赤色欠けた side Ronald 初めは食欲だと思っていた。
悔しいことに俺のなかで食事と言えばあのすぐ死ぬクソ雑魚吸血鬼の手で作られるものだとインプットされてしまっていたので、アイツを見る度に溢れる唾液も、それを飲み込もうと上下する喉の動きも、家の中でぐらいしか見られない手袋を外したほっそりとした指先から目が離せないのも、台所に立つ前にエプロンの紐を結ぼうとするその小さな肩が上下する様子も、自分は食べもしないのに俺が食べるのを目の前で満足そうに笑う顔がもっと見たかったのも、アイツの料理がどれもこれも美味いから!アイツの料理が全部俺好みの味付けで、食べたい分だけ出てくるのが悪いのだと、そう自分に言い聞かせていても、ふとした瞬間にあの細い腕や、ヒールを脱いだらその分低くなる身長が、どうしても俺の意識に入り込む。
最初はいくら退治しに行った吸血鬼だからって女であるドラ公と男である俺が二人で暮らすなんて駄目だと思った。でも、アイツは吸血鬼だから棺桶で寝るし朝には顔を合わさない。俺が吸血鬼御用達の完全遮光カーテンを買った後も陽が昇る時間にアイツと顔を合わせるのは片手で済んでしまう回数だけ。牛乳ばっかり飲むと思えば冷蔵庫に血液パックが入っていたり、どれだけ手間を掛けた料理でもアイツは味見だって自分の口に入れないのだ。
どうしたって違う生き物だ。吸血鬼と人間の恋が不毛だなんて時代錯誤なことは言うつもりはないけれど、アイツが大事にされて育ったお嬢様なんだなって感心するような出来事の後に俺がシンクにぶちまけてしまった米の数を的確に指摘してはその数を正確に把握していた。
『この国ではお米一粒に神様が七人いるんだっけ?982粒のお米を無駄にした罰当たルド君は6874人の神様をスナァ……』
暗算とかそういうものではなく、吸血鬼としての習性。執着したものが弱点と成りうるから数の把握をしなくてはいけないという種としての防衛本能。
弱点だらけの生き物のくせに、人間を食料として見ていて旨い飯を食わせるのも家畜の世話のようなものなのだ。どう考えても上位の種族。アイツの爺さんや親父さんは日光だって平気で親戚連中も人間に友好的でも、そうなるまでの過程はあったはずだ。退治人になるまでにヘルシングの生きた時代で子供の吸血鬼が酷く残酷な方法で殺されたのだと知ってから、銀の弾丸を必ず心臓に打ち込んで苦しむ間もなく殺してやろうと誓ったのだから。
それでも、ドラ公の生きた時代、アイツは多分拷問染みた真似をされる前に死んだだろうし、聖油をかけられて火あぶりにされても聖油が嫌で塵になって火あぶりだって熱さを感じる事もなかっただろう。そもそもあの過保護な両親や親戚連中が一族で一番若いドラルクをそんな目に合わせるわけもないのだけれど。
ああ、そうだ。弱点だらけですぐ死んで生き返れるから、愛されて生きてきたから危機感なんて育つ訳がなかった。そうじゃなきゃ、日光に当たって偶然助かったからって自分を退治しに来た退治人、しかも男の家にやって来る訳がないのだ。
――世間知らず、箱入り、深窓のロリババア。
売り言葉に買い言葉でゴリラとか5歳児とか言われた後に言ったクソ砂とかクソ雑魚以外の悪口だったけれど、全部無理やり悪口にしていた。
危機感の足りない女吸血鬼は俺に料理を作って何度も殺されて、それでもおかえりとも言ってくれて、俺の為の食料の買い出しを一緒に行ってくれる。危機感が足りないだけじゃない。異性として見られていないとかじゃない。対象外なのだと気付いた時には、俺はすっかりドラ公に心底惚れていて、骨抜きだった。
認めたくない認められないとかの話じゃない。ダンピールである半田のお母さんは50代の若者と言える吸血鬼で、半田の親父さんも多分同じような年の頃に出会ったのだろう程度は察せている。だから、ドラ公の生きた十分の一ほどしか生きていない俺はジョンも交えてにっぴきで家族になるしか選択肢が存在しないのだ。
