタルケアしているのだと自分の行いを正当化させつつ、こうして今も彼の病室へ向かうのだ。
「ん?」
彼の病室へと向かう途中、著名人のみが入院している階層に見慣れない人物が歩いていた。
スーツ姿の男性は、俯きながら廊下を早足で進む。アベンチュリンのように歩行に不自由している患者もいる場所で、彼の歩行速度は危険だ。
「ここは病院だ。もう少しゆっくりと歩け」
レイシオに注意された男性は、ビクリと体を震わせる。
俯いていた顔を僅かに上げれば、その男はアベンチュリンが病院に運び込まれた時に付き添っていた彼のマネージャーだった。
今まで一度も見舞いに来ることのなかった彼が来たことを珍しく思っていると、男性の方もレイシオがアベンチュリンを担当してくれた医者だと覚えていたらしく「ど、どうも……」と何度かぺこぺこ頭を下げながら立ち去ってしまう。
何だったのだろうかと疑問が残るが、帰っていった彼を追いかけて問い質すほどのものではない。
首を傾げながらも、レイシオはアベンチュリンの病室へ入っていった。
「失礼。今日のリハビリはどうだっ……た」
リハビリを終えたアベンチュリンはベッドの上にいた。
静かに何かを見つめる虚ろな瞳の先には血だらけの手のひら。
一瞬狼狽えてしまったが、すぐさまレイシオは彼に駆け寄った。
ベッドの傍にあるナースコールを鳴らし、アベンチュリンが怪我をしていること、至急処置ができる物を持ってくるようにと指示を出す。
一体何が原因なのかを見れば、オーバーベッドテーブルの上にいくつかの封筒が散らばっていることに気付いた。
「それ、危ないよ」
レイシオが触れようとした時、ずっと無言だったアベンチュリンが口を開いた。
そっと一番上の手紙をひっくり返せば、アベンチュリンの血が付いてしまったであろう便箋がと共にカッターの刃が落ちてきたのだ。
何故こんな物が? 聞きたくても、タイミング良くレイシオの指示通りに処置道具を持ってきた看護師がやってきてしまう。
「ドクターレイシオ。指示された物をお持ちしました」
「ご苦労。処置は僕一人で十分だ、君は業務へ戻ってくれ」
「わかりました。ワゴンは後ほど取りに伺いますので、処置が終わり次第部屋の外に置いてください」
「承知した」
救急道具の乗ったワゴンをベッド近くまで転がし、アベンチュリンの手を取る。
血だらけの手のひらに、思わずレイシオは顔をしかめてしまう。
「何て顔してるのさ。君はドクターなんだから、こんなのよりもっと凄いのを見ているはずだろう?」
「煩い。治療の時くらいは静かにしろ」
幸い傷はそこまで深いものではなく、簡単な消毒と止血処置だけで済んだ。
ワゴンを部屋の外へと出した後、レイシオは再びアベンチュリンの傍へと近寄る。
「悪質な悪戯だな」
そう話すレイシオの視線は、先程の便箋へと向けられていた。
彼の手を血だらけにした原因の物はレイシオの手によって適切に処分され、他の封筒にも危険物はないかも確認済みだ。
その際に不可抗力で中身を見てしまったが、そこに書かれていたのは狂気的とも言える行き過ぎた愛の言葉や、彼を批判する強烈なアンチ文。
ファンレターというには、あまりにも過激な物ばかりだった。
恐らく先程廊下ですれ違った彼のマネージャーが持ってきたものなのだろう。
「僕は芸能界のことはよく知らないが、こういった物はタレントの手に渡らないように事務所が処理するのではないのか?」
「その認識で合っているよ」
「ならば何故」
こんな物が彼の元に届いたのか。純粋な疑問だった。
アベンチュリンは、困ったように笑う。
「仕方ないよ。僕は万人に好かれるような人間じゃあないから」
むしろ嫌われていることの方が多いのだと、さも当たり前かのように語る彼をレイシオはそっと抱き締めてやる。
突然の抱擁に驚いたアベンチュリンは、何が起こったのかが理解できず、目を瞬かせるばかりだ。
「強がるな。痛いのなら痛いと言え。泣きたいのなら好きなだけ泣けばいい。僕は何も見ていない。必要なら胸くらい貸してやる」
幼い子供をあやすようにアベンチュリンの背を撫でてやれば、腕の中にいる体が震え始める。
何度も呼吸を詰まらせながらも、せめてものプライドなのか、決して声を上げるようなことはしない。
それでも彼は、レイシオの腕の中で、ずっと我慢し続けていた涙をようやく流すことができたのだ。
「教授は、優しいんだね」
涙と鼻水で大洪水が起きてしまった顔をティッシュで拭きながらも、その表情はどこかスッキリしているようにも見える。
「患者のメンタルケアも医者の仕事だからな」
「……そっか」
レイシオの言葉に、アベンチュリンはほんの少しだけ寂しそうに笑った。
