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    46thRain

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    46thRain

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    美しいかんばせを持つ「マネキン」はただの一言も喋らず、ぴくりとも表情を変えない。マネキンは壊れた人間なのだと誰かは囁いた。もともとは優秀な吸血鬼退治人であったが、ある日を境に壊れてしまったらしい――。
    9/18開催・吸死に一笑8にて発行予定のサンプルです。はてしなく不穏な雰囲気ですがちゃんとロナドラします。させる予定です。
    ・文庫サイズ/80頁前後/価格未定(500円~)/通販書店委託予定

    祝えよ絶望 呪えよ希望(ロナドラ) 街を真実として理解している生き物をご存知? 
    人間? 吸血鬼? 全くもって見当違いもいいところ! 答えは我らが鼠たちだ。地下という地下をテリトリーにして、地上にのさばる人間や吸血鬼どもの足元をササササッと駆け抜けて。この街の上も下も隅々まで一番詳しい話を知りたいなれば、賢い者は鼠を捕らえるものさ。まあ、そんな無礼な輩はこの鋭い歯で噛み付いて逃げるけれども。まことに知りたくば、跪(ひざまず)いて教えを乞うのが正しい姿勢というものだ。
     とはいえ、自分は若輩者であるゆえに、この街で五年生きる最年長の鼠公などと比べると知識はいささかか劣る。それでもあの男の話は自分のような若い鼠にさえ届いている。「マネキン」と呼ばれる男だ。
     彼「マネキン」はこんな夜半に現れる。いつだって同じ赤揃えのジャケットと帽子、それから白いパンツと黒いブーツを履いてね。それだけなら「マネキン」なんざ渾名をつけられやしないが、彼には何せ表情という表情が一切なかったのだ。「マネキン」は非常に端正な顔立ちをしているよ。たくさんの人間を見てきた鼠が言うのだから間違いない。その美しきかんばせもまた「マネキン」と呼ばれる所以(ゆえん)であろう。
    けれど「マネキン」はいつ見ても夜を映した凪の湖の如く、静かな絶望を湛えた瞳をしており、ピクリとも表情を動かすことはない。ただただ夜を漂うように「マネキン」は街を徘徊する。ふらりふらり、あっちへふらり、こっちへふらり。時に暗渠(あんきょ)を潜り下水路に入り、服が汚れても表情一つ変えずに。まるで何かを探しているようだった。実際、探してるんじゃないかな。たまにしゃがみ込んだり立ち止まったり、たしかに「マネキン」は何かをしていたよ。繰り返し、繰り返しね。そうして「マネキン」は空に茜色が差し始める前には、我々と同じようにどこかへと帰って行く。
    「マネキン」は壊れた人間なのだと誰かは囁いた。もともとは優秀な吸血鬼(ヴァンパイア)退治人(ハンター)であったが、ある日を境に壊れてしまったらしい。
     何も顔に浮かべず、何も言葉にせず―、ああ、そうだ。「マネキン」は喋らない。ただの一言さえ、声を発しないのだ。鼠公でさえ「マネキン」が言葉を紡いだところを見たことがないと言う。喋れないのではないかとも誰か噂していた。
     だから壊れた人間である彼のことを、人は蔑称して「マネキン」と呼ぶようになったのだろう。いつしか元の名前さえ消えて、今日も「マネキン」は夜をさまよっている。ゆらりゆらり「マネキン」の影がこちらに近付いてきていた。相変わらず整ったかんばせが遠目にも見える。その瞳は何も映さないけれども。
     さてはて狂った人形はいったい、ずっとずっと何を求めているのかしらん。もう彼の喉は本当に何も言葉を生めないのかしらん。鼠心にちょっとばかり気になったものの、仲間に呼ばれ下水管へと潜った。それが鼠として生きる正解と言うものなのさ。



     ショックでした。それ以外あるわけないじゃないですか。だってロナルドさんは私の憧れで、こうして大好きになったのは退治人をされていたからだし、何よりも私の中では退治人という仕事とロナルドさんは切っても離せないものだと思ってましたから。というか、たぶん私だけじゃないはず。ロナルドさんを知る人ならいかに彼が退治人の仕事に情熱を持っていたのか知っている。あの人はいつか老いて体が動かなくなったとしても、その心根は退治人のままなんだろうって無意識にも信じさせる、それほどすごい人なんです。
     ……そんな人が、何の理由も説明なしに引退するって聞いて、すぐ納得なんてできるわけがないじゃないですか。私も最初何の冗談かと思いましたよ。タチの悪い、笑えない冗談。けどフクマの野郎も編集長も深刻な顔で、これは事実です、って言う。フクマに至ってはいつもの薄ら笑いも消えていて、あんな顔、はじめて見ました。できるならばそれは私が編集会議で勝利をおさめるときに見たかった、そういうものだったのに。
     フクマは言った。ロナルドさんから書面で契約解除の通知書が届き、事情を強めに聴きに行ったものの、何も語られることはなかったと。ただ退治人を引退するのか、その問いにだけは頷いたって。
     信じ、られるわけがない。だってロナルドさんは本当に真っ直ぐで、退治人という仕事に誇りを持っているのは彼の仕事ぶりからもロナ戦からも明白なのに、引退するなんて、嘘でしょう? ねぇ、嘘って言ってくださいよ、誰か。

