花鬼生き残った隊士の話からすると花の匂いでやられ、花鬼と名付いた。ならば無骨な鬼殺隊士なら花など摘めるのではないか。そう思って悲鳴嶼はそこに向かうことにした。
悲鳴嶼は時にやり切れない。自分の憎む相手を悪と言い切っていいのかも知らない。人道を外れた鬼畜生、いずれ観世音菩薩やら文殊舎利、普賢菩薩。地蔵菩薩。そう呼ばれるものたちが地獄の鬼達を救うと言われている。元は人の鬼がどう救われるやら。己は鬼退治で地獄に落ちる。そんな心地が悲鳴嶼はして、仏への帰依は大分前に捨て去っていた。ただ己が落ちるのは地獄だと分かっていた。そんな悲鳴嶼にも供養の心はあった。寺の子達へ供える高級な花の香りの御香が鼻先に聞こえてくる。僅かに藤の香りの混ざる。
「花鬼は藤の花の香りだけは再現できないのですよ。ご存じでしたか」
しのぶがにこやかな口調で言う。この子は笑いながら怒るのが得意だった。
「前に会った友達について語るようだな」
「ええ。だって、あの鬼は私から逃げていくだけでしたから」
「寺に棲んでいると聞く」
「ええ。寺に投げ込まれる死んだ者の死肉を食んでいるようです。ついでに、投げ込む人も掴まえているようですね。でもおかしいんですよ。問題になっていない」
「それで世の中が回っている、か」
「死体盗みは犯罪です。それも食べるなんて。それを注意しに行った警官でもやられたら、私達の責任になりますよ」
悲鳴嶼は答えなかった。元人の鬼を殺すのは人殺しと同義ではないかと思っている低い心の底、しのぶの言葉がひらひらと蝶のように飛び回っている。
「ああ、忌々しい。私の手で討ち取りたかった。足が速いので気を付けて」
「任されよう」
女は強いと思いながら悲鳴嶼は蝶屋敷を出た。のんびり歩いてくだんの寺へ向かう。廃寺だ。足を踏み入れて、あちこちを探す。朽ちた木材の匂いがして黴と埃の臭いがしていた。
そこに、ふうっと花の香りが漂ってきた。血鬼術だった。そうと知って悲鳴嶼は日輪刀を構えた。
『先生やめて』
幼子の声がした。あの寺の夜の惨劇で散った子の声だった。それで逆に悲鳴嶼は、こんなに腹立たしいと思ったことは今までなかった。鬼は人を喰う為なら何でもする。
腹の中に怒りがある。悲鳴嶼は足の速い鬼に追い縋った。花の香りの血鬼術ならその匂いの元を断てばいい。
『先生やめて』
『乱暴なことしないで』
『お願い、やめて』
『お願い、お願い……』
子供たちはもう二度と戻ってこない。悲鳴嶼の中に癒し切れない苦い怒りが沸き上がっていた。その怒りのまま悲鳴嶼は鬼を潰した。桐灰のようになって散って行く鬼と、急激に途絶える花の香り。廃寺の、くたびれた黴臭い匂いが戻る。
事を済ませて、悲鳴嶼は蝶屋敷に寄った。
「あら。悲鳴嶼さん」
しのぶの小さな冷たい手が悲鳴嶼の大きな手に両手で触れた。羽織の裾をくいくい引くので、彼女の所に顔をやると、額に手を当てられた。
「どうした」
「それは私のいう事です。血鬼術にやられたのですか。随分青ざめて落ち込んだ顔をしています」
「……南無阿弥陀仏。いやな鬼であった」
「まあ、悲鳴嶼さんでもそんなことがあるんですか。血鬼術かも知れませんから、血鬼止めの薬をあげます。どうぞお入りください」
藤の香りの少女が優しい。悲鳴嶼はしのぶに甘えることにした。苦い血鬼止めの薬の後に、米粉の飴が一粒ついた。
「それで、どんなことがあったのですか」
「……血鬼術で旧知の子供を利用されて。それが不快であった」
「子供ですか。私も悲鳴嶼さんに救われた子供ですねえ。私のように生き延びた子の顔でも見て……あ、見えませんでしたね」
しのぶは悲鳴嶼の手を取って、自分の顔に導いた。
「はい。見えますか、悲鳴嶼さん。あなたに救われた女の子の顔ですよ」
そう言う声の明るくて元気な事。しのぶから香るのは藤の花の香り。南無観世音菩薩。
「ほら、笑って下さい。それで気分が変わりますよ。」
悲鳴嶼はしのぶの小さな顔を撫でて思った。女は強い。女は菩薩。こうして己を救おうとしてくれている。しのぶが近付いて来て、悲鳴嶼の口元に触れた。悲鳴嶼が笑顔をつくると、しのぶがあどけなく笑った。