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    sumitikan

    @sumitikan

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    sumitikan

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    さねひめ、全年齢。モブあり、手も握りません。軽く戦って鬼の首が飛びます。

    #鬼滅の刃
    DemonSlayer
    #さねひめ
    goddessOfSpring

    懐炉東京市の話だった。夜中に獅子舞が人を追いかけてきて、一口に頭から飲んでしまう。げっぷをして襲った人の衣類や履物を口から吐き出し、とことこ暗い板塀の角を曲がって去ってしまう。人の証言を繋ぎ合わせてそんな妖怪じみた鬼の話が持ち上がった。残された着物や履物を見て、周りの人は神隠しだという。人さらいが出るという。

    この獅子舞は鬼殺隊士を襲わない。日輪刀を殊の外嫌い、制服を見ると退散して別の区に潜む。真夜中の鬼ごっこに人手を掛けられる訳もなく、判明してから一年後に実弥が加わり、三日経っても成果が出ない。

    鬼殺隊士を見て逃げるから、殺の羽織も隊服も脱いだ。袷に羽織、刀もいつかの仕込み傘に替え、夜中をぶらりと一人で歩く。本所深川日本橋京橋浅草、獅子舞が出るのはその辺りに限られて、その夜は本所に足を運んだ。本所七不思議を思い出しながら、空から頻りに雪が落ちてきたので番傘を開いた。人通りはなかった。

    実弥は昼は寝てるし大抵は田舎に出張しているから季節柄にはやや疎い。年が変わったのを人の家の門松で知った。のんびり歩きながら、一町ほど離れた辺りに隠が二人ついて来ている筈だった。

    先の三日は京橋を歩き、母と弟たちといた古い長屋の軒先は取り壊されて新しい店先に門松が立っていた。胸中に茫漠と風が吹き荒ぶ、母を殺した自分がいつか鬼殺で命を使うのが身命を捧げる懺悔だった。

    玄弥が年越しの餅を食べているか心配だった。温かい炬燵に入って饂飩でも啜っていて欲しかった。年始の挨拶に行った先で蜜柑を貰い、玄弥と等分に分けた思い出。

    火の用心と行き会って通り過ぎる。一人だと攫われる噂があるからか、二人組で急ぎ足だった。実弥はゆったりと足を運んでいた。この鬼は臆病で、目星をつける相手は一人歩き。男も女も老いも若いも一口で呑む。

    傘を持たない方の手を懐手に鬼待ち、冬の夜は更けた。思い出されるのは弟の顔ばかりで、雪が降るほど冷え込む夜には誰かと一緒にいて欲しいと願った。

    この夜は結局出ずに、朝日を浴びて隠たちと話し合う。

    「場所を変えますか?」
    「いや。もう何日か張ってみるゥ」
    「私は他の区に出なかったか調べます」
    「いらねェ。鬼の狙いが食詰者なら噂も出ねェ。まずは本所を歩いてみてから考えるゥ」
    「はっ」

    隠は散って、実弥は歩いた。朝日が昇ると人々が家の外に出はじめる。大通りを通りかかると市電が走って行くのを横目に、人混みの中を歩きながら欠伸が出た。

    人力車の車夫がたむろしているのに声を掛けて一台に乗った。実弥の父は車夫で稼いだ金をそのまま博奕に注ぎ込んで、家に帰っては妻子を撲ったのを思い出すのが嫌で、東京市中はあまり好きではなかった。

    鬼殺隊から支給された風屋敷は大きな庭と道場がついている。継子を何人も鍛えるための間取りが江戸から続いている佇まいで、手入れに人手が必要だった。要はこの邸宅には常に隠がいることを、柱となってからここに住む時に了解したものと見做されていた。
    実弥の世話は家の手入れのついでという形で産屋敷家に世話を焼かれる。岩屋敷に半年ばかり暮らしている間のことは隠たちで回していた。

    家に着いてから、指図もしていないのに玄関先の両脇に門松が出ているのに気が付いた。車夫に二円支払って、歩いた方が良かったかとしみったれたことを考えながら玄関に入った。

    「お帰りなさいませ。食事とお風呂できてます」
    「おう」

    実弥は先に風呂に入った。夜中歩いて冷え切っていたから、湯の温かさが格別だった。それから朝食の膳についた。隠がお櫃の側に控えていた。

    「……何だこれェ?」
    「たまねぎの入った炒めものです。コレラ避けになるからと、年末の掛け取りに来た八百屋が置いて行きまして」

    卵とたまねぎとほうれん草の塩味の炒め物は、まあまあだった。汁は吸い物に餅が入っている雑煮だった。食事を終えてから寝しなに朝刊を読み、布団に入る。始末に困る雑魚鬼に関わるよりも、下弦の鬼を一匹でも多く始末したかった。

