独占欲と嫉妬と。「新曲のお披露目の時に着る衣装ができたから、」
ーーあなたに見て欲しいの。
そろそろと視線だけでうかがってくる彼女に、拒否する言葉を投げれるやつはきっと人ではないと思う。
そんなことを考えているとは一切悟らせず、竜ーーもとい、恵は、それが当然であるかのように頷いた。
そして現在。竜は、自身の城の一室で、彼女を待っていた。
夏の事件でジャスティス達に燃やされた城は、創造主であるvoicesの計らいと、AIたちと天使の協力のもと、元通りに復元されている。燃やされる前は所々に見えたブロックノイズも全て修正されていることを踏まえると、「元通り」とは少し違うかもしれない。
竜の体格にあわせた部屋の天井は前と同じように高く、壁には様々な写真が飾られている。荒れていた部屋は元の姿を取り戻しているが、唯一、女性の写真にあるガラスのひび割れだけはそのままだった。
ふわりと穏やかに風が流れ、天蓋付きベッドの薄く柔い布がふわりと動いた。それを視界に捉えて、竜は写真に向けていた体を部屋の入口へと向ける。
扉は竜が体を向けるまでの間に、開けた人物を招き入れてぱたりと閉じてしまった。バルコニーに続く扉の窓から入る月明かりしか光源がない部屋では、竜は入ってきた人物が見えない。
部屋の明かりをつけとけば良かった。
今更なことを思いながら、竜は招いた人物が近づくのを待つ。けれども、不思議なことに、月明かりが射し込む場所から数歩遠のいた所で、人影は歩みを止めた。
「ベル?」
彼女の名を呼ぶ。びくり、と肩を一瞬跳ねさせた人影は、返事をくれない。
そのことに、長くうねる髪の下にある眉間に皺を寄せた。
「どうかした?」
竜の言葉に、人影はまた一度身じろぐと、離れている竜にも聞こえる音で大きく息を吸って、吐いた。
「あ、あのね」
ようやく聞けた声は、間違いなくベルのものだ。そのことに胸を撫で下ろすと同時に、眉間にこめていた力がぬける。
影でしかわからないが、右を見て左を見てと繰り返す彼女を怯えさせないように、努めて優しく先を促す。
「新しい、衣装なんだけど。や、新しいのは間違いなく新しいの。でも、その、私も全然知らなくてッ、」
震えてか弱く響く声は、ベルというより素である鈴に近い。
〈U〉の『歌姫』からは酷く遠い声に、思わず笑いそうになりながら、うん、と言葉の先を促す。
「見せてくれるんでしょ?」
「ひ、引かないでね!?」
必死な声に、ふっと吐息だけで笑う。よほど、彼女の予想と違ったらしい。
今までのベルの服装を思い浮かべながら、彼女がそれだけ必死に言う衣装はどんな衣装だろう、と少し楽しみになる。
人影が、ためらいがちにゆっくりと動く。そして月明かりが射し込む場所へと現れた途端、竜は息をのんだ。
なるほど、確かに彼女が今まで着てきた系統とは異なる。
ドレスの色は眩しいまでの白。肩先や鎖骨が見えているそれは、いつかの夜にAIたちや天使が贈ったバラのドレスによく似ているが、肩先から下を隠すようにレースが垂れている。
また、ウエストからふんわりと咲く花のようないつもの形ではない。ぴったりと膝上までのラインをみせた後にふわりと広がる形のそれは、魚の尾びれが広がるようだった。
なにより、ドレスの左側に入っている切れこみから、ベルの太腿を飾る装飾や足首を彩る濃紺のバラ、そしてバラと同色のヒールが高いサンダルまで見えている。
今までのベルの衣装も、露出が全くなかったわけではない。けれどもそれは肩や鎖骨を完全に出していたり、膝から下だったり。いやらしさの全くない「かわいい」衣装だったのに、急に「綺麗」へ振り切った衣装に、所詮中身は十四歳でしかない竜は固まるしかできなかった。
なにより、そう、なにより、竜を動揺させたのは、ドレスではない。波うつようにまかれたピンク色の髪を隠すように、彼女の頭にある濃紺のバラの飾りから垂れる白のヴェール。
それがまるで「花嫁」のように、ベルを魅せていた。
「や、やっぱり変……?」
「まさか!」
弱々しく尋ねられた声に、思わず食い気味に返事をしてしまう。そのことを恥ずかしく思いながら、ぱちぱちと驚いたように瞬くベルと視線をあわせる。