メンタルケアも仕事の内。そう口にはするが、アベンチュリンに対する言動は、ただの患者に対しては明らかに過ぎたもの。
線引きはするべきだと分かっていながらも、どうしても彼に対しては見て見ぬふりなどできなかった。
「それにしても、君の事務所はファンレターの中身も選別できないほどに多忙なのか?」
「あー……いや、たぶんそれはマネージャーの仕業かな」
「は?」
タレントを支える立場であるはずのマネージャーがタレントに嫌がらせをする行為に理解が追いつかず、レイシオの口から思わず間の抜けた声が出てしまう。
内部事情について詳しく聞きはしないものの、世間からのアンチだけでなく、同業者やマネージャーからの嫌がらせまであるとくれば、ますますレイシオは彼を放っておくことなどできなくなる。
「誰か相談できる人には伝えたのか」
「彼のマネジメント期間は一年程度だし、少し僕が我慢すればいいだけのことだ。皆の手を煩わせるほどじゃない」
彼を心配し、見舞いに来てくれたジェイドやトパーズ、ダイヤモンドなど。少なからず頼れる人はいるはずだ。
だのに、全て一人で抱え込もうとするアベンチュリンにレイシオはほとほと呆れてしまう。
我慢し続けた結果、その先にあったものは足の骨折や手の怪我と確実に生活や仕事に支障をきたしているのだから少しも笑えない。
もっと周りを頼れと言ったところで、彼は「皆に迷惑はかけられない」と返すのだ。
ならば自分が彼にしてあげられることは何だとレイシオは考えた。
考えて、考えて。ようやく一つのことを思いつく。けれど、それは彼のプライベートに踏み入るということ。
今まで決して人のプライベートに割り込むことも、自分のプライベートに立ち入らせることもさせなかったレイシオにしてみれば、大きな決断ではあった。
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「最初は長いと思ってたけど、終わってみるとあっという間だったなぁ」
「君がここのベッドに逆戻りしないことを祈っているよ」
「ははっ! それもそうだね!」
「忘れない内にコレを渡しておこう」
長い入院生活を終えて、ようやく退院することになったアベンチュリンに、レイシオは一枚の紙を差し出す。
綺麗に畳まれた紙を開けば、中に書かれていたのは電話番号と思われる数字の羅列と、メッセージアプリのIDだった。
「え……!? これって……!」
「愚痴のひとつくらいなら聞いてやる」
ただし、予定が合えばの話ではあるが。しっかりと補足も加えたものの、その言葉がアベンチュリンの耳に届いているのかと疑問に思うほどに、彼は渡された紙を凝視している。
「本当に、教授にいつでも連絡していいの……?」
「ああ。ただし、僕はカウンセラーでも何でもない普通の整形外科医だ。効果には関しては期待しないでくれ」
「君が話を聞いてくれるってだけでも十分すぎるくらいだよ」
決して無くさないよう大切に手帳へと挟み、誰にも触れられないようカバンの奥へと押し込む。
退院の手続きを終えて、裏口に車を用意した彼のマネージャーが病室へとやってきた。
レイシオにしてみれば、アベンチュリンを傷付けておいて何食わぬ顔で仕事をする男に苛立ちしか感じないが、当のアベンチュリンは自分に傷を負わせた彼に何を言うわけでもなく、他の人と変わらない距離感で接している。
故にレイシオは、医者であるだけの自分が介入するべき問題ではないとグッと怒りを堪えるしかない。
「じゃあね教授!」
ひらひらと手を振りながら歩く後ろ姿。いつもの変わらない笑顔を浮かべながら、マネージャーの用意した車へと乗り込む。
毎日顔を合わせていた彼と、こうして会話をするのも最後だ。
ほんの少しだけ、アベンチュリンが病棟から居なくなってしまうことへの名残惜しさを感じるが、それは向こうも同じだった。
車の扉が閉まる瞬間、寂しそうにする彼に気付いてしまったのだ。
つい伸ばしたくなってしまう手をギュッと握り、アベンチュリンを乗せた車が走っていくのを見送る。
患者の退院は喜ばしいことだ。だのに、レイシオの胸中にあったのは、日常と貸していたアベンチュリンとのやりとりが終わってしまったことへの寂しさばかり。
何故、一人の患者をここまで気にしてしまうのか。答えなどとっくに出ているはずなのに、彼は頑なに自分の本心へと蓋をし続けた。
それから半年の時間が流れるが、アベンチュリンからの連絡は一度も来ることはなかった。
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