     こんな報せ―、聞きたくなかった。

     床がぐうにゃりと歪んでしまったみたいに、足元が覚束なくなって私はその場にへたり込んだ。壁や天井でだって重心を取るのはお手のものなのに、なんでだろう? わからない。編集長が心配げに声をかけてくれるのが遠くで聞こえる。
     ロナルドさんどうして? 何かきっとわけがあるんですよね? どうにもならない、そんな理由が。だってそうでなければあなたが引退なんて、信じたく、ない―。
     ああ―、そうか。それなら確かめればいい。何もしないサンズちゃんじゃありませんよ。ご本人と直接話して、何か困ったことがあるならば解決をお手伝いすればいい。それだけのことじゃないですか。フクマの野郎には打ち明けにくいことも、このサンズちゃんは優しく聞いてあげます。
     私が立ち上がって編集部から出ようとすると、どこに行くのですか、フクマが声を掛けて来た。コイツもコイツです。ロナルドさんの担当編集にしがみつき続けるなら、ロナルドさんの憂いや悩みくらい解決してみせろってんですよ。
    「ロナルドさんのところに決まってるじゃないですか」
     睨みつけながら答えれば、フクマは哀れなものでも見るように目を細めた。
    「我々はロナルドさんの生き方までは口出しできませんよ」
     反射的にドアノブに掛けていた手を止めた。呼吸の仕方が、一瞬わからなくなる。ああ、こんなこと察したくないのに―、その一言でフクマがいかにロナルドさんを大事に思っているのか、わかってしまって。そして奴がそういう風に思っている存在に対して真剣に、全力でぶつからないわけも、なくて。
     私はまた、床にへたり込んだ。
     本当は最初からわかって、いたんです。フクマは気に食わない奴だけど、ロナルドさんのことをきちんと考えて真っ直ぐ向き合ってることくらい。だってそうでなかったら、あそこまでロナ戦が素晴らしい本になるわけがないじゃないですか。もちろんロナルドさんのご活躍と筆があってのことですが、それでも編集者の腕一つでどんな素晴らしい内容の物語でも駄作になり得てしまうことくらい、私はよく知っている、んですから。
     視界がにじんだ。私が泣いたって何も変わりはしない。それくらいわかっています。泣きたいのはロナルドさんの方かもしれない。それでも、大好きな人が困っているのに何の役にも立てない自分が悔しくて。まばたきとともに床には雫がぼろぼろと落ちた。
     ああ、どうか、私じゃなくてもいい。誰でもいい。もしもいるのならば神様どうか―、あの人を、助けてください。



     見損なった、と言うのが奴に対する率直な感想だった。
     高校のときから「退治人になる」と目標を明確にし俺のライバルとして競ってきたくせに、こんな早々に引退をするなどふざけている。それが怪我や病であれば体調管理をしていないバカだからだと罵れども、見損ないなどしなかった。時間を掛けてでも癒やせばいい。そうしてまた歩み出せばいい。ただそれだけのことだからだ。
     しかし奴の引退理由はそうではなかった。それどころか語られさえしなかった。本人の口は貝のように閉ざされ、吸血鬼の騒動がこの街で起きようとも、ふらふらと無関係な場所をほっつき歩いている。これを見損なわない方がおかしな話なのだ。
     無論、追及した。

     ―なぜ引退をした、何を考えている、何とか言ったらどうなんだ!

     何度となく奴の元へ訪れては閉まりっぱなしの扉に向かって迫った。扉は大勢で押しかけた一度きりしか開かず、中の様子は窺えない。事務所側の床下にあった出入り口も塞がれ、ヒナイチ副隊長も奴とコンタクトは取れないそうだ。奴の家にいた吸血出目金はいつの間にかVRCの敷地に置き去りにされ、あの事務所には今や完全にロナルドしかおらず、中の様子を知る者は誰もいなくなった。
     もはや奴が生きているかどうかを知るのは、夜毎の徘徊を確認するしか術はなくなっていた。己の礎(いしずえ)たる職務を放棄した奴の姿など、見るたびに腑(はらわた)が煮え繰り返って掴みかかって殴りたくなるものだと言うのに、まだ生きていることを確認し安堵(あんど)を覚えてしまうのだから、皮肉な話だ。
     俺のお母さんも、奴の心配をしている。お母さんは優しいから当然だ。奴の引退を知ったときもかわいそうなほどに狼狽(うろた)え、それに対する世間の憶測、主に悪評によって傷付いている。ロナルド様なりのお考えがきっとあるのよ。そう目を伏せたときのお母さんの淋しげな表情をよく覚えている。けれど俺は慰めることができなかった。
     間違いなく奴は赦されないことをしている。お母さんやファンにももちろん、これまで築いてきた奴自身にさえ、赦されざることをしているのだ。ロナルド、お前の胸に聞いてみろと怒鳴りたい。退治人になりたての頃のお前が今のお前を見たら怒り狂うんじゃないのか。殴りかかるに決まっている。正気かと叫ぶだろう。

     ―嗚呼! いっそ俺がそうしてやりたいと言うのに!

