たとえ、一時だとしても。気質は判るものだ。 藤丸立香という人間は、人の手伝いとか手助けとか、そういうのは基本的に苦だと思わないタイプだが。流石に限度とか、そういうものはある。
「頼むよ藤丸〜!!本当に少しだけだから!!ほら、時給はかなり良いし、人も悪くないんだ!!」
「うーん……」
今立香の目の前で頭を下げる友人は、とある女装喫茶でバイトをしている。彼曰く、他のバイトの人が旅行で暫くいなくなる為人手が足りなくなり、その人が戻って来るまででいいから助けて欲しいとの事だった。
立香は普通の人間だ。多少お人好しの自覚はあれど、特筆すべき特技などなければマニアックな趣味もない。…当然、女装の趣味もないのだ。
しかしながら、立香が友人の頼みをしっかりと断らないことには理由がある。
一つは、友人が本当に困っていること。彼は自他共に認めるお人好しであるので、頼みを断るのは気が引ける。
もう一つは、給料の高さ。大学生にとって金というのはいくらあってもいいもので。数日間働くだけで数万円も貰えるのだから、一蹴するには惜しい。
「はぁ~……分かったよ…。数日間だけだからね。まぁ、俺に女装とか似合わないと思うけど…」
「いやお前なら全然似合いそ…ってマジで本当か助かったありがとう」
「う、うん」
友人の勢いに思わず仰け反ったが、心から喜んでいる姿に少しほっとする。立香は友人からまた後で詳しい仕事内容等を送ると言われ、学校を後にした。
そうして立香は数日間のみ、女装喫茶で働くことになった。
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結論で言うのなら、滅茶苦茶ウケた。笑い枠ではなく、純粋に似合っていた。
長髪リボン付きのツーサイドアップのウィッグを被せられ、薄い化粧を施し、眉毛までも細く剃れば、顔は立派な女の子となっていた。
顔はと言ったものの、それ以外は似合っていない訳ではない。立香が着させられたドレスは、歴史上の話やライトノベルで度々見られる、肩を晒した夜会用のもの…その中でもフィッシュテールドレスと呼ばれるものであった。関節や手首や喉仏など、男の特徴が出ている部分は徹底的に隠されている。しかし程よく引き締まった足の一部は晒したり、偽物の胸を押し出したりと厭らしくない程度に大胆な姿だ。少しでも少女らしく見せる為に、髪もツーサイドアップのウィッグを被り、結び目には可愛らしいリボンを着けている。
とある良家の一人娘、立香令嬢の誕生であった。
再度言うが、立香は別に女装の趣味があるわけではない。スカートを履こうと思ったことはないし、なんなら女装をするのは普通にとても恥ずかしい。バイトなんだ仕事なんだと思っていても、羞恥はそう簡単には消えてくれない。
だが、その様子が寧ろ受けた。
顔を赤らめて恥じらいながらも懸命に働く姿は庇護欲を大層掻き立てたのだ。その辺の女の子よりも可愛いと思う者は何人もいた。一気に人気が出たので、数日間と言わずこれからも!と店長からも客からも言われてしまったが、正直な話乗り気にはとてもなれなかった。
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「…そういう訳で、俺はここで働いているんです」
「成程な」
今立香が接客をしている相手は、滅多にお目にかかれない美貌の男だ。白い髪に白い肌。瞳の奥には小さな十字のような、星のようなものが見える。どこからどう見ても外国人の顔立ち、体格であり、事実フランス出身だと言う。そこらのアイドルやモデルよりも余程美しく、一体何故こんなしがない店に来たのか不思議でしょうがなかった。その理由はすぐに解ったが。
彼の名前はエドモン・ダンテス。この店には知り合いである作家二人に、ネタ集め要員として連れてこられたそうだ。共に来ていた二人が、店員そっちのけで紙に何かを書き込んでいるのはそのせいか、と合点がいった。
