ワールド・エンドで手を取って 箒に乗ったいくつもの人影が、夜空を背景に踊っている。
ある者は、本を片手に燦然と。ある者は、髑髏を掲げて猛々しく。ある者は大鎌を振りかざして堂々と。ある者は、もうひとつの月のように空中で弧を描き、またある者は、目にも止まらぬ速さで飛び回っている。
二十一と一の人影は、世界を飲み込んでしまうほどに大きな月と、踊っている。
それは影絵のように、幻想的で、蠱惑的で、刹那的で、とても美しい。
***
キィンッ!!
首元まで迫っていた見えない刃を、辛うじてカトラリーで弾き返す。体勢を崩したところへ、再び刃が襲い掛かってくる。真正面から斬りかかってきた刃はどうにか受け止められたが、刃の破片のようなものが飛び散り、手足へ細かい傷を刻んでくる。「刃」と表現してはいるが、いかんせん実体が見えないので、本当は風かもしれないし、魔力の塊かもしれない。だが、そんなことはどうでもよくて、今は一刻も早くこの状況をどうにかしたい。
迫り来る<大いなる厄災>を前に、たった一人。もう誰もいなくならないように、すぐに手を取り合えるようにと、身を寄せ合って戦う俺たちを嘲笑うかのように、<大いなる厄災>はいとも簡単にそれを分断した。当初の計画では、北の暴れん坊三人と東は陽動部隊で、西は遊撃部隊、中央と南と双子で巨大な魔法陣を生成することになっていた。こうして分断されてしまった今、何がどうなっているのか分からない。子供たちが心配ですぐにでも駆け付けてやりたいが、見えない刃に執拗に追い回されて身動きが取れないでいる。
「っ……!!」
腰の辺りに飛んできた刃を受け流し損ねて、スパッと真横に血が走った。痛みの程度で、そこまで深い傷にはならなかったことを感じる。刃が迫ってくる瞬間はなんとなく分かる。風圧というか魔力の圧というか、そういったものが音を立てて飛んできて、刃に姿を変えて斬り付けてくる。まるで、己の魔道具であるカトラリーのように。手の内が分かって戦いやすいようでいて、見透かされるような不気味さもあって、戦いづらい。とにかく、この状況からどうにか逃れて、現状を打破する手立てを打ちたい。誰でもいい、誰かと合流できれば――。
不意に、背筋に冷たいものが走った。箒を半回転させて向き合うまでもなく、巨大な魔力の波が押し寄せてくるのが分かった。本能的に、ヤバいと思った。ミスラとオズの喧嘩に負けるとも劣らない、ヤバいやつが来る。咄嗟に箒の向きを変えてギリギリのところで避けるが、獲物を捕らえ損ねた獣のように、波は再び俺に照準を合わせて飛び掛かってくる。辛うじて躱しつつ、必死に最善の策を探る。ルチルならまだしも、俺の箒じゃ振り切れる気がしない。迎え撃てるか。無理だ、消し飛んじまう。移動魔法は。専門外だ。逃げ込める場所は。瓦礫になりかけのあの建物なら、あるいは。
シルバーのペンダントを引きちぎり、箒の柄の先に巻き付け、魔力を込める。どれだけ役立つか分からないが、ないよりはましだろう。同時に、自分自身から発せられる魔力の気配を限りなく薄くする。箒が囮となってくれることを願って、飛び続ける箒からするりと滑り落ちようとした、その瞬間。
「《アドノポテンスム》!!」
よく見知った弾丸が、<大いなる厄災>の魔の手を撃ち抜いた。鼓膜が破れるかと思う程の破裂音が響き渡り、辺りの空気をビリビリと震わせた。一瞬遅れて、突風が巻き起こった。箒から今まさに落下しようとしていた俺は、ひとたまりもなく吹っ飛ばされた。が、突然首根っこをぐいっと引っ張り上げられ、飛んでいる箒の後ろにどさりと乗せられた。見上げた視界には、白と黒の入り交じった髪。
「よう、箒の練習か? 面倒見てやろうか」
「いらねえよ馬鹿! つか、いきなりぶっぱなすんじゃねえよ危ねえだろうが!」
「だぁから見越して拾ってやったんだろうが。とりあえず、状況整理すんぞ」
地上に目を走らせたブラッドが、俺が目を付けた建物を指差して、箒を加速させた。ブラッドの肩に片手を置き、もう片方の手でカトラリーを握り、周囲を警戒する。追われている様子はない。箒は俺たちを乗せて、崩れかけの建物の中に滑り込んだ。そこは教会だったようで、ステンドグラスの欠片がそこかしこに散らばっていた。欠片たちはこんな時にも、月の光を従順に反射して、きらきらと輝いている。まるで、いつか見たマナ石みたいだと思った。
