魔王に恋した勇者さん 最近、類の様子がおかしい気がする。
オレの勘違いなら、勿論それが一番である。がしかし、間違いなく距離が近くなるときがあるのだ。エチュードの練習を取り入れたとき、類は勇者の役に入り込みすぎているのか、非常に距離が近くなる。類は上手く役がつかめないなどと言っていたが、もう十分なのではなかろうかと思っていた。そんなとき、類が次のステップに進もうと、エチュードの時間を伸ばすことを提案してきた。オレは既に十分だと思っていたが、類はそうではないらしい。しかしよくよく考えてみれば、“十分„だと勝手にゴールを設けて成長を制限するのもおかしいだろうと、オレはそう思い直した。だから、内心で類の向上心にひどく感心していたのだ。
——だと、いうのに!
「ん、んんっ」
類が勇者を演じたまま、キスをしてきたのだ、魔王として、振る舞っていたオレに対して。
「な、なッ、……〜〜〜っ!!」
どんなシチュエーションであろうと、オレは魔王を演じきるつもりでいた、だがこの状況は流石に予想外だ。オレのキャパシティはとうに超えていた。役を忘れて、オレは類を突き飛ばして、その場から逃げた。
大切な役者、そして演出家を突き飛ばすなんて、役者失格、座長失格であると我ながら思うが、どうか許してほしい。だって、アレが初めてなんて認めなくなかったから。
「っ類のばか……」
ばたんと勢いなんて気にせず扉を閉めて、唇を手で抑えて、廊下だというのに全速力で走った。あの唇に触れた熱を忘れられない。それどころかあの感覚が残っていた。いつまでも熱がひかない。錯覚だとわかっているのに、まだ。
「………っ、う〜……!」
適当に人の居ない空き教室に入って、その場でしゃがみ込む。呆然としていたから、きっと類は来ないはずだ。
「そういえば……」
どうして呆然としていたのだろう、あいつからしてきたくせに。多分、思わずしてしまった、みたいな感じだろうか。思い返せば、やたらと魔王役をしていたときに類から褒められた気がする。
「もしや、魔王のオレが好きなのか……? いや、それってオレっていうのか……? うーむ……」
もしそうならば、更に納得がいかなくなってしまう。オレのことが好きじゃないのに、理不尽にファーストキスを奪われたことになってしまうからだ。
「類には、白黒つけてもらわなければならんな」
オレと魔王のどちらを選ぶのか。オレはそれを確かめるべく、類の靴箱にノートの切れ端で作った手紙を入れた。
『明日の放課後、昼休みのことで少し話したい。司より』
ラブレターを書いているような気持ちになって、少しだけ字がぎこちなくなってしまったが、読めないほどではないだろう。手紙なんて古典的だ、そう思われて結構、トーク画面に履歴が残るよりは幾分かマシである。
「さて、明日が勝負だな」
放課後のショー練習のことをすっかり忘れて、そのときのオレは暢気に明日のことを考えていた。
思い出したときは、我ながら本当にばかだと思った。
「あ、司やっと来た。遅い……って、どうしたの? なんか気まずそうだけど」
ふたりとも。
類と待っていた寧々にそう付け足されて、後から察したように、じとりと厄介者を見るような視線を送られた。
「ねえ、あんた達なんかあったわけ? 毎度のことだけど厄介ごとにわたしを巻き込まないで」
「「いや、別に……」」
「そこでハモられたら余計に信じられないんだけど? もし練習に支障をきたしたら、正座してもらうから」
寧々からの助言もとい忠告を受けたオレ達は、気まずいながらに練習に奮闘した。昼休みの練習の甲斐あってか、練習は順調。まあ、それによって類と気まずくなってしまったのだが、そこは気にしないことにしておく。
「司くん」
帰り際、類から話しかけられた。類の口からオレの名前が出たとき、自分の心臓の音が途端に煩くなる。はやる心を抑えて、オレは振り返った。
「今日、寧々はえむくんは一緒に帰るそうだから、一緒に帰らないかい?」
おそらく寧々が気を遣ってくれたのだ。気を遣ったというか、早くなんとかしろということなのかもしれないが。類も、その意図を汲み取ってオレに話しかけたのだろう。
「……わかっ、た」
多少予定が早まっただけだ。むしろすぐに悩みが解決して問題ないはず、なのに、オレは少し返事を躊躇った。
「ありがとう」
そうして、オレ達は並んで歩き始めた。しばらく沈黙が続いたが、意を決したように類が口を開く。
「……あのね、あの日、突然キスをしてしまって本当に悪かったと思ってる」
「ああ……」
自分でもよくわからないが、声が震えた。
「実は、魔王役を演じている司くんを見たとき、その……大変お恥ずかしながら、一目惚れをしてしまってね」
「そう、なのか」
それは、オレに? それとも魔王に対して?
「うん、司くんの演じる魔王様はね、とっても綺麗で格好良くて、なんていうか、艶やかで。……フフ、面と向かってそれを言うのは、ちょっと照れくさいな」
答えはわからないままだ。気になるなら自分から聞けばいいのに、それができない。
「それでね、キスをしたときに思ったんだ、僕は……」
「ッ……すまん」
聞きたくない。
明確に、そう思った。
「えっ?」
「ちょっと……具合が悪くて、聞けそうもない」
「大丈夫!? 言われてみれば顔色が真っ青だ……! 気が付かなくてごめんよ。少しあそこのベンチで休んでいった方が、」
「いや、大丈夫だ。すまないが先に帰らせてもらう。話の続きは明日な!」
「ちょっ、無理してないかい、待って、司くん……!」
そうやって、オレは今日2回目の逃亡をしてしまった。
自分でもどうして逃げてしまったのか、わからなかった。