「キレイだ。……本当に、見たことないくらい」
嘘ではない、心からそう思う。
そのことが伝わればいいと、心の底から願った。
ベルはしばらく目を瞬かせていたが、頬をあかくさせると花が綻ぶように笑った。
「うれしい」
チカチカと、月明かりに照らされただけの彼女が眩しく感じる。直視できなくて、少しだけ視線を逸らした。
「『花嫁』みたいだ」
「うん。コンセプトがね、そうみたい」
「ウエディングソング?」
「まさか。私はコンセプトを決めて歌うのは苦手なの」
くすくすと楽しそうに笑う彼女に、少し意外だと思った。
ベルは、何となく歌うことに関しては苦手なものなどないのだと、思っていたから。
「衣装を決めるのは、ヒロちゃんーー友達なんだけど、私の歌を聞いて思いついたイメージをふくらませるの」
「それで、『花嫁』になるなら、結局はウエディングソングじゃないのか?」
「『誰かと一緒に幸せになるベル』が思いついたんだって」
くすぐったそうに笑う彼女の言葉に、なるほどと納得しそうになって、竜はぴたりと動きを止めた。
『誰かと一緒に幸せになる』ーーその『誰か』は、誰だろう。
そんな考えが浮かんでしまったら、もう消せなかった。思いついた疑問を沈めるのは難しくて、竜は静かにベルを見下ろす。
竜の様子に気づかずに笑う彼女は、間違いなく『花嫁』だった。そして、ベルの歌は人の心に寄り添うものだ。
ならば、歌を聞いた人間は、皆『ベルと一緒に幸せになる』様子を思い浮かべるのかもしれない。
そう思った瞬間、先程までふわふわと浮つき気味だった気分が一気に下がる。ゼロどころかマイナスまで突っ切ってしまう上、腹の奥がグツグツと煮えるように熱い。
熱を逃がすように息をつきながら、竜はベルを見つめる。
ベルは竜の視線に気づかず、当日の演出について楽しそうに話している。
その様子ですら、竜の腹の奥にある熱を煽っていた。
「ベル」
竜が体の内に感じる熱とは裏腹に、声は冷えきっていた。
ベルの話が止む。そしてゆっくりと自分を見上げるベルに、少しだけ熱が下がりかけた。
「その衣装、着ないでほしい」
「……やっぱり、似合わない?」
「そのドレスを着る君は、世界で一番綺麗だ。間違いなく」
「じゃあ、どうして?」
まっすぐ、疑問しかもたずに自分を見上げる青い瞳に、泣きたくなった。
真っ直ぐにベルを見れず、視線がどんどん下がっていく。
「君を。そのドレスを着る、君を。誰にも見せたくない」
ベルの歌を聞いた人間が、『誰かと一緒に幸せになる様子』を思い浮かべる時。ウエディングドレスのベルを、思い浮かべるなんて、冗談じゃなかった。
心のままに吐き出した言葉に、歯を噛み締める。
自分の欲にかられた行動と言葉が、情けなくて、醜くて、嫌になる。
自分のつま先だけを視界に入れる。
「そのドレスを着た君を知ってるのは、僕だけがいい」
子どもじみたワガママに、眉を顰められるかもしれない。
そう思いながらも口は止まらなくて、竜は乞うようにベルに告げる。
諭すような言葉がくるか、呆れを含んだ言葉がくるか。そう思いながらベルの言葉を待つが、予想外なことに彼女は黙ったままだ。沈黙が数十秒、あるいは数分続いて、竜はおそるおそる視線を上げた。
そして目を丸くする。
「……ベル?」
頬を真っ赤に染めて、両手で頬を隠すように押さえるベルがいた。
そういう反応をされる理由がわからなくて、ベルを小さく呼べば、彼女は露出した肩を小さく跳ねさせた。
「あなたは、ズルいわ」
「ズル……?」
「私が、あなたの言葉にどれだけ左右されるかわかってて言っているんでしょ。……あなた以外に、このドレスを見せたくないって思っちゃったわ」
ヒロちゃんに衣装変えてもらうようにお願いしてみる。
早口にそれだけ言うと、ベルはログアウトしたらしい。幻が掻き消えるように、ふっと姿を消した。
後に残された竜は、ベルの言葉を何度も反芻して、つまりどういうことだろう、と首を傾げた。
そんな竜を、〈U〉を象徴する三日月だけが見ていた。