「王様と僕 第二幕(途中)」 テラさんと二人芝居をすることになった――というか、強制的に決められた。
「じゃあ、今から台本を修正してくよ! 準備はいい!?」
「は、はい!」
放課後の、蔦のはびこる古い倉庫にて。小道具の伊達眼鏡を光らせ指示棒を持ちながら、テラさんがホワイトボードの前で教師さながらに進行していく。一人芝居用の脚本を二人芝居用に変えるため、台詞やシーンなどを調整する必要があるらしい。彼が読み上げる修正後の台詞を、僕は必死に台本に書き込んでいく。
『王様と私』は、1860年代のシャム、現代のタイが舞台の実話を元にした物語だ。家庭教師として宮廷に入ったイギリス人のアンナは、封建的な王としばしば対立する。いつしか二人の間にほのかな恋心が芽生えるも、王に病魔が襲い、最後は――という悲しい結末だ。
僕も原作を読んだが、テラさんの脚本は二人の関係と政治を複雑に絡めた大人な恋物語になっている。高潔な王と、芯の強いアンナ。僕は演劇に関しては素人だが、最初に読んだときこれは審査員受けしそうだと思った。
(そんな内容を二人芝居用に変えるんだから、修正は多いだろうなって予想はしてたけど……)
「――以上、修正終わり! なにか質問は?」
「あの……」
「質問があるなら挙手!」
「は、はい!」
慌てて片手を上げると、「どうぞ、天堂くん」と完全に教師になりきったテラさんがビシッ! と指示棒で指してくる。
「えっと、王様についてなんですけど……。その、性格が全然前と違うっていうか……」
「ああそれ? 当て書きにしたから」
「当て書き?」
「最初のは原作まんまのキャラにしてたからね。天彦のイメージに合うように書き換えたんだ」
「イ、イメージ……ですか!?」
僕はショックを隠せなかった。だって修正されたこの王は、お世辞にも高潔とはほど遠く、アンナにしつこく迫ったり口説いたりととにかく軟派だ。
(つまり、テラさんの中で僕はこんなイメージってこと……!?)
しかもそれだけではない。劇中で二人がダンスをする場面があるのだが、踊り終わり想いが溢れた王とアンナは、唇を近づけて――。
「な、なんでキスシーンまで追加されてるんですか!!」
「ああそれ?」
顔を真っ赤にして叫ぶ僕に、しれっとテラさんは返す。
「だって前のは一人だったからできなかったしねぇ。せっかくの二人芝居なんだからやらない手はないでしょ」
「だ、だからって……」
「だいじょぶだいじょぶ! キスったって振りだから、振り!」
僕の気持ちなどお構いなしに、ケラケラとテラさんは笑い飛ばす。
そう、今回の修正で僕が一番目を疑ったところ。この劇最大の見せ場といっても過言ではない、パーティーでの王とアンナのラブシーン。恋愛ものなのだからキスシーンがあることはなにもおかしくないし見る分にはなんとも思わないが、自分がやるとなると話は別だった。
キス。テラさんと、キス。たとえ振りだとしても、舞台の上で大勢の観客の前で、彼の腰を抱き寄せて――。
(無理! 絶対に無理……!!)
「絶対絵になるよねぇ、僕と天彦のキス! 話題にもなるし、さいっこう!」
頭を抱える僕の隣で、テラさんはくるくると回り目を輝かす。
「って、なんだよーその反応。振りとはいえこのテラくんとキスできるんだぞ? もっと泣いて喜びなって」
「よ、喜べません!!」
「はぁあ~~!?」
信じられん! とでも言いたそうに不満げに尖らせられる彼の唇に目が釘づけになる。綺麗なピンクローズの色をした、形のいい唇。愛らしい猫口なそれは、とても柔らかそうで――。
(って、僕、なに考えて……!)