    寝入って暫く、鴉の声が泣き交わしているのを転寝に聞いた。薄く襖が開く気配がして、静かな声が話しかけてきた。

    「風柱様。岩柱様が一時間後に来ると鎹鴉が」
    「……今何時だァ」
    「午後の二時半です」

    そろそろ起きていい頃だ。布団を畳んで押し入れに仕舞った。家着を着こみ、悲鳴嶼が何の用か見当がつかなかった。弱くて逃げるだけの雑魚鬼相手に共同任務でもあるまい。

    寝室を出て居間に入ると、鍋で熾きた炭を足す所だった。鉄瓶の中はまだ水だろうが茶が飲みたい。

    「おいィ」
    「はい、お茶ですね。少々お待ちを」

    入った茶を飲みながら、お供にかりんとうが出た。新聞をもう一度眺めつつ悲鳴嶼の用を思った。紅葉頃に情を共にして以来だった。

    「絶佳はァ?」
    「岩柱様の元に戻りました」
    「人と鴉に菓子はあったかァ?」
    「ございます」
    「俺と爽籟にも頼むゥ」
    「はい」

    隠が日々の用を足すから鬼殺に集中できていい。時には月に一度しか戻れないが、いつ戻ってもいい状態が維持されているのは、流石は産屋敷家だった。
    悲鳴嶼の用向きが思いつかないまま、短い冬の日が傾いた。

    「ごめん。不死川はいるか」
    「はい。どうぞ、岩柱様。こちらです」

    隠に案内されて来た悲鳴嶼は、隊服ではなかった。普段と違う上物の羽織を着て別人だった。冬の匂いを纏いつかせ、寒気と共に居間に来た。隠が朱塗りの角樽を持っていた。

    「忙しい所を済まん。年始の挨拶だ」
    「こいつはどうもォ……ウチは何も準備してなくてェ」
    「私はたまたま仕事の手が空いて、お館様の所に挨拶に行った帰りだ。この角樽は、お館様からお前にと……」
    「座ってください。こちらにどうぞォ」

    実弥は座布団を出し、悲鳴嶼の手を引いた。寒中を来たのに温かい掌だった。従順に導かれるまま、座布団の上に鎮座する。火鉢の傍に、にこにこしている地蔵様。

    何かいいことがあった顔をしているが、聞いたところで他愛ない返事しか返って来ない。猫が可愛い、藤や菊が香るだけでも涙して、感じやすい乙女よりも一層感じて。

    「鴉はァ?」
    「この家の庭に。爽籟とは気が合うらしい」

    隠が茶を淹れて悲鳴嶼の前に、置いた場所を手を引いて教えた。何時もの事のように鷹揚に湯呑を取って、膝を温める。

    「このところ変わりないか」
    「ええ。つまんねえ鬼を追っかけてますよォ」
    「どんな鬼だ」
    「獅子舞」
    「聞いたことはあるが……どういうものだ?」
    「獅子舞は、祭りや正月の目出度い日に、獅子の頭を彫りこんで塗った被り物をして、布で体を隠して人前で舞うんですゥ。町内の大きな家が獅子舞を呼んで、町内の子供がみんな集まって見て正月を祝う。そんな格好の鬼なんですがァ、こいつがまた臆病者でェ。夜を流してるんですがァ、引っ掛かりませんねェ」
    「ふむ」
    「もう面倒だから、稀血使うかなァと思ってェ」
    「他の鬼も寄って来る」
    「全部斬りゃァいい。どうせ斬るんだ。鬼は全部俺が斬るゥ」

    悲鳴嶼の優しい微笑が実弥を見ていた。茶を飲んで、ほっと息を吐く。お茶請けにおはぎが出された。実弥が前に自分で作った残りだった。
    竹の爪楊枝で切って口に運んで、のんびり食べているのを眺める。実弥は自分でおはぎを作ることを誰にも言ったことがない。

    「……おいしい」

    悲鳴嶼の笑みが深くなるのを見て、胸の中が満たされた。

    「店か?隠か?」
    「秘密ですゥ」
    「また食べたいな」
    「いいですよォ」
    「期待するが、いいのか?」
    「もちろん」

    悲鳴嶼が嬉しそうに笑んでいる。糯米と良い小豆を買っておくよう隠に言おうと思いながら、年始の挨拶などこの数年したことがない。

    「育手に挨拶すべきでしょうかァ」
    「私はしている」
    「じゃぁ何か、荒巻鮭でも送っておくかァ」
    「手紙を書けばどうだ」
    「はァ」
    「葉書でいい。文面は、句は短い手紙だ。発句集でも眺めて作って」
    「ですが俺は字を書けませんのでェ」

