アイドルの仕事がオフでも、男道らーめんは営業日だ。昼営業が一段落して、また夜からの開店準備に勤しむ道流が空になったダンボールを出しに裏口から出ると、店脇の路地から猫の鳴き声がした。きっと─チャンプか覇王か名前はまだ決着していないが、顔見知りのあの子猫だろうと当たりをつけて覗きこめば、猫と一緒に室外機の陰にしゃがみこんでいる姿があった。
「漣。来ていたんだな。店に入ってくればいいのに」
「別に。オレ様は覇王に用があっただけだし」
声をかけると顔は上げたものの、すぐにふいと目をそらされる。口ぶりからしても機嫌が良くないようだった。対照的に猫の方は機嫌が良いらしく、道流にもニャアと擦り寄ってきた。
「お、どうした? 腹が減ってるのかな。しかし今あげるとなぁ。もうすぐタケルもおやつを持ってくるかもしれないし…」
「チビは来ねえよ」
「ん? そうなのか?」
「アイツはウワキ中」
「う、浮気っ!?」
思ってもみない単語が出てきて言葉に詰まる。道流の動揺を意に介さず、漣はむくれた顔のまま続けた。
「ネコカフェ?とかいうとこ行ってる。あの猫背のヒゲと一緒に」
「あ、そういうことか……。次郎と猫カフェにな」
「ウワキだろ。覇王がいるのに、他のネコに構ってんだ」
スキャンダルの心配は不要だったことに道流は胸を撫で下ろしたが、漣は苛立ちを紛らわすように猫の腹を撫でている。道流もその隣にしゃがんだ。これから仕込みがあるから猫には触らないけれど、漣の口を尖らせた横顔に向かって話す。
「漣も一緒に行きたかったのか?」
「ハア? なんでそーなるンだよ。オレ様は別に、覇王だけでいい」
「はは、そうか。漣は一途なんだな」
「イチズ……そーだ。オレ様はチビみたいに、フラフラ他のヤツのとこ行かねえし」
漣の口振りでは浮気されている張本人……張本猫、は呑気な顔でゴロゴロ喉を鳴らしている。元々タケルと漣を二股にかけるやり手の猫だ。浮気にも寛容なのかもしれない、というのは道流の想像だが。
むしろ深刻そうに顔を強ばらせているのは、一途で浮気を許せない漣の方。
「漣はタケルが浮気するとそんな顔するんだなあ」
「……そんな顔って、どんなだよ……」
その時、漣に撫でられていた子猫がぴくりと身を起こした。そのまま軽い足取りで店の裏口とは逆側へ駆けていく。つられて目線で追った先には、小柄な少年がいた。
「チビ……」
「お、タケル。おかえり!」
「二人ともいたのか。えっと、ただいま…でいいのか?」
道流からの呼びかけにタケルは戸惑いつつも返事をする。その足元をウロウロ歩き回っている子猫は、タケルの抱えた紙袋に興味津々のようだ。
「猫カフェに行ってたんだって?楽しかったか?」
「ああ。知ってたんだな円城寺さん。そう、それでこれは、チャンプへのおみやげ」
屈んで猫と目線を合わせながら袋を開けてみせるタケルに、漣は大股で歩み寄ると紙袋の中身を奪った。猫用のおやつと、フサフサのねこじゃらし。
「覇王、こんなもんに騙されんじゃねーぞ!よく嗅げ、コイツ他のネコの匂いさせまくってるだろ」
「おい返せ。チャンプに変なこと吹き込むな」
「本当のことだろ。このウワキモノ!」
「誰がだ。覚えたての言葉を適当に使うなバカ」
そういえば、と道流は思い出す。最近二人が出演した学園ものの恋愛ドラマがあった。漣の語彙はそこからかと腑に落ちる。ワイワイと騒ぐ二人の足元で、子猫は空の紙袋に出たり入ったりときままに遊んでいる。
寂しそうだった漣の顔が、タケルが来た途端にキラキラと輝きだした。そのことをわざわざ口にするほど道流は野暮ではないけれど。
「今度は漣も誘ってくれるよう、次郎に頼んでみるか」
独りごちて、そろそろ言い合いを止めるため道流も二人に合流する。その足元を灰色の猫はするりとくぐり抜けて行った。