お誕生日🔥❄️騎士団に出勤したらリサに声を掛けられて、ガイアはやっと今日が自分の誕生日だったことを思い出した。数日前からそわそわしている彼に気付かないふりをして、おめでとう、と叩き起こされていたころは誕生日を忘れられるはずもなかったのだが。居室に下りれば花やら切り紙やらで壁が飾り付けられているのだ。一番に祝ってくれたのはいつも彼だった。純粋な気持ちをうまく受け取れなかったことも多くあったけれど、いつしか彼の存在が当然のものになっていた。ひとりで迎える誕生日など初めてでもないのに、なぜか傷心に浸ってしまっている。
疎まれそうだが顔が見たい気分になって、仕事を終えてからエンジェルズシェアを訪れてみる。どこから聞きつけたのか常連たちはガイアの誕生日を祝ってくれて、奢りだと言って何杯か酒を差し出された。カウンターに彼の姿はなかったけれど、どこかで期待を捨てきれずに粘ってしまって、アルコールを摂取しすぎた思考がふわふわ揺れる。
「きっと忙しいんだよ」
常連の一人がそう言ったけれど、それが慰めでしかないことをガイアは知っている。待っていると見抜かれていたのが恥ずかしくなって、わずかに残った酒を飲み干して店を出た。どうして会ってくれるだなんて、調子に乗ったことを考えられたのだろう。静かな自宅に帰るのがなんとなく嫌で、あてもなく夜道を彷徨い歩く。そうしてワイナリーが見えるところまで歩いてきたら、冷たい空気に流石に酔いも醒めた。
「なにしてんだろ…」
ぽつりと呟いたら一層分からなくなって、ガイアは踵を返した。そうして自宅に帰ったらポストに黒い箱が投函されていて、ガイアはそれを慎重に開く。中に入っていたのはハンカチと「誕生日おめでとう」と書かれた小さなカードだった。〝D〟の署名、その見慣れた筆跡をに息を詰める。彼が帰って来てから初めての誕生日だった。奪ってばかりで貰いすぎているくらいなのに、カードをなぞった指先は震えている。それが安堵なのか落胆なのか、ガイアにはよく分からなかった。
◇
「あっ、ガイアお兄ちゃんやっと来た!」
騎士団に入るなり、勢いよく突撃してきたクレーを受け止める。
「お誕生日おめでとう!」
クレーの明るい声につられて、何人かが廊下に顔を出す。おめでとうございます、という声たちに応えながら、ガイアはクレーに手を引かれるままデスクまで連れていかれた。普段であれば書類が積まれている机上は、華やかな包装を施されたプレゼントに占拠されている。赤いリボンにクローバーがあしらわれている小包を手に取れば、クレーは分かりやすく表情を輝かせた。
「クレーのって分かったの?」
「分かるさ。開けてもいいか?」
「うん!」
きらきら光る包み紙を破ってしまわないようにそっと開けば、中から現れたのは可愛らしいポストカードだった。クレーとガイアが釣りをしている傍らに、アルベドやジンが描かれている。クレーの小さな手が懸命にクレヨンを走らせる様を思い浮かべて、ガイアは頬を緩めた。
「ありがとな。また絵が上手くなったんじゃないか?」
「アルベドお兄ちゃんに教えてもらったんだ」
はにかむクレーの頭を撫でていたガイアは、カードの下に小さなボンボン爆弾が入っていることに気付いて一瞬硬直した。うさぎの形をしたそれに触れないようそっとカードをどかすと、クレーの指先が横から容赦なく爆弾の先をつつく。
「クレー…!」
「これ爆弾じゃないから大丈夫だよ!粘土でつくったの」
静かに持ち上げてみれば、確かに爆弾の重さではなかった。ガイアは息を吐いてミニチュアの爆弾を眺める。一瞬本物かと思ってしまうくらいにはよくできていた。
「本当はほんものの爆弾をあげたかったんだけど、ジン団長がやめた方がいいって…」
「これも嬉しいぜ。好きなところに飾れるしな」
ジンに感謝しながらペン立ての傍に置いてみれば不思議とよく馴染んだ。あっという間に可愛らしくなってしまった机上を、クレーは嬉しそうに眺めている。
「クレーも、小さいのもかわいいと思う!お魚はとれないけどね」
クレーを膝にのせて、ひとつひとつプレゼントを手に取る。「最近欲しいものありますか?」と隠す気もない質問をしてくれた後輩に伝えた通りのプレゼントに、続編が出るのが遅いとぼやいた本。ラッピングされた酒は恐らくこれなら間違いないと思われていそうだが、その通りなのでありがたくいただいておく。メッセージカードに心が温まる一方で、ひとつ足りないな、と頭の隅でずっと考えていた。ここ数年変わらなかったあまりめでたそうに見えない黒い箱は、机上には見当たらない。ついに全てなくなったらしい。別に不思議なことでもないが、いつの間にかすっかり期待していたことを自覚してなんとなく情けないような気持ちになった。クレーに手伝ってもらいながら机上を整理していると、一枚のカードがふわりと落ちる。
「これ落としたよ!」
差し出されたカードを見て、ガイアは瞬く。望んだ1文字と共に、昼時にエンジェルズシェアに来てほしい、と見慣れた筆跡で記されていた。