    今まで誰にも言わずに秘密にしていたことを打ち明けてみる。悲鳴嶼はいつもと変わらない優しいまま話を聞いて、少し考えているようだった。

    「隠は一人か」
    「はい」
    「いつも同じか?」
    「はい。偶に増えたり減ったりしますがァ、この家のことはあいつですねェ」
    「彼の手を借りればどうだろう」
    「……」
    「私はこの通り読むのも書くのもできないから、いつも人に助けて貰う。一般隊士の頃は、他の隊士に代筆を頼んだものだったが」

    その言葉が終わると、居間の中が静かになった。火鉢の鉄瓶に湯が湧く音がしていた。書けないことを悲鳴嶼には言えた、けれど隠に話すのとは訳が違った。もし侮られたら柱としての沽券に関わる。あの隠の口から一般隊士に知られ、書けないことで侮られては、隊内の序列が乱れる元になるのではないか。

    「……新巻鮭にしときますゥ」
    「こんぶも目出度い品だというが」


    「岩柱様は食べて行かれますか?」
    「いや、遠慮しよう。お茶のおかわりをくれるかな」
    「はい」

    実弥に膳が出た。糠漬けと鶏肉の味噌漬け、三升漬けを乗せた豆腐、塩若芽を戻した味噌汁。じっとしている悲鳴嶼をおかずにして、滅多に言わない「頂きます」と挨拶が出る。食べる時に誰かといるのが楽しいことを思い出していた。

    実弥が食べているのを見物し、悲鳴嶼は特に何を言うでもなかった。相変わらずのどかな石仏の優しさに似ていて、実弥がどんなに尖ろうが優しい態度に包まれる気がした。

    「私も明日から仕事に戻るが……お館様のところに年始の挨拶に行かないのか?鎹鴉で行くと言えば、喜んで待っていてくれる」
    「そうなんですかァ?でも朔日は逃したしなァ」
    「気にするな。柱の誰しもが朔日までに必ず仕事を終える訳ではないし、松の内であれば構わない。お館様の顔を見て来ればいい」
    「悲鳴嶼さん、今度挨拶に行く時は俺も誘ってくださいよォ。出張がなけりゃァだけど」
    「ああ」

    二度ほどおかわりをして膳のものを食べ尽くす。

    「……今夜の手筈は?」
    「隠が迎えに来るんです。市中の鬼は俺は久しぶりですねェ。地元がそこらなもんですからァ」
    「ほう。私は市中のことはよく知らないな」

    お櫃と膳のものを隠が下げる。実弥は茶に手を付けなかった。

    「降るかなァ」
    「冷えるだろうな。懐炉は」
    「いえ、持ってませんがァ」
    「これをやろう」

    悲鳴嶼は懐から巾着に包んだものを取り出して、前に突き出した。実弥はそれを受け取った、温かい。

    「夜明け前に灰が尽きてしまうかも知れないが……桐灰は、炭売りに聞けば大体分かる」
    「でも、悲鳴嶼さんはいいんですかァ?」
    「これがいる」

    と言って、悲鳴嶼はまた懐に手を入れて、引き出した。そこに黒い子猫が収まっていた。大人しくて丸く、震えてはいないようだが、急に外に出されたことで驚いているようだった。悲鳴嶼は元のように子猫を懐に仕舞った。仕舞われてから、みいと細い泣き声がした。

    「冷えて弱って泣いていたのを見つけたのだ。家に帰ったらふやかした煮干しでもやろうかと……」

    外から隠がやってきて、悲鳴嶼とは家の前で別れた。背後に隠を張りつかせて曇り空を眺めながら、挨拶回りを終えて家に帰る人の足が急いでいるのと逆方向に歩みを進める。盛装の足元をばたつかせる風が、昨夜の雪の湿り気など何処へやら、乾いた土煙を上げた。

    三が日の夜に外にいるのは食詰者の中でも変わり種、鬼の餌になるしかない。実弥はのんびりした足取りで市中に出た。通りは街灯で明るくて人っ子一人居ない中、残飯を探す野良犬が尻尾を垂れて行くのを横目に、暗い道筋を選んで歩く。

    市中にいると、どうしても弟を思いながら歩いてしまう。玄弥はまだ東京にいるのだろうか。弟を置き去りに実弥はすぐ市中を出た。鬼の噂を追ってのことで、頭の中はそれで一杯だった。鬼の殺り方は母の死が教えてくれた。その母と生き残った玄弥に向けての懺悔の鬼殺は、口が裂けても誰にも言えない。

