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    last_of_QED

    @last_of_QED

    ディスガイアを好むしがない愛マニア。執事閣下、閣下執事、ヴァルアルやCP無しの地獄話まで節操なく執筆します。デ初代〜7までプレイ済。
    最近ハマったコーヒートーク(ガラハイ)のお話しもちょびっと載せてます。

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    last_of_QED

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    地獄に堕ちるのも楽じゃない。
    ディスガイア4 ヴァルバトーゼとフェンリッヒ、二人はいかにして地獄へ堕ちたのか。

    #ディスガイア4
    disgaea4
    #ヴァルバトーゼ
    varvatose

    地獄への堕ち方【地獄への堕ち方】



    「い、」

     うら若き乙女の叫びが響く一秒前。此処は魔界の果て。暗く澱みに満ちた場所、通称「地獄」。堕落した人間の魂がプリニーとして生まれ変わり、その罪を償うための地と悪魔(ひと)は忌避する。

    「いやぁぁああ蜘蛛! ヴァルっちなんとかして!」
    「虫ケラ一匹に何を騒いでいるのだ。蜘蛛は益虫だぞ。良く見てみろ、目が八つ。銃魔神族のようで可愛げがあるではないか」
    「アンタの可愛いの基準どうなってんのよ!? 可愛いってサイズじゃなぁぁい!」

     大騒ぎするプリニー帽の少女をよそに、壁をつたって逃げた蜘蛛はいつの間にかシャンデリアから糸を垂れ、愉快(たのし)そうにぶらんと宙で揺れていた。





     息を潜めるのは中層区、色素の薄い花々が鬱蒼と咲くとある霊園の土の下。まさか墓標の下に生者が、それも二人も詰まっているとは誰も思うまい。
     幾つかの墓の下、空洞部を横に掘り広げ、繋げるようにして作ったその空間はまさしくカタコンベの様相だ。魔界に地下礼拝堂などお門違いも甚だしいが、迫害される者の隠れ家だと思えばさほど間違った表現でもない。あるいは、いつ来るとも知れない空襲に怯え待つための手狭な防空壕のようでもある。いずれにせよ、此処はそれらしい隠れ場所ではあった。
     銀髪の狼男、フェンリッヒが主人を慮るよう奥に身体を寄せ、静かに口を開く。

    「件(くだん)の戦争、終わったそうです。西の国の無条件降伏という形で幕を閉じたとの噂ですが」
    「無条件降伏?」

     聞き捨てならぬと険しい表情で彼の主人、ヴァルバトーゼは言葉を返す。

    「そんなもの、全てを剥奪し、剥奪されたのと同義ではないか」

     当初、それは戦争と表現するような仰々しいものではなかった。宗教対立を発端とした、一国内の局所的な反乱でしかなかったはずだった。ところが覇権抗争の思惑が絡み合うことで周辺諸国を巻き込んだ末、遂には国際戦争にまで発展した人間同士の争い事。
     悪魔であるヴァルバトーゼには一切の関係がない。言ってしまえば対岸の火事、にも関わらず戦争の終着点、その結末に苛立ちを隠せないのが何故なのか、彼自身その理由を分析出来ていない。分からないということが彼の苛々とした気持ちを更に加速させた。

    「……何故そうなるまで争い続けねば気が済まんのだろうな、人間は」

     人間界での戦争の終わり。それは幾万の悪魔たちの視線の先が再び魔界へと戻ることを意味していた。人が動き、物資が動き、命が動く……そんな動乱の時は何かと契約が成立し易い。悪魔に魂を売る、という言葉があるように、事実「話」を国の高官や軍幹部へと持ち掛けに人間界へ降り立つ悪魔は少なくない。
     中にはギャラリーとなって賭け事に勤しむ者もいる。どの国が勝つか、何人死ぬか。そんなことにヘルや力を賭(と)し、人間という小さき命の行く末を見つめている。

     そんな魔の者たちの目を釘付けにしていた戦争という舞台が幕を閉じた今、魔界にて暴君ヴァルバトーゼの身を隠し続ける難易度が跳ね上がるのは認めざるを得ない事実だった。
     血を絶った吸血鬼は、魔力を補うことが叶わず日に日に力を喪っていった。理由までは特定されていないようだが衰えが見えるとの噂が、上級悪魔たちの間で少なからず立っていることがこの間の情報収集で判明している。
     血を絶ったのは人間の聖職者と交わした約束──吸血鬼を前に全く物怖じしないシスター、アルティナをヴァルバトーゼ自ら恐怖に陥れるまでは血を絶つというもの──が理由だったが、彼女は約束が果たされるよりも前に戦禍の犠牲となり死んでしまった。そんな約束をいつまでも守る義理はないと狼男の青年は何度も訴えたものの、肝心の主人は「約束が果たせていない」と自身の衰えを静かに受け入れるように、頑なに食事をしようとしなかった。
     それ故に、二人は逃げていた。絶対的な力を持つにも関わらず、悪魔らしい欲を見せぬ異端の君、ヴァルバトーゼ。その弱体化を聞き付けて、此処ぞとばかりに首を狙う者、快く思わない者たちの襲撃は日ごとに増えていった。

