ディルガイ吸血鬼パロぱろ
「また街に下りるのか?」
隠す気もない不機嫌さが滲む声に、ディルックはゆっくりと振り返った。ガイアが部屋の入り口で腕を組んでこちらを見ている。「あぁ」と短い肯定とともに扉を開けようとしたが、外套を引っ張られて外に出ることは叶わなかった。
「何しに?」
「買い物」
「寝ぼけてるのか?もう夜だぜ」
半笑いで指差した窓の外は真っ暗だ。もとより騙す気もない嘘が余計にガイアの怒りを煽る。
「…分かってるんだろう。わざわざ聞く必要があるのか」
「じゃあ何を言われるのかも分かってるよな。わざわざ金払って血を買わなくても、俺のを飲めばいいだろ」
ほら。そう言ってシャツの襟元を引っ張り首筋を露わにしてみるが、彼は目もくれない。思わず舌打ちをしてしまった。
「君の血を飲む気はない。離してくれ」
外套を掴んでいた腕を振り払われる。そこまで真っ直ぐ言葉にされてしまうと流石に堪えた。分かったよ、と小さく呟いて視線を落とす。拗ねた子どものような声色になってしまって恥ずかしかった。きっと彼の目には、ガイアは拾われてきた子どもの頃からなにも変わらないように映っているのだろう。
「明け方には戻るよ」
わざとらしいほど優しい声で語りかけられたが、朝日が出たら死ぬんだから明け方には戻るに決まっている。なんの慰めにもならない。黙り込んでしまったガイアを置いて、結局ディルックは屋敷を出て行ってしまった。
ガイアはひとりで自室に戻ると、閉めていた分厚いカーテンを開けた。控えめな月明かりの下、やたらと広い庭を隔てて煌びやかな街がある。彼は今頃、あのぎらぎら飢えた視線を知らない人間なんかに向けて、その首筋に牙をたてるのだろうか。痛みを与えてしまって逃げられないように、吸血行為には快楽が伴うという。発情した人間に縋られてうっかりその後に及んでしまったら。
ぐるぐる回る嫌な想像を断ち切りたくて、ヘッドボードに放置していたナイフを手に取った。カバーを外すと、慣れた手つきで手首に刃を滑らせる。じわじわと滲む血液に、ざまぁみろ、と独りごちた。美味しくなるように生活習慣も食生活もきちんと管理しているのに。他の奴らはおいしいって褒めてくれるのに、お前が受け入れないからこうやって無駄になっていくだけだ。一筋伝った血を拭うと、ガイアはナイフを胸元に忍ばせて屋敷を出た。こんな夜に一人でいたら気が滅入って仕方がない。
そうしてガイアが足を向けたのは、大通りの一本奥にある寂れた道だった。この近くには吸血鬼が集まる酒場があるので、血と引き換えに一杯引っ掛けることもできる。ディルックが通い詰めているのはもっと綺麗で高級な店だから見つかる心配もない。今日はどうしようかとぶらぶら歩いていると、正面から歩いてきた少年と目が合った。
「ウェンティ?」
「ガイア!久しぶりだね〜」
少年は笑顔を浮かべてガイアの方へ駆け寄ってきた。上質なシャツとマントが月明かりに揺れる。彼は始祖の血を継いでいるのだと噂に聞いたことがあるが、こうして大衆酒場に通い詰めているのを見ていては畏れる気にもならなかった。「今日も飲ませてくれるの?」とウェンティは首を傾げる。
「あぁ」
ガイアが胸元からナイフを取り出すと、ウェンティはパチンと指を鳴らした。手の中に見覚えのあるグラスが出現する。隣の酒場から拝借しているらしいそれを見て「後で返しとけよ」と苦笑いを浮かべた。
「もちろん。ピカピカにして返すよ」
袖を捲ると、さっき雑に拭った血の痕が残っていた。真新しくまだ血が滴りそうな赤い傷に、ウェンティは顔を顰める。
「痛そう」
「毎回見てるだろ?」
「見てても見慣れないよ」
まぁ確かに、傷痕はともかく生々しい傷口は吸血鬼といえども見せられて気分のいいものではないか。若干の反省と共に、ガイアは先程の傷のすぐ下にナイフで傷をつける。ぼたぼたとグラスに鮮血が垂れて、さながらワインのようだった。ウェンティの瞳がきらりと光る。美味しそう、なんだろうか。人間であるガイアには血の良し悪しなど全くわからないが、少なくとも貶されたことはなかった。じゃあ彼はなぜガイアの誘いを袖にしてばかりなのだろう。
「もういいよ」
気づけばグラスに2cmぐらい血が溜まっていた。圧迫して止血しようとしたが、指の間から溢れるばかりで止まりそうにない。大して集中せずにナイフを当てたせいで、いつもより深く切れてしまったようだった。指先を伝った赤が地面に染み込んでいく。自分でやっておきながら貧血になりそうだった。
「切りすぎたな」
「ちょっと手離せる?」
止血していた右手を引き剥がされる。ウェンティの小さな頭が近づいてきたかと思えば、傷口を舐められて思わず勢いよく腕を引いた。
「ぅわっ!?」
「治ったでしょ?」
彼の言葉に、視線を手首に落とす。確かにぱっくりと裂けて血を流していた傷口は、少し盛り上がったかたちで塞がっていた。
「本当だ。すごいな…」
「エヘヘ。元々ある治癒力を助けるだけだから、傷跡を無くすのは無理なんだけどね」
「跡は気にしてないぜ。ありがとな」
「君のご主人様は気にするんじゃない?」
ガイアは首を傾げた。ご主人様…ディルックのことだろうが、彼がガイアについて気にかけるようなことなど特にないはずだ。ピンときていないガイアをよそに、ウェンティは「いただきまーす」とグラスを傾けた。
「う〜ん!やっぱりガイアの血はいつもおいしいね」
「そうだろ?」
ほらやっぱり!食わず嫌いのお子ちゃまが、据え膳食わぬは男の恥だぞ、と脳内でディルックへの文句を並べ立てる。
「今日は桃多めだぜ」
「通りで爽やかだと思った!果物たくさん食べた後の血っておいしいんだよね〜」
直前に多めに食べた物の味も反映されるのか、果物系のときはやたらとウケがいい。ディルックが街に降りる周期に合わせて果物を多めに食べてみたわけだが、今回も無意味に終わってしまった。グラスを空にしたウェンティが酒場の扉を指差す。
「お礼はいつも通りでいい?」
「もちろん。ツマミも頼もうぜ」
「はいはい」
古びた扉を開くと、蝶番が軋む音がする。他愛ない話をしながら、二人は扉の向こうへ消えた。