    鬼殺隊に入ってからは、鬼の殺り方は昔より楽になったが、探し方は相変わらず面倒で、向かって来る相手の方が楽だった。問題なのは今回のように逃げ出す鬼だ。それも、玄弥がいる東京の街角に出没するとは。小さな弟が頭から獅子舞に飲まれてしまう姿が脳裏に浮かび、冗談では済まなかった。

    月明かりの中、入り組んだ小路をうろつく。火の用心も今夜は出歩かないようだった。巡査によるパトロールもない。正月の夜、鬼は飢える。

    また実弥は道筋を曲がって取って返し、大通りに向けて歩いた。大通りを横切るのは人目につく。のんびり横断しながら玄弥を思い、用意の切り出しで腕を傷つけた。狙いの鬼が掛かればいいが。

    血が生温く腕を這い指先から地面に滴る。一滴一滴が鬼を呼ぶ撒き餌となる。土に染み入った稀血の匂いを辿って行けば実弥に行き着く。今夜中には仕留めたかった。

    実弥は小路を抜け出してまた大通りを目指して歩いた。大通りを横切る姿は人目につきやすい。そのまま小路に入って行く。そう狭い道筋ではない辺りで、ひたひたと足音が迫ってくるのが聞こえた。ちらりと背後を見る。

    大きな獅子舞が、瓦斯灯の光を背負って追って来る所だった。引くか追うかを一瞬迷い、引くことにした。一般人のふりをして速足で逃げる。すると裸足の足音が追い縋って来た。しめたァ。

    逃げるふりをすると急ぎ足に迫って来る。嗤いが浮いた。引き付けたら一刀両断、型を使うまでもない。迫って来る足音をぐるりと振り向いた。

    そこに居たのは悲鳴嶼だった。

    「実弥」

    涙を浮かべ、微笑んで手を伸ばす。先ほど別れた格好で、上物の羽織が良く似合っていた。懐に子猫を入れて、角樽を土産に年始の挨拶に来た。もう山奥の家に帰った。

    この悲鳴嶼は血鬼術で見ている幻影だ。実弥は仕込み傘の柄を握り一気に鞘走らせて振りかぶった。悲鳴嶼の足元に踏み込みざま一息に振り下ろした。簡単に首が落ち、どんと音を立てて土の上に転がった。倒れた体も転がった首も、悲鳴嶼のままだった。

    今夜は済んだ。路上の首は、既に少しずつ朽ち果てながら散っていく。抱いた相手の首を落としたのはこれが初めてだった。

    朽ちていく悲鳴嶼は口元に微笑を浮かべていた。これが血鬼術だと分かっていても、いやな気持になる光景だった。

    「おう、いいぞォ」
    「はっ」

    隠たちが走って表れて、崩れていく鬼を見つめていた。

    「見ての通りだァ」
    「通行人を斬ったように見えましたが、崩れて行きますね……」
    「血鬼術についての報告は頼むぜェ」
    「はっ」
    「爽籟!」

    声を掛けると鴉声を上げて下りてくる羽ばたきが、肩に止まった。

    「次はねェのか?」
    「ウン カエッテイイゾ サネミ」
    「おう」

    悲鳴嶼の首を切った手ごたえは手の内に容易いものだった。里の鉄人の腕の良さ、実弥の首を斬る腕と、その両方が理由だろう。風に土埃が舞う。鬼の体も風に舞い散った。

    「では、私たちはこれで……」

    隠たちが会釈して戻って行く。彼らの背も見ず帰路についた。鬼殺隊に入ってから、まともな正月の夜を迎えた試しはない。夏も冬も鬼を追っていた。今年はどうやら家で正月を迎えられるようだった。

    爽籟を肩に止まらせ、番傘を持って、これで玄弥のいる東京の夜を守れただろうかと、空から雪がはらはらと降りて来て、その雪と共に冷えてきた気がする。貰った懐炉が温かかった。

    家に戻る頃には深更だった。電気をつける。実弥の気配に寝ていた隠が起き出して、寝ぼけ声で「風柱様」と言う。

    「寝てろォ。俺も寝るだけだからァ」
    「はい。では失礼しまして……」

    実弥は寝室に布団を敷いた。着替える時に悲鳴嶼から貰った懐炉を、何となく布団の間に入れていた。

    台所に行き、寝酒に角樽から湯呑に注いだ。正月の祝い酒を一息に飲み干す。酒は久々で、流石は産屋敷家の祝い酒だという味だった。飲み干し、実弥は暫く台所で蹲った。

    玄弥について、考えても仕方ないことがぽろぽろと胸の中に浮かんでは消えていく。鬼殺隊に入っている以上、実弥は普通の人の暮らしを諦めていたし、兄弟の付き合いも当然のように断ち切る気でいた。自分は鬼殺で夜中に一生を終えるかわりに、玄弥には昼の光の中、まっとうな道を歩いていて欲しかった。

