いしえ
DONE▼三強ベルばら論▼趙公明の"独演・ベルサイユのばら"論 ――三強ベルばら論Ⅱとしての加筆事項
▼呂岳考 ――呂岳とその周辺に関する一つの説
▼飛刀について・余化や飛虎について
▼WJ封神読み返し時の考察&推測とメモ
そのほかCP色強めのもの(+ミュの話)を別投稿にて。
封神演義考察ログ集1(大半CP無、一部趙呂等含む)▼三強ベルばら論▼
趙公明の立ち居振る舞いオスカルっぽいという話めちゃめちゃわかる~~と思ったあと、というか趙公明ってベルばらの三主人公の要素全部混ぜ混ぜだな!?と思ったり、三強もベルばら三主人公の要素割り振られ受け持ってるな~と思った、という話。
ベルばらは主人公が三人(マリー・アントワネット、マリーと惹かれ合うフェルゼン、そしてオスカル)でマリーとフェルゼンの禁断の恋が王権を破滅に導く。
妲己がマリーはセリフ引用+役どころで自明。趙公明の「バラのさだめに生まれた」はベルばらOP引用で、歌詞めちゃめちゃ趙公明すぎる曲よね…アニメはオスカルメインゆえ、趙公明がアニメベルばらOPモチーフ+仏王家紋章のユリ(厳密にはアイリスの仲間)の意匠に金と青の配色+髪型もオスカル意識のふわふわ金髪、かな?と。ただ、趙公明と妲己に共通するのが、マリーが取り巻きのそそのかしや恋により悪政へと向かった、外因により造られたれ"マリー"であるのを踏まえると、二人とも見せかけの言動は"マリー"な点。一方、素朴だった頃のかつてのマリーが蘇妲己。
13541趙公明の立ち居振る舞いオスカルっぽいという話めちゃめちゃわかる~~と思ったあと、というか趙公明ってベルばらの三主人公の要素全部混ぜ混ぜだな!?と思ったり、三強もベルばら三主人公の要素割り振られ受け持ってるな~と思った、という話。
ベルばらは主人公が三人(マリー・アントワネット、マリーと惹かれ合うフェルゼン、そしてオスカル)でマリーとフェルゼンの禁断の恋が王権を破滅に導く。
妲己がマリーはセリフ引用+役どころで自明。趙公明の「バラのさだめに生まれた」はベルばらOP引用で、歌詞めちゃめちゃ趙公明すぎる曲よね…アニメはオスカルメインゆえ、趙公明がアニメベルばらOPモチーフ+仏王家紋章のユリ(厳密にはアイリスの仲間)の意匠に金と青の配色+髪型もオスカル意識のふわふわ金髪、かな?と。ただ、趙公明と妲己に共通するのが、マリーが取り巻きのそそのかしや恋により悪政へと向かった、外因により造られたれ"マリー"であるのを踏まえると、二人とも見せかけの言動は"マリー"な点。一方、素朴だった頃のかつてのマリーが蘇妲己。
いしえ
PAST封神の一般向け絵ログ。一部はしぶ未収録のもの。①QJⅡ世号の厨房は今日も忙しい(エプロン呂岳+ちいさく馬元くん)
②レーシングスーツ呂岳など呂岳練習
③余化様に飛刀をついてたたずんでいてほしいの絵(余化様+飛刀)
④~⑬飛刀単体(※告知内容は今は非公開のものについてです⑪~⑬はプラ板写真 蓄光型のを吸光させてるとこ+うねうね飛刀、秘湯でひと息)
⑭趙公明+飛刀
⑮周公旦
⑯李靖 16
いしえ
DONE趙公明の生い立ちと、仙界入りの経緯について、想像して書きました。それからさきの、本編についてもさらりと。通天教主との会話が多少ある。最初、紙にざっくり書いて、それからそれを見ずにパソコンで実際に書き始めたところ、データのものと紙とで扱う時間の長さがめちゃめちゃ違っていて、紙のは部分的に没にしたんですが、これはこれでアリだな…と思ったので、話のあとに、おまけとして載せています。
語り継がれし伝説の花よ、鬼神じみたヤマユリよ/趙公明にまつわる話 伝説の花よ、ヤマユリよ。語り継がれし強大なる鬼神よ。バラの宿命に生まれし気高き騎士のままに彼は生き、神話へとなお、生き続ける。これは、そんな彼、趙公明の生い立ちにまつわるこの地球の比較的新しい記憶だ。
