2回目の宅飲み「滝に打たれて風邪をひいたけど治った」
私が緊急帰国のついでに野暮用を済ませていた時の事、これまた裁判所でバッタリ会った成歩堂に告げられた近況がそれだった。
「キミは風邪をひくのがシュミなのかね」
「そんなワケないだろ」
「呆れた」
「わざわざ言わなくても顔見りゃ分かるよ」
手をパタパタ振って苦笑いを浮かべている。なぜこのオトコはカラダを大事にするコトも出来ないのか?
「そう言えば、お前いつまでこっちに居るんだ」
「これを機にやって置きたいことがあるからな……、しかし2日後には出なければならないだろう」
「早いなあ……、じゃあ今日飲みに行かないか?」
「今日か。構わないが」
特に予定が無いのは確かめるまでも無い。断る理由も思い当たらないので即答する。
「お、おお。そっか」
この面食らったと言う顔。デジャヴだろうか……見覚えがある。
そう言えば、いつだかこんな事を考えた気がする。
「なんだ、返答に1週間くらい時間を掛けた方が良かったか?」
「もうお前居ないじゃないか」
「ああ。だから今日でいいと言っている」
少し遅れて、そうか、と安心したようにはにかむ様子にも既視感がある。
「二つ返事だとは思わなくて…向こうにいたらそうなるのか?」
「元々私は付き合いがいいぞ」
「えっ、そうかな……?」
相変わらず正直なモノだ。驚きと疑いが伝わってくる。
「付き合いが良い風を装えば、メリットもあるのでな」
要は世渡りだ。世間話はニガテだが、何もコミュニケーションは発信する事が全てではない。むしろ聞き手である方が好まれる場面もある。
仕事を円滑に進めるのにも"ツキアイ"は有用だと学んだのだ。
「打算でぼくとの飲み会を承諾したのか?」
「キミは別だ。なんの意味も意義もない」
「意義もないのか」
「無い」
無いものは無いので言い切ってしまう。酷いとか何とかぼやくかと思えば、腕を組んで存外納得したような素振りだった。
「まあ、実際そうだろうな」
飲み会なんてそんなもんだよな、と短く笑い飛ばす。どうやら理解を得られたようだ。
そしてすぐに「また後で連絡するよ」と軽く手を挙げて青い背中が去って行った。
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「遅くなってすまない」
「ううん。お疲れ」
アパートの階段から降りてきた成歩堂の息が弾んでいる。そんなに急いでくることはないのにと、少し悪い気がする。
乗れ、と短く促すと、成歩堂が助手席へいそいそと座る。ふう、と一息ついた気配がしたので、シートベルトをしろ、と命じる。
するとモタモタと肩上からベルトを伸ばし、これまたモタモタと金具に嵌めようとしている。
待っていても良かったが、そのおぼつかない手元から静かに取り上げて、カチリと嵌めてしまう。
下を向いていた成歩堂がコチラを見上げて感動とも不満ともつかない顔をしていた。なんとまあ、絶妙な表情をするものだ。
何を考えているか分からない、という点ではある意味ポーカーフェイスなのかもしれない。
「さて、行くか」
「ああ。よろしく」
これから向かうのはそう、他でもない私の部屋だ。
もっと早く来れれば、どこかの店へ入っても良かったのだが。用が終わり検事局に寄った所で数回呼び止められ、対応している内に遅くなってしまった。
『迎えに行くから、自宅で寛いでいたまえ』と急いでメールを送信したところ、すぐに了承が返ってきた。暇だったのだろうか。早くしなくては、と気が急いたものだ。
「お前んち、行くの初めてだな」
「そうだな。……」
ううん、こんな時はラジオだろうか。信号待ちの間に手早く操作すると、交通情報が流れた。
「……誰か入れた事あるの?」
「そうだな。冥と……、……、糸鋸刑事が玄関まで」
「入ってないじゃないか。他は?」
「……最近、ロボット掃除機を貰ったが……」
「ロボット掃除機」
復唱するなり成歩堂が我慢する素振りもなく吹き出す。隣でヒーヒーと言いながら肩を震わせて苦しそうだ。……もっとも、1番苦しいのは私の回答だったのかもしれないが。
