きよしこの夜空に 氷の破片を鏤めたかのような冷たく澄んだ星空の下、白亜の王城グランコリヌを中心に扇形に広がる城下町は屋根屋根に雪を冠し、一層白く輝いていた。
だがそれ以上に今宵の街並みはきらきらと目映い。冬祭りの華やかな燈火と蝋燭、装飾を施した窓から漏れる暖かな光を照り返して煌めいているのだ。街の至るところに屋台が立ち並び、この日のために組み上げられた舞台の上で楽団や劇団の演目が繰り広げられている。冬の、祝祭の夜だった。
そんな中、連れ歩く二人の姿があった。
一人は先導するかのように一歩ほど前を歩く線の細い男、アラミス。二振りの剣を腰に佩いていることからも剣士であることが察せられる彼は、持ち得た高貴な名と地位を捨てて各地を流れる傭兵である。降り積む雪にも劣らぬほど白い肌と豊かな長い金髪に透き通る碧の瞳。上背があることを除けば美女とも見紛い兼ねない中性的な容姿を持つ彼は祝祭の様子にその涼やかな目許を細めていた。
もう一人はアラミスのやや後方に付き従うように控える筋骨隆々の偉丈夫、グロスタ。浅黒く焼けた肌に癖のある黒髪と黒い瞳の男で精悍な顔立ちをしている。彼はアラミスの嘗ての従者であり、遠くドラケンガルド王国の南方に広がる砂漠を治める領主でもあった。質実剛健を絵に描いたような彼は、しかし異国の祝祭の喧騒に戸惑うような表情を浮かべている。
共に貴族風の装いではあるものの、アラミスとグロスタのその様相は柔と剛の如く対照的ともいえた。
「お待ちください、アラミス殿」
グロスタの声に呼び止められ、先を行っていたアラミスは金の髪で弧を描きながら後方を振り返った。
「どうした、グロスタ」
「此処までの人出とは思っておりませんでした。あまり御一人で往かれませぬよう。逸れてしまいます」
グロスタは従者然とした態度で胸に拳を当て、アラミスを引き留めるも何処か落ち着かなさげだった。その様子にアラミスは肩を竦め、白い溜息を一つ吐く。
「コルニアやアルビオンは大陸の中でも特に一角獣信仰が盛んだからな。雪の清らかさを一角獣の高潔さ、白き毛並みに擬えた冬祭りとは聞いたが、こうまで華々しく祝うとは。なるほど、アレインが呼ぶわけだ」
冬の訪れを祝い、一年を無事に過ごせたことを感謝し、厳しい冬を乗り越えられることを祈る。
アラミスは家屋の前に造られた一角獣の雪像に視線を送りながら祝祭の所以を語る。その雪像も行き交う人々に遮られるとアラミスはグロスタに視線を戻した。
「わかったよ、グロスタ。私はもう、子どもでも『箱入り』でもないのだがね。それでも、お前が案じてくれるのならば、従おう」
そう言って、そっと手を差し出す。
「……アラミス殿?」
「逸れたら困るのだろう? ならば、離さなければいい」
事も無げな顔でアラミスはグロスタがその手を取るのを待っている。グロスタは暫くの思案の後、観念したかのように緩く頭を振ると恭しくアラミスの手を取って歩き出した。繋いでいると防寒用の厚手の手袋越しにも体温が感じられ、若干の気恥ずかしさを覚える。
だが、気恥ずかしさから逃れるためにアラミスから視線を逸らそうにも往来の人々が目についてしまい、グロスタは困惑した。
独り者、或いは家族連れや複数人の集団が無いわけではないが目に映る人々の多くは男女の連れ合いであった。酒の入った彼らは衆目があるにも関わらず互いの髪に触れ、腕や腰に手を絡め、耳に唇を寄せては愛を囁きあっている。
「……少しばかり目の遣り場に困りますね」
グロスタは太く険しい眉根を寄せてアラミスに零した。
「仕方あるまい」
やれやれといった体でアラミスはまた肩を竦めるとグロスタの手を離し、仰々しく天を仰ぐ。
「一角獣と乙女。知っての通り苛烈なる純粋さの象徴たる聖なる角持つ神馬と、それと番う純潔の乙女。その祭典だ。……アレインのあの指輪は如何なる絆をも祝福するものではあったが、取り分け『そのような』色が濃くなるのも、また当然とも言えるだろう」
「それは理解するのですが、此処にいるのには俺は少々場違いに思えてしまうのです」
「ならば、私が女装でもするかね?」
所在無さげなグロスタにアラミスはくるりと踵を返し、腰を屈めて下から覗き込むように問うた。途端にグロスタは浅黒い肌にもはっきりと紅潮を浮かべて困惑を顕わにする。