半強制的に半休を取らされたことをなぜ知っているのか。真昼間からエンジェルズシェアのドアノブに手をかけたまま躊躇していると、内側から突然扉が開かれる。引っ張られて前につんのめってしまったガイアは、目を丸くしたディルックに激突しそうになって寸前で踏みとどまった。
「遅かったな」
「び…っくりした、急に開けるなよ」
「内側からノックすればよかったか?」
めちゃくちゃな文句ではあったので、正論を返されたガイアは閉口した。促されるままテーブル席につけば、そこにはリボンを巻かれたワインボトルが置かれている。高級な銘柄の当たり年だ。カウンターの中でなにか作業をしているディルックと瓶のラベルとを見比べて、ガイアは首を傾げた。
「誕生日おめでとう」
予想外の言葉にガイアは思わず「えっ」と声に出してしまった。ディルックの怪訝な表情に、慌てて捻り出した言い訳で墓穴を掘る。
「今年は直接言ってくれるんだなと思って…」
「…言って欲しかったのか?」
「いや、その…いつもはカードだけだっただろ」
「だから、直接言って欲しかったって?」
問い詰められて、ガイアは仕方なく頷く。ディルックの「そうか」というどこか気の抜けた呟きはあまりに小さかったので、フライパンの上で油が跳ねる音にかき消されそうだった。
「君、ずっとなんとなく居心地が悪そうだったから…僕に祝われるのが嫌なのかと思ってた」
「う…まあ、嫌ってわけじゃないが…」
「今はいいの?」
肉が焼ける音と共に、ハーブの香りが漂ってくる。ガイアはなんと言うべきか少し考えた後に、「いいよ」とだけ返す。かつてのガイアは、喜んでしまうことが父親への裏切りになるような気がしていたのだ。幼い彼に葛藤を見抜かれていただなんて全く気づいていなかった。自分のことで手一杯だったことを自覚して、少し申し訳なくなる。
「それなら盛大に祝った方がいいな。飾り付けでもしておけばよかった」
「やめてくれよ、恥ずかしい…」
「アデリンは未だに僕の誕生日になると花を飾ってくれるけど」
「そりゃあオーナーの誕生日だからな」
ガイアは幼い頃に彼が一生懸命作ってくれた花の飾りを思い出した。 ディルックは上手く出来なかったと肩を落としていたけれど、ガイアはワイナリーを出る時まで、それをずっと大切に部屋に保管してあった。
「君の誕生日でもそうするよ」
目の前に置かれたのはアレンジされたお肉ツミツミだった。グラスを2個持ってきたディルックが「僕も貰っていいかな」とワインボトルを指す。
「飲むのか?お前が?昼から?」
「君が嫌なら飲まないけど」
「まさか。飲めるのか?」
ガイアがワインを注いでやる間に、ディルックは積み重なった肉を取り分けてくれた。手渡したグラスで乾杯すると、ディルックがグラスを傾けるのをガイアはじっと見ていた。彼の表情の僅かな変化に、ガイアは小さく笑う。
「やっぱりジュースの方がいいんだろ」
「片方を選ぶならね」
ガイアのためにわざわざ一緒に飲んでくれたのだ。表情が緩みそうになるのを堪えて、ガイアは肉を口に運んだ。
「うまい」
「良かった。君、旅人のことを羨ましいって言ってたんだろう?」
ガイアは記憶を探った。思い当たるのは、ひと月ほど前にディルックに料理を振舞ってもらったという旅人に「俺も食ったことない」みたいな返事をしたことだった。彼はディルックに対してどうにも口が軽くていけないが、口止めしたわけでもないので目を瞑っておく。
「言ってくれれば作ったのに」
「俺があのアカツキワイナリーのオーナーに食事を作らせるのかよ」
「違う。僕が君に作るだけだ」
今日のやけにストレートな言葉たちをどう受け止めたらいいのか分からず、ガイアの杯はどんどん進んでいく。高級なワインでこんな飲み方をするのは忍びなくて、午後の死を強請って出してもらった。何でも出てくるので困ってしまう。
「誕生日ってこんなに特権があるのか…?」
「そういうものだよ。今までは君がなにも望まなかったから」
口に出そうとしたわけではなさそうな疑問に、ディルックは律儀に答えてあげた。あれ、みたいな顔をして口を押さえたガイアの頬はほのかに赤い。
「飲み過ぎだとは思うけど。まだ昼だってことを忘れないように」
「ああ、そう…そうだったな。ここにいると夜みたいな気分になる」
「今夜はどうする?うちに来るなら夕食を用意しておくよ」
ガイアは最後の一口をフォークで口に運んで、いつの間にか空になっている彼のグラスに視線を移した。机上に彼のプレゼントを発見しただけで舞い上がって、メッセージカードを繰り返し大事に読んでいたときからは想像もできないような状況になっている。
「やめとく」
「何か予定でも?」
「あんまり一度にもらうと怖いだろ」
ディルックは「この程度で?」と思ったが口には出さなかった。一緒に食事をして酒を飲んだ程度で「これ以上は怖い」と思われているのは、ここ数年の積み重ねによるものだろうから。
「それならまた来年呼ぶよ」
そう言えば、ガイアは少し驚いたような顔をした後でふわりと笑った。かつて彼に会えなかった日にガイアの心を満たしたのは落胆だったけれど、きっともうそんな夜は来ないのだろう。
「約束な」
ガイアがグラスを掲げれば、ディルックは「酔ってるな?」と言いながらきちんとそれに応えてくれた。