「てめえ一人か?」
ブラッドが傾いた壁の陰にどさっと腰を下ろしながら聞いてきた。その言葉に頷き返す。
「ああ。東で陣形組んでたところをいきなり吹っ飛ばされた。見えない巨大な手で引っ叩かれたような感覚だった」
「こっちも似たようなもんだな。オツキサマなりに一丁前に頭使ってやがるぜ」
北の三人が分断されたということは、二十一人の魔法使いたちは皆、バラバラにされてしまったのだろうか。どうにもできない苛立ちに任せて悪態をつく。空を見上げると、昼か夜かも分からない混沌とした紫色の空に稲光が迸っていた。オズの魔法だったらいいのにと、普段は絶対に思わないことを思い浮かべてしまう。状況をさらに細かく訊ねようとブラッドの方を見ると、座り込んだまま、片手で脇腹の辺りを押さえている姿が目に入った。
「……ッ!! ブラッドてめえ、怪我してんなら言えよ!」
すぐさま駆け寄り、治癒魔法を掛けようと掌を翳した。が、ぞんざいに振り払われてしまう。
「いい、いい。とっとけ。これぐらいどうとでもなる」
ブラッドはそう言いつつ、片手で俺の手を押し留め、もう片方の手で自分の脇腹に治癒魔法を掛けた。心なしか、いつもより弱々しく見えるその光に、俺の中で何かがぐらついた気がした。
「んな顔すんな。どうってことねえよ。よっ……と」
脇腹を押さえているのと反対の手で地面をぐっと押し、ブラッドが立ち上がった。そして、マジックでも見せるかのように脇腹からぱっと手を離し、ひらひらと動かした。どうってことない、のサインらしい。傷口の様子は分からないが、服に黒っぽく滲んだ血の跡が痛々しい。頬の内側を噛んで、溢れ出そうになる感情を抑える。集中しろ。心の芯がぶれたら、魔法も揺らぐ。
「そういや、おまえ結局箒は?」
自分の箒に跨がりながら、ブラッドが訊ねた。
「あんたが吹っ飛ばしちまったから、多分その辺?」
肩をすくめて、教会の周りの木立を指差しながらそう答えた。次の瞬間、雷撃が怒涛の勢いで地面を次々と突き刺した。すぐそばの木に縦に亀裂が走り、ミリミリと音を立てて裂けていく。崩れかけの壁にとどめを刺すように雷撃が落ち、粉々に打ち砕かれる。猛攻に地面が揺れる中、箒に乗ったブラッドが俺の腰の辺りを掴み、空中へと掬い上げた。再びブラッドの背に乗せられ、雷撃の雨を避けて飛び去る。木の枝が、瓦礫が、窓ガラスが、北の国の吹雪のように吹き付けては、細かい傷を刻んでいく。簡易的な結界を張り、箒ごとすっぽりと包み込む。これで多少はましになるはずだ。
「せっかちな野郎だ。のんびりお喋りもさせちゃくれねえとはな」
「ブラッド、俺を降ろしてくれ。箒探してくる」
「あ? あの中にか?」
ブラッドが呆れたような顔で振り返り、後方を親指でぐいっと指し示した。雷撃によって、木立が火事になっていた。
「諦めろ。おまえに合うのをまた見繕えばいい」
「いや、でも、俺が乗ってたら邪魔だろ?」
「はっ。誰に言ってんだ!」
ブラッドはそう言うと、箒のスピードをぐっと上げて、いきなりぐるんと宙返りをした。その勢いのまま急降下したかと思えば、矢のように急上昇する。独特の浮遊感に包まれながら、ブラッドに叫ぶ。
「おい! 遊んでる場合じゃねえっつってんだろ!」
「ハハッ! いいねえ、さすが俺様の見込んだ奴だ!」
随分と機嫌の良さそうな声で、ブラッドは吼えるように笑った。
***
どのくらい飛び続けただろうか。
他の魔法使いたちとどうにか合流しようと気配を探ってはみたものの、<大いなる厄災>の魔力で上書きされて探知することができない。不意をついて次々と攻撃されるため、緊張を解くこともできず、時間の感覚がなくなっていく。絶え間なく襲い掛かってくる攻撃によって、一つ、また一つと傷が刻まれていく。
「ネロ、屈め!」
ブラッドの鋭い声に、本能的に体が動く。咄嗟に前に体を倒すと、頭上を物凄いスピードで黒い何かが飛んでいったのが分かった。ピッと小さく裂ける音がして、顔の両脇にバサッと髪が落ちてきた。髪留めが切れたらしい。視界が狭まり、鬱陶しさに小さく舌打ちをする。そこへ、再び黒い何かが飛んでくる。
「ネロ、投げんぞ!」
「は!?」
言うやいなや、ブラッドが俺の尻の下に手を差し込み、ぐっと力を込めて俺の体を持ち上げ、前方にぶん投げた。
「てんめえっっ!!」
ふざけんな、ありえねえ、俺をなんだと思ってる!