     いったい奴は、何を考えているのか。高校からの長い付き合いだが、これほどまでにわからないことはなかった。もともとロナルドは単純な奴なのだ。その浅はかな考えなど目に見えることが多く、感情の起伏もいつだって激しかった。
     だから、はじめてなのだ。あんな風に怒りとも哀しみとも嘆きともつかない、静かな激情を秘めた瞳を見るのは。
     いったい何を、考えている? どうして独りで抱え込む? どうせまた下らないことで独り悶々としているのだろう。阿呆面ばかりしているくせに、時にどこまでも辛気臭くなる奴だった。抱え込んでいないでさっさと周囲にぶちまけてしまえばいい。俺はそれを指差して笑って、そのあとにお前が必要だと言うならば手を差し伸べてやろう。そのくらいの準備はいつだってできているのだ。恐らくそれは俺だけではない。なのに何故お前は、独りを選ぶのか。
     俺がオフの日に街を徘徊するロナルドを見つけたこともある。暗渠に潜って行こうとするその背に無論声を掛けた。そして当たり前のように反応はなかった。聞こえるのはどこかで鼠の駆け回る小さな足音だけで、以前はうるさく存在を主張していたロナルドの足音はひっそりと夜にとけるような静けさだった。それが俺の胸に燻(くすぶ)る焦燥に拍車をかける。それを誤魔化すように俺がセロリを投げ付けても、奴は躰を一瞬硬直はさせたものの悲鳴一つ上げずに、俺の横をすり抜けて去っていった。
     コイツは本当に、ロナルドなのだろうか。そんな疑問が生じたのはそのときだった。いっそ吸血鬼の気配でもまとわりついているのならば解決しようもあるだろうに、奴からは仄(ほの)かな血の匂いしか、しないのだ。
     ロナルド、いったいお前は、何をしている? 胸がざわめいて仕方ない。その血の匂いは何なんだ。怪我でも負っているのか? 何故? 何とも戦っていない奴がどうしたら怪我をすると言うのか!
     それならば―、誰かの血を、浴びたのか?
     ……違う。そういう奴ではないのだ。一瞬浮かんだ考えは即座に否定をした。しかしそれは一度のみではなかった。奴と対峙(たいじ)したときには必ず、血の匂いがした。
    『ロナルド貴様何をしている⁉︎ その血の匂いは何だ! 答えられないのならば、署まで引きずっていくぞ!』
     二度目は河川敷近くの人気のない道だった。そこで問い詰めた。それは俺の職務としても正しいことだ。……いや、本当なら一度目のときに無理やりにでもそうすべきだったのだ。それを、俺は愚かにも、できなかった。もしも奴が―、俺の知るロナルドの本質を忘れていたら? 俺は友人を、逮捕、するのか? そう、考えてしまったことを、俺は、否定できない。
     はたしてロナルドは何も答えなかった。俺が掴んだ腕を凪いだ瞳で見るばかりで、言い訳も何もしない。そのまま奴は腕を振り払おうとした。だが離す気はなかった。信じているならばこそ、俺は今奴を離してはならないのだ。やましいことがないのなら、連れて行っても問題はない。そうだ、それだけなのに、どうしても昔と違い過ぎる奴の様子が、俺の感情を踏みにじっていく。
     嗚呼、そもそも血の香りをまとわせているのみならず、退治人を引退しているのに武器を所持している時点で奴は違法行為を働いているのだ。だがそれを誰もが無意識のうちに気付かない振りをしている。どうしてか。なあ、わからないか、ロナルド。誰もがお前が本当に引退したなどと信じたくないからだ!
     ロナルドはもう一度俺の手を振り払おうとした。俺は離さなかった。錠剤でブーストも既にしている今ならば、ロナルドを腕力で引きずることもどうにかできるだろう。これ以上抵抗をするならば拘束しても―、そのときだった。ロナルドが空いている手でリボルバーを抜き、自分自身のこめかみに突き付けたのは。
    俺の心臓は―、間違いなくあのとき一瞬止まった。
    何を、している? ロナルド、何だそのふざけた真似は。お前、本当にロナルドなのか? 
    思考は一瞬のうちに何色ものペンキをぶちまけられたみたいにぐちゃぐちゃになった。仮にリボルバーに装填されている弾が対吸血鬼用のものだとしても、これほど至近距離で撃てば無傷ではすまない。そんなことは、お前の方がよく知っているはずだ。
     麻酔弾ならば、まだいい。だがもしもそれが銀弾だったとしたら? 果ては実弾だったとしたら―。
     こちらに銃口を向けられる覚悟は、できていた。そのときはどうとでも応戦してやる気だった。しかし、こんな事態は、まるで想定していなかったのだ。
     トリガーにかかったロナルドの指に力が込められるのがわかった。激情を夜の海に沈めたような瞳が俺を静かに見据えている。その無機質さに背筋に寒気が走り、喉が引き絞られる心地になった。俺は反射的に奴の腕を、離した。
     それを確認するとゆっくりとロナルドのリボルバーが降ろされた。奴は瞼を半分だけ下ろして俯(うつむ)くとそのままもう二度と振り返らずに、夜の街に消えた。
     噛み締めた奥歯がギシリと軋んだ。握っていた掌には爪が食い込み血が滲んだ。
    嗚呼、嗚呼! なんたる無様なことか! ただ独りをみすみす見逃す愚かさ! 奴の両腕を捻り上げればいいのに―、けれど恐らくそうして捕らえたところで奴は、ロナルドは何も、真実を語らないだろう。それだけはどうしてか、わかってしまった。
     ……ロナルド、お前は本当にまだ、生きて、いるのか? 問いの答えはこの街に、はたしてあるのだろうか。俺にはまるで、わからない。
    ロナルド―、お前は何を、考えている?