    「人間は戦争となると途端に何かに取り憑かれるのだ。やり始めたが最後、簡単に白旗は振れないと来た。国のプライドがあるのだろう、分からなくはないが……戦争を支える根底には民がいる。それが無駄死にしていくのを見て見ぬふりをしてまでする戦争に何の意味がある?」

     ヴァルバトーゼは自分の置かれた状況から半ば現実逃避するように人の織りなす争いの火に想いを馳せた。
     今、彼が身を隠しているのが魔界中層区、忘れられた霊園の地下。今後力を持つ悪魔たちの目を掻い潜って上手く下層区へ降りていける保証は無い。それに──下層区まで降りたとして、果たして次は何処に向かえと言うのだろうか。

     言ってしまえば、今の彼等には向かうべき先がなかった。いつまでも墓の下にいてはそのまま死者に成り果ててしまう。かと言って明確な行き先を持たぬ今、無策で此処を出たところで主人と従者は揃って体力を消耗するだけだろう。チェスで言うところのツークツワンク、自ら状況を悪くする一手を打たざるを得ない局面だった。
     当然、この一時の隠れ家に辿り着くまでの間、彼等は何もせずに逃げ惑い、ただ時間を浪費した訳ではない。力を喪っていく吸血鬼、それを庇いながら情報収集をする狼男。何処へ向かい、何をするのが正解か。少なくとも、フェンリッヒは主人にとって正解でさえあれば自分にとっての正解不正解などどうでも良いと、そんな想いで生き残るための道を必死に探していた。使えるものは全て利用し、ありとあらゆる可能性を模索した。
     それでも、答えは出なかった。
     血を飲まぬ吸血鬼。言わば生きることを自ら放棄してしまったことに等しく、それ故に従者の導き出した策の全ては「延命措置」にしかなり得なかった。手詰まりだと、聡明な狼男には、分かってしまった。

    「人間のことをあれこれ言っている場合ですか。貴方様こそ、全てを失うまで戦い続けるおつもりに見えますが。このままでは無条件降伏どころか……貴方と言う国が滅び、消えて、なくなります」

     分かっている、とヴァルバトーゼは小さく呻く。主人を横目に、従者は神妙な面持ちで続けた。

    「ヴァル様。我々はもう、決断しなければなりません。これからどうするのかを。そして今一度お考えください……血を摂取することを」

     フェンリッヒが赤黒い液体の入ったビニールを差し出し見せる。それは人間界の救護テントに残されていた輸血パックであった。患者もろとも敵国の襲撃を受け、既に崩壊していたテント跡から拝借したものである。不可侵として掲げられた赤十字の旗すら、戦争に取り憑かれた人間たちの前では意味をなさない。

    「飲まんと言ったろう」
    「本当に強情な人だ」
    「約束したのだ、アルティナと」
    「……」

     貴方のためを想っているのに。
     叫びたかったはずの言葉を飲み込めば、その顔には苛立ちが滲む。次の瞬間狼男は語調を強めた。

    「そこまで言うのでしたら、今此処で聖書でも読んでとどめをさして差し上げましょうか。無粋な者たちに首を取られるよりは良いのではないですか。それに……天に召されればその女と一緖に過ごせるかもしれませんね?」
    「……愚弄するなよ」

     ヴァルバトーゼがフェンリッヒの首に掴みかかる。しかしその手に強い力が込められることはなかった。狼男もなされるがまま、やり返す素振りはない。
     悲しいことに、双方に力は残っていなかった。吸血鬼には、男の首を絞めてしまうだけの握力が。狼男は、弱った主人に手を上げる精神力が。仲間割れなどしている場合ではないことを、互いに胸の内では気付いていた。

    「ハ、……悪魔が天国になど逝けるものか。天使は天界に、悪魔は魔界に。それが世の理だ」

     それに、俺の顔をみれば穏やかな天の門番だって血相を変えるだろう。俺を誰だと思っている。「暴君ヴァルバトーゼ」だぞ? 門前払いされて魔界へ逆戻り、それどころか死にかけの主人に悪態吐くようなお前の祈りとあっては、神への冒涜で二人揃って地獄に真っ逆さまかもしれんな。
     狼男の首元を辛うじて掴んでいた色白い手が滑り落ちて行く。暗く静かな地の下で、淡々と声が反響する。

