【CPなし】ムビ後左馬刻と一郎「……で? アンタがわざわざ俺に何の用だよ」
「餓鬼共は?」
「まずは質問に答えろよな……」
断りもなく煙草を吸い始めた左馬刻相手に一郎があからさまに表情を強張らせる。別に何をされた訳ではないが、つい今までの癖でつっけんどんな態度で迎えてしまい「あ、ヤベェ」と思った頃にはもう手遅れであった。結局、ミスした事を悟られないようビジネス不仲を装いつつヤクザの相手をする羽目になっているのだから。
そんな一郎の後悔を知ってか知らずか無言で見つめてくる左馬刻に一郎は根負けすると、気怠そうに口を開いた。
「はぁ……ったく、アイツらは学校。つーか今何時だと思ってんだよ、まだ昼だぞ」
「チッ」
再び一郎の大きな溜息が事務所に響くと左馬刻も負けず劣らずの舌打ちをかます。ファイナルバトルのアレは何だったのかと思うくらい雰囲気は最悪だ。百パーセント一郎が悪い事実は変わりはしないが、漸く一息つけた昼時に突然やってきては仏頂面で堂々と上がり込んでくるのだからある意味こんな状況になったとて仕方ないだろう。「でも」とか「だって」とか言うとまたそれはそれで面倒そうだから言わないが。
(参ったな……すっかりコレに慣れちまったからつい悪態ついちまったけど……)
コホンと咳払いで誤魔化すと、ソファーで煙草を吸いながら踏ん反り返る左馬刻に視線を向けた。申し訳なさが吹っ飛ぶくらい図々しい態度にやっぱり合ってたかも、と考え直してしまう。
「何時に帰ってくんだ?」
「ンで、言わなきゃなんねぇんだよ」
「良いから答えろ」
「はぁ? それが人に物聞く態度かよ」
まずは理由を言えよ。だから毎度面倒な事になってんじゃねぇか。……と、今にも言葉が零れ落ちそうになったが、それを言えば黙って出て行ってしまいそうで一郎は何とか腹の底へと押しやった。それに普段であればキレ散らかしている「あの左馬刻」が向かってこないのはやはりおかしい。そうなると困るのは一郎で、「あの左馬刻」ですら自分の言動を律しているというのに自分はそれすらも出来ないのかと頭を抱えたくなってしまう。これだから餓鬼だのなんだの言われてしまうのだろう。ああやっぱり腹が立つ。けれど質問に答えなければ左馬刻は帰らないだろうし、それはそれで困る。一郎はほんの少しだけ悩むと、先程よりも僅かに声のトーンを和らげて告げた。
「どっちも夕方」
「……んじゃあちょっと付き合え」
「はぁ!?」
左馬刻は短く「来い」とだけ言うと一郎の制止を無視して事務所を後にしてしまった。
「何なんだよ……」
颯爽と消えて行った左馬刻の背を横目に一郎は意味が分からないと思い切り眉根を寄せた。このままついて行かずに置いて行って貰って良いのだが、そんな事をしたら今度は怒鳴り込んで来るに違いない。それはそれでやっぱり面倒で、結果一郎は左馬刻について行くという選択肢しか与えてもらえないのである。
事務所の鍵を閉め階段を降り、見慣れた道路の脇には見慣れないがよく知っている車が停まっていた。ああ何か嫌な予感がする。一郎は僅かに身構えるとその横に立ってこちらの様子を伺っている左馬刻に視線をやった。
「理由なく勝手に行くんじゃねぇよ」
「………………」
煙草の煙をこれ見よがしに吐き出すも特に喋らないらしい。となるとあまり話せないダークな内容なのだろうか。嫌すぎる、益々面倒臭いと一郎は頭を振ってみせた。
「何とか言ったらどうなんだ」
「ごちゃごちゃうるせぇ、良いから乗れ」
「はぁ!? ふざッけんな! ンなヤーさん丸出しの黒塗りに乗れっかよ!」
大体さっきから態度がムカつくんだよ! ご近所さんに見られたらどうすんだ! 変な噂たっちまうだろ! いるんだよ、所謂スピーカーおばさんって奴が!(小声)などと今更な言い訳を並べてみるも当然左馬刻がその言葉を聞く筈もなく。というより、突然駄々っ子のようにジタバタし始めた巨大な男を押さえつけるのに精一杯だという方が正しいかもしれない。吸っていた煙草を慌てて踏みつけ、左馬刻は一郎の両手首を掴んで制す。