「……そんな! そういう意味では……。それに、貴方にそのようなことを強いるわけには参りません!」
「ふふ。相変わらずお前は可愛い奴だな、グロスタ」
クスクスと可笑しそうに笑いながらアラミスは再びグロスタの手を引き、浮かれた人々の集う広場への通りへと歩を進めた。
「ギルベルトとは広場で待ち合わせのはずだが、まだ来ていないようだ。先に少し見物して回ろうか。お前にもこの空気に慣れて貰わねばな」
広場には鶏や七面鳥の香草焼きを売る者や甘い香りの菓子を売る者、果実を漬けた酒を振る舞う者らの陽気な呼び込みの声が混ざり合い、露天商が自慢の商品を広げ、楽団の奏でる祝祭の歌が響き渡っていた。色とりどりの蝋燭に火が灯され、街路樹には雪形や花形、一角獣や乙女を模した飾りが無数に掛けられている。二人は揚げ菓子に舌鼓を打ちながら楽の音に身を委ね、人々と共に足を踏み鳴らして踊った。そうしている内に場違いだと感じていたグロスタの顔にも笑みが浮かび、それを見てアラミスも顔を綻ばせる。
そんな折、祭りを楽しむ二人の背後に耳慣れた女性の声が注いだ。
「おーい! ルートヴィヒ王子ー!」
振り返るとそこには青い髪を結い上げ、白い毛皮の外套に身を包んだ淑女が淑女らしからぬ仁王立ちで佇んでいた。
「これに見えるはヴァージニア姫、貴女も御到着ですか」
アラミスは芝居がかった仕草で一礼するとにこりと微笑む。対するヴァージニアも「苦しゅうないぞ」と冗談めかして破顔した。
「では、不肖の弟も?」
「うむ、無論だ」
尋ねるアラミスにヴァージニアは大きく頷くと後方に視線を向けて手招いた。
「ほらギルベルト、早く来い! 兄上様がお待ちだぞ?」
「ヴァージニア、大声を出すな! 我々はお忍びで……」
ヴァージニアの手招く先には柔らかな金髪を後ろに束ねた小柄な青年が巨漢を従え、小走りでやってくるのが見える。白い肌に大きな碧い瞳。はっきりとした顔立ちは少年のようでありながらもアラミスと何処か似る彼の名はギルベルト。アラミス──ルートヴィヒの弟であり、ドラケンガルド王国の現国王その人で、付き従うのは近衛のヘルマンだった。
「……すまない。数ヶ月ぶりの祖国にヴァージニアが燥いでしまってな」
ギルベルトはアラミスの前に辿り着くと困った顔を作って見せてはヴァージニアに溜息を吐いた。尤も、その目許は緩んでおり、祖国コルニアを堪能する伴侶への優しさを感じさせた。それを見てアラミスもゆっくりと首を振る。
「構わんさ。どうせ皆、祭に浮かれて見ず知らずの者のことなど気にしてはいまい」
そうだろう? と、苦笑するとギルベルトはほっとしたように口許を綻ばせ、しかし躊躇いがちにアラミスに問う。
「そうか。ならば……、二人だけでなくとも兄上と呼んでも?」
「好きにしろ。一角獣と乙女は家族も祝福するという」
「分かった。ありがとう兄上……」
やれやれと肩を竦めるアラミスにギルベルトは幼い顔の造り以上に少年に戻ったような面差しで笑む。
そこへまた、ヘルマンを伴い先へと歩き始めたヴァージニアの溌剌とした声が飛んできた。
「何をごちゃごちゃと言っておるのだ! さぁ、皆でグランコリヌ城に押し掛けるとするぞ! 久々にアレインの顔を見てやらねばな!」
おお、と拳を振り上げ先導するヴァージニアに付いてギルベルトもまた、王城へと歩先を向ける。それを受けてアラミスもグロスタに目配せをし、促した。
「では、我々も行くとしようか。グロスタ」
「御意に」
その夜、グランコリヌには先の解放戦争を共に戦い抜いた仲間たちが集い、コルニア国王となったアレインとその細君を担ぎ出すと皆で夜祭に繰り出すこととなった。
翌日まで夜通し続く祭りを楽しむ者たちを置いてアラミスとグロスタが王城に用意された客室へと戻ってきたのは深夜になってからだった。仲間たちと語らいたいのは山々ではあったが隣国よりの長旅の疲れもあり、少しばかりは眠らねばなるまい。身を清め、夜着に替えたアラミスは夜景の見納めとバルコニーから夜半過ぎて尚、煌々とした城下町を眺めていた。
「雪が舞って参りました。冷えぬ内に、中へ」
後ろに控えていたグロスタが薄曇り始めた夜空から白いものが舞い降りるのを見つけ、告げた。