    「忠誠を誓った主人が突如力を放棄したのだ。話が違う、そう言いたいのだろう。お前のその憤りはもっともだ」

     ヴァルバトーゼの赤い瞳が濁り、宙を見据える。そして、項垂れるよう、静かに目を伏せた。

    「悪かった、許せ」
    「おやめください……」

     違うのです。私は貴方に謝ってほしくなど、ない。そんな嘆きが今にも聞こえてきそうな悲痛な面持ちで、どうすることも出来ず、フェンリッヒもまた俯いた。

     二人の悪魔は墓の下で、なす術もなく、互いの足元に剥き出しの土を見ていた。地下をささやかに照らす蝋燭の火だけが揺らめいている。

     今居る寂れた霊園のような、誰からも忘れられた場所。暴君ヴァルバトーゼを一度殺し、もう一度やり直すことの出来る場所。そんな場所がこの世の何処かにないものか。
     ヴァルバトーゼは何処へ向ければ良いのか分からぬその靴先を遊ばせ、足元の土を掘る。なんとはなしにその土に触れれば、人間界にてアルティナと交わした言葉がふと思い出された。





    「この土を、この戦場を見て吸血鬼さんはどう思いますか」
    「酷い有様だな、肥沃な地とは程遠い。このままでは民は長くは保たんだろう。何より……この地は純粋に暴を競い合う魔界よりも幾分血生臭い」

     この地に蔓延るのは飢餓。降り注ぐのは血の雨、爆撃。そんなものばかりだと、人間界の事情を知らぬ悪魔にも簡単に察せられた。踏み締めた土は乾き切っている。

    「……ねえ、吸血鬼さん。地獄ってどんな所ですの?」
    「地獄というのは魔界の中でも最下層、同じく酷いところだと聞く。して、何故それを聞いた?」

     アルティナがしゃがみ込み手に取った土は、指の隙間からぽろぽろとこぼれていった。

    「私は地獄に堕ちるそうですから。事前にどんな場所か聞いておきたくて」
    「神に仕えるお前が? 敵兵まで匿い、等しく治療を施すお前が? 何故そう思う」
    「だからこそ、なのでしょう。私は売国奴だと何度かこの行為を咎められています」

     けれど、良いんです。
     そう告げた彼女の目に浮かぶのは、諦めの色。自己犠牲に近い何か。
     正しさとは、他人に指図されるものでも、ましてや国が決めるものでもないはずです。──正しさは貴女が決めなさいと、お祈りの中で天使様が仰ったから。

    「吸血鬼さん、お腹が空いたらいつでも私の血を吸ってくださいね」

     静かに告げ、地を見つめるアルティナの不自然なまでの穏やかさが、うっすらと死の気配を運んでくることに、暴君ヴァルバトーゼは気付かない。

     清らかな魂を持つ娘に、こんなことを言わせるのか。この国は。馬鹿げている、そんな憤りを堪えて吸血鬼は一言だけ、ぽつりこぼした。

    「これでは、地獄の方がマシかもしれんな」

     このやりとりからほどなくして、敵国の将校をも救護したアルティナはスパイ容疑に掛けられ、祖国によって処刑された。





     足元の土を手で掘り返す。手袋の汚れなど、地についた裾のことなど気にもとめず、一心不乱に掘っていく。息が上がる。額に垂れる汗を雑に拭い、ようやく出来たのは自分の足首が隠れるかどうかの深さの小さな穴。これでは駄目なのだとはっきり分かった。何故だか清々しい気持ちさえした。

    「ヴァル様……?」
    「いっそこのまま墓を掘り続けて地獄を目指そうかと思ったのだが」

     難しそうだな。この調子では辿り着くまでにうん千年とかかりそうだ。
     ヴァルバトーゼは手を止め、そう笑ってみせた。

    「……地獄へ向かう、ということは少し前から考えていたのだ。だが、肝心の行き方が分からなかった。本当に在るのかさえも。それから、お前を道連れにすべきではないとも思っていた」

     人間であれば目一杯悪事を働けばプリニーとして嫌でも地獄に堕ちるだろう。しかし悪魔はいかにして地獄まで堕ちるべきか、そんなことは今まで考えたこともなかった。必ず何処かに在るはずの、しかし忌み嫌われるその場所までの道を、悪魔の誰も興味がなく、関わりたくなく、知らなかったのだ。勿論、俺もその例に漏れず、ということだ。

     手袋をはたき、そう自嘲するヴァルバトーゼにフェンリッヒは意外な言葉を返す。

    「貴方様さえ居てくだされば、そこが私の理想郷になりましょう。道を探す必要はありますが、地獄へ向かうこと自体は一向に構いません」

     けれど、とフェンリッヒは言葉を詰まらせる。急かすことなく待ってやると、沈黙の後、狼男は重い口を開いた。

    「けれど、ヴァル様。もう気付いておられるはずです。仮に地獄へ辿り着いたとして……それは私たちにとって根本的な解決にはなり得ないのです。敵は撒けるでしょう、ですが……」