慌ててブンブンと頭を振る。テラさんとのキスを想像するだけで顔から火が出そうだ。ただでさえ初めての演技なのに、さらにラブシーンまであるなんて。うまくいく未来がまったく見えない。僕のせいで舞台が台無しになったらどうしよう。
顔を赤くしたり青くしたりと忙しい僕に、「あのねぇ」とテラさんが眼鏡を外す。
「ただの受け狙いでキスシーンを入れたわけじゃないからね? 勝ち上がってくには必要だと思ったからだし、それに、天彦なら僕はできるって思ったから」
「え……?」
「新しい脚本、前よりもずっとおもしろくなったでしょ? だから僕を信じて、ね?」
にっこりと、僕が逆らえない極上の笑みを向けられる。
(……たしかに、テラさんの言う通り前よりも内容が頭に入りやすくなってる。政治とかの複雑な部分をかみ砕いて、二人の関係により焦点を当ててるからかな。王様も、前のはまさに王! って感じで近寄りがたい雰囲気があったけど、この王様は軟派だけどどこか憎めなくて、親しみやすいっていうか……)
ラストも大がかりな戦闘シーンを入れ、しかも王が死なない結末に変えている。まさにラブありアクションありの、高校生受けしそうなエンターテインメントな舞台。たしかにとてもおもしろい。おもしろいけれど。
(でも、さすがにキスシーンは……!)
「あの、テラさ――」
「あーあ、天彦、昨日は僕にあっついキスしてきたのになー」
「う……!」
唐突に痛いところを突かれ、僕は思わず口をつぐんだ。
そう、昨日。兄の件でひどくショックを受けた僕は、なぜかテラさんに会いに行った。そしてなぜか、彼の肌に口づけてしまった。
(いや、口づけたというよりあれはもう……。あっ、まさかこの新しい王様のイメージってそのときの……!?)
思い出さなくても鮮烈に覚えている、テラさんの生々しい肌の感触。決して忘れることなどできない、温かさと匂い。何度考えても、どうしてあんな非道なことをしてしまったのか分からなかった。天堂家として、いや、人として最低で最悪な蛮行だ。テラさんは気にしないでとでも言うようにいつも通りに接してくれているけれど、僕は申し訳なさでいっぱいだった。
そして、それと同じくらい申し訳ないことがもう一つ。
「あの……テラさん」
「なに? 『キスシーンなくして』っていう意見なら受けつけないよ?」
「そ、そうじゃなくて! その、さっきからずっと気になってたんですけど……どうして、もう髪が伸びてるんですか?」
「え?」
おずおずと手を上げ質問をした僕に、テラさんはきょとんと目を丸くする。
昨日の、キスのあとの夜のことだ。僕に恨みのあった中学時代の同級生にテラさんがさらわれた。そのとき、いろいろあってテラさんが自分の髪を切ってしまった。
いくら彼が自ら切り落としたとしても、発端はこの僕だ。だから今日、本当は部活に来るのがとても怖かった。けれど彼に「絶対に来て。これは部長命令!」と言われ、恐る恐る部室へ行くと、まるで昨日のことなどなかったかのように元の髪型に戻っていて僕はひっくり返るほど驚いた。
背中まである長い髪を指先でつまみ、なんてことない様子でテラさんは答える。
「ああこれ? エクステだよ」
「エクステ?」
「そ。朝一で美容院に行ってきたんだ。一回やってみたかったんだよねー、ちょうどいい機会だと思ってさ」
「そ……うなんですか」
嘘だ、とすぐに分かった。きっと、いや絶対、テラさんは僕のためにしてくれた。だって昨日は、「ショートの僕も最高!」と嬉しそうにしていたのだから。ずっと髪が短いままだと僕が責任を感じてしまうと、そう思ってくれたのだ。
ふと、ソファに積み上げられているものが目に入った。部室には、毎日テラさんのファンからプレゼントやファンレターが大量に届く。その仕分けも僕の仕事なのだが、こんなテラさんはたぶん彼らも知らないのだろう。
(テラさんは自分が大好きで他人に興味がないって思われがちだけど、実際そうなんだけど、でも、それだけじゃない。ちゃんと人を見てるし、こういう優しさもある……)
愚かな僕は、昨日、ようやくそのことに気がついた。誘拐現場で常に自分が主役でないと嫌だと大暴れした彼が、僕の話を最後まで黙って聞いてくれた。そして、力強く励ましてもくれた。テラさんは本当は心優しい。分かりにくいけれど、すごく。
(それに、昨日あんなことがあったのにたった一晩で台本まで直してくるなんて。テラさんって僕が思ってる以上にすごい人なのかも……)
彼のそのエネルギーはいったいどこからわいてくるのだろう。彼はただ、自由に好きに生きているだけではない。彼はずっと前を向き続けている。なにがあっても、なにが起こっても、〝全国で1位になる〟という目的のために。
ぐ、と無意識に自身の胸元を強く握りしめる。見習いたいと思った。もっともっと、テラさんについて行きたいと思った。去年とも、出会ったばかりのころとも違う感情がわきあがる。彼を見ているだけで胸の奥が燃えるように熱くなる。
(演技もなにもかも初めてだけど、キス……も恥ずかしくてたまらないけど、でも、テラさんが「僕ならできる」って言ってくれたんだ……!)
