魔術少女⭐︎ル・フェ 第n話「キスではじまるなんとやら」 それは、師にしてパートナーの彼から言われた言葉。
「いつか、君が運命のヒトと出逢う時――君の中に眠っている力は目醒めるよ」
***
「これで終わりだ! えーい!」
アルトリアは魔術で強化した杖を大きく振りかぶった。そしてそれをまっすぐに降ろすと、ソレ(・・)は呻き声を上げて消滅していった。
「ふう……」
「お疲れ様、アルトリア! 無事にあるべきところに戻ったのを確認したよ」
変身を解いてひと息つくと、ふわふわの蚕に乗ったふわふわの妖精王が、近づいてきた。
「よかったー! ありがとうございます、オベロン。それにブランカも」
「いやあ、君のパートナー兼お助け妖精として、これくらいは当然だろう?」
ゴーグルを上げてぱちりとウインクをしてみせる彼は、やはり最高にうさんくさい。まあ、なんだかんだ信頼しているのだけど。
「じゃあ、帰ろっか。ああ、明日から新学期かあ。夏休み、もう少し長ければいいのになあ」
「もう十分堪能したじゃないか。学生の本分は勉強だろう?」
「あのー……魔術少女にスカウトしといて何言ってるんですかね。夏休み、結構なモースを倒して回っていたと思うんですけど……」
「ああ、ごめんごめん⭐︎」
「オーベーローン!」
アルトリア・キャスター。一見普通の女子高生。しかしてその正体は、人々の弱った心に取り憑く邪念体"モース"との闘いを繰り広げる魔術少女、アヴァロン・ル・フェ。
彼女は日々人知れず、人類をモースの脅威から守っているのだ――
***
「はじめまして、藤丸立香です! この辺りには家の事情で引っ越してきました。よろしくお願いします!」
(えっ?)
百点満点の笑顔で挨拶をしたのは、新しくこのクラスにやってきた転校生。
肩にぎりぎりつかないところで切り揃えられた、くせ毛気味の髪の毛は朝焼けの色。はちみつキャンディの瞳に、健康的な肌の色とスタイル。誰かがかわいい、と呟くと確かに、と頷いているクラスメイトの姿がある。
その一方でアルトリアは、不思議な感覚を抱いていた。彼女を見た瞬間に抱いた、まるで心のどこかにあるジグソーパズルのピースがぱちん、とぴったり嵌ったような感覚。でもどこからそんな感覚が来ているのか、全くわからない。
「藤丸さんの席はキャスターさんの隣です。あの子の隣に、空席があるでしょ?」
「はい!」
「へっ?!」
アルトリアが頭を悩ませていると、担任から自分の名前が出てきたものだから、つい驚いてしまった。まさかの、彼女と隣の席。いやでも今のところ悪い影響とかじゃないですし……と内心慌てていると、転校生が目の前まで来た。
「キャスターさん、これからよろしくね」
まぶしい笑顔と共に、差し伸べられた手を、アルトリアはそっと握る。ぽかぽかのお日さまのようなあたたかさだった。そのあたたかさは、彼女のてのひらからアルトリアのてのひらへ、そして、身体中を満たしていくように、全体に広がっていった。
(な、なにこれ……!)
