足掻いて祝福 九井一。
大ヒットしたドラマの主演俳優で、映画主演作は数え切れず、ハリウッド映画にも出演し印象を残し、バラエティ番組では司会者をして、深夜に看板番組を持ち、七本のCMに出演し、書いた小説は飛ぶように売れ、作詞作曲もして、このたび単独ライブも決まった。
九井一の本業はなんだかいまいちわからないが、テレビやSNSで彼の名を聞かないことはない。
通学途中のオレの目の前にある大型モニターに映っているのも九井一だった。
「化粧品のCMも決まったのか……すげぇなココは」
オレは前世で九井一の幼馴染だった。
オレには前世の記憶がある。転生というのかもしれない。バカなりに本を読んで調べたりしてみたが、いまいちわからない。
ともかくオレは乾青宗として前世で生まれ、死に、そして記憶を持ったまま乾青宗として今世に生まれた。
家族は前世そのままだった。姉の赤音もいる。だが九井一が、ココが、オレの隣にはいない。さみしいと思うと同時に、ほっとしたのも確かだ。オレの人生にココを巻き込まなくて済む。
前世でさんざんやらかした記憶があるオレだ。今世でまで失敗するわけにはいかない。第一にまず赤音を無事に生かさなければならない。緊張と共に生きていたが、赤音が死んだ年を越えたとき、ようやく肩の荷が下りたような気がした。
それまでは家の周囲の気配に気を配り、暇さえあれば見回りをしていたし、いまでもそれは変わらないのだけれど、その日はなんとなくリビングで家族そろってテレビを見ることになった。
そこにココがいた。
サスペンスドラマで、刑事の息子役だった。ヒロインに近づいて、意味ありげな言葉を告げる。
「……ココ?」
思わず身を乗り出して、名を呼んでしまった。はっと息を飲んだが家族の誰もオレを咎めなかった。それどころか。
「青宗ははじめくんが怪しいと思う? わたしは真一郎くんが犯人なんじゃないかなと思ってるんだけど」
「……へ?」
今までドラマに興味がなかったが、このドラマは人気があって、赤音の高校では犯人を考察するのが流行っているらしい。そういえば小学校でもドラマのタイトルを耳にしたことがあった。
例に漏れず家族も赤音もドラマを欠かさず見ており、録画をしていると言った。それをぜんぶ見せてもらった。
ココだ。
ココがいる。
ココが動いている。
サスペンスドラマを見て泣く弟に、赤音はなにか言いたげだったが、タオルを渡してくれただけだった。
ココが生きている。それだけで救われたような気がした。
それからオレはココについて調べ始めた。
ココが出ている番組をチェックし、できるかぎり視聴した。そんな姿を見て、赤音はオレがココのファンだと思ったようだ。あながち間違ってはいない。否定しないでいると、協力してくれるようになった。女性誌に載っているときは買って来たり、友達から切り抜きを貰って来てくれるようになった。ココが出演する映画にも連れて行ってくれた。
そうこうしているうちに、芸能にうといオレも、だんだんとココのことがわかってきた。
ココは新鋭の芸能プロダクション「日本卍會」に所属していて、そこには佐野真一郎・万次郎・エマの三兄弟がいて、彼らと仲良くしていること。
八歳で銀幕デビューをして天才子役と呼ばれていたこと。
芸能界で活躍しつつ、学業にも手を抜かず、大学進学を目指していること。
身体能力にも優れ、アクション映画でのガンアクションはハリウッドでも評価されていること。
交友関係が広く、物おじしない性格は大御所にも愛されて、彼らの自宅に呼ばれることもあるらしい。
彼女がいるという噂はいっさいない。SNSの更新はマメで、ファンサービスもいいと好評だ。