パンッ! と自身の両頬を叩く。強制とはいえ、憧れていた人と同じ舞台に立てるのだと気合を入れる。そうして、僕は張り切って稽古に臨んだ――のだけれど。
「じゃあ、まずは本読みから!」
ジャージに着替え、初めて〝役者〟として稽古場に立つ。本読みとは、台詞だけを読んでいく練習法だ。とはいえ、県大会は5月末。あとひと月ほどしかないため、台本を持ちながら同時に軽く動きもつけていく。
「『もう、信じられない。まさか王宮内に住まなきゃいけないなんて。陛下に会ったら抗議しなくちゃ』」
シーン1、2が終わり、上手(かみて)、つまり客席から見て舞台の右袖からテラさんがやって来る。テラさんは先に稽古に入っていたためここまでは順調だ。家庭教師を引き受ける条件として別宅を要求したが、いざ来てみると準備されていなかった。気の強いアンナは、そのことにひどく怒っていた。
(いよいよ王様の出番だ……)
アンナがあてがわれた部屋へ入り一息ついたところで、「やぁアンナ。待っていたよ」と王が窓から登場する。ごくりと僕は生唾を飲み込む。
「『とりあえず、今日はここで休むしかなさそうね』」
(――来た!)
「『や、やぁ! アンナ! 待っていたよ! さぁ! 素敵な! 一夜を! すごそうじゃないか!』」
「……」
(……あれ?)
「……天彦さぁ」
「は、はい」
じとっ……と半目でテラさんが見上げてくる。役名ではなく名前を呼ばれ、心臓がドキリと鳴る。
「いくらなんでも棒読みすぎ。0点」
「れっ……!?」
ガーン! と、続けてそれはそれは大きなショック音もした。
「腹式呼吸は完璧だけどね。王様なんだしせっかくの初登場なんだから、もっと動きも大胆なものにしないと」
「す、すみません……」
第一声から思い切りダメ出しをされてしまった。がっくりと落ち込むも、こちらは台詞を言うだけでいっぱいいっぱいだ。
(王様ってどんな風にしゃべるんだ? どんな風に動くんだ? 全然分からない……)
そのあともさんざんだった。どうやっても台詞に抑揚はつけられないし、棒立ちになってしまうし。それでもなんとかがんばっているうちに、とうとう例のシーンに差しかかった。
「『シャムにはこんな古い詩(うた)がある。〝女は花だ。男という蜜蜂に愛されるのを待つ花。蜂は、たくさんの花の間を自由に飛び回る〟』」
イギリスの外交官を招いてのパーティーの夜。二人きりになった王とアンナは、男女の恋の話に花を咲かす。
「『あら陛下。私の国では、〝男性は生涯ただ一人の女性を愛する〟と教えられますわ』」
「『生涯ただ一人……?』」
ここから舞踏会の話になりダンスをするが、今日はカットだ。踊り終わり、いよいよ二人は口づけを交わす。どっどっど、と鼓動が加速していく。
「『アンナ。あなたはとても〝セクシー〟な花だ……』」
「『あ……』」
静かにテラさんと見つめ合う。吸い込まれるように、一歩、足を踏み出す。腕を伸ばし彼の腰に手を当てて、そうして、ゆっくりと顔を近づけて――。
(う、わ、あ……!)
「――ストップ!」
(……えっ!?)
突然、パンッ! と目の前で両手を叩かれた。我に返ると、ひどく怒った顔がそこにはあった。
「天彦、顔赤すぎ。王様ならこんなことで赤面しないよ?」
「す、すみません!」
(ダメだ、全然演技どこじゃない……!)