未知の体験に、アルトリアはますます慌てふためいた。どうしてこんなにも心地よいあたたかさなんだろう。まるでわたしをやさしくだきしめてくれるような――
「あの、キャスターさん?」
自分を呼ぶ声で我に帰ると、目の前の彼女はきょとんとした顔で自分を見ていた。やばい、どうしよう。
「あ、あーっ! すみません! ちょっと寝不足なもので……! えーっと、ごほん。わたしは、アルトリア・キャスターです。これからよろしくおねがいします、藤丸さん」
「うん、よろしく」
にこりと笑うと、藤丸はパッと手を離した。どうやらうまくごまかせたらしい、そう確信するとアルトリアは安堵した。
アルトリアがいる教室の片隅。基本、妖精は魔術少女にしか見えない。そのことを利用して自らのパートナー兼弟子の様子を見ていたオベロンは、小さくつぶやいた。
「なるほど? やっぱりきみなんだね――立香」
***
「……で、……ない。気を……て」
ああ、やっぱり一緒にお昼食べたかったなあ。でも仕方ない。今日は新学期の最初の日、午前授業。じゃあ一緒に帰ればよかったかな。
「ア……トリ……」
でも、わたしにそんな、誘うとかそんな……それにあの子、もうクラスの人気者になりかけてるし。自己紹介の後、みんなと楽しそうにしてたなあ。
「アルトリア!」
「っは、はい!」
オベロンが強く自分を呼ぶ声で我に帰った。そうだ、確かオベロンが日中に行ってた偵察の成果を共有してくれてたんだった。アルトリアはティーカップに口をつけ、ややぬるくなった中身を飲み干した。
「君、話聞いてた?」
「えーーーっと、そのぉ……」
「はーーー、全く君ってやつは。……いいかい、またモースが確認された」
オベロンが妖精サイズのカメラ(魔術でなんとかしてるらしい)で捉えた写真をアルトリアに見せる。ご贔屓にしているケーキ屋の一人息子だ。今は製菓の専門学校に通いつつ家の手伝いをしていると、前に店を訪れた時に話していた。けれど最近、彼を店で見かけなくなった。どうしたのかなと思っていたらこれだ。
「思うようにケーキが作れなくなってしまったんでしょうか……それは由々しき事態です! モース許すまじ! オベロン、浄化しに行きましょう」
「いや、ケーキのことで悩んでるかどうかは分からないけどね。それとアルトリア、今から言うことが一番重要だ。よく聞いてくれたまえ。――今回のモース、ちょっと厄介かもしれない」
オベロンが、苦虫を噛み潰すような顔をして言った。
「厄介、とは……」
「うん。僕はいつも小さな妖精たちの声を頼りに探索(サーチ)している。どこの誰がいつもと違う様子だ、とか、不可解な出来事が続いている、とか。今回もそうだ。彼らが、ひどく怯えて僕の下に駆け込んで来たことがきっかけだ」
オベロンは妖精王として、この辺りに住む妖精から慕われている。魔術少女の手助けをする、頼もしくて愉快な森の王さま。モースは人間の心を蝕むだけでなく、妖精を喰らう性質もあるのだ。
「いつもと違いすぎるその様子に僕は胸騒ぎがして、ブランカに飛ばしてもらったんだ。そしたら……とんでもなく濃い邪気を纏った人間がいた。それが彼だ。いつものやつらの比じゃない。気をつけてよ、アルトリア」
彼の真剣な様子に、アルトリアは力強く頷いた。
***
先導するオベロンについて行くと、だんだん邪気が強くなっていくのが分かった。モースに近づいているんだ、と思いオベロンお手製のペンダントを胸元から取り出し、スイッチを押す。ホログラムが展開され、地図とモースの位置が映し出される。が、アルトリアは驚いた。自分たちとモースとの距離はまだ予想以上にあったからだ。
「いつもならもう、目と鼻の先ってくらいなのに……!」
しばらくして、邪気がずんと重さを増したように感じた。と、同時にペンダントがピーピーピー、と鳴る。モースを発見すると音が出る仕組みになっているのだ。
「いた……」
「ああ。やっぱり凄まじい力だな……。油断するなよ、アルトリア!」
「もちろん!」
威勢よく返事をとともに、アルトリアはペンダントを握った。魔力を集中させると、ペンダントは光を発した。
スフェーンのようにきらめく光はやがてアルトリアを包み込んだかと思うと、ぱぁん! と弾けて、星屑のように舞い散った。アルトリアはペンダントを握る前の制服姿から、白を基調としたワンピース姿になっている。アクセントは紺色のリボンとベレー帽。はためかせるマントの裏地はワインレッド。そしてペンダントは杖に形を変えて、アルトリアの手元に収まった。