    玄弥の居場所を調べようか。でも調べたら、顔を見に行ってしまうかも知れない。弟の暮らしを見て、つい顔が出たら。手が出たら。

    実弥は角樽からもう一杯次いで、また一息に飲み込んだ。腹の中に塊のように酒が流れ込んできた。実弥が考えても仕方がなかった、手放した弟は、一人で世間の歩き方を覚えて、まっとうにやっていて欲しい。

    実弥は台所から寝室に、布団の中に入った。冷たい布団の一か所だけ懐炉で暖かくなっていて、少し悲鳴嶼のことを思った。子猫を拾ったあの人は、子猫を抱いて寝るのだろうか。


    夜明けに実弥が伝言を託した爽籟は、昼前に戻って来た。鴉声に庭に向かう障子を明け放すと、止まり木に定めている枝に止まった爽籟が、伝言を大声で言った。

    「サネミ 今日 オヤカタサマガ 待ッテルゾ!挨拶!挨拶!」

    爽籟の知らせを聞いて、実弥は着物と足袋をいいものに替え、新しい雪駄を下ろした。松の内のうちに挨拶に行ける。けれどこれは柱合会議という訳ではないし、実弥は少し考え込んだ。

    「おいィ」
    「はい」
    「お館様の所は何人兄弟だァ?」
    「五人ですが」

    と言って、隠が適当な大きさの籠に入った蜜柑を見せてくれた。実弥が年賀の挨拶に産屋敷家に行くのを、最初から分かっていたようだった。
    実弥が産屋敷家へ行く報せはすぐ回り、小一時間ほどで玄関に隠の案内の訪問があった。

    「風柱様。お迎えでございます」

    隠に先導させて道を行く。街角を行く挨拶回りの盛装の人々に混ざり、子供たちが訪問先からから貰った蜜柑で袂を膨らませ、その数を誇っていた。中には挨拶回りを終わらせて道端で遊ぶ者もいて、賑やかだった。

    産屋敷家へ行く道筋はいつも違い、案内の隠も長くて数町で交代する。産屋敷家を守るのは鬼殺隊士ではなく隠と、屋敷までの道のりの迂遠さと言っていい。この現状を変えるべきではと思いつつ、歩くに連れて景色は郊外に変わった。冬晴れの青空を爽籟がずっとついてきていた。

    やがて樹木の多い原野の中に続く道を歩いていると、目の前に突然大きな屋敷があらわれる。まるで物語に聞く迷い家に出会ったかのような、それが産屋敷家だった。江戸の頃から変わらない佇まいだという。

    開かれた門に入る。東京市の中か外かすら分からない隠れ屋敷の中から一歩も出ずに、国政に隠然とした影響力を有する産屋敷家の主が住まう。その主は国の陰に鬼退治を生涯の生業とする。世が世なら実弥は彼の家臣だった。今の世で言う雇用関係を結んでいると言えるのかどうか、藤襲山で七日間を過ごして晴れて鬼殺隊士となってから今まで、一枚の契約書も交わしたことはなかった。

    耀夜が隊士を呼ぶ声を思い出す。鬼殺隊士を子供たちと呼んだ。親子の間に契約書は必要ない。隊士との間柄を親子のように考えている証左のように、隊士の名を全て覚えていた男。隊士を名で呼ぶ柔らかい声音が実弥の、我から固く閉ざした心に染み通って解きほぐし、それが恭敬の思いとなった。耀哉と初めて会ったあの日から、彼の前に出るときは気恥ずかしいような慕わしさを覚えてならない。

    いつの間にか隠が変わっていた。柱合会議の時と違って、庭先ではなく玄関先から中に通される。磨き抜かれて光る廊下を控室に案内された。この日は三方に乗った酒と菓子が出た。酒は辛口、菓子は花びら餅だった。

    暫くしてから、小さな女の子がやってきた。彼女は実弥の前に来て正座して、手をついてぺこりとお辞儀をした。

    「あけましておめでとうございます」
    「はい。あけまして、おめでとうございます」
    「旧年中は風柱様のお世話になりました。今年もよろしくお願い致します様、産屋敷家一同からの挨拶でございます」
    「いえ。私もお館様には何かとご厄介になっております。今後も何卒よろしくお願い申し上げます」