慌ててテラさんから体を離す。穴があったら今すぐにでも入りたかった。恥ずかしい。恥ずかしくてたまらない。やはり僕にはラブシーンはハードルが高すぎる。
彼の細い腰。恐ろしく均整の取れた悪魔的に美しい顔。キラキラと輝く大きな宝石の瞳が、僕が近づくにつれ色っぽく伏せられる。演技とはいえ期待でふるりと長いまつ毛が揺れ、頬も淡く染まる。きゅっ、とピンクローズの唇が可憐に閉じられる。
昨日のキスは僕もおかしかったし、首だったからすることができた。でも、今回は唇だ。これから本番まで、いや、全国で1位をとるまで、練習も含めて何度も真正面からテラさんとキスの振りをしなければならないなんて心臓がいくつあっても足りない。王の動きも話し方もましてや口づけ方など、僕にはなにも分からない。分からないことだらけだ。
(せめて、参考にできる資料とかがあれば……)
「――あれ?」
ぐるぐると僕が考え込んでいると、ふと、テラさんが首を傾げた。
「そういえば天彦、台本は?」
「え?」
「いや、だってさっきから台本持ってはいるけど見てないみたいだから」
「あ、はい。台詞はもう覚えたので」
「え、覚えた!?」
「はい、もともと前の台本は全部暗記してましたし。アンナの台詞はそれほど変わってないので、王様の分だけ覚えればいいだけですから」
「……へぇ」
僕の返答に感心したようにテラさんがニヤリと笑う。昔から記憶力はよかった。塾や家庭教師、習いごとが多すぎてその場その場で覚えないと時間が足りなかったというものある。暗記に関しては今まで一度も忘れたことはなかった。
「よし!」とテラさんが台本を閉じる。
「今日はここまで! 天彦は、圧倒的に経験が足りないね。演じる方もだけど、観る方の」
「観る方?」
「そ。だからまずは経験しに行こう。ちょうど今地区大会やってるんだ。明日の休み、偵察も兼ねて見に行くよ!」
*
ざわざわと目の前をたくさんの人が行き交っていく。駅前の大時計の下で、僕は落ち着かない様子で立っている。
(テラさん、いつ来るかな……)
時計を見上げると、待ち合わせの時間まであと10分だった。たしか先ほど確認したときは12分前だったはずだ。
ふぅ、と何度目かの息を吐く。自分がひどく緊張していることは分かっていた。だって、部活動の一環とはいえ、初めてテラさんと休日に出かけるのだから。しかも、制服ではなく私服で。いったい彼はどんな服を着てくるのだろう、髪型はどんな風なのだろう。待ち始めてゆうに30分以上はたっているけれど、あれこれ想像を巡らせているためかまったく退屈しなかった。
(そうだ、僕の方は大丈夫かな)
慌てて後ろを向き、ビルの窓に映る自身をチェックする。兄のしつけのおかげか、ニットにもパンツにも皺一つない。スニーカーも髪も問題なかった。これなら、少なくともテラさんを不快にさせることはないはずだ。
ゴーン……と大時計の鐘が約束の時間を告げる。けれどそれから5分たっても10分たっても、一向にテラさんは現れない。
(……時間、間違えたかな)
スマホを取り出し、メッセージを確認する。普段塾と学校以外ほとんど外に出ないため、これほど街に人が多いとは想像もしていなかった。休日だからだろうか、立っているだけで人酔いしそうなくらいの混雑具合だ。だんだんと不安になってくる。ちゃんと会えるのだろうかとそう思った、そのとき。
「あ、いた! 天彦!」
ざわっ! と駅の方からどよめきが上がった。同時にいつものあの快活な声が耳に飛び込み、振り向くと、ちょうどテラさんが改札口を出てくるところだった。
瞬間、僕自身を含め、一気に周囲の空気の温度が上がったのが分かった。テラさんは流れるように改札を抜け、まっすぐにこちらへ向かって来る。自然と人々が道を開ける。
襟元にフリルのついた真っ白なシャツにジャケット、黒のパンツというシンプルな装いに、ゴールドのアクセサリーがキラリと光る。その姿は、王ではなく王子のようだった。若く美しい王子。ここはただの駅前のはずなのに、背後の駅舎が豪華な城に、コンクリートの道がレッドカーペットに、通行人が従者に見えてくる。空では鳩たちが祝福するかのように楽しげに飛び交い、ゴーン……と大時計まで時間でもないのに鐘を鳴らす。