「でもとかだってとか言ってんじゃねぇッ!」
「言ってねぇだろ一言も! 難聴かよ!」
「テメェの行動が全力でそう言ってんだっつーんだよッ! 良いから乗れゴルァッ!」
「いでででで、バカやめろっ! おい、押すんじゃねぇ!」
「押さねえと動かねえだろうが、テメェはよぉッ!」
「ちょっ、おい、ざけんな……ぐっ、くそっ……ヤニカスの癖に腕力やべぇ」
「ァアッ!?」
この状況の方が余程変な噂が立つのだが、意固地になった一郎の意に反して注目の的になっているのに気が付いていない。弟達は学校で、かつて止めてくれていた簓や空却はもちろんブクロにいる筈もなく。ヒートアップしていくばかりのこの状況は当然かなり悪目立ちしていた。
「うるせぇ、オラッ!」
「うワっ!?」
一郎の抵抗虚しく大声と共にバランスが崩れ、あれよあれよという間に助手席に詰め込まれていく。
傍から見れば紛れもなく「イケブクロ 山田一郎誘拐事件」の犯行現場であるのだが、物好きな簓や空却のような通行人がこの場所にいる筈もなく、結果、大人しく左馬刻にシートベルトを締められてキンキンに冷やされたコーラを手渡される山田一郎を固唾を飲み込み遠巻きに見守るしかなかった。
「クソッ」
「チッ」
「脇腹は卑怯だろ」
「っせーな。テメェがダバダバしてっからだろ」
薄らと額に汗が滲む左馬刻が助手席のドアを閉めると一郎は案外素直に手渡されたコーラを飲んだ。別に左馬刻の事が嫌だった訳ではない。そもそも喧嘩腰で会話を始めてしまった一郎に原因があるため、ここまできたら覚悟を決めるだけだ。今となっては懐かしさすら覚えるこの不毛なぶつかり合いに一郎は失笑すると運転席に乗り込んだ左馬刻に「で? どこに行くんですか」と尋ねた。
「テメッ、散々手こずらせやがって謝罪もなしかよ」
「はは、すんません。つい癖で」
「余計な癖つけてんじゃねぇダボが」
「うるせぇな、元はと言えばアンタの所為だろうが」
「………………チッ」
まぁ確かに兄妹揃ってしっかり話を聞かなかったが故に大きく拗れたのもあり、左馬刻はそれ以上言葉を続けなかった。
シートベルトを締め、煙草に火を点けるとほぼ同時にブルブルと車体が動き出す。左馬刻自ら運転するなんて珍しい事もあったものだ。昔は左馬刻と簓で運転をしていたが、ヤクザになってからは運転する姿はめっきり見なくなってしまった光景だ。まぁ好んで会う事もなかったので知らない所では運転していたのかもしれないが。
「飯食い行くぞ」
「っす」
結局何処へ行くのかは教えて貰えなかったが、左馬刻の事だから変な店ではないのだろう。昔のように左馬刻任せでくっついて行くのも悪くはない。遠ざかるブクロの街に視線を向けながら小さく笑った。
***
「……まさか物で釣ろうとしてんじゃねぇよな?」
「ンな訳あっかよ」
結局あの後連れて行かれたのはヨコハマの中華街で、安くもなく高くもなく良い感じに気を使わなくて済む店内で存分に中華料理を食べた。あまりの美味さに途中何度か「二郎や三郎にも食わせたかった」と罪悪感のような感情が込み上げてきたが、それを見越したかのように大量の土産を手渡されてしまった。
「だってこの量……明らかにおかしいだろ」
チルド、冷凍合わせて段ボール一つ分くらいはある中華料理の数々。どう考えても土産の範疇を超えている。
「餓鬼共が食うだろ」
「そりゃあ食うけどよ」
「なら問題ねぇだろ」
「いやまぁ胃袋的には問題ねぇけど……」
これが簓であれば裏がありそうなので話は別だったが、左馬刻の事だからただ純粋に土産として渡してきたのだろう。それでも中華料理店からの土産にしては様子のおかしいボリュームだ。
「まさかアンタ……店主を脅してんじゃ」
「そう見えたか?」
「……いや全然」
脅すも何も気さくに話しかける左馬刻とそれを慕う店主、というあまりにも良好過ぎる関係を目の当たりにしたのは一郎本人である。MCD時代を彷彿とさせるそのやり取りに懐かしさを覚えたのは言うまでもない。
「受け取り難いっつーんなら俺様からの依頼って事にしとけ」