    その子は自己紹介はせず、ならば前に自己紹介のあったひなきだろうか。人形のような笑みを浮かべたままだった。

    「これをどうぞ」
    「……これは」
    「何もありませんが。お年玉です」
    「これはこれは、ありがとうございます。風柱様」

    人形のような笑みの中から、にこりと本当の微笑が零れた。

    「こちらにどうぞ」

    上機嫌で実弥を案内する。実弥は軽く持ってきた蜜柑の籠だが、子供の手には重そうだった。その蜜柑の重さが幼い頃は嬉しかったのを覚えている。悲鳴嶼も蜜柑をやったのだろうか、そこは聞かなかった。

    盛装の子供が襖の前に膝をついて、声を掛ける。するとあの優しい声で返事があって、襖が開く。座敷の上座に耀哉が座っていた。実弥は中に入る前と後に礼をした。

    「やあ。久しぶり、元気だったかな、実弥」
    「お館様におかれましては、ご壮健で何よりです。年始の挨拶が遅れましたことを、先ずはお詫びいたします」
    「まだ松の内じゃないか、実弥が元気な顔を見せてくれることが私は嬉しいんだから」

    実弥は会釈の角度を深くした。彼はごく自然な口調で言った。

    「そんな際では話しにくいから、もっとこちらへ」
    「はい」

    耀夜の前に、顔を見合う。耀哉の普段の表情はいつも微笑を含んでいるようだった。あの時も、ずっとその表情でいた。その視線から母が注いでくるような慈愛を感じていた。

    「あけましておめでとう、実弥」
    「あけましておめでとうございます。先日、岩柱が正月祝いを家まで届けてくれました」
    「聞いてるよ。朔日に来たのは行冥と義勇とカナエ。今日は天元が来たけれど、昼前に帰ってしまった。行冥はあの日、なんだかずっともじもじしていたね。実弥は行冥に何があったか知ってるかい?」
    「……」
    「知っているなら教えて欲しい。あの子は何を気にしていたんだろう?」
    「は、それは……」

    問われて詰まった。悲鳴嶼の懐にいた子猫。あれは、産屋敷家から帰る時に拾ったのではなかった。柱がお館様と挨拶をする時に、懐中に子猫を入れていた。それを耀哉に話していいとは思えない。ここで先達の柱、文字の読み方を世話してくれた恩人を売れるものか。実弥は悲鳴嶼を少し恨んだ。

    「何のことだか、私にはわかりかねます」
    「そうだね。小さくても秘密を持つ方が仲良くなれる」

    何を指して言うのか、耀哉の楽しそうな声が母を思わせる優しさで、気持ちが解けそうになるのを戒める。

    「今日は挨拶にと思い、持参した蜜柑をご令嬢に差し上げました」
    「ありがとう、実弥。気を使ってくれて嬉しいよ。ひなきは今頃、皆と蜜柑を分けている。私達も何か寄せようか」
    「旦那様」

    襖の外から声が掛かり、あまねの声を実弥は初めて聞いた。

    「何だい?」
    「御酒をお持ち致しました」
    「ありがとう。あまね」

    襖が開いて、あまねが廊下で実弥を見て礼をした。

    「風柱様、あけましておめでとうございます」
    「はい。あけましておめでとうございます、あまね様」
    「これからも耀哉のことをよろしくお願い致します」
    「いえ、こちらこそ。私は柱となりましたが若輩の身。及ばずながら、ご助力させて頂きます」
    「本日は正月という事で、ひなきに蜜柑を下さって、ありがとうございました。お心遣いを皆とても喜んでおります」

    挨拶をしてから、膳が運ばれた。実弥と耀哉の前に膳を置き、礼儀として実弥が盃を持って待っていると、あまねが注いだ。同じように耀哉の持つ盃にも注いで、一礼して座敷を去った。見た目だけではなくその所作も美しい女だった。

    「では」
    「はい」

    耀夜が杯を傾けて、実弥も一息に飲んだ。飲み干して耀哉が微笑む。昨日は悲鳴嶼たちと、今日は宇髄と実弥を相手に酒を飲んだ。病体の耀哉はもう疲れているのかも知れない。

    親を思う気持ちなら実弥の中にも余るほどあり、その思いを密かに耀哉に向けている忠誠心がある。耀哉の額の左上から病が醜く蝕む顔貌の他は、ただ白い顔が親し気に実弥を見つめていた。疲労の様子は見られなかった。

    「鬼殺隊にとって、真に目出度い日が来ることを願って」
    「はい。その日が私どもの力で早まるよう、鬼殺隊一同揃って今後も精進し、相励みます」

    耀夜が微笑みを深くした。彼は盃を置き、手酌で注いだ。幼い声の笑うのがどこかから聞こえて来ていた。鹿威しが鳴る。実弥も酒を注いで飲んだ。腹が温まっていた。

    ほろ酔いで差し向かい、腹の底が通じた相手と節度を保ったいい酒だった。悲鳴嶼と共に来なくても、耀哉と差し向かいで飲むのもいいかも知れないが、それだと負担が掛かってしまう。今度の年始は誘い合わせて来ることにしよう、その時まで生き残っていられたら。