    「マネキン」の噂は俺様のもとにもよく耳に入ってくる。まるで人が違うようだと、奴を知る愚物どもは誰しも口を揃える。しかし、そこに吸血鬼が関わっている様子がないのであれば、俺様には無関係だ。
     街に人間を傀儡(くぐつ)にするようなそんな吸血鬼が現れた報告はどこにもなく、ダンピールもマネキンからは吸血鬼の気配はまるでしない、と言う。つまり俺様の研究の対象外だ。そもそも人間なんぞ、簡単に狂うものだ。絶望を突きつけられ己を見失い、孤独によって空想に逃げ、そうして時に希望さえ、人間を狂わせる要因になり得る。実に容易く壊れやすい生き物なのだ、人間とは。
     それでもマネキンは催眠にかかっているのではないかと疑う者も多くいるが、うちで検査はしていない。誰もマネキンをここには連れて来ていないのだから当然だ。俺様がわざわざ奴を捕獲するとでも? 何故そんなことをせねばならない? 俺様は忙しいのだ。そもそもあんな脳みそまで筋肉みたいな奴を俺様一人でどうにかできるものか。そういう下請け仕事を担当するのこそ、かのマネキン達、ハンターであろう。
     ああ……、そうだな。あの男は、口も悪ければ手もすぐ出て野蛮極まりなかったが、文句を言いながらもこちらの依頼を遂行はした。退治人としての腕は確かであり、そういう面では有用な駒だった。それがもう使えないのは確かに不便だ。
     もっとも代わりはいくらでもいる。サテツ君などはマネキンよりもよほど従順で扱いやすくてよい。だが鬱陶しいのは、どいつもこいつもマネキンのことを憂いている、その気配を漂わせていることだ。
     別に明るく騒いでいる空気など好きではない。むしろ煩わしくて苛立つ。静謐(せいひつ)でこそ研究も捗る。だがそれでも、いつまでもじめっとした空気の奴らばかりと接してみろ。うんざりする。
     自然と退治人共に連絡することも減った。もともと脱走騒ぎでもなければ俺様から奴らに用はない。実験動物として使いたいときは奴らは頑丈で便利だが、実験に移れるまでの段階に今の研究はまだ進んでいないところも大きい。
     俺様の一番の気掛かりはマネキンなどではなくそれだった。数年前までは実験に移行するペースがもう少し早かったはずだが、ここ最近はどうにも進捗が悪い。俺様の目的達成のためには、まずゼロから手掛かりを見つけることからはじめなければならなず、そう容易いことではない。凡人ならばとうの昔に諦めただろう。だが俺様は大天才故にその手掛かりを見つけて進めていた。結果がそう物語っている―だが、何かが足りない気がしてならない。
     俺様の研究に間違いなどない。この阿呆ほど吸血鬼が多く現れる街はいい実験台になり、着実に成果は出ている。記録は嘘を吐かず整合性は取れている―、そのはずだが、どうしてか過去の記録を遡(さかのぼ)ると何か「核」たるものが足りない気がしてならないのだ。
     記録には敢えて残していない結果も、俺様の頭の中にはある。それらと照合しても無論矛盾などない。だが過去の結果を見ていると、何故自分がその研究をしようとしたのか、本当の目的が見えて来ない時があった。この大天才の俺様が自分の目的が見えないなどあるはずがないことだと言うのに。
     どうにも、何かが妙だ。胸の底の方で暗くて冷たい水がひたひたと溜まっていくように、不気味な気配がずっと居座っている。俺様が何かに振り回されるなど気に食わん。面白くない。だが原因のわからないものは手の施しようがない。苛立ちに任せて足音を強く鳴らして廊下を歩いていると、視界の隅で何かがサッと駆け抜けた。害虫でも入り込んだのか。誰かに駆除をさせねば。研究物を害されでもしたら堪らない。この忙しいときに面倒な。嗚呼、苛々する―。
    「いやぁ、人間は実に愉快だねぇ! ケンくんもそう思わないかい?」
     苛立つ俺様を嘲るようにガラスの壁越しに愉しげな声が聞こえた。相変わらずここをホテルと勘違いしている阿呆な吸血鬼の一人が、にやけた笑みを浮かべていた。
    「そうかぁ? 俺としては前の方が面白かったわな」
    「えぇ〜、こんなにも揃って振り回されているのは愉快じゃないか。私はそろそろここから出て見物しようかと思っているよ」
    「アンタ竜の尻尾踏みたいのかよ?」
    「とんでもない! そんな面倒はごめんだ! しかし見物するだけなら彼らとて何も言わないさ。観客を構うほど暇でもないだろうし、ね」
     阿呆の一人は目を三日月に歪めてにやにやとしている。もう一人の阿呆は珍しく何かを考え込んでいるような、そんな様子に窺えた。いずれにしても笑っている阿呆がこんなことを言い出したのは、ちょうど今通りかかった人間である俺様を愚弄する目的だろう。ならば無視をするのが常だった。しかし、その言動が引っかかった。
    「……おい、振り回されているとはどういうことだ?」
     ガラスの壁越しに向き直れば、にやけ面の笑みがますます濃くなった。
    「ほら、気付いていないだろう? それこそが振り回されている証だとも! おじさんはそれを見ているだけでおかしくてたまらないよ!」
     アッハッハ、声高らかに吸血鬼が笑う。耳障りな声に思わず舌打ちをした。言葉遊びに構っているほど暇ではない。踵(きびす)を返そうとしたとき「―でも、」先ほどとは打って変わって夜の底に落とされたような平坦な声で奴は言った。
    「いつまでもこのまま変化がないとしたら……、それは実につまらないね」
     冷淡な瞳は何を憂いたのか、俺様が知るわけもない。