彼への接客中、立香は不思議な感覚を覚えていた。彼…ダンテスとのコミュニケーションが不思議な程に心地よくて。楽しくて。ずっとやり取りを続けていたい、と思ってしまう。時々何を言っているのか分からないことがあるけれど、とても紳士な彼と接していると、まるで本当に女の子になったかのような錯覚がして。接客しているのは自分の筈なのに、席にエスコートされた上、あくまでも礼儀と分かるキスを手に落とされた。とどめに慣れないヒールに体勢を崩して転びかけたとき、そっと腰に両手を添えて支えてくれた時は顔が真っ赤になってしまった。あらゆる所作にいやらしさを感じず、しかしからかいも感じず、ひたすらに上品で。貴族、という言葉が何よりも似合う人だ。
連絡先を聞きたい。また会う約束をしたい。だけどここはそういう店ではないし、望んで来たわけでもない彼はそれを言われては困ってしまう。困るだけならまだいいけど、気持ち悪いと思われるのは耐えられない。だから、なんでもないようなふりをしている。
そんな思いを抱えながらも、ダンテスと過ごす時間はあっという間で、ふと時計を見ればラストオーダーの時間が迫っていた。
「あ…」
立香はしゅん、としてしまうのを抑えられなかった。彼との時間が終わってしまうのが惜しくて、嫌で、また会える確率はとても低くて。それが顔にも態度にも雰囲気にも思い切り出ていたのだろう。
ダンテスはメモ帳に素早く何かを書いたかと思うと、その小さな冊子を立香に差し出した。受け取って読んでみると、流暢な字で電話番号とメールアドレスが書かれていることに気づく。立香は思わず顔を上げた。
「これって…‼」
「ここでお前との縁が途絶えるのが惜しいと、未練がましく思う俺を赦すか否か。おまえが、決めろ。藤丸立香」
面食らっている立香を傍目にダンテスは立ち上がり、帰るぞ作家共と言って颯爽と店から去ってしまった。
「え…あ、お会計っ!」
「もうされてたから大丈夫だぞ。イケメンって行動もイケメンなのズルいよな」
いつの間に、と言いかけて途中一度だけ席を外していたことを思い出す。
「ず、ずるいっ!」
何がずるいなんてわからない。彼はただ、一足先に会計を済ませただけだ。けれどずるい、と。そう思わずにはいられなかった。
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「ど、どうしよう…」
夜、自室にて。
立香はメモ帳とスマホを片手に頭を悩ませていた。あの後なんだかんだですぐに家に帰ることが出来ず、息をついた頃にはずいぶんと遅い時間となっていた。
「(本当に、なんか色々すごかったなぁ。字もきれいだし、なんかこのメモ帳も高級そう…あれ)」
はた、と気付く。このメモ帳は自分がもったままでいいのだろうかと。一応、確認の為、とそろそろと違うページをめくる。流石に大事なことはかかれていないとは思うけど、もしもこのメモ帳に色々と書かれていたならば。それは少し良くないのでは。
「わあ~。すっごいいっぱい書かれてる…。何かいてあるのか全然分からないけどとりあえず結構書かれてる…」
夜も遅いし連絡するのは明日にしようと思っていたが、その考えは改めた。こういう事はすぐに伝えた方がいいだろう。随分と遅くなったけれど、そもそも向こうが電話に出る保証はないし、留守電でも要件は伝えられる。そう思い、電話番号を打ち込みコールをならす。
「待ちくたびれたぞ。存外、駆け引きが上手なことだ」
「えっ?」
立香は開幕一番に思いもよらぬことを言われ、困惑した。2コールも終わらぬうちに出たと思えば、電話の主が立香であることを確信しているような口ぶりだ。立香は自分の連絡先は教えていないのに、だ。
「えっと…、ダンテスさん?」
「どうした」
「俺、電話番号教えましたっけ」
「いいや。ただオレが、搦め手とすら言えぬ幼稚極まりない手段をとっただけのこと。お前が気にする必要はない」
真面目に聞いたが、よくわからない答えを返された。とりあえず教えてはいないらしい。釈然としないが、とにかく要件を伝えることにした。
「あの、メモ帳俺に渡しっぱなしでしたよね」
「フ……そうだったな。明日そちらに取りに行っても?すぐに手元に戻したい」
「そんなに大事なものだったんですか!?全然大丈夫ですよ。俺の住所教えますね」
普段ならば初めてあったばかりの人に、そうやすやすと教えることはしないのだけど。彼にはすごく、ものすごく会いたかったから、自分から教えることにした。
翌日。家に迎え入れた後に女装を解いているにも関わらず、同じ対応をされて顔を赤くするのはまた、別の話。