年賀状朝、布団の中に菅原さんがいた。いつ来たんだろう。気持ちよさそうに眠っている顔を見て、心がほんわりとあたたかくなる。
だからだろうか、「納豆ご飯うまいけど飽きた……」と言っていたのを思い出し、いつもと違う朝食にしてみようと思い立ったのだ。
パンを取り出し、全体的に薄くバターを塗ってマヨネーズで囲いを作り、ハムと卵を落として載せるとトースターで焼いた。
恐ろしいカロリーと脂質。その割にそんなに栄養はない。サラダも食わせようと野菜室に残っていたものをドレッシングと和えておいた。
菅原さんは喜んでくれたけどそれ以上に何かを笑っていた。聞いても「なんでもない」と言って教えてくれない。
「そういえばそろそろ年賀状書かないといけないから、もしコンビニとか郵便局とか立ち寄れたら買っておいてほしいんだけど」
「わかりました。何枚くらいですか?」
「60だと全然足りなかったよな……70……いや、とりあえず80枚」
「80!?」
驚いて聞き返すも、菅原さんは「うん、80枚」と繰り返す。
「そんなに……出す人いるんですか?」
「年々増えるのよ……教え子がくれたりするから。影山も自分の出す分一緒に買っちゃえよ」
俺にとって年賀状を出す習慣はとうに廃れているものだった。80人も自分の知り合いにいるだろうか。想像しても、そんなにたくさんの顔は浮かばない。
買ってきたハガキを菅原さんはありがとう、と言って受け取ったものの、リストをまとめた後はずっとパソコンを睨みつけたまま動かない。
「書かないんですか?」
「実はさ、合計で3年、教頭と絵柄が被ってたんだよ」
「どういうことですか?」
「ネットで探した無料のイラストはさ、まあ被りやすいとは思うんだけど、でもいざ被ると休み明けなんか気まずくて……翌日から本屋でさ、イラスト使えるやつ買ったの。4000点とか載ってるのにそれでも被ったんだよね。あのいたたまれない空気……絶対に回避してぇ~~~~!!!!」
今までにしたことないタイプの悩みだ。何もできそうにないので、ひとまず菅原さんの分のお茶も淹れる。
「どうする……これは心理戦だ。教頭が選ばなそうなやつ……ビジネス系だともうわからんな。なんであんなに被るんだ。気が合うのかな?俺たち」
「偶然でしょ」
どこかの知らないおじさんと意気投合されるのは不快だ。
菅原さんは「オリジナリティ……俺のイラスト……無理……」とボソボソ呟いている。
そうしたあと、ハッと顔を上げて「芋版彫るか」と言った。
野菜室から取り出したサツマイモを半分に切り、「影山、なんかここに絵描いて」と言ってマジックを手渡してきた。
「ここに?なんの?」
「来年は寅だからトラ!か、トラにまつわる何か」
「何か?」
言われるがままにトラの絵を描く。菅原さんはニコニコしながら俺の手元を覗いていた。
「描けた?」
頷くと、「じゃあ彫るか」と言っていつの間にか持ってきていた彫刻刀を手にした。
「俺がやる」
「え?じゃあ、手、気をつけてな。インクついてないところを掘るんだぞ」
一番彫りやすそうな彫刻刀を選び、ザクザクと彫っていく。芋は少し湿っていて固かったが、彫りやすかった。
菅原さんはしばらく俺の作業を見守っていたが、「俺、あぶり出しで書こうかな……絶対にかぶらないと思うし」と言いながらミカンを食べ始めた。
「人と被りたくない」という思考が強すぎて完全に迷走している。
彫り終えた芋版を手渡すと、うきうきした様子でスタンプ台に押し付ける。
「影山が押す?」
「別にいいです」
ノートを広げ、グッと押す。そろそろと芋を上げると、くっきり赤いイラストが浮かび上がっていた。
「かわいい!!何?」
「ライオン」
「なんで!?トラって言ったべ!?でも可愛いからいいか」
そう言って仕分けしておいた年賀はがきの一束にぽんぽんと押していく。