     前略 ロナルド様
     突然のお手紙失礼いたします。ロナルドウォー戦記のファンの者です。
     実はかつても何度かお手紙を書かせていただいたことがあるのですが、またこうしてお手紙を差し上げる日が来るとは思ってもみませんでした。
     どうか誤解なさらないで欲しいのは、私はロナ戦の途中完結について何か申し上げたくてお手紙をしたわけではないことです。もちろん、ロナ戦のファンであるため続きが読める日が来たら心から嬉しくは思いますが、ロナルド様にはロナルド様の生き方を何よりも大切になさって頂きたいと願っております。ロナルド様がやりたいことをできることこそが、ロナ戦の、いえ、ロナルド様の一ファンとしての望みです。
     さて、それにもかかわらずこうしてお手紙を差し上げたのは、実は先日ロナルド様をお見かけしたからです。いえ、正確にはお会いさせていただいたのです。春には桜の並木が見られる河川敷で、私は犬の散歩をしていました。うちの犬のお気に入りの散歩コースで夜でも歩き慣れたものでしたから、私は何の警戒もなく歩いていました。
     いつもは喜んで先を歩くうちの犬が不意に立ち止まりました。そうして尻尾を振りはじめたとき、足元の草藪がさやさやと音を立てました。猫か何かいるのだろうか、うちの犬は自分より小さな生き物が好きなものですからそう思いました。
     そして私がそちらに意識を向けていた次の瞬間、ビュンッと風の音がして―いつの間にかトンボにも似た下等吸血鬼が目の前にいました。それはうちの犬よりも遥かに大きくて、私は情けないことに腰を抜かしてしまいました。うちの犬も尾を振るのをやめ、全身の毛を逆立てました。私は犬を抱きしめることしかできませんでした。その下等吸血鬼は私たちに狙いを定め、あっという間に距離を詰めて来ました。
     あと一秒もすれば吸血される。その恐ろしさに私は犬を抱きしめたまま目をきつく閉ざしました。しかし、痛みは訪れませんでした。
     痛みの代わりに私たちが感じたのは、力強い何かに引き寄せられる感触です。脚が一瞬宙に浮き、驚いて目を開けたすぐ先で見えたロナルド様のお顔に私は息を呑みました。よく見れば犬ごと私を抱き上げて走っていらっしゃって、私は混乱のあまり硬直してしまいました。
     何しろ以前からのファンでしたから、夢でも見ているのではないかと思ったのです。私の記憶より少しお年を召され、そうして酷くやつれていらっしゃるのがわかって、私の心臓は一瞬縮み上がりました。それでもロナルド様、まさかあなたがまた吸血鬼と対峙している姿が見られるなんて、思ってもみなかったのです。
     ロナ戦が途中完結になったとき、私はとてもショックを受けました。それは恐らく、ファンである同士はみんな同じ気持ちだったかと思います。事実として公表されたのはオータム書店からのロナルド様の退治人引退の書面、それだけでしたから私たちは一層納得ができなかったのです。
     たしかにかつてに比べてお年は召されたかと存じますが、それでも引退は早過ぎるとしか思えませんでした。ロナルド様と同年代のハンターの方々はまだ誰一人として引退なさっていませんでしたから、なおさらです。
     怪我でもなさったのではないか、病気ではないか、そういう憶測が飛び交う中、インターネット上にロナルド様が新横浜の街をただただ歩いている、そんな目撃情報が出るようになりました。
     こんな話をロナルド様ご本人に本当はするべきではないとわかっております。ですが恐らく既にたくさんのお手紙や噂は、あなたの元にも届いてしまっているかとも思います。
     ロナルド様は疲れてしまったのだと、そして壊れてしまったのだと、そういう風に私たちファンの間では囁かれるようになりました。
     大物吸血鬼が現れたり下等吸血鬼が溢れたり、街中のハンターが駆け回っているときもあなたは合流せず、新横浜の暗渠に入っていく姿の写真がインターネットには上げられていました。ロナ戦やインタビューやサイン会で、ロナルド様のお人柄を少なからず知っている一ファンとしてこの写真を見たとき、私はロナルド様が疲れてしまったのは真実なのだと、認めることしかできませんでした。
     だってロナルド様、あなたは困っている人を放って置けるような、そんな人ではないとただの一ファンですら知っていたのです。その善性はあなたの根幹にあるもので、人の根幹などそう簡単に変えることはできないものです。そう、壊れでもしない限り。
     だから私は受け入れることにしました。私がファンだった退治人のロナルド様はもういないのだと。実際、私もこの新横浜に住んでいますから、ロナルド様が引退なさってから五年の間に遠目からお姿を見かけたことも数回ありました。そのたびに私は確信を深めるしかできませんでした。ロナルド様はもう退治人ではなくなってしまったのだと。
     ですから助けていただいたときの私の驚きもひとしおでした。とっさに言葉も出ませんでした。本当に幻覚ではないのかと、何度もあのとき考えました。ですが間違いなく、現実でした。
     下等吸血鬼からだいぶ離れたところまで避難してから、ロナルド様は私たちを下ろしてくださいましたね。言葉は何もありませんでした。ロナルド様は私たちに背を向けて、来た道へとすぐさま走り去ってしまいました。
     立ち去るあなたに私も呆然としていて何もお礼を言えず、本当に申し訳ありませんでした。おかげさまで私も犬も今日も元気に過ごしております。ロナルド様、心からありがとうございました。何度書いても足りないほど、感謝しております。ありがとうございました。
     ロナルド様がどうして引退をなさったのか、今はもう、詮索する気もありません。あなたは何か大切なことがあったから、自分の生き方を少しだけ変えられたのだと思います。それでもあなたの大切な根幹の部分はお変わりない、そのことが知られただけで私は幸せです。ただ、どうかご自愛ください。あなたがあなたの望むまま生きるためにも、そのことだけお願いしたいです。
     そういえばロナルド様とお会いしたあの日から、久しぶりにロナ戦を再読させて頂いております。以前何度も読んでいたはずですが、二巻以降からどうにも記憶と違うような、不思議な気持ちを味わいました。Y談の吸血鬼が二巻ではなかったような、そんなおかしな気持ちです。
     暗記できるほど読み込んでいたつもりでしたが私も歳を取ったのかもしれません。ファンとしてお恥ずかしい限りです。新鮮な気持ちでまた改めて楽しませて頂きたいと思います。
     それでは長々と大変失礼いたしました。これから先のロナルド様の人生にたくさんの希望が満ちていることを、心よりお祈りしております。
     草々 ロナルド様の一ファンより