これがアルトリア――改め、魔術少女、アヴァロン・ル・フェとしての姿である。
「モース、覚悟してください! おいしいケーキ、また作ってもらいますからね!」
「まったく、食い意地が張ってるなあこのお転婆娘は」
やれやれ、と悪態をつきながら、オベロンは突進していくル・フェの後を追った。
「えーい!」
まずは豪快に。それがいつもの彼女のスタイルだ。モースは人間の弱った心に取り憑き、養分を蓄える。そうして貯めた力で、取り憑いた人間を型(モールド)にして、分身を作り出す。そうしてヒトの形をとったモースは、どんどん暴走していく。
初見こそ躊躇っていた彼女だったが、オベロンが、これは本人ではなく、分身だと説明すると、容赦なく杖でブン殴るのだった。
彼女は魔術少女、アヴァロン・ル・フェ。その名の通り、"魔術"をもってモースを浄化する。そのためには、ある程度モースの気力を失わせることが必要である。その過程でもちろん魔術を使うこともある。が、正直に言おう。彼女は"物理"で五割、いや六割くらい弱体化させてしまう。
もちろん、彼女の"物理"攻撃がモースに通るのは彼女に魔力と、魔術の心得があってこそ。杖も相手に合わせ、魔術で強化している。しかし、どちらかというと"物理"がメインになっているというか、"魔術でサポートした物理"で"殴る"のが彼女のやり方だった。
これにはサポート妖精兼魔術の師であるオベロンも呆れ気味。でもまあ、モースを浄化できてるからいいか、となってしまうオベロンもオベロンだった。
「……くっ、なかなか硬いですね」
戦闘を始めて十数分。いつもならそろそろ半分ほど気力が削れるくらいなのに、今日の相手は全然そんな気配がない。
ル・フェが息を整えていると突然、モースが奇声を上げ、ものすごいスピードで彼女の方へ向かってきた。
「アルトリア!」
「はぁっ……!」
オベロンの声に合わせ間一髪で避け切る。が、完全に体勢を崩してしまった。
「っ、これは、ちょっと……」
今やられたらやばいかも。
狙いを外したと悟ったモースが、勢いを増して再びル・フェに突撃しようとする。あまりのスピードに、二人ともなす術がなかった。
「ぐはぁっ!……っ、あ」
ル・フェの身体が勢いよく民家のコンクリートブロックに叩きつけられる。オベロンが彼女の近くへ行こうとした、その瞬間。
「アルトリア!…………っ!?」
ある気配を感じ取った。だんだんと近づいてくるこれを、自分は知っている。
(これは……昼間の彼女! そうか、彼女なら――「鍵の君」なら、この事態をひっくり返せる!)
「あのー……なんか叫び声が聞こえたんですけど……って、え?!」
小走りでやってきた藤丸立香は、自分の目の前に広がる光景に目を丸くした。
「キャ、キャスターさん?!」
さっきの制服姿とは違って、可愛らしい装いに身を包んだ、隣の席のあの子が、崩れたコンクリートブロックに凭れかかっている。
――助けなきゃ。立香は急いで彼女に駆け寄った。ぐったりとしていて呼吸は浅く、所々ケガをしている。
救急車を呼ぶため、スマートフォンを取り出そうとすると、背後におぞましいほどの重圧を感じた。振り向くと、黒と紫が混じったモヤモヤしたものが、ヒトの形をして立っている。
「………っ!!!」
(もしかして、これはこの子のことを狙っている?)
じりじりと近づいてくるそれから、彼女を庇うようにする。無意識に、彼女の手のひらに自分のそれを重ねる。
(ふじ……まる、さん?)
ル・フェは霞がかった視界の中に、ひときわ目立つトパーズを見つけた。重なった手から、あの時と同じあたたかさが少しずつ流れ込んでくる。力が、湧いて、くるような。
「あ……ぶ、ない、です……さあ、さが、って、」
「キミを置いて下がれるわけないよ!」
(目の前に苦しんでいる人がいるのに、自分は何もできない? そんなの、そんなのって——)
「ねえ」
「!?」
「きみ、この子を救いたいのかい」
突如として目の前に現れたのは、銀色の妖精。ふわふわのマントを身につけて、ふわふわの蝶(・)に乗っている、昔、子供向け番組で見たことあるやつがそっくりそのまま出てきたような、妖精。
「……うん」
「この子を救える方法が、一つだけある」
「っ、教えて」
「キスだよ」
「へ?!」
立香は素っ頓狂な声をあげてしまった。キス。きす。鱚……ではなく、キス?! 嘘、本当に?!