それは初め、原初性を未だ残したムラより離れた山中に荘厳に咲き誇るヤマユリの、ごく一株に、過ぎなかった。その個体がほかと違っていたのは、寿命が少々、長かった点。幾ら多年草でも、長すぎたのだ。かと言え、山に住む動物たちも付近の植物も、あるいは、稀に足を踏み入れた人間も、それをそのように認識することは叶わなかった。それよりさきに、皆、天寿を全うするのだから。あるものは何となく、自らの生まれたときより同じ場所に咲き誇り続けるそれが、死を目前にしてなお咲いていることを、薄れゆく意識のなか思いながら、天に召された。けれど、それを語り継ぐものが在るでもなし。そのころまだ仙界というものはなかったものの、仮にあったとて、木々に隠れている一株の花を、あえて観測する者もいなかっただろう。そのころちょうど、人間のつくる集団単位は、規模を徐々に伸ばしつつあった、転換期と言えよう。そんななかで、時が、静かにたった。そのヤマユリは、それでも密かに山中に、誇らしげに、咲き続けていた。
9563それは初め、原初性を未だ残したムラより離れた山中に荘厳に咲き誇るヤマユリの、ごく一株に、過ぎなかった。その個体がほかと違っていたのは、寿命が少々、長かった点。幾ら多年草でも、長すぎたのだ。かと言え、山に住む動物たちも付近の植物も、あるいは、稀に足を踏み入れた人間も、それをそのように認識することは叶わなかった。それよりさきに、皆、天寿を全うするのだから。あるものは何となく、自らの生まれたときより同じ場所に咲き誇り続けるそれが、死を目前にしてなお咲いていることを、薄れゆく意識のなか思いながら、天に召された。けれど、それを語り継ぐものが在るでもなし。そのころまだ仙界というものはなかったものの、仮にあったとて、木々に隠れている一株の花を、あえて観測する者もいなかっただろう。そのころちょうど、人間のつくる集団単位は、規模を徐々に伸ばしつつあった、転換期と言えよう。そんななかで、時が、静かにたった。そのヤマユリは、それでも密かに山中に、誇らしげに、咲き続けていた。
dbg_cbl
PAST現存する最古のやつ。学生時代の文化祭で描いた。(漫研じゃないのに漫研で展示してもらってた)安能先生翻訳の「封神演義」のが本としては先に出てるから、フジリュー先生版封神演義と自分は書きたい。
まさのき
PAST5年くらい前に書いたやつ。封神演義の再アニメ化をきっかけに当社比でたくさんの方に読んでいただけた幸福な作品。肝心のアニメの出来がアレだったというオチつき。再掲にあたり、せっかくなので加筆修正しました。蛇の釣果 ダ江のほとりには一人の漁師がいる。
茅ぶきの小屋を結び、一日中川を眺めて暮らすその漁師は、いつも小高い巌に座って釣り糸を垂らしていた。得物は白い釣り竿一本きりで、石づくりの柄は他の漁師が使うものと比べて奇妙に短かった。得物はともかく、釣りの腕はなかなかのもので、日暮れのころには一尺あまりの竹籠が魚でいっぱいになった。しかし、漁師はいつも、わずかな魚を籠に残し、その余はみな川に還してしまうのだった。手元の二、三匹もみずからは食らわず、市でわずかばかりの銭に替える。その銭も晩酌の酒代に費やしてしまうので、漁師のふところは素寒貧が常だった。
寝起きする茅ぶき小屋には、何年も使われていない様子の古びた小舟がかけてあり、その他には何も置かれていなかった。およそ人の住む家とは思われないぼろ小屋を見て、ダ江の漁師連中はこんな冗談を言いかわした。
5103茅ぶきの小屋を結び、一日中川を眺めて暮らすその漁師は、いつも小高い巌に座って釣り糸を垂らしていた。得物は白い釣り竿一本きりで、石づくりの柄は他の漁師が使うものと比べて奇妙に短かった。得物はともかく、釣りの腕はなかなかのもので、日暮れのころには一尺あまりの竹籠が魚でいっぱいになった。しかし、漁師はいつも、わずかな魚を籠に残し、その余はみな川に還してしまうのだった。手元の二、三匹もみずからは食らわず、市でわずかばかりの銭に替える。その銭も晩酌の酒代に費やしてしまうので、漁師のふところは素寒貧が常だった。
寝起きする茅ぶき小屋には、何年も使われていない様子の古びた小舟がかけてあり、その他には何も置かれていなかった。およそ人の住む家とは思われないぼろ小屋を見て、ダ江の漁師連中はこんな冗談を言いかわした。