人気があるのに驕りがなく、ラジオなどでは下ネタも披露して、同年代のファンも多い。
前世でのココは金儲けの天才だったが、今世でのココは人気者で多くの人に好かれている。
ならばオレはそれを応援するべきだろう。
ココに会いたい気持ちがないわけではないが、いまのココが幸せであればそれでいい。オレには記憶があるが、ココにあるとは限らない。ココはいい奴だから、もしかしたらファンサービスしてくれるかもしれない。でも、あえて会いに行かなくてもいい。赤音は生きているし、オレはただの高校生だ。オレたちの不幸に巻き込むことはないと思いたいが、万が一のこともある。オレは一ファンとしてココを応援していければいい。
そのはずだった。
「じゃーん! はじめくんのファースト写真集のイベントチケットがあたりました!」
姉の赤音には記憶がない。オレをココのファンだと思ってくれている。中学生の俺では買えなかった雑誌を買って来たり、映画に連れて行ってくれたことには感謝しているが、まさかココのイベントに勝手に応募しているとは思わなかった。
「えぇ……友達と行けよ」
「その友達たちと協力して当てたの! さやかちゃんの自転車のパンクを直してあげたり、まいちゃんがサラリーマンに絡まれたのたすけてあげたり、学園祭の支度で夜遅くなったときみんなを家まで送ってあげたり、ほかにも感謝している友達がいるんだけど、青宗はだれからもお礼を受け取らなかったでしょ。でもはじめくんの雑誌の切り取りとかは受け取ってくれるから、だからみんなで手分けしてチケットに応募したんだよ!」
「えぇ……」
たしかに赤音の友達にいろいろしてやった覚えがある。礼を受け取らなかったのは面倒くさかったからだが、こんなことならてきとうに貰っておけばよかった。
「それで今日の予定を空けておけって言ったのかよ……」
てっきり買い物につきあわされるのかと思っていた。こんなことなら予定をいれておくんだった。
がっくり肩を落とすオレを赤音が勝手にコーディネイトしていく。
「せっかくはじめくんに会うんだよ! おしゃれして行こ!」
「……えぇ……」
実は赤音には高校生の時から彼氏がいるから、ココに会わせるのはすこし躊躇いがある。赤音を見たらココはまた赤音に惚れるのかもしれない。でも赤音には彼氏がいる。気が重いのだが、どうしても赤音には勝てない。弟は姉には勝てないという法則があるのだ。
ずるずると引きずられて、イベント会場とやらに辿り着いた。
「……女ばっかじゃねぇか」
「はじめくんは男の人にも人気があるけど、こういう場所はやっぱり女の子が多いよね」
男は珍しいのか、なんだかじろじろ見られているような気がする。オレだけじゃなくて、赤音も見られていることに、ようやく赤音は目立つのだということを思い出した。
家族なので忘れがちだが、赤音は美人だった。アイドルになりませんかとスカウトが来たこともあった。
それだけでも面倒くさいなと思うのに、赤音の友達が当ててくれたチケットはなんと前列のほうだった。ますます厄介だ。
溜息をついてオレは近くにいたスタッフに声をかけた。
「あの、すいません」
「あ、」
「はい?」
「あっ、関係者席はこちらです! ご案内しますね!」
「え?」
「え?」
「オレ、関係者じゃないですけど」
そいつはオレの顔を穴が開くほど見て、もういちど「え?」と言って、なにやら急にインカムでどこかに連絡を取り始めた。なんだ、こいつ。スタッフじゃないのか? いやスタッフ章をつけてるよな? オレと同い年くらいに見えるから、臨時アルバイトか?