今の生活のままでもいい。今のままじゃイヤだ。赤く塗られたちいさな爪に触りたい。鎖骨が見えるような無防備なネグリジェを着てみせるのは俺の前だけにしてほしい。にっぴきの生活のなかでも、俺のために何か、趣味の家事以外でしてほしい。失敗しても良いし、イタズラだっていちゃいちゃ系の可愛い恋人にかまってかまってとロナ戦の執筆を邪魔されたい。
好きだ。
好きなんだドラ公。
お前が欲しいんだ。
俺はもうお前がいなきゃ生活だってしていけないのに、お前ともっと近くなって、お前の恋人として生きていきたい。血族になるかとかはまだ考えられないけれど、俺が死んだ後新しい恋人とか作って欲しくない。せめて出来れば100年は引きずってて欲しいけど、未亡人としてまたジョンと城でふたりぼっちになるんだって考えたら、他の人と幸せになって欲しいって思ってしまう。お前を永遠に苦しめ続けたい訳じゃないからな。
ただ、俺との一日を大事にしてくれて、結婚だってしてくれるなら教会なんかで上げないで、夜にどっかのホテルにでも泊まって人前式でもして、いつかダンピールの子供を抱いたアイツが見れたら、俺も吸血鬼にしてもらえるだろうか。
――ドラ公は二百年という時間を生きた俺の吸血鬼。
――俺は二十年という時間しか生きていないアイツの人間。
恋人になりたいんだ。好きなんだドラ公。ジョンがいない代わりに俺の髪を乾かしてくれるネグリジェ姿の愛しい高等吸血鬼。
隣に座ってクソ映画を一緒に見ようと誘うその細い体は俺に寄り掛かっているようにも見えて、良くてクッション扱いなんだろうとか考えるのはどうしても苦しくて、クソ映画より気になるその小さな爪の異変が俺は気になってしまった。
「お前、爪のやつ欠けてんぞ」
「ん?ああ、ゴリラにしては目ざと……スナァ」
「うっせ」
勢い任せに殴ってしまったけれど、その度に怪我をしていないこと、痛みを感じていないことに心底安堵していた。吸血鬼で良かったとかじゃない。女に怪我をさせなくてでもなく、コイツが一回死んでもそのまま俺と話そうとしてくれている。殴られそうになった驚きは死へと転じるのに恐怖に転じることはないのだと気付いてしまえばたまらなかったのだ。
「料理中は落とすけど、除光液は肌に付くとダメージにはなるんだよ。だからそのまま剥がせるものを使ってるからどうしても強度がね」
青白い手は、指先は俺のものより明らかに細くて小さい。その爪に塗られた赤い色が少し剥げているのを見せてくる。
――好きだ。
――お前が、好きで好きでたまらない。
とすん、と無言のままにどうにか殺さないようにソファーベッドに押し倒した。心臓が破裂しそうなほどに脈打って、吸血鬼であるドラ公ならもしかしたら聞こえるんじゃないかってほどに俺は興奮していた。
押し倒されたせいで、少しだけ捲れ上がったネグリジェから俺の手首ぐらいの太さの膝に触れて、足をゆっくりと撫で上げた。
心臓が破けてしまう。嫌われるだろうか。それとも何とも思われないのだろうか。欠けた赤色に発情した獣だって笑われるのだろうか……?
それでもいい。大型犬とか家畜にじゃれられていると思われていないならそれでいいんだ。
「ずいぶんと、溜まってたんだね、ロナルド君」
「……まあ、そうだな」
興味深々というか、初めて生き物の交尾を見たようなそんな目を向けてきている。心が折れそうになったけれど、それでもそれが性に関することだからか、ぬいぐるみとか飼育中の大型犬が盛ってしまったのだと驚いた表情を浮かべてきた。二百年生きてるくせに妙に幼いこの表情が、俺を狂わせる一因だった。
なあ、伝わっている、伝わっているよな?俺がお前に欲情しているのだと、伝わっているのだ!!
嫌悪も拒絶ない事実に歓喜しようとも、理性が押し込めてしまう。
ゆっくりだ。息を、ゆっくりと吐け。今のままじゃ飢えた獣のままだ。コイツを、ドラルクを殺したい訳じゃないのだから。
「いいよ。でもやさしくね。手荒くされたら私、死んでしまうよ。――死んだら何も出来ないんだから」
死んですぐさま生き返る奴が何を言っているんだか。けれど許したのはお前だ。俺がお前に熱をぶつけることを許したのはお前なんだ。童貞だと常日頃から俺をからかう吸血鬼はどうしようもないぐらい無防備に俺に笑いかけていた。