「はぁ?」
左馬刻が何故そこまでしてくるのか見当がつかずに一郎は間の抜けた声をあげた。
「ヤっちまったんだよ」
「ヤっちまったって……まさか……」
混みあう中華街を抜けて漸く車に乗り込むと左馬刻は渋い顔をしながら言った。ああ、まさか裏があったとは。飯を食い、土産を手にしてしまった以上「知らねぇ」で済ますのは無理だろう。絶望と怒りが腹の底で煮えたぎり沸々と込み上げてきた瞬間、左馬刻の口から予想外の言葉が零れ落ちてきた。
「発注ミス」
「発注ミス……」
発注ミスって何だ、何の隠語だ。人身売買か臓器売買か。兎に角何かをシクった事は明白だった。出来ればこの先は聞きたくないが、一郎の願いは届かないだろう。
「店主がミスって大量にきちまったんだわ」
「店主がミスって大量にきた……」
混乱のあまり先程からオウムのように繰り返す事しか出来ない一郎だが、左馬刻は大して気にもせずに話を続けた。
「冷蔵庫にも冷凍庫にも入りきらねぇからさっさと処分しなきゃなんねぇだろ」
「処分……」
「舎弟にやらせりゃあ良い話だがアイツらはもう食い慣れちまってっからな。今回は簓と空却にも送りつけた」
「アイツらにも!?」
「………………おいダボ」
「あ?」
「さっきから何なんだテメェは」
「いや、だってアンタ……」
話が不穏すぎる。冷蔵庫に入らないだとか、処分だとか。カタギの人間(よりによって一人は芸能人で一人は僧侶)を巻き込むなんてどうかしている。バレたら大問題だろうが。
「流石にあの二人はまずいっつーか、これぶっちゃけ隠蔽工作っすよね?」
「ア? あー、まぁ隠蔽っちゃ隠蔽だけどよ」
「冷蔵庫と冷凍庫に何入れてっかまでは聞かねぇっすけど……」
「何入れてるって食材以外ねぇだろ」
「いやだからその食材が何かって言ってんだよ。あ、や、待て。言うな、聞きたくねぇ」
一郎は拒絶のポーズを左馬刻に向け、フルフルと首を振った。それを聞いたら今度こそ引き返せなくなってしまう。
「一郎……まさかテメェ……」
ミラー越しに左馬刻と視線がかち合う。直後勢い良く笑い出した左馬刻に一郎は虚を突かれてしまい、「何だよ……」と弱々しく呟いた。こんなに笑われるような会話の流れではなかった筈だが、一郎には心当たりが全くないので眉根を寄せて無言で左馬刻を見つめた。よく見れば薄らと目尻に涙が溜まり、左馬刻的にかなりツボに入ったようである。
「ハッ、まさか死体でも入ってるとか思ってんじゃねぇだろうな?」
「……違ぇのかよ」
「だっははは、ンな訳あっかよ。ただの中華屋だっての」
何だ、ただの中華屋か。
一郎は心の中で呟くと、はたと気付く。それでは先程左馬刻が「発注ミス」と言ったのは何の隠語でもなく言葉通り「発注ミス」だったという事か。己の勘違いに気が付くと同時にみるみるうちに頬に熱が集中する。額や首筋からは汗が滲み、全身で恥ずかしさを表してあるようでそれがまた羞恥心を煽った。一郎は何とか誤魔化そうとしたが、チラチラと視線が飛んできてはその度にゲラゲラ笑われてしまうので最早意味がないのだろう。
「紛らわしい言い方してんじゃねぇよ……」
目頭を押さえながら一郎は苦し紛れの強がりを見せると思いの外左馬刻は素直に「そりゃあ悪かったな」と謝ってくれた。何も謝って欲しい訳ではなかったが、こうも素直に対応されてしまうとあの時のように可愛がられているみたいで調子が狂う。
「俺、てっきりヤベェもん入れてっから食材が入りきらなくなっちまったのかと思って……」
「ぶはっ、まぁ……ははっ、量がヤベェってのは間違っちゃねぇけどな」
「………………」
「あの店、土産モンは工場に作らせててよ。店主がミスって馬鹿みてぇに取り寄せちまったんだわ。流石に入りきらねぇ分は即日処分しねぇとまずいっつーんで、テメェらに渡したってとこだ」
なるほど、それでこの量をポンと渡してきたのか。確かに冷蔵庫や冷凍庫に入らない分は早い段階で何とかしないといけない。左馬刻の舎弟達は中華料理を食い慣れているだろから、自分達に白羽の矢が立ったという事か。一郎は漸く腑に落ちると盛大に溜め息を零した。やっぱりこの男は圧倒的に言葉が足らな過ぎる。