アラミスは振り返らずに城下の夜景を指差した。
「見ろ、グロスタ。祭りの喧騒も城から見下ろすと綺羅びやかな星空のようだ」
「そう、ですね」
グロスタはアラミスの背にガウンを掛けながら答える。その襟を両手で寄せながら、アラミスが問う。
「お前は楽しんだか?」
「はい。良き休暇となりました」
「ならば、忙しいと渋るお前を連れ出した甲斐があったというものだな」
背を向けたままのアラミスの喉が微かに震え、柔らかく笑った気配がした。
「お誘い頂きましてありがとうございました。どうにも領地に籠りきりになりがちですので、御命令でも頂かねばなかなか遠出の決断もできず……」
「全くだ。たまには私の旅に供をしてくれても良かろうものを」
大袈裟に溜息を吐いてみせるアラミスにグロスタはすまなそうに目を伏せ、詫びる。
「……申し訳、ありません」
その声にアラミスは振り返り、少し困ったように眉を顰め、ふふっと笑った。
「悄気てくれるな、冗談だ。それに持ち帰る話をお前に聞いて貰わねば張り合いがないからな」
「勿体無きお言葉です、我が君。俺も、貴方のお帰りとお話を何より心待ちにしております……、いつも」
グロスタはアラミスと一瞬、視線が合うとはっとしてそれを逸らす。自らの待ち焦がれる感情を言葉に乗せ過ぎてしまったことに気がついて、「すみません」と小さく加えた。そんなグロスタにアラミスは何かを言い掛け、しかし呑み込んで手招く。
「……グロスタ、おいで」
グロスタが隣に並ぶのを認めるとアラミスは再びグランコリヌの城下町に視線を戻し、さんざめく街の灯に目を細める。祭りの楽の音が遠く響く。
「まだ、あそこで宴を楽しんでいる者もいるのだろうな。皆、元気そうで良かった」
「弟君……、ギルベルト陛下もアレイン殿とお后様もお幸せそうでした」
「ああ。清らかなる絆を祝福する聖獣の祭。彼らにこそ、似合いの夜だ」
夜景に見惚れるように呟くアラミスに、グロスタは大きく頷く。
「そうですね。俺はこういった祭りは不慣れですから、アラミス殿に御同伴頂けて助かりました」
「私もだ。お前がいてくれたお陰に楽しめたよ。何しろ私も、お前と同じだったものでね。これでも些か、場違いだと感じていた」
アラミスはグロスタに微笑み掛けると、淡い雪の降りてくる空を仰ぐ。
「我がドラケンガルドは大陸に一角獣という守護者が現れようとも急峻と砂漠ばかりの荒野だった。コルニアの王権争いに敗れた初代王がそれを拓き国を興したと伝えられている、元より祝福なき地だ」
そこまでを語り終えるとアラミスは饒舌な口を閉ざし、グロスタに顔を向ける。碧い瞳が真っ直ぐとグロスタの黒曜の眼を捉えたまま動かずに、数秒の沈黙が二人の間に横たわる。
無言に耐え兼ねて、口を開いたのはグロスタの方だった。
「ルートヴィヒ……。いえ、アラミス殿?」
グロスタに応え、寒風に晒されて僅かに朱の差した鼻先とは対象的に微かに色を失った唇が告げた。
「グロスタ。お前との縁は敗れ落ち、逃げ果せ、在るべき自身を自ら捨てた我が身が尚、醜くも縋りついたよすがだ。凡そ、祝福……されるようなものではない」
自嘲するようにその唇を歪めたアラミスの、透き通る碧眼が僅かに濁るのを認めてグロスタは俯き、拳を握った。爪が掌に食い込む。
「しかしだ、グロスタ」
その手に、アラミスがそっと手を重ねる。
「我らの守護者は一角獣ではない。誰に祝福されることなくとも、自らの空を征く猛き竜だ」
グロスタははっとして顔を上げた。
「アラミス……、殿」
次の瞬間、彼の耳に甘やかな声が滑り込む。
「お前と私で、竜の両翼となろう」
それは正しく福音だった。
眼前の碧の双眸は元の光を取り戻していた。長い睫毛に縁取られた眼差しが柔らかく細められ、目の当たりにしたグロスタは胸の奥に大きな拍動を感じる。同時に、アラミスの手の中で痛いほど握り締めた拳が自然に、ゆるゆる解けていった。
ああ、とグロスタは感嘆する。
「貴方が、望まれるのであれば。そのように」
熱の籠もる声にうっとりと聴き入るようにアラミスは目を閉じて、グロスタの大きな肩に身を預ける。
夜空の下。
翼を開くようにあたたかく広げた掌で、グロスタは彼自身の聖なる人を抱き締めた。
《Das Ende》