高校三年の一月、春高で烏野に敗れた時、研磨が言った言葉。その言葉は、八歳から一緒だった気持ちへの区切りをつけてくれ、そして卒業まであと二ヶ月というそんな時に、俺は幼馴染が幼馴染には見えなくなる呪いにかかった。
八歳に出会ってから、隣にいることが常だった。学年こそ違えど、学年の隔たりが邪魔しないシーンではよく隣にいた。バレーボールの面白さにのめり込んでいって、研磨にも一緒にいて欲しかった。可能ならば、この面白さを共感したかった。
(でも、この面白さを実感させられたのは結局俺ではなくて、日向だった)
それを、悔しいと思わない自分がいたことにも驚いた。
ずっと研磨のそばにいたが、自分では研磨のライバルにはなれないことをどこかで悟っていた。例えば別のチームだったら違うだろうか?…いや、このたらればには意味がない。同じチームだからこそ、一緒にいたからこそ、バレーに直向きになれたから。研磨と組むことでチームプレイの面白さに気付いて、夢中になって、無我夢中になって。きっと俺だけではない、多分、少なからず研磨も。
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