「そう言うキミはどうなんだね」
居た堪れず、ハンドルを人差し指でトントンと叩く。
涙を拭う仕草をした成歩堂がコチラを見た気配がした。
「矢張と、遊びに来た真宵ちゃんや春美ちゃんと……、引っ越しの時に千尋さんも来てくれたなあ……」
「それは結構な事だ」
「あとは、御剣も」
「私もか」
「そうだよ。忘れたのか?」
すぐに思い出せず記憶を巡らせる。確かに、このオトコの部屋に入った記憶はある。が、いつ何の為に訪れたのかが朧げだ。
「まあ、ぼくの事なんてアタマに無かっただろうからな」
成歩堂が揶揄うような声色で言う。ピンと来た。カレが卑屈なコトを怨みがましく口にすると言うことは。
「ああ…思い出したぞ。酒を飲みに行ったんだったな」
「そうだよ」
そしてその後、海の向こうへ飛んだのだった。手紙を残して。
「キミはまだ根に持っているんだな」
「え? もう怒ってないよ」
「仕方の無いことだ」
だから怒ってないって。と言った声が余りにも分かりやすかったので、喉を鳴らして笑う。そんな私の反応もまた不服だったようで、拗ねた様子で続けた。
「またお前、どっか行っちゃうし」
どう反論するかと思えば、まるでコドモのようだ。
「ふん、むしろ戻るのだ。居る方がオカシイ」
「……先日はドウモ…、」
「そんなコトバが聞きたいわけではない」
「……」
「そもそも、私がどこかへ行っても、もうキミに不都合は無いだろう」
「まあ、そうだけどさあ」
成歩堂はサッパリして見えて、案外寂しがり屋なのかもしれない。
真宵クンが居なくなった時も随分しょげていたようだし、賑やかな雰囲気は実の所、満更でもないのではないだろうか。
「キミには矢張がいる」
「い、いらないよ」
ウィンカーを出し、何か言いたげにしている成歩堂には触れないまま、ハンドルを切る。
さて、間も無くスーパーに着くだろう。適当な酒を買い込んで、彼のハナシは後で、その気が済むまで聞いてやろう。
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ソファに2人で並んで座り、缶ビールと惣菜を並べる。いいよいいよ、と急かされて、グラスや皿に移さないまま、飲み会は始まった。お疲れ様、と軽く乾杯をしてグイッと飲む。ウマい! とこちらを見て笑った成歩堂は、私たちが再開する前、小学生の頃の面影を残しているように思えた。
酒を飲んで少し機嫌の良くなった彼は、思い付いた事を取り止めもなく話した。
「イトノコ刑事のそうめんやけに美味かったけど、そろそろ米も食べさせてやれよ」
「そう言えばカレー食べに行こうって話してたよ。真宵ちゃんと春美ちゃん。逞しいよね」
「最近トノサマンのガチャガチャ見かけたぞ。真宵ちゃんが見かける度にやってたけど、出来が良いとかなんとか興奮してたぞ。お前もやってから帰れば?」
うム、とか、ほう、とか相槌を打ちながら聞く。たまに訪れる沈黙も悪くない。隣の彼も特に気にする様子がない。それもまた心地が良い。付け加えて、セルフでパックに詰めた焼き鳥も、スーパーの惣菜にしては美味しく感じる。
成歩堂は「大体あっためれば美味しくなるよ」とまあまあ失礼なことを言っていた。料理の出来の良さを素直に褒めたらどうだ。
そんな捻くれた友人に1つ、浮かんだ疑問を投げかけてみることにした。
「キミは、人といる方が好みかね」
「ヒト? そう見える?」
「そう、とも言い切れないが。たまにそうなんじゃないかと感じる」
成歩堂が中身の無くなった缶を軽く振ってテーブルに置いた後、不服そうな顔をコチラに向けた。
「なんだそれ。サミシイやつだって言いたいのか?」
そんなふうに取られるとは。卑屈なヤツだ。
「それはまた違うな。さみしそう、だとは」
「ええ〜。そうかなあ? 静かな方が良いけどなあ、ラクで。大体普段が賑やかすぎるんだよ」
「フ……、それは否めないな」
「お前の周りも相当だと思うけど」
「私の"周り"にはキミも含まれているぞ」
「御剣だってそうだ」
隣に目をやると、何故だか得意げなニヤけ面とかち合った。別に上手いことは言ってないだろう……。
