遠距離恋愛赤黒「もしもし。こんばんは、赤司くん」
「こんばんは。いつもより遅い時間だけど大丈夫?」
「大丈夫ですよ。本読んでたら、つい夢中になっちゃって」
ふふっと小さく笑えば、黒子も同じように笑い返してくれた。
日が変わる、少し前。一日が終わる穏やかな時間に、彼の落ち着いた声が優しく電波に乗る。
東京と京都。離れた距離を思えば、なかなか頻繁に会うことは出来ないし満足に触れ合えることも出来ない。遠距離を繋ぐ二人の一番の連絡手段は電話だった。とはいえ、赤司は多忙の身であるし、黒子だって日々の練習で忙しいので、通話だって週に数回である。寂しさはもちろんあるけれど、こうして恋人の声を聞くだけで疲れも吹き飛ぶから不思議なものだ。スマートフォンを耳に当て、椅子の背もたれに体重を掛けて目を閉じる。
「今日は何かあった?」
「そうですね、今日は…」
決して口数の多くない黒子が、一生懸命今日あった出来事を話してくれる。本屋でたまたま手に取った小説が面白かったこと。バニラシェイクの期間限定味に浮気してみたらとても美味しかったこと。急な雷雨があって、夏だなって思ったということ。ひとつひとつに相槌を打ちながら、落ち着いたトーンに心が癒される。
「それから、その時火神くんが、」
「うん」
「…赤司くん、もう眠たいですか?」
「ん?ううん。そんなことないよ」
「じゃあ疲れてます?」
「ううん。黒子の声聞いたら疲れも吹っ飛んだ」
「なら良いですけど…」
けれどやっぱり、黒子から学校生活の話を聞くと、どうしても羨ましく感じてしまう。自分もその場にいられたら、なんて、たらればを考えても仕方ないのに。やきもちをやいているだけだと知られるのは格好悪い気もして、何でもないふりで誤魔化してしまう。
「というか、ボクだって赤司くんの話も聞きたいです」
「そうだね。でも、オレは今日も黒子のことばかり考えてたよ」
「…そういうの良いですから」
「本当のことだから」
冗談めかして笑うけれど、でも本当のことだ。何をしていたって、ふと彼のことを思い出す。本屋で黒子の好きな作家の新刊を見つけた時も、バニラシェイクの広告を見かけた時も、今この場に、彼がいれば良いのにといつだって思うし、今すぐ会いに行きたいとも思う。
ぽつりぽつりと会話を続けているうちに、黒子が小さく欠伸を噛み殺したことに気が付いた。時間はもう、あっという間に日を跨いでいたらしい。名残惜しいけれど、そろそろ時間だ。
「遅くまでごめん。そろそろ寝ようか」
「…はい。そうですよね」
「黒子?」
「…ボク、電話切るのって苦手です」
「……それはオレもだよ」
少しだけ、しんとした沈黙が流れる。明日も朝は早いし、早く眠らないといけないのはそうなのだけれど、でも、通話を切る瞬間の寂しさはいつまで経っても慣れなかった。またすぐに声も聞けるし、きっと近いうちにまた会えるだろう。そうは分かっているのに、お互いに、なかなか終了ボタンを押せずにいる。せめて、顔が見られれば良いのにと思った。
「黒子、今自分の部屋?」
「え?そうですよ。ベッドでごろごろしてます」
「少しだけ、テレビ通話に出来ない?」
そう言えば、電波越しの黒子は少し迷ったそぶりをした後、「赤司くんもしてくださいね」と言ってぱっと画面が切り替わった。パジャマ姿の、いつもよりラフな姿が映し出される。風呂上がりのせいか、髪が少しぺたんと丸くおさまっていた。
「かわいい」
「なっ…。キミは画面越しでも相変わらず顔が良いですね。腹が立ちます」
「そんなことないけど、ありがとう」
そんなやりとりをしながらも、画面の向こうの黒子がまた欠伸をする。その姿を見ていると、赤司のほうも移ったように眠気が襲ってきた。眠気はある、けれど、これは逆に失敗だったかもしれない。顔を見てしまったら、余計に離れがたくなってしまう。
「…このまま寝てしまおうか?」
「…それ、ボクも思いました」
座っていた椅子から腰を上げて、赤司もまたベッドへと潜る。枕の横に通話を繋いだままの携帯を置けば、黒子が本当に隣にいてくれているような気がした。
「じゃあ、おやすみ、黒子」
「赤司くん、ちょっと近づいてもらってもいいですか?」
「ん?」
言われた通り、通話口に耳を近付ける。黒子はもう部屋の電気を消したのか、テレビ通話にしたままと言えども画面はほとんど暗かった。がさごそと、何かが擦れる音がする。
「…おやすみなさい、赤司くん」
耳元で、ちゅっと小さくリップ音が聞こえた。それからすぐに、画面が切り替わって通常の通話に戻ってしまう。
触れた耳が、かっと熱くなる。黒子はいま、どんな表情をしているのか。想像したらもう、たまらなくなってしまった。
「…余計に眠れなくなったんだけど」
「知りません。寝てください」
「次会ったら、実際にしてくれる?」
「いやです。赤司くんからしてください」
「もちろん、眠れなくなるほどしてあげる」
「そんなにしなくていいです!」
もう本当に寝ます。おやすみなさい。そう言って、布団がずれる音がした。赤司もタオルケットを被り、遠く離れた恋人のことを想って目を閉じる。
いつか、おはようもおやすみも、ちゃんと顔を見て言える日が来ればいい。きっとそんな日も決して遠くはないだろう。毎日の挨拶を交わしながら過ごせたら、それってすごく幸せだ。
静かになったスマートフォン越しに、黒子を想い赤司もちゅっとキスをする。早くこのキスで、彼の唇の感触を辿ってみたい。