     血を飲まぬ限り、貴方は身体を保てない。それでは何処へ向かおうとも意味がないと、彼は沈黙の中に、暗に言った。

    「暴君ヴァルバトーゼ。私が忠誠を誓った気高き吸血鬼が、こんなところで終わって良いはずがない」

     フェンリッヒがヴァルバトーゼを真っ直ぐに見る。ヴァルバトーゼはその瞳に、先を憂い目を伏せたあの時の聖女とは反対のものを見て、息を呑む。

    「私は、貴方に生きてほしい。生きてさえいてくださるのなら、地の果てまでお供しましょうとも……!」

     絞り出された言葉に、吸血鬼は小さな可能性の煌めきを見出した。人間はこれを絆と呼ぶのだろうか。それとも、愛と? 墓場に漂うはずもない、死の気配とは真逆の何か。根拠は無い、けれどこの絡みに絡んだ糸はどんな鋏でも断ち切れぬと、この絆の元に必ず光明は差すのだと、ヴァルバトーゼはそんな奇妙な確信を得た。
     ヴァルバトーゼは従者へと告げる。従者がここまで心の内を晒したのだ。共に堕ちると覚悟したのだ。主人がそれに応えないでどうする。──今こそ戦うべき時だ。

    「フェンリッヒ、俺にとどめを刺す気概はまだあるか」
    「今、なんと」
    「俺に聖書を読めと言ったのだ」





    「たった今、私は生きろと……決死の思いで申し上げたのですが……?」
    「すまん、言葉を端折りすぎた」

     今に始まったことではありませんでしたね、貴方様のそれは。呆れ顔の従者は一方で先の悪態を丁重に詫びつつ、問い掛ける。

    「聖書を読めとは一体? まさか私の悪態を間に受けて本当に天界に向かう、などと言うのではないでしょうね」
    「ウム、その通りだ。他にアテなどない、これより俺たちは天界の門を目指す」

     我が主人は、あるいは自分の耳は遂におかしくなってしまったかとフェンリッヒは眉間に皺を寄せ、頭を抱えた。危険を顧みず天界まで追ってくる悪魔は確かにいなかろうが、同じく悪魔である俺たちも到底居られるような場所ではない。

    「自暴自棄になるのはおやめください。たちまち光に劈かれ、存在を保てなくなるのが関の山です。『天使は天界に、悪魔は魔界に』と今しがた言ったのはどなたです」
    「まあ聞け。俺たちが目指すのは"天界の門"まで。なに、要するに地の底への近道だ。うん百年、うん千年掛けて闇雲にこの墓を下へと掘り進めるよりも……神の逆鱗にちょいと触れて、堕としてもらう方が早そうだからな」

     からりと笑う主人とは裏腹に青ざめる従者は、その聡さ故に主人の一言で全てを汲み取った。

    「天界の門を利用して地獄を目指すと言うのですか……?! そんな無茶苦茶な方法、正気ではありません。考え直すべきです」
    「ああ、とっくに正気ではないわ。だが──神様はお優しい、不敬者が手違いで門に辿り着いたとて、決して殺したりはしないだろう。天界の入り口に死体が転がっていては格好がつかぬからな! つまりだ、門の内側に入れられぬ以上、門に辿り着いた不届き者の俺たちは必ず"相応の何処か"に飛ばされる。そう考えれば一気に地獄が近付いたと、そうは思わないか」
    「……」
    「それに幾分かマシだろう。このまま墓の中で野垂れ死ぬよりは、な」

     吸血鬼のその目には逆風でも決して消えんとする闘志が宿っている。

    「ですが、先程の答えが出ていません。天の門を使い、仮に地獄に辿り着いたとして、そこからはどうなさるおつもりなのです」
    「お前が言ってくれたではないか。──生きるに決まっている。お前が共に在るのなら、それが出来る。俺はお前が見せた先の目と、その結末を識(し)っている。……気がするのだ」

     堕ちた先でなんとでもなると、ヴァルバトーゼが唱えるそれは精神論だ。なんの根拠も無い、机上の空論。
     それなのに、何故なのだろうか。信じてみたい、そんな気持ちにさせるのは。
     こんな無鉄砲な策、聞いたことがない。けれど、この人なら本当に何とかしてしまうかもしれないと思わせる悪魔的なカリスマ。地獄へ逝くために天を目指す大胆不敵さ。こんなに惹き付けられるのは、広い魔界にただこの人だけだ。余りにも真っ直ぐで眩しい、高潔な吸血鬼、暴君ヴァルバトーゼ。俺の見初めた主人。

     これではなんだか、惚れた弱みのようではないかと場違いなことを思えば、その顔には曖昧に笑みがこぼれていく。張り詰めていた緊張が解けていく。こうなっては、もうどうしようもあるまい。