「本当だ。妖精王の名にかけて、誓うよ」
その小さな顔に現れる真剣さに、立香は息を呑んだ。
「わかった。やってみる。……ごめんなさい、キャスターさん。でも、キミを救うためだから――」
青白い彼女の頬にそっと両手でふれる。色を失った唇に自分の唇を寄せて、目を閉じる。そしてそのまま、重ね合わせた――
***
どれくらいの間そうしていたのだろう。数秒だったかもしれないし、数分だったのかもしれない。自然と唇を離すと、たちまち、彼女の身体が光のベールに覆われはじめた。星で編まれたレースのようなそれは、彼女の姿を変化させていく。白を基調としていた可愛らしいワンピースは、黒い生地も入った、気品溢れるものへ。金糸のようなブロンドに、赤いシルクのリボンのような毛束が混じり、ベレー帽は王冠に形を変えた。そして杖は、下半分が短剣のように進化した。
光のベールが霧散すると、彼女の瞼が開かれる。透き通ったエメラルドグリーンの瞳に、長い睫毛。そのうつくしさに、立香は見惚れてしまった。さっきまで到底ありえない光景を目撃していたのに、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。
「ふむ……久々ですが、やはりあなたの魔力は最高級のスイーツのよう。さすが私の命」
「へ、へ?!」
白魚のような手が、やさしく自分の頬を撫でる。エメラルドグリーンの瞳は、愛おしいものを見るように細められている。
「わ、私の命って……」
「そのままの意味ですよ、立香。――さて、名残惜しいですがこのままでは彼らが暴走したまま、どこかへ行ってしまうかもしれません。早々に片付けるとしましょう」
ル・フェは立香を自分の背に庇うと、モースをひと睨みする。
「そこです!」
彼女の頭上からモース目掛けて、水晶のようなものがたくさん降ってくる。モースの身体は集中攻撃を受け、影のような色が薄れていった。そして、
「これで終わりです――ロック! カタフラクティ・シフト!」
杖をくるっと回し、短剣の鋒を相手に向け、そしてそのまま――切り伏せた。
モースは「ギャッ」と一瞬の断末魔を上げ、消滅していった。
「す、すごい……」
立香のつぶやきを耳にしたル・フェは、「でしょう?」と得意そうに彼女の方を振り返った。
「立香、ありがとうございます。そしてすみません、怖い思いをさせてしまって」
「怖い思いだなんて、そんな。それにわたし、お礼を言われることなんてしてないよ。お礼を言うのはむしろわたしの方。守ってくれて、ありがとう」
「いえ、あなたは危機に瀕したわたしに魔力をくれました。そのおかげで、私が目醒め、こうしてモースを倒すことができたのです」
「魔力……?」
「キスのことだよ」
首を傾げる立香に、オベロンが補足をする。
「あっ、あー!!! え、あれのこと?……ていうかあなた、は……」
「僕は彼女の師兼パートナー、妖精王のオベロンさ⭐︎ 彼女はブランカ」
「は、はぁ……」
ぱちん⭐︎とキマったオベロンのウィンクに、立香は内心うさんくさい、と思った。
「その子の言う通りだよ。さっき大ピンチの彼女を、きみがキスを介した魔力供給で助けたんだ。で、そのおかげで彼女はあのオバケみたいなやつを無事に倒せたってわけ」
「彼らはモースと言って、人々の弱った心に取り憑き悪さをするのです。私とオベロンはそれを浄化して、回ってるのです」
「これまでのヤツらは僕ら三人でも倒せたんだけどねー。ちょっと今回のは厄介で……そんな時に現れたのが『鍵の君』――そう、きみのことだよ、立香」