何の話をしていたんだったろうか。ええと、そうだ。
「賑やかな分、その反動があるのだろうか」
「別に無いと思うけどなあ……。多少、シゴトする気起きなくなったりしたけど」
「キミはなあ……」
「そもそも、どうしてそう思ったんだ?」
どうして。1番分かりやすい理由は何だろうか。缶ビールを一口煽り、抜けかけた炭酸を味わう。一呼吸置き、吟味してから呟く。
「別れた後振り返ると、いつもコチラを見ているから」
「はっ、」
瞬間的に目を見開く。恥ずかしいなあ、ソレ……。と、歪んだ横顔。心底イヤそうだ。
そのまま見ていると、頭を乱暴にかいて、やめやめと片手を振った。
「何言い出すんだよ全く……。見送ってるだけじゃないか」
「空港なら分かるが、他でも割とそうだ」
「……わ、悪いかよぉ」
至って冷静に続けていると、若干赤くなった目元で睨まれた。
「悪くはないんじゃないか? 丁寧な印象を受ける」
「サミシそうな印象も受けてるじゃないか」
「まあ…」
「……そっかあ」
今度からどうして良いかわからないなあ…、とぼやいている。余計なコトを言ってしまったかもしれない。何か解決する方法は無いだろうかと考えを巡らせる。
「キミは特定の相手は作らないのか?」
「……御剣ってそういうハナシもできるんだな」
「ああ。で?」
「作る作らないっていうか……。イナイ」
大きな理由は無く、タイミング的にただ居ないだけ。というワケか。うん、と1つ頷く。
「ほう。あの『あやめさん』はどうなんだ」
「ち、あやめさん?」
「ああ、私から見ても、彼女からキミへの視線は熱烈なモノに見えたがね」
「……ううん」
成歩堂がチラリとコチラに目をやって、すぐに視線を落とした。法廷で向かい合っている時、たまに見せる真剣で切実な表情が、そこにはあった。
「きっと、新しい関係になれると思うんだ。ムカシには戻れないけど」
口元は笑みを浮かべている。ソレを見て息を呑む。
「……野暮なコトを聞いた。すまない」
「そんな事より、お前こそどうなんだよ。イトノコさんが“御剣はプレイボーイ”だって噂してたぞ」
「ぬう?!」
反省と共に謝罪を述べると、カウンターを決められた。形勢逆転。そういうオトコだ、とつくづく思い知らされる。
「わっ、私はッ! いかなるプレイもしていない!」
「イヤだな、その言い方」
成歩堂がケラケラと心底愉快そうに笑い出す。ソファから伝わる振動が不愉快だ。
「はあ、全く心を配って損した」
「心配してくれたの? 光栄だね」
「はぁ、心にもないコトを」
溜息をついて勢よく立ち上がる。いつもの調子を取り戻すべく、キッチンへ向かう。棚から頂き物の赤ワインを取り、冷蔵庫からは生ハムとチーズを掴んでリビングへ持ち帰ると、成歩堂から「よっ!」と景気の良い拍手が上がった。一体なんなのだ。私の不服な様子を見ても尚、成歩堂は分かりやすくニコニコしていた。
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さて、そろそろ終わりにしよう。
日付が変わって暫くして、ツマミも一通り手をつけ、飲むペースも穏やかになった。
グラスに注いだ水を2つテーブルに置いて、食べ終わった惣菜のトレーをゴミ袋にまとめる。成歩堂はと言うと、ぼーっと私が働いているのを見ていた。
「またそんなカオをして」
「そんな?」
その返事があまりにとぼけていたので、ニヤリと笑ってみせる。しかし成歩堂は見当が付いていないようだった。
不思議そうにしている彼を横目に、あらかたゴミを纏めると風呂を沸かしに行った。
暫く使っていなかった浴槽に軽く水を流してからスイッチを入れる。あとはタオルと、寝巻きになるような着替えと……。
成歩堂にも、こう言うコトをしたり、してもらったりするダレかができたらどうだろうか。
そうしたら、別れの度にその背中を叩いてやりたくならずに済むのかもしれない。
と言うのは、私の都合だが……。
まあ、ほっといてもカレはカレなりに幸せを掴むだろう。私の入る余地は無い。
客間のベッドを念の為に軽く整えて、成歩堂が溶けているソファへ近寄る。