    「何がおかしい?」
    「いえ、我が主人は悪魔らしからぬ力をお持ちだと……そう思ったのです。向かいましょうか、天の門へ」

     ひとり可笑しそうなフェンリッヒの心境を汲み取れぬ吸血鬼は「暴君」に不釣り合いな膨れっ面で不満を露わにすると、大人気なくシモベを揶揄ってみせた。

    「それとも──全てを諦め此処でこのまま朽ち果てて、俺と墓に入ってみるか?」
    「は、な、何を仰って……?!」
    「間に受けるな、冗談だ」

     縁起でもないと厳しい語調のフェンリッヒだったが、反面、その表情は柔らかくなった。蝋燭の火を吹き消した薄暗い土の下、握手を交わせばそこには見えぬ、けれども確かな絆があった。

     見た目よりも存外に軽い墓石を押し除け、墓の下から二人は這い出る。苦慮して探し出したこの場所は、吸血鬼がエネルギーを得るに適した環境であった。微量ながら魔力の巡ったヴァルバトーゼは清々しい顔で光を浴びる。陽に透けてしまいそうな肌の白さが、やはり目に眩しい。
     マントを翻し、目を合わせずに主人は従者へと告げた。

    「もう一度だけ言うぞ。──無理についてこいとは言わん。旧き悪魔観などに囚われず、お前は好きに生きれば良い」
    「我が主人は随分とお優しいのですね。言われずとも、私は思うままに生きます」

     きつく降り注ぐ陽の光にふらついた吸血鬼に肩を貸す。何がとは言うまい。もう時間の問題なのだろう。フェンリッヒは奥歯を噛み締める。そして、覚悟した。

    「さあ、やってくれ」

     やるしかない。信じるしかない、この人を。そして、天界の意思を。どうか我々を相容れぬものだと、突き放してくれ。……まさかこんな形で天に祈る日が来ようとは、運命とは分からない。皮肉なものだ。

    「天にまします我らが父よ」

     フェンリッヒが使い古された聖書を手に取り、高らかに読み上げる。それは戦場に置き去りにされた聖女の遺物。悪魔が悪魔へと聖書を読み上げる異様な光景。このやりとりは、決して冗談などでは済まされない。風が巻き起こり、陰鬱に咲いていた花々が舞い散ればそれは祝福のようにも思えた。突風の巻き起こす、唸るような音は天の怒りの声か、はたまた地獄からの呼び声か。

    「願わくは御名を崇めさせたまえ。御国を来たらせたまえ。我らに罪を犯すものを我らが赦す如く、 我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに遭わせず、悪より救いいだしたまえ(※)──俺にとって主は、ヴァルバトーゼ様ただおひとり! お高く止まってなにが主だ! 俺たちを楽園に入れたくなきゃあ、とっとと地獄に堕としなクソったれ……!」

     聖なる言の葉はヴァルバトーゼとフェンリッヒ、それぞれを眩いばかりの光で包み込む。瞬く間にその輝きは悪魔の身体を縛り、蝕んだ。身体中に光の文字が浮かび上がり、次々に烙印を押されて行く。皮膚の内側から焔に灼かれるような痛みに、悪魔たちは喚き叫び、自我を保つことさえままならない。
     確かに天界の門前へと誘われるも、大いなる力の前に、悪魔たちは意識を手放そうとしていた。
     力が抜け、絶対と謳われた吸血鬼が膝をつく、その時。代わりに這いつくばり、その身体を支える者がいた。その金色の瞳は今にも溢れそうな涙を湛え、精一杯に笑っている。
     
     やはり、俺はこの目の先を識っている。

    「貴方が此処で膝をついたら……私はこれから誰に跪けって言うんです」
    「逝く先でも変わらず俺に尽くせ、フェンリッヒ。まったく……泣く悪魔が何処にいるというのだ」

     光の中で無意識に罪の数を数えながら、悪魔たちの意識は、
    悲しくも、
    薄れて、
    ゆ、










     意識を取り戻したのは巨大な蜘蛛の巣の上だった。斜陽を思わせる濃いオレンジの陽。遠くで不気味に響く、地鳴りにも似た音。
     此処は何処だ。俺はどうなった。フェンリッヒは。軋む身体を辛うじて起こすと、自分の顔ほどもある巨大な蜘蛛の八つの目がこちらをじっと見つめていた。

    「お目覚めになられましたか」

     良かった……そう言って俺の手を強く握るシモベの声がどうにも懐かしい。それと同時に、今までに覚えのない匂いが鼻をくすぐる。

    「なんだ、この匂いは」
    「粗食で恐縮ですが……それでも食べないよりはと、準備しておりました」

     もうここしばらく何も口にしていないでしょう、そう言って差し出されたのは火で炙っただけの、一匹の魚。これまで魚など食した試しがなく、恐る恐る口に入れるとそれは生臭く感じられた。その上、細かい骨が舌に触って何とも食べ難い。
     しかし、それでも嬉しかった。今、ボロボロになりながらも生きているということが。目の前の男が、食事をする俺を見て久方振りに穏やかに微笑んでいることが。それを自覚すると、途端にその魚の皮の香ばしさ、脂の乗った身の美味さが口いっぱいに広がっていき、あとは自分でも驚くほどに夢中になって食べた。血を絶ってから、久しく口にすることの出来た栄養価だった。