    松の内に鬼殺の話が鴉と共に降りてきて、正月に鬼の首を取って目出度い金太郎。お館様を喜ばせる仕業を実弥はこれ一つしか知らない。関東の田舎の山は雪景色を踏みしめて、爽籟の翼に従い次の山に足を向ける。

    隣村との祝い酒の帰りに犠牲になり掛けている者達を二組助けた。どの一行もいい具合の虎に出来上がっていて、山道で何が起きたか分かっていないのも何人かいた。現場の後始末を請け負う隠に後を頼んで、実弥は次の任務に就いた。

    暗い夜空にぽかりと寒月が浮いている。鴉を先導に実弥は一人、雪道を月影に次の鬼殺に急ぎ足に歩いた。踏んでは沈む雪の深さが歩きにくく、脇腹の辺りに懐炉が暖かく遊んでいた。使う桐灰は藤の家でも頼めば出てきた。

    悲鳴嶼の所で字を学びしな、手当たり次第に読んだ本の中に、正月の十五日は神が山に遊ぶから外に出るなという言い伝えを見た。神寂びた土地とは違い、この辺りは神霊が去り鬼が出る。鬼殺隊は鬼の首を取る。鬼が人を食い、人が鬼の首を斬り、その繰り返しの果てを追いかける。鬼が滅ぶか己が死ぬか二つに一つ、日が登るまで。

    朝ぼらけに藤の家に到着し、まず朝飯にした。のんびり田舎の御馳走を食べていると、綺麗な鈴が連なるような響きが玄関から聞こえてきた。重たいものを安置する様子が聞こえる。
    やがて冬の山中の厳しい匂いを纏わせて、悲鳴嶼が入って来た。

    「お疲れ様です」
    「ああ、不死川……」

    悲鳴嶼は微笑んだ。藤の家の者が座布団を出して、すぐ食事にするかを聞いた。頷いて、悲鳴嶼は会えた嬉しさを隠さない態度と表情だった。

    「正月以来だな」
    「知りませんよォ」
    「なんだ、冷たいな。私がお前に何かしたか?」
    「したどころじゃないですよォ!正月のアレ、なんですかァあの子猫ォ!お館様に聞かれて俺がどんな気持ちになったか、ほんと冷汗もんだったァ!」
    「嗚呼、お館様には子猫がいるのがばれていたのか。そうか、それは不死川には済まないことをしてしまったな」
    「勘弁してくださいよォ悲鳴嶼さァん!」
    「南無、済まん」

    合掌して涙を流し、頭を下げる悲鳴嶼を見て、実弥も少し留飲を下げた。

    「ったくゥ……誤魔化したけどォ」
    「お館様はそうそう目くじらを立てるような方ではない。隊士をみんな子供のように思っている」
    「悲鳴嶼さんもォ?」
    「ああ」

    素直に頷いた悲鳴嶼に実弥は少し感心した。そこに藤の家の者が茶を配りに来た。

    「私より四つも若いのに、荘厳な……徳の高さが全く違う。上人と呼ばれるほどの高僧とはかくもあろう」

    数珠を鳴らし、悲鳴嶼は彼なりの最上級の表現で耀哉を褒めた。抹香臭い考えがいつまでも抜けない。暮らしに経や仏が馴染んでいて、それをそのまま鬼殺に利用しているようだった。

    実弥は視線を宙に投げた。脳裏にあるのは半月ほど前の正月に、耀哉と差し向かいで飲んだ時の事だった。あの母に似た眼差しと心に沁み通ってくるような声。

    「俺は、お館様が無事でいてくれればそれで……」
    「そうだな。私もそうだが、皆不死川と同じ気持ちでいる」

    義勇やカナエや宇髄の顔が頭の中に思い浮かぶ。一癖も二癖もある面々を心服させて当然の、それが出来るのがお館様だという気がした。病持ちの耀哉に対し、実弥はまるで母に捧げるような誠実な忠誠心を抱いていた。そのことを誰に話す気もなかった。

    悲鳴嶼の膳が用意された。実弥と同じ、鶏肉と芋と牛蒡、人参と蒟蒻と干し椎茸の入った煮つけがついた。彼は合掌して一礼すると、さっそく食事に手をつけて、ちまちまと食べ始める。実弥は煮つけの芋を噛み下した。残りの飯をかきこみ、おかわりを自分でつける。