「だったら最初からそう言って下さいよ」
「最初からそう言ったらテメェは遠慮したり意地になったりしてウダウダ言うだろうが」
「そりゃまぁ……そうっすけど」
だからと言って無理矢理車に詰め込むのもどうかしていると思うが。
「まっ。久々に良いモン見れたわ。餓鬼共とそれ食って夕飯は精々楽でもしとけや」
「……っす」
あまりにも自然に伸びてきた左手を避ける事が出来ずに一郎はギュッと目を瞑る。「年下」というポジションから「最年長」へと変わっていくうちにいつの間にか消えてしまったけれど、誰かに頭を撫でられるのなんていつぶりだろうか。まるで昔に戻ったようで、込み上げてきた懐かしさに溺れそうになってしまう。少し前の自分であれば物凄く嫌悪したであろうが、今は安心感や心地の好さですら感じる始末で。
(ンだよ、畜生)
決してあの時と同じではないと分かっている。だからこそこれはあの時出来なかった続きなのではないか、延長線なのではないかと錯覚して幻を見そうになってしまう。「あの頃のかっこよかったアンタ」は確かにもういない。けれど、これからは──……。ああ、考えれば考える程タチが悪い。一郎は「もう餓鬼じゃねぇんで」と優しく手を振り払うと少し困ったように言った。
「ハッ、そりゃあ悪かったな。年の差は縮まんねぇからよ」
「……狡いよな」
ヨコハマからイケブクロへ。約一時間程度のドライブは時間よりも遥かに早いのは気のせいだろうか。このままもう少し、擽ったいけれど温かな空間の中にいられたら──。
暫くぶりの年下気分を手離すのは正直名残惜しい。
(本当……狡ぃよアンタは)
広く開放的な景色はやがて高いビルが増え狭い空へと移ろいでいく。特に話すでもなく、一郎は視線を外に向けボンヤリと景色を追った。食卓に並ぶ沢山の中華料理を見たら二郎と三郎は不思議に思うだろう。そしたら何て言おうか。「左馬刻さん」に貰った、と素直に言えば良いのだろうか。それもまた擽ったくて素直に言語化出来なそうではあるけれど……。そう伝えた後の二人の顔を想像すれば照れ臭さのあまりへらりと口元が緩んでしまう。
「何腑抜けた面してんだよ」
「してねぇ」
目敏いのも相変わらずで一郎は反射的に眉を顰めた。
「次は連絡くらい寄越せよ」
「善処してやんよ」
「はは」
それ絶対ぇしないやつじゃねぇか。そう笑えば左馬刻も釣られてクツクツと笑う。初っ端のぎこちなさは一体なんだったのか。そう思う程二人して自然に笑えている気がして……。心の奥底がじんわりと温まる感覚に、一郎は思わず口を開いた。
「楽しかったわ」
「おー」
注意深く聞いていなければ聞き逃してしまう程の声量ではあったが、左馬刻の耳にはしっかり届いていたらしい。夕暮れに染まるブクロの街並みを不釣り合いな黒塗りの車が駆け抜けてゆく。出掛けに散々大騒ぎした道の前まで来ると流れていた景色が静かに制止した。
「そんじゃあな」
「っす」
後部座席に無造作に置かれた紙袋を引っ提げ、一郎がペコリと頭を下げた。あんなに乗るのを渋っていたのが嘘のようで、左馬刻もそれを思い出したのか小さく笑った。助手席のドアを閉め、窓越しに左馬刻が左手を挙げる。いちいち様になるその仕草にちょっとだけ腹を立てながら、それでも一郎は「気を付けて帰れよ」と右手をヒラヒラと振った。顔を合わせれば拳を作り傷つけあっていた掌は今はもうすっかり解かれている。そう言えば不穏な仕事から解き放たれるキッカケをくれたのもこの人だったか。あっという間に小さくなった車に向けペコリと頭を下げると手持ち無沙汰に挙げられた右手に視線を落とし、一郎は静かに目を伏せた。長いようで短く、短いようで長い二年だった。出来ればもう、かつての仲間達とは拗れたくないものだ。
「……っと。アイツら帰ってくる前に飯の支度でもすっか!」
そう呟くと一郎はすっかり自分達の色に染まったビルを見上げ、軽い足取りで階段を駆け上って行った。