     無力だなって思うことは結構あるよ。そりゃ、人より体格には恵まれたし力もある方だけど、それだけでは解決できないことって世の中ある。むしろ多いくらいで、この数年間ずっとどうすればいいのか、わからないでいる。ああ、なんて情けないんだろう。
     けれどそのことは、ギルドではとても口に出せない。みんなおんなじ、やるせ無い気持ちを抱えているから。俺だけじゃないから。
     それでも自分の中だけで抱えてはいられなくて、たまに家では吐き出してしまう。そうすると弟や時折遊びに来るマナー君なんかが心配するからよくないってわかっているけど、それに甘えてしまっているのも真実で。
     助けてやりたいんだ、ロナルドを。だけどどうすればいいのかわからない。だってロナルドは何も、教えてくれないから。
     ロナルドはハンター仲間であると同時に年も近かったから友人だ。もしかしたらロナルドにとってはもう、俺は友人ではないかもしれないけれど、少なくとも俺は今も友人だって信じているよ。だからある日突然、オータム書店から公表されただけでロナルドが退治人を引退する、なんて知ったときは本当に意味がわからなかったんだよ。
     あの日、ショットやマリア、それからヴァモネさん、その日ギルドにいたメンバーですぐにロナルドの事務所に駆け付けた。事務所の前には既にマスコミもいた。ロナルドの同級生の人だったから、マスコミと言うよりは友人としての立場だったかもしれない。
     事務所には鍵がかかっていた。けれど、窓ガラス越しに中の電気がついているのは見えたから、きっといるはずだって思った。ロナルドはそういうところはわりとマメだって知っていたから。
     ノックを何度もした。みんなでロナルドを呼んだ。繰り返し繰り返し呼んで、段々心配の気持ちが苛立ちにも変わっていた。なんで突然、教えてくれてもよかったのに、何かあったのなら相談にだって乗ったのに。そういうぐちゃぐちゃの感情で、誰かが『出ないなら扉を壊すぞ!』って言った。
     すると窓越しに人影が見えて、ゆっくりと扉が開けられた。はたしてそこにはロナルドがいた。見慣れたハンター衣装を身につけて立っていた。
    『あの発表どういうことだよ! 説明しろ!』
     真っ先に尋ねたのはマリアだった。ロナルドの胸ぐらを掴んで、今にも殴りかかりそうな勢いだった。その気持ちはよくわかった。だってあまりにも突然過ぎたから。
     別にずっとハンターを続けろ、なんて思っていない。体力勝負なところもある仕事だし、サラリーマンとかそういう仕事よりも俺たちの引退は早いだろう。それでもまだ四十前で年齢を理由にするには早く、ましてや怪我をしたわけでもなく、何よりもロナルドがどれほどハンターという仕事に情熱を持っていたか知っていたからこそ、どうして、と戸惑わないわけがなくて。
    『何とか言ったらどうだ!』
     マリアは叫んだ。止める人はいなかった。いつの間にか吸対のロナルドの友人も人垣には加わっていた。誰もがロナルドの言葉を待っていた―、けれどロナルドは、ただの一言も何も、言わなかった。
     それどころかロナルドは激昂をぶつけられても表情一つ、変えていなかった。そのことに気付いたとき、俺は躰の内側がぞっと寒くなった。目の前にいるのは本当にロナルドなのだろうかと疑った。だってロナルドがそんな顔をしているところ、はじめて見たんだ。深い海の底でも映したような、何かを諦めた表情。光を失くした、そんな風に見えて。