    「この魚は何と言う」
    「イワシ、だそうです」

     もしやお気に召しましたか? 辺りをうろついていたプリニーに話しかけたところ、喜んで譲ってくれました。そう、相変わらずの恭しさでシモベは言った。

    「そうか。ところで……此処は何処なのかも、尋ねて良いだろうか、フェンリッヒ」
    「はい、そのことですが」

     フェンリッヒは一呼吸置いて俺の前に傅いた。その声色は、発される事実とは裏腹に希望に満ち溢れたものだった。

    「此処は我々の目指した魔界の地の底、地獄です。……もう、我々を追う者はおりません」

     魔界の果て。暗く澱みに満ちた場所、通称「地獄」。堕落した人間の魂がプリニーとして生まれ変わり、その罪を償うための地と悪魔(ひと)は忌避する。……地の底に恋焦がれ堕ちてきた、類稀な物好きたちを除いて。





    「ちょっと! 目を離したすきに消えちゃったじゃない……あんなにおっきい蜘蛛と一緒の生活なんてイヤよ! 絶対にイヤ!」

     アタシ、部屋に戻るから! そう言って出て行った少女の背中を黙って見送ったものの、ふと気付く。小娘、それは俗に言う死亡フラグというものではないか?

     静かになった部屋を見渡すと、天井から蜘蛛の糸が垂れ、揺れていた。誘(いざな)われるよう、無意識に手を伸ばす。
     そして、掴もうとして……やめた。代わりに指先に魔力の炎を灯すと、銀の細糸を断ち切った。

     救いの糸は地獄に垂れる。しかしそれを、誰も彼もが掴むと思ったら大間違いだ。俺たちは望んで此処まで堕ちて来たのだから。

    「なあ、フェンリッヒ」
    「お呼びでしょうか、閣下……はて、何か良いことでもございましたか?」

     天を仰ぎ、笑ってみせた男の名はヴァルバトーゼ。かつて暴君と呼ばれたその人だ。


    fin.


    ※マタイによる福音書第6章9節〜13節より一部引用


    ++++++++++++++++++++


    ディスガイア4。私はこのタイトルを「やり直し」の物語だと思うのです。

    魔界政腐のやり直し。親と子のやり直し。
    プリニー(罪を犯した人間)たちのやり直し。断罪者ネモのやり直し。そして、吸血鬼ヴァルバトーゼのやり直し。

    ディスガイア4本編の閣下には色んなセリフがありますが
    「わかればいい。お前たちの仕事は、罪を償うことなのだからな」
    「お前の罪を浄化するには何百年も何千年もかかるかもしれん。だが、永遠に償えない罪はない」
    どんな罪を犯した者も決して見捨てない言い方が多いように感じました。初見では、懐の深い悪魔だなー程度にしか思っていませんでしたが、これは慈悲だとか寛大だとか、そういう話じゃないんだと今は思います。

    どれだけ時間が掛かっても、私たちは「やり直せる」んですよね。
    地獄に堕ちざるを得なかった閣下は誰よりもそれを知っている。だから、ネモのような大罪人にも真っ直ぐにそう言えたんじゃないのかな。……という妄想を自由気ままに膨らませていったところ、この書き散らしが出来ました。

    地獄への堕ち方を文字に起こすというのは禁忌にも等しい(公式崇拝)ように思えて気が引けましたが……それでも愛を叫びたくてこの度書きました。ごめんなさい。私はディスガイア4が好きで、好きで、仕方ない。よろしければ皆さんも、私と一緒にこの妄想に取り憑かれてください。
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    👏💖👍💘👏👏👍💖🙏💖👏💞💖💖💖🙏🙏🙏😭😭😭❤❤❤❤
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    last_of_QED

    MOURNING世の中に執事閣下 フェンヴァル ディスガイアの二次創作が増えて欲しい。できればえっちなやつが増えて欲しい。よろしくお願いします。【それは躾か嗜みか】



    この飢えはなんだ、渇きはなんだ。
    どんな魔神を倒しても、どんな報酬を手にしても、何かが足りない。長らくそんな風に感じてきた。
    傭兵として魔界全土を彷徨ったのは、この途方も無い飢餓感を埋めてくれる何かを無意識に捜し求めていたためかもしれないと、今となっては思う。

    そんな記憶の残滓を振り払って、柔い肉に歯を立てる。食い千切って胃に収めることはなくとも、不思議と腹が膨れて行く。飲み込んだ訳でもないのに、聞こえる水音がこの喉を潤して行く。