オレが躊躇っていると、うしろから赤音に声をかけられた。
「どうしたの、青宗」
「え、いや、オレの背がでかいから、後ろの席と代えてもらいたかったんだけど」
「ええ~。せっかく前のほうなのに」
「いや、でもオレの後ろのやつが見えないだろ」
「うーん。それはそうかも。後ろの女の子がかわいそうだね。席って取り替えられますか?」
「えっ、あ、それは、その」
「赤音は座れよ。オレは立ち見でいい」
赤音と話しているあいだにスタッフは気を取り直したのか「ではご案内しますね」と提案してくれた。オレはココが一目見られるならどこだっていい。むしろ一目だけ見たら、帰りたい。
赤音は自分も立ち見すると渋ったがどうにか説得し、オレだけがそちらの方に向かうことになった。
スタッフがイヤホン越しに誰かと話しをしている。
「ええ。いまからそちらに向かいます」
それが失敗だった。
オレがおかしなことに気づいたのは、イベントホールからスタッフオンリーの札がかかったドアのなかに入れられてからだ。これは楽屋裏、控室とかいうやつでは。
てっきり立ち見なのかと思ったが、舞台袖から見ろということなのか? それならそれでいいんだが、なにかちょっと雰囲気がおかしい。
「イヌピーくん」
「えっ」
「イヌピーくんですよね」
「は……?」
名を呼ばれてぎょっとすると、スタッフは苦笑いをしていた。
「千堂です。千堂敦。おぼえていませんか?」
「……もしかしてアッくんか?」
「そうです。忘れられたかと思いました。よかったぁ」
「髪型が違うから、わからなかった」
「あー。いまの学校、校則で染めらんないんですよね。前はやんちゃして親にさんざん迷惑かけたんで、今回はおとなしくしてます」
リーゼントでもなく茶髪でもないから、わからなかった。そうか。こいつ千堂か。ん? ということは。
「もしかして記憶があるのか?」
「はい。おかげさまでアルバイト応募したら、その場で決まりました」
「は? どういう意味だ?」
「マイキーくんたちも記憶があるんですよ。イザナを探すために真一郎くんたち兄弟がたちあげた芸能プロダクションが「日本卍會」だっていうんだから驚きですよね。代表者はマイキーくんたちのお爺さんになってますけど」
ぽかんと口を開くオレに千堂は苦笑いをする。
「つまり「日本卍會」にいるメンバーはみんな仲間たちを探すため所属しているんです」
「……え」
「松野や一虎くんは場地くんを探しているし、このあいだ三ツ谷くんが芝兄弟を見つけたばかりです。先日は半間くんがプロダクションに所属することになりました。タレントになれるかどうかはわからないですけど、雰囲気がありますからね。Vシネマとかで人気が出るかもしれないですし」
「……は、」
「つまりココくんはあなたをさがしていたってことです」
千堂がドアを開く。
「…………は?」
俳優でタレントでモデルで司会者で文筆家でもあって、こいつの本業は一体なんなんだと誰もがいちどは思うだろう。
人気があるのにかかわらず、どんな仕事でも引き受けると評判の、テレビで彼を見ない日はない人気マルチタレント。
「ようやく会えたなイヌピー」
モニターでは爽やかな笑顔を浮かべているはずの元幼馴染が壮絶な笑みを浮かべていた。
あっ、こいつ反社の記憶あるな……。
オレは冷や汗を流した。
「えっと、ココ……ひさしぶり、だな?」
あとすざりするも、無情にドアが閉じる。千堂てめぇ、オレを置いて逃げやがったな。
「とりあえず、連絡先の交換しようか、イヌピー。ついでにいま住んでいる場所を教えてくれるかな」
「ココ、ええと、その……会場には赤音もいるぞ」
「は?」
どうやら失言だった。ヤバイ。判断を間違えた。ココの目が笑っていない。「拷問けってーい」の顔だ。無表情のままココが近づいてくる。オレにはあとがない。ココの手が伸びてくる。髪をかきあげた。なにかと思えば、傷痕を確かめているのだろう。いまのオレには火傷跡はない。伏せた睫毛に吐息がかかる。くちづけられたのだ。いたたまれなくなって、くちびるを噛むと、そちらにも重ねられる。
「イヌピー」
「……はい」
思わず敬語を使ってしまったが、ココは揶揄することなく告げた。
「これからはずっといっしょだから」
強烈な告白にオレは息を飲む。
人気タレントの顔を削げ落とした幼馴染に、降参の意を込めて真実を告げた。
「ココ、ずっと会いたかった」
「馬鹿野郎! オレもだよ!」
叫び声と共にされた強烈な抱擁に背が痛む。それでも離してくれとは思わなかった。やけくそなノックの連打と「ココくん、出番なのでほんとたのみます」という泣きそうな千堂の声が聞こえてくるまでは。