あとで締めてやると思いながら、囮役らしくカトラリーをぎらつかせて、こちらに注意を引かせる。黒い鳥のようなそいつはまんまと引っ掛かり、雄叫びを上げながら迫って来た。
「《アドノポテンスム》!」
弾丸が鳥の体を撃ち抜き、パッと黒い羽根が飛んだのを、落下していく視界で捉えた。
「ネロ!」
真っ直ぐに飛んで来たブラッドに向かって両手を伸ばす。ドサッと音を立てて、ブラッドの腕の中に綺麗に着地した。そのまま流れるように、ブラッドの胸倉を掴み上げる。
「てめえ……!」
「おっかねえ顔すんなよ。いいじゃねえか勝ったんだからよ」
「っ!!」
ブラッドの後ろから、先程と同じような鳥が飛んで来るのが見えた。咄嗟にブラッドの頭を抱きかかえて仰け反り、ギリギリのところで回避する。鈍く光った鉤爪が、先程の鳥とは比べ物にならないくらいでかい。あれはさすがにヤバい。懐に手を突っ込み、小瓶の中身を掌に出す。
「ブラッド、ごめんな」
片手でブラッドの首にしがみつき、もう片方の握りしめた手を、ブラッドの顔の前で開いた。
「は? は、はっくしょん!!」
ぎゅんっと体が引っ張られるような感覚がして、次の瞬間には、ブラッドと合流した教会に戻っていた。
「てめえな……!」
「いいじゃねえか、逃げられたんだから」
しれっと言って返し、周囲の様子を探る。誰かが来たような気配はない。崩れかけの教会でいくつか残っていた長椅子の一つに、どさりと倒れ込む。似たような音がして顔だけ振り向くと、ブラッドも通路を挟んで反対側の長椅子に座り込んでいた。
暫し与えられた休息に頭が追い付かず、ぐるぐると考え込む。
皆は無事だろうか。ヒースは、シノは、上手くやれているだろうか。ファウストはまた無茶をしていないだろうか。子供たちは、仲間たちは、賢者さんは。このままの状況が続いたら、世界はどうなる。好き放題やっている<大いなる厄災>を止められなかったら、どうなる。俺は、ブラッドは。
急に不安に襲われて、上半身を起こしながらブラッドの方を振り返る。ブラッドも俺の方に顔を向けている。ああ、鏡写しだ、と思った。きっと、俺も同じ顔をしている。なんとなくそう思った。
示し合うでもなく、ただ引かれ合うように、お互いに立ち上がった。長椅子の間をゆっくりと進み、広い通路に出る。傷だらけでぼろぼろの男と向き合う。月明かりに照らされたその姿は、魔法使いでも、盗賊団のボスでもなく、ただのブラッドに見えた。きっと俺も、魔法使いでも、飯屋でもなく、ただのネロに見えるんだろう。ただの二人は、迷子同士が手を取り合うように、静かに手を伸ばした。
静寂を切り裂くように、刺すような光が視界を埋め尽くした。遅れて、耳を劈くような雷鳴が轟いた。
「ゴホッ、ゲホッ、っ……」
「グッ、ゲホゲホッ、はぁっ……」
激しく噎せ混みながら、隣に倒れ込んだ男の様子を見る。どうやら俺たちは咄嗟に庇い合ったらしい。互いに互いの背中に手を回している。腕も顔も血まみれで見るに堪えない。呼吸が落ち着くのを待つ暇もなく、すぐさま立ち上がる。空を見上げると、まるで世界を手中に収めたような顔をして、<大いなる厄災>が神々しくも憎々しげに輝いている。
「おい、ネロ」
「ああ!?」
危機を知らせるでもない、穏やかな日常のような声が、唐突に投げられた。何を腑抜けた調子で、と首だけ回すと、珍しい色の笑みを浮かべたブラッドが、こちらに顔を向けていた。からかう色でも、悪だくみの色でも、好戦的な色でもない。
「結婚しよう」
「…………は?」
その言葉の意味が理解できなくて、一瞬頭が真っ白になった。狙い澄ましたように、俺たちの間に雷撃が叩き込まれた。間一髪飛び退り、事なきを得る。当たり前だが、こちらの事情にはお構いなしに、<大いなる厄災>の猛攻は絶え間なく続く。触れたら丸焦げにされそうな雷撃、体の中身を全部ぶち撒けたくなるような魔力の圧。気を抜けば、即砕け散る。
そんな時に、こいつは一体何を言っている?