    あの頃とは違う、確かに満たされて行く感覚にこれは現実だろうかと重い瞼を上げる。そこには俺に組み敷かれるあられもない姿の主人がいて、何処か安堵する。ああ、これは夢泡沫ではなかったと、その存在を確かめるように重ねた手を強く結んだ。

    「も……駄目だフェンリッヒ、おかしく、なる……」
    「ええ、おかしくなってください、閣下」

    甘く囁く低音に、ビクンと跳ねて主人は精を吐き出した。肩で息をするその人の唇は乾いている。乾きを舌で舐めてやり、そのまま噛み付くように唇を重ねた。
    吐精したばかりの下半身に再び指を這わせると、ただそれだけで熱っぽ 4007

    last_of_QED

    DOODLEディスガイア4に今更ハマりました。フェンリッヒとヴァルバトーゼ閣下(フェンヴァル?執事閣下?界隈ではどう呼称しているのでしょうか)に気持ちが爆発したため、書き散らしました。【悪魔に愛はあるのか】


    口の中、歯の一本一本を舌でなぞる。舌と舌とを絡ませ、音を立てて吸ってやる。主人を、犯している?まさか。丁寧に、陶器に触れるようぬるり舌を這わせてゆく。舌先が鋭い犬歯にあたり、吸血鬼たる証に触れたようにも思えたが、この牙が人間の血を吸うことはもうないのだろう。その悲しいまでに頑なな意思が自分には変えようのないものだと思うと、歯痒く、虚しかった。

    律儀に瞼を閉じ口付けを受け入れているのは、我が主人、ヴァルバトーゼ様。暴君の名を魔界中に轟かせたそのお方だ。400年前の出来事をきっかけに魔力を失い姿形は少々退行してしまわれたが、誇り高い魂はあの頃のまま、その胸の杭のうちに秘められている。
    そんな主人と、執事として忠誠を誓った俺はいつからか、就寝前に「戯れ」るようになっていた。
    最初は眠る前の挨拶と称して手の甲に口付けを落とす程度のものであったはずだが、なし崩し的に唇と唇が触れ合うところまで漕ぎ着けた。そこまでは、我ながら惚れ惚れするほどのスピード感だったのだが。
    ……その「戯れ」がかれこれ幾月進展しないことには苦笑する他ない。月光の牙とまで呼ばれたこの俺が一体何を 3613

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    DOODLEディスガイア4に今更ハマりました。フェンリッヒとヴァルバトーゼ閣下(フェンヴァル?執事閣下?界隈ではどう呼称しているのでしょうか)に気持ちが爆発したため、書き散らしました。【悪魔に愛はあるのか】


    口の中、歯の一本一本を舌でなぞる。舌と舌とを絡ませ、音を立てて吸ってやる。主人を、犯している?まさか。丁寧に、陶器に触れるようぬるり舌を這わせてゆく。舌先が鋭い犬歯にあたり、吸血鬼たる証に触れたようにも思えたが、この牙が人間の血を吸うことはもうないのだろう。その悲しいまでに頑なな意思が自分には変えようのないものだと思うと、歯痒く、虚しかった。

    律儀に瞼を閉じ口付けを受け入れているのは、我が主人、ヴァルバトーゼ様。暴君の名を魔界中に轟かせたそのお方だ。400年前の出来事をきっかけに魔力を失い姿形は少々退行してしまわれたが、誇り高い魂はあの頃のまま、その胸の杭のうちに秘められている。
    そんな主人と、執事として忠誠を誓った俺はいつからか、就寝前に「戯れ」るようになっていた。
    最初は眠る前の挨拶と称して手の甲に口付けを落とす程度のものであったはずだが、なし崩し的に唇と唇が触れ合うところまで漕ぎ着けた。そこまでは、我ながら惚れ惚れするほどのスピード感だったのだが。
    ……その「戯れ」がかれこれ幾月進展しないことには苦笑する他ない。月光の牙とまで呼ばれたこの俺が一体何を 3613

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    CAN’T MAKE十字架、聖水、日の光……挙げればきりのない吸血鬼の弱点の話。おまけ程度のヴァルアル要素があります。【吸血鬼様の弱点】



    「吸血鬼って弱点多過ぎない?」
    「ぶち殺すぞ小娘」

    爽やかな朝。こともなげに物騒な会話が繰り広げられる、此処は地獄。魔界の地の底、一画だ。灼熱の溶岩に埋めつくされたこの場所にも朝は降るもので、時空ゲートからはささやかに朝の日が射し込んでいる。

    「十字架、聖水、日の光辺りは定番よね。っていうか聖水って何なのかしら」
    「デスコも、ラスボスとして弱点対策は怠れないのデス!」
    「聞こえなかったか。もう一度言う、ぶち殺すぞアホ共」