     マリアもそれに気付いたのだろう。手を離した。
    『お前、本当に、どうしたんだ』
     ショットが切れ切れに聞いた。けれどロナルドは答えない。それどころか俺たちと視線を合わせもしなかった。師匠であるヴァモネさんにさえ、ロナルドは目を向けなかった。
     間違いなく、何かがあった。俺たちにそう確信させるには充分過ぎる行動だった。
    『言えないのか? 催眠か何かで喋れなくされたのか?』
     誰かの問いにもロナルドは答えなかった。ロナルドは無言で俺たちを押しのけて、事務所の外へ出て行こうとした。俺はとっさに『待てよ』そうロナルドの肩を掴もうとして―、バシンッと振り払われた。そうして次の瞬間にはロナルドのリボルバーがこちらに向けられていて、俺は息を呑んだ。
     誰も、何も言えなかった。人はあり得ないものを目の当たりにすると、こんな風に硬直してしまうのかと思った。
     だって俺たちはロナルドという人間を知っていた。ちょっと抜けたところやシャイなところもあるけど正義感が強くてお人好しで、自分よりも人を優先する、そういう人間を知っていた。そのロナルドが真似事だとしても、俺に、仲間相手に攻撃の意思を見せるだなんて、想像できないことだったんだ。
     ロナ、ルド。かすれた俺の声はロナルドには届かなかったのか、わからない。ロナルドは何も反応しなかった。ただ、邪魔をするなと、ロナルドの沈んだ瞳はたしかにそう語っていて。そのままロナルドは一人夜の街へ出て行った。ブーツの音が冷たく反響して消えていくのを、俺たちは呆然と見送った。
     オータム書店にも話を聞いた。結論から言えば何もわからなかった。突然ロナルドから出版契約解除の書類が送られてきたのだと言う。もちろんオータム書店にもそんなことは寝耳に水で、すぐさまロナルドのもとへ行ったらしい。しかし俺たちが行ったときと同じようにロナルドは何も説明しなかったという。オータム書店としても到底納得できるものではなく、編集さん曰く『少し強めにお話を窺おうとしても変わりなかった』らしい。
     ましてやロナルドは何も言わず話にもならない。けれどただ一つ『退治人を辞められるのですか?』その問いにだけロナルドは頷いたのだという。
    『納得はしておりませんが……、我々はロナルドさんの人生にまでは口出しをできませんから。ですが契約解除はせずに一旦途中完結、と言う形で契約自体は続けることを合意いただきました』
     ロナルドの自伝はオータム書店にとっても看板作品だ。それを絶版にはしたくなかったのだろうけれど、ビジネスライクな付き合いだな、と思った。でも、その編集の人はそっと目を伏せてぽつりと言った。
    『……そうすれば、ロナルドさんがまた書きたいと思ったとき、続きも出せますからね』
     ああ、違う。この人もロナルドを想ってくれている人だ。立場があるから言えないのは事実だけれど、それでも今のロナルドが到底正気には見えないから、戻れる場所を守ってくれたのだ。
     なあ、ロナルド。お前本当にどうしたんだよ。みんな、心配してるよ。少しくらい、説明してくれよ。力になれるかはわからない。それでもお前が困っているなら手を貸したいって思っている。俺だけじゃない。みんなそうだ。だから何度も何度もお前のもとを尋ねたし、繰り返し言葉をぶつけた。