    「お館様は不思議な方だァ。俺みてェな乱暴者を相手に、態度を一つも変えねェどころか、丁寧に話してくれてよォ。あの方の目を見ていると、胸が一杯になってきて、言葉が一つも出て来ねぇんだァ」
    「……」
    「俺一人だと間が持たねェ。やっぱり次は誘って下さい」
    「南無、分かった」

    柱が暦を気にするとすれば、正月にお館様に挨拶する時くらいだろう。後はこうして藤の家で供される節句の桜餅や菖蒲湯などで季節を感じる事があるが、実弥は元からあまり気にしなかった。悲鳴嶼の顔を偶に見れるのが嬉しかった。

    清い顔をしたのどかな地蔵が、ちまちまと膳のものを食べているのを見ていると、岩屋敷の長火鉢の側を思い出す。和綴じの本を読みながら、出されて飲む白湯が妙に旨かった。時々、悲鳴嶼の懐の中から懐紙に包まれた干し芋や煎餅が出た。

    そんなことを思いながら食べていると、また新たに膳が出た。乗っていたのは小豆を入れた粥だった。何のことだか戸惑っていると、悲鳴嶼が顔を向けてきた。

    「小豆を炊いた匂いだな。小豆粥か?」
    「……」
    「もう小正月なのだな。この一年を健康に過ごす祈りだ」
    「……」
    「餅が入ってるとうまい」
    「へェ」
    「嫌いか?」
    「別にィ」

    家で食べた事があるのは七草粥までで、餅が入っていたら嬉しかった。とても小豆粥を食べるような余裕などなかった。母が勤め先で貰った飯を片栗粉で捏ねて団子にし、味噌汁に入れてよく食べていた。味噌が切れたら塩汁になった。

    悲鳴嶼は、かつての寺で子供たちと小豆粥を食べたのだろうか。それだけの稼ぎを盲目の身でどうやって手にしたのか。実弥の疑問を知ってか知らずか、悲鳴嶼はちまちま食べながら、昔話をしはじめた。

    「十五日には門主様が特別に、子供たちに小豆粥を施して下さった。私の力では七草粥までが精々で、餅を入れるまでは出来なかったな……」
    「アンタも食べたんですかァ」
    「粥は子供たちのものだ。私も食べろと強いる子がいて、まあ形だけは食べたが……」

    悲鳴嶼の話を聞いて、実弥は妙な安心を覚えていた。芋茎の味噌汁を飲み干して膳のものを食べ尽くしてから、初めて食べる小豆粥を引き寄せた。小豆の香りと、ほんのりした塩味だった。やはり餅が入っていた。

    熱い粥を冷ましながら、素朴な味だった。これを悲鳴嶼は子供たちに囲まれて食べ、毎日が幸せだった。似た幸せを守ろうとして、実弥は我が手で母を殺した。どんな懺悔も追いつかない。悲鳴嶼の鬼殺隊に入る切っ掛けは懺悔を背負ってのことだろうか。実弥が強引に触れても結局は許してしまう男が、己が手で幸せを壊すだろうか。

    粥を食べ終える頃に悲鳴嶼が言った。

    「食後すぐの風呂は体に悪い。半時くらい待った方がいい」

    音だけで見えるかのように指摘してくる鋭さが変わらない。差し向かい、悲鳴嶼のゆっくりした箸先から、鉢の蒟蒻がつるりと逃げた。何度も摘まもうとして、逃げる蒟蒻を追いかける。どうやって鉢の中の逃亡先を知るのだろうか、器用だった。

    やがて悲鳴嶼は箸先に蒟蒻を刺した。それを口元に運んで、一口では食べられない大きさの蒟蒻玉を嚙み切って、もちもちと食べていた。一部始終を実弥は見ていた。

    茶碗から一箸掬う飯の量が少ない。岩屋敷で対面で食事していた日々を思い出していた。彼の食べる仕草が小さいのを、幼子を見るような思いで見てしまうことを悲鳴嶼には悪いと思う。

    のんびり腹がこなれるのを待ちながら、岩屋敷で読めない文字を聞く時の長閑さの中にいる気がして、張り詰めさせていた気持ちが緩んでしまい、締まらない。

    自分を許せない実弥を丸ごと悲鳴嶼が飲んで許して、何も問わない。その優しさを知っているから彼と二人になると緩んでしまう。何を背負っての鬼殺の業かは、お互いに口にするだけ野暮だった。何も聞かずに一時の長閑を分け合う。

    「一緒に風呂に入りますかァ」
    「無茶を言う」
    「今度、里に一緒に行きませんかァ。あそこの風呂はでかいから、一度に二人くらい入れるだろうし」

    脇腹が、悲鳴嶼から貰った懐炉で温かった。
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