    吸血鬼の主人を敬愛する狼男、フェンリッヒがすごみ、指の関節を鳴らしてようやくフーカ、デスコの両名は静かになった。デスコは怯え、涙目で姉の後ろに隠れている。あやしい触手はしなしなと元気がない。ラスボスを名乗るにはまだ修行が足りていないようだ。

    「プリニーもどきの分際で何様だお前は。ヴァル様への不敬罪で追放するぞ」

    地獄にすら居られないとなると、一体何処を彷徨うことになるんだろうなあ?ニタリ笑う狼男の顔には苛立ちの色が滲んでいる。しかし最早馴れたものと、少女は臆せず言い返した。

    「違うってば!むしろ逆よ、逆!私ですら知ってる吸血鬼の弱 3923

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    DONEしがない愛マニアである私が原作の奥に想い描いた、ディスガイア4、風祭フーカと父親の話です。銀の弾は怪物を殺せるか?【銀の弾など必要ない】



    白衣が揺れる。頭をかいてデスクに向かうそのくたびれた男に私は恐る恐る声を掛ける。

    「パパ、お家なのにお仕事?」

    男はこちらを振り返りもしない。研究で忙しいのだろうか。それとも、私の声が届いていないのだろうか。
    父親の丸まった背中をじっと見つめる。十数秒後、その背がこわごわと伸び、首だけがわずかにこちらを向く。

    「すまん、何か言ったか?」

    この人はいつもそうだ。母が亡くなってから研究、研究、研究……。母が生きていた頃の記憶はあまりないから、最初からこんな感じだったのかもしれないけれど。それでも幼い娘の呼び掛けにきちんと応じないなんて、やはり父親としてどうかしている。

    「別に……」

    明らかに不満げな私の声に、ようやく彼は腰を上げた。

    「いつもすまんな。仕事が大詰めなんだ」

    パパのお仕事はいつも大詰めじゃない、そう言いたいのをぐっと堪え、代わりに別の問いを投げかける。

    「いつになったらフーカと遊んでくれる?」

    ハハハ、と眉を下げて笑う父は少し疲れているように見えた。すまんなあ、と小さく呟き床に胡座をかく。すまん、それがこの人の口癖だった。よう 3321

    last_of_QED

    DOODLE【10/4】ヴァルバトーゼ閣下🦇お誕生日おめでとうございます!仲間たちが見たのはルージュの魔法か、それとも。
    104【104】



     人間の一生は短い。百回も歳を重ねれば、その生涯は終焉を迎える。そして魂は転生し、再び廻る。
     一方、悪魔の一生もそう長くはない。いや、人間と比較すれば寿命そのものは圧倒的に長いはずであるのだが、無秩序混沌を極める魔界においてはうっかり殺されたり、死んでしまうことは珍しくない。暗黒まんじゅうを喉に詰まらせ死んでしまうなんていうのが良い例だ。
     悪魔と言えど一年でも二年でも長く生存するというのはやはりめでたいことではある。それだけの強さを持っているか……魔界で生き残る上で最重要とも言える悪運を持っていることの証明に他ならないのだから。

     それ故に、小さい子どもよりむしろ、大人になってからこそ盛大に誕生日パーティーを開く悪魔が魔界には一定数いる。付き合いのある各界魔王たちを豪奢な誕生会にてもてなし、「祝いの品」を贈らせる。贈答品や態度が気に食わなければ首を刎ねるか刎ねられるかの決闘が繰り広げられ……言わば己が力の誇示のため、魔界の大人たちのお誕生会は絢爛豪華に催されるのだ。
    3272

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    DONER18 執事閣下🐺🦇「うっかり相手の名前を間違えてお仕置きプレイされる主従ください🐺🦇」という有難いご命令に恐れ多くもお応えしました。謹んでお詫び申し上げます。後日談はこちら→ https://poipiku.com/1651141/5571351.html
    呼んで、俺の名を【呼んで、俺の名を】



     抱き抱えた主人を起こさぬよう、寝床の棺へとそっと降ろしてやる。その身はやはり成人男性としては異常に軽く、精神的にこたえるものがある。
     深夜の地獄はしんと暗く、冷たい。人間共の思い描く地獄そのものを思わせるほど熱気に溢れ、皮膚が爛れてしまうような日中の灼熱とは打って変わって、夜は凍えるような寒さが襲う。悪魔であれ、地獄の夜は心細い。此処は一人寝には寒過ぎる。

     棺桶の中で寝息を立てるのは、我が主ヴァルバトーゼ様。俺が仕えるのは唯一、このお方だけ。それを心に決めた美しい満月の夜からつゆも変わらず、いつ何時も付き従った。
     あれから、早四百年が経とうとしている。その間、語り切れぬほどの出来事が俺たちには降り注いだが、こうして何とか魔界の片隅で生きながらえている。生きてさえいれば、幾らでも挽回の余地はある。俺と主は、その時を既に見据えていた。堕落し切った政腐を乗っ取ってやろうというのだ。
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