半分瞼が閉じていて、さっきより随分眠そうだ。起きろ、と言う気持ちを込めて少し声を張る。
「風呂の準備ができた。先に入れ」
こちらを見上げた成歩堂はしばらくそのまま動かなかった。酔いが回って面倒になったのだろうか。まったく手の掛かる友人だ。成歩堂の腕を掴んで引っ張ると、互いの顔が近づいた。
「お前も変なカオだ」
「ケンカがしたいのかね?」
「違うよ。何かあったか?」
「キミがシツレイでメンドウだ」
付き合いきれん、と手を離すと支えを失くした成歩堂の体がソファへ沈む。衝撃をものともせず、彼は下を向いたまま話し続けた。
「ねえ、帰ってきたらまた呑もうよ」
「ム、ああ。構わないが」
「約束したら、振り返らなくて済むと思うんだ」
ね、と言って顔を上げる。口角を上げて満足げに微笑んでいる。この根拠も脈絡も無い理論に、私が飲まれそうになっているのは単に酒のせいだとしておこう。
「分かった。約束する。約束するから風呂に入ってくれ」
「うん、うん」
両手を小さく上げて降参だとばかりに乞えば、彼は大きく2回頷いて機嫌良く立ち上がった。
風呂場まで連れ立ち、タオルや着替えを渡すと、わざわざ向き直って柔らかく感謝を伝えられた。
客間に通してそれぞれ眠りにつくまで、成歩堂は妙に浮ついていて、私はその理由が分からず落ち着かなかった。
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目が覚めた時、部屋はまだ暗かった。けれど時計を見れば、活動する時間を示していた。
窓を開けると、雨がしとしとと降っている。頭が僅かにズキリと痛み、少し飲みすぎただろうかと後悔する。
着替えてから客間の成歩堂を起こしに行く。
起きろ、と短く伝えて肩をゆすると、ううーんと唸って薄っすら目を開けた。
「私は仕事に行かなくてはならない。キミを家に送るから、一度起きてくれ」
ベッドの横に膝をついて話すと、まだ半分寝ている彼は素直に頷き布団から出てきた。
寝る前の異常なフワつきを覚えているのか居ないのか判断はつかないが、至って普通の成歩堂に戻っていた。
朝食もまともに食べないまま、荷物をまとめて車に乗り込む。
食べきれなかったツマミは全て保冷剤を入れたビニール袋に入れて成歩堂に持たせた。
まだ眠そうな成歩堂が、もたつきながらもシートベルトを装着する。昨日の今日で何かコツを掴んだようだった。
霧のような雨の中車を走らせる。信号待ちに成歩堂を盗み見ると、ワイパーの動きを目で追っているように見えた。
「着いたぞ」
特にこれと言った会話もないまま、成歩堂のアパートへ到着する。
「ああ、ありがとう」
ドアに手を掛けようとして、一呼吸置いたのを感じる。不思議に思って成歩堂を見ると、僅かに笑っていた。
「帰国したら、連絡くれるか?」
「ム。それは、約束したしな」
成歩堂が目を丸くしてから、目を細めてふうん、と試すような声色になった。
「お前のことだからな。期待しないで待ってるよ」
「なんだと?帰り次第直ちに、それこそ間髪入れずに、キサマを飲みに誘ってご覧に入れよう!」
私が勇んで宣言すると、ハハハと軽く仰け反って笑われた。ムキになってしまった自覚がジワジワと湧いてきて、咳払いをした。
「まあ良い。何にせよ今度はこちらから声を掛けよう」
「うん。楽しみにしてるよ」
「うむ」
後部座席の黒い傘を持っていけと言うと、部屋まで直ぐだから大丈夫、とサッパリ断られた。
ドアを開けて成歩堂が外へ出る。じゃ、と小さく手を挙げて、鞄を傘代わりに走って行った。
自分の手元に視線を戻す。
さて、私もそろそろ車を出そう。
次は何を話せるだろうか。
きっとまた厄介なコトに巻き込まれて、騒々しい毎日を送るコトだろう。私も、彼も。
話すことは山ほどあるのかもしれない。なのに、くだらないコトが殆どになるだろう。
帰国後の楽しみが出来た、なんてヤツには言わないが。悪い気はしない。
アクセルを踏む。心が引き締まるのを感じながら、アパートを後にする。
そして、一度も振り返らなかった。
おわり