人だけでなく動物まで、さらには機械までも虜にするテラさんは、それがさも当然のように長い髪をなびかせながら颯爽と歩いて来る。カッ! と僕の前でヒールを高く鳴らした。
「ごめんごめん、ちょっと遅れちゃった! もしかして、かなり早く来てた?」
「え? あ、ええと……」
彼から目が離せなく、うまく言葉が出てこない。
「それにしても、すっごい人だねぇ。けど天彦、背高いからすぐに分かったよ」
「そ、そうですか?」
たしかに、僕は高校一年にしては身長は高い。しかしそう言うテラさんも、僕よりは低いものの背丈は平均以上ある。しかも今日はヒールを履いているからか、目線は僕と同じくらいだ。
(背、高くてよかった……)
「うわっ、あの子めっちゃ綺麗!」
「え、モデル?」
「足なっげー……」
ビシバシと突き刺さる、好奇な視線。学校の生徒や先生たちはある意味テラさんに慣れ切っているため、こういった反応は新鮮だった。まるで僕まで注目されているみたいだ。
(そうだ、僕とテラさんって他の人からはどう見えてるのかな。先輩と後輩? それとも友達? まさか、恋人……とか)
恋人。その言葉に、カァッ! と一気に頬が熱くなる。さすがに思い上がりもはなはだしい。けれどこうして私服で会っていると、デートの待ち合わせをしているような気分になり浮かれてしまう。
制服と違いボディラインに沿った細身のパンツとジャケットは、彼のスタイルのよさをより際立たせている。メイクをしているのかまぶたがキラキラと輝き、唇もいつもより色づいている。髪も分け目を変え全体をゆるく巻いており、ピアスも香水もなにもかも、一言で言うととても大人っぽかった。
(テラさんってやっぱり年上なんだな……)
初めての香りに陶然となりながら、改めて思う。
すると、じっと彼が見つめてきた。なにか変なところでもあったのだろうか、僕ももっと大人っぽい格好で来ればよかったと後悔していると、テラさんはにぃっと目を細める。
「私服の天彦、なんか新鮮。いいね」
「え?」
「さ、行くよ!」
「あ、あの……!」
どういう意味かと聞き返す間もなく、さっさとテラさんは先に行ってしまう。
地区大会の会場は、駅から徒歩10分ほどのところにある文化会館だった。そこでもテラさんは注目の的で、ロビーに着くとあっという間に他校の生徒たちに囲まれる。
「テラ様! 去年の舞台、すっごく感動しました! 今年も楽しみにしてます!」
「ふふ、ありがと♪」
「あ、あの、写真撮ってもいいですか!?」
「いいよー。撮って撮って」
(す、すごい……)
よく芸能ニュースなどで見る、海外スターが来日したときの空港のような光景に呆気に取られる。今日は地区大会のはずなのに、写真にサイン、握手など、これではまるでテラさんの独演会だ。
(やっぱりテラさんってどこでも主役になっちゃう人なんだな)
彼らからすればテラさんは全国への切符を争うライバルのはずなのに。敵も味方も関係なくすべての人を魅了するテラさんに、僕の方まで誇らしくなってくる。あの彼が僕の先輩なのだと、僕が唯一の後輩なのだと。そして今度、一緒に舞台に立つのだと。
わいわいと盛り上がっている様子を見つめていると、ふいにテラさんが振り返った。
「そうそう、今年は……」
ファンの輪を抜け、こちらへ向かって来る。ぐいっ! と思いきり僕の腕を引っ張った。
「今年の舞台はこの天彦と出るから。みんなよろしくね♪」
「……え!?」
突然のことに、一瞬、思考が追いつかなかった。テラさんの言葉もだが、彼が僕の腕に触れている。というか、組んでいる。
あの一人芝居で優勝した伝説の高校演劇界の寵児が二人芝居をするという宣言に、みんな驚きを隠せない様子だ。
「うそ、この人と!?」
「背、たっか! 180はありそう」
「すっごいイケメン。あれで一年生?」
(め、めちゃくちゃ見られてる……!)
「あ、あの、テラさん!」
「なに? ほんとのことでしょ?」
「そ、そうですけど……」
そうだけれど、照れくさい。注目されることも腕を組まれることもだが、それよりも、僕を紹介するテラさんの横顔がとても誇らしげに見えたから。
(僕、こんなに幸せでいいのかな……)
あんなことをしても、あんなことに巻き込んでしまっても部活に残ることを許されて、さらには一緒に芝居をしようとも誘われて。頭がふわふわとし、触れられた部分が熱くなる。またしても僕は浮かれてしまう。
すると、ビーッ! という音が辺りに響いた。開演の合図だ。
「あ、もう始まる。天彦、行くよ!」
「わっ!」
そのままテラさんに腕を引かれ、慌てて客席へ向かう。
地区大会が終わった。結果発表まで見届けた僕たちは、夕暮れ色に染まる駅までの道をゆっくりと歩いていた。
会場を出てからずっと、テラさんは口を開かない。一言も話さず黙ったままだ。
(……すごかった……)
僕も、なにも話せなかった。頭の中では、今日見たすべての演目が駆け巡っていた。どの学校もレベルが高く、とても高校生とは思えない。内容も演技も、どれも大人顔負けだ。
(僕はバカだ。浮かれてる場合じゃなかった。みんな、あんなに上手いなんて……)
泣いて笑って、怒って。一瞬たりとも気を抜くことなく、全身全霊で演じている。いや、生きている。テラさんもみんなも、舞台の上で役として呼吸している。
それだけではなく、台詞によって声量に強弱をつけ効果的に抑揚を出したり、照明やセットの位置を把握しつつ、自然に、最大限映えるように動いてもいる。舞台も全体をあますことなく使い、中には役者が客席まで降りてくる学校もあった。
(僕は台詞を言うのでいっぱいいっぱいで、観客からどう見えるかなんて考えたこともなかった。演技はテクニックであり、計算だ。みんな、それを当たり前のようにやってるんだ……)
そしてなにより、結果発表のときの彼らの反応。抱き合って喜んだり、わんわんと泣き崩れたり。勝ち負けはあれど、あのときあの場にいた全員が本気だった。
(――――勝てるのかな)
ふと、そう思ってしまった。あの、本気で、命を懸けて芝居をしている彼らに。テラさん一人なら余裕で全国へ行ける。けれど、今回は僕もいる。演劇素人のこの僕が。
僕のせいでテラさんが負けてしまうかもしれない。常に完璧で無欠で、一番で、王様な彼が。同時に、兄の顔も浮かんだ。「家のために常に一番であれ」という、飽きるほど繰り返し聞かされてきた教え。もし負けたら兄にどう思われるのだろう、なにを言われるのだろう。また、ため息をつかれるのだろうか。
ゾッと、した。
(――――嫌だ)
はぁ、と息が苦しくなり、体が震え出す。
(嫌だ、そんなの絶対に嫌だ。完璧にやらなくちゃ。テラさんを勝たせるために、兄さんに呆れられないために、ミス一つなく完璧に……!)
「――――天彦」
そのとき、ふいに熱を感じた。ハッと我に返ると、いつの間にか僕は歯を食いしばり額に汗を浮かばせ、爪が食い込むほど強く拳を握りしめていた。そしてその手に、テラさんが触れていた。
真剣な眼差しで彼は静かにこう告げる。
「天彦も分かったでしょ? 今のままじゃ勝てないって。だから、僕たちはもっと慣れた方がいい。相手に触れることに、触れられることに」
「え……?」
なにを言われたのか分からず、頭の中で反芻する。それでも理解できないでいると、テラさんは今度は僕の目の前へ手を差し出してくる。
「ほら、天彦から握ってみて。天彦は王様なんだから」
「握る、って……?」
「手だよ、手! これから、毎日手を繋ごう。手だけじゃなく、一緒に登校したり帰ったり、ご飯食べたり。他にもいろいろ」
ニッ! とテラさんが勝ち気に口角を上げる。いつもの王様の顔になる。
「つまり天彦、僕と恋人になろう! アンナと王様は劇中で両想いになるんだから。だから僕たちも、全国で優勝するまでイチャイチャするよ!」
「イ、イチャイチャ……!?」
(テラさんと恋人って……え、えええええ!?)