「てめえ、ついにイカれちまったのか!?」
「いんや、かつてないほど正気だぜ?」
カトラリーで、銃弾で、迫り来る矢のような攻撃を弾き返す。楽しげですらあるブラッドの声音が恐ろしい。
「こんな時に何ふざけたこと抜かしてやがる!!」
「こんな時だからこそ、だろ」
知らない、
そんな顔で笑うおまえは、知らない。
「生きるか死ぬか、一世一代の大勝負だ。そんな時に、一番欲しいもん奪わねえなんざ、大盗賊の名が廃る」
言うな、だって、それじゃあさ。
「愛してる、ネロ。生きるも死ぬも、てめえと一緒がいい」
まるで最期みたいじゃねえか。
***
こういう時に俺は、相手の返事も聞かずに掻っ攫うか、手練手管で望みの返事を言わせるか、どちらかだと思っていた。
「なあネロ、返事は?」
まさかこんな風に、焦れったくなって急かすような真似をするとは思わなかった。
数分前、今しかないと思って誓った言葉を、相棒に無視されている。
まあ、確かにそれどころじゃないと言えなくもない状況だが、機を逃したら聞いてもらえないかもしれないので、俺様なりにここぞというタイミングを選んだつもりだ。それなのに、随分とつれない態度を取られている。おまけに、なんだかキレている気もする。なぜだ。そんなに気に食わなかったのか。ネロの癖に生意気だ……と思いかけたが、自重する。こういうところを変えていかなきゃいけない。一緒に生きるってのはきっとそういうことだ。
<大いなる厄災>の猛攻を凌ぎ続けるのもいい加減飽き飽きしてきた。あちらの状況がどうなっているかは分からないが、あの面子で手も足も出ませんでしたとは言わせない。早く本丸を叩きたいってのに、このままじゃ埒が明かない。時間稼ぎは十分してやった。このまま魔力切れを起こす前に、反撃の狼煙を上げさせてくれ。
集中が逸れていたのか、目の前を木の枝が掠め飛んでいった。<大いなる厄災>の魔力に当てられたのか、先程から木々が枝を揺らして沸き立っている。面倒だから燃やしてしまおうと火の玉を飛ばしたら、延焼してもっと面倒なことになったので、距離を取っていたはずだ。いつの間にかこちらに枝を伸ばしてきたらしい。銃を構えて狙いを定めた途端、足元を物理的に掬われて真っ逆さまに吊るされた。掴まれた足首の辺りに狙いを向け直したところで、ネロのカトラリーが物凄い勢いで襲い掛かり、木の枝を霧散させた。猫のようにくるっと体を捻って着地すると、ネロが憤然と歩いてくるのが見えた。片膝をついたまま、わざと甘えるように片手を伸ばしたら、その手は無視されて、胸倉を掴まれて立たせられた。そのまま、噛み付くように口づけられたかと思ったら、すぐに突き放された。食い縛った歯の隙間から絞り出すように、ネロが呟いた。
「……死なせねえ」
金色の瞳が、月明かりを反射して鋭く光った。
「気が変わった。俺のマナ石をくれてやるのは千年早え、この馬鹿野郎が……!」
「あ? 何の話だ?」
「なんでもねえよ、馬鹿!」
どうやらこいつは、また勝手にああだこうだといろいろ考え込んでいたらしい。なんと儘ならない、難儀で愛おしい奴。
「貰ってくぜ、相棒」
掻き上げた青い前髪の下の表情を窺う。いつものように、何か言いたげな顔をしながら、口の中でもごもご言っている。待ちきれなくなって口づけを落とす。
やっぱり俺は、返事を聞かずに掻っ攫うタイプらしい。
***
「皆のとこ戻ったら、なんか、気まずいんだけど……」
「んなもん、お得意のアレで誤魔化しゃいいじゃねえか。『ブラッド……リーくん』で」
「……あー、ごめん。なんか、やっとあんたの気持ちが分かったわ。こう、もやっとすんな」
「今更かよ」
並び立つ二つの人影が重なって、地面を蹴って飛び上がる。
今まさに世界を飲み込もうとしている大きな月に向かって、ここにいるぞと吼え立てるように旋回する。
影絵に色がつく。音がつく。動きがつく。絵のままではいられないと叫んでいる。
世界の終わりに聞こえるその声が、祝砲であることを祈って。