「それ、学校の人に出すんですか」
「さすがに学校の人に出すのは無理だと気付いた」
「よかった」
「でもせっかくだから友達用の年賀状にする。これは大地と旭。これは田中家。影山も一言書きな」
乾かすために一枚一枚部屋の隅に並べると「プリントゴッコってこんな感じだったよな」と菅原さんが言った。
「プリントゴッコってプリクラですか?」
「え!ウソ?影山の家って年賀状どうしてた?」
「子どものころは家族写真でした。俺と美羽の。俺らが大きくなってからはプリンターで自宅で印刷してます」
「マジか。俺んち小学生ぐらいまでは使ってたんだけどなぁ……あーそれより学校用どうしようかな」
「被ってもいいじゃないですか」
「やだぁ職員室で他の先生にいじられるんだぞ。なんか……やっちゃんに描いてもらえないかな……こういう仕事ってしてるんかな」
「してるんじゃないですか?でも今から書いてもらっても間に合わないと思います」
「確かに~……しかも個人発注だと俺の給料で払えないかも……」
「聞いてみましょうか?」
「なにを!?」
俺はスマホのアドレス帳から谷地さんのものを探し、電話を掛けた。5コールくらいで谷地さんの緊張を孕んだ声が耳に飛び込んできた。
「送ってくれるそうです」
「なにを!?」
「友達に頼まれて描いたやつが何パターンかあって、それ使っていいって言ってました」
「えー!?なんか……ごめーんやっちゃん……」
電話はもう切れているので心底申し訳なさそうな菅原さんの声は谷地さんには届かない。
「やっちゃん元気だった?」
「仕事中でした」
「だよな!ほんとごめん!」
「メールアドレス送ってほしいって言ってます。なんちゃら便?で送るんで」
菅原さんがパソコンを確認すると谷地さんのデータは既に届いていたらしい。データを開いた菅原さんは「すげえ!和風からポップまで揃ってるしめちゃくちゃクオリティ高ぇ〜」と驚いている。そしてゴールドの背景にリアルな竹と力強い虎のイラストが入ったデザインを選び、印刷していった。、
これなら目上の人にも失礼がないな……と呟いた後、はっとして「お礼ってどうしたら……」と俺に聞く。
「一応菅原さんの給料でもお願いできますか?って聞きましたけど要りませんって念押されました」
「やっちゃんらしいけど、そういうわけにもいかんだろ……」
菅原さんはうーんと唸った後、「お歳暮送ろう、今ならまだ間に合うよな!?」とパソコンに向き合う。
「やっぱハムかな!?女の子だしお菓子の方がいい?やっちゃんって何が好きなの?」
慌てる菅原さんの問いに「谷地さん麩菓子好きです」と答える。
「フガシ?フガシってなんだ?え、駄菓子の麩菓子?やっちゃん麩菓子好きなんだ、かわいいな……他になんかない?」
「麩菓子ダメですか?」
「ダメだろ。麩菓子送ったら流石に舐めてると思われるよ……やっちゃんもうシティガールだし、美味しいものは食い飽きてるよな〜。みんなで食べられるものの方がいいか……日向って肉好きだよな?」
「知りませんけど……なんで日向?」
「えっ……お前、マジか……」
菅原さんは俺へのヒアリングを諦め、年末年始は帰省の可能性があるからと“賞味期限が長く、好きな時に食べられる”という観点からホタテの海童漬けと、仙台で有名な洋菓子店のマカロンボーロを選んだ。
「ホタテの海童漬けは前に俺が食べてとにかくうまかった、マカロンボーロは食感も心なし麩菓子に似てるし、カラフルで可愛い!これでどうだ!」
そのように谷地さんに電話で伝えたところ、「大変恐縮です!」との返答があった。
「麩菓子じゃなくて大丈夫っすか?」
俺がそう聞くと、「ふ、麩菓子……じゃなくて大丈夫です!」と谷地さんは言い、何やらおかしそうな声を漏らしていた。
終わり