     ―それでもロナルドは何も語らない。

     みんな、ロナルドを説得しようと必死だった。何か吸血鬼の仕業じゃないかって、誰もが疑いを捨てられなかった。けれど一ヶ月二ヶ月そうして半年と経つうちに、もう放っておけ、そういう人も出てきた。知っているからだ。そこまで長期に及ぶ催眠をかけられる吸血鬼はそうそういないことも、そんな吸血鬼がこの街に現れていたら騒ぎにだってなっていることも、俺たちは痛いくらいよく知っていた。吸対のダンピールの人も『ロナルドから吸血鬼の気配はしない』と言い切った。だから今ロナルドがあんな風なのは、ロナルドの意思に違いなくて。
     いや、意思とは違うかもしれない。単純に街の人が「マネキン」なんて呼び出したように、ロナルドは意思も何もなく壊れてしまっただけかもしれない。だってわからないんだ。ハントするでもなくただ街をさまよう意味なんてわからない。おんなじような場所をぐるぐるとロナルドは歩いてるって聞いた。俺も一度だけロナルドの後をつけて歩いた日がある。本当にロナルドは一晩中似たような場所を延々とめぐっていて、目的のわからなさに正直俺は頭がおかしくなるかと思った。
     こんな夜を何度も繰り返せるロナルドはやっぱり、壊れてしまったのかな。そうだとしたらもっと早く気付きたかった。俺は頼りにはならないかもしれないけど、話くらい聞いたよ。なあ、ロナルド。何がお前をそこまで変えてしまったんだ? ハンターはお前の憧れだったんだろ。お兄さんの話するときいつも瞳をキラキラさせていたのに、それさえお前は忘れてしまったのか?
     強制的に病院に押し込んでしまえと言った人もいた。それがもしかしたらロナルドのためなのかな、とも思ったから手伝いを申し出た。結論からすればそれは大失敗だった。ロナルドは暴れに暴れた。正直純粋な力だけなら、ロナルドを押さえ込むことはできると俺は思っていた。でもそのときのロナルドはたがが外れたみたいに力も速さもすごかった。ロナルドは俺たちを振り払って夜の街へ消えていった。残された人たちの中に大きな怪我をした人こそいなかったけどみんな満身創痍で、そのときに多くの人はロナルドのことを諦めてしまったのだと、思う。
     もう誰もロナルドを病院に連れて行こうなんて言わなかったし、ロナルドの噂をする人も仲間内ではいなくなった。心配が一周回って憤りに変わってしまったのだ。その気持ちは痛いくらいよくわかった。やるせなくてどうしようもなくて心配で、だけど何も教えてくれないのが、自分が何もできないのが、とても悔しくて。
     殴って解決するのならロナルドのことをこの左手で殴ってしまいたいくらいだった。でも、そんなんじゃない。そんなんじゃ解決しないんだ。自分に向けられた冷たい銃口を俺は今でも覚えている。
     ああ、もしかしたらお兄さんなら、何とかできるんじゃないかな。なんですぐに考えなかったんだろう。俺はショットにこのことを話して、その日のうちに二人でお兄さんに会いに行った。
     でも俺が考えるまでもなくお兄さんと妹さんはロナルドにとっくに会っていた。だけど家族にさえ、ロナルドは詳細を語らなかったと言う。
     お兄さんは『アイツを心配してくれてありがとうな。でも、もう放っておいていいんじゃ』そう笑った。俺はショックだった。お兄さんと直接こうして話したことはほとんどなかったけれど、ロナルドからたくさん話は聞いていたから。ロナルドがどれほどお兄さんに憧れていたのか、知っている。その人に諦められること以上の悲しさはない。
    『でも!』
     そう叫んだのはショットと同時だった。だけどお兄さんは俺たちの言葉を遮って『いいんじゃ』と言い切った。
    『好きにさせえ。……アイツも、子どもじゃにゃあ』
     お兄さんは笑うのを失敗したみたいな歪(いびつ)な表情を浮かべていた。膝の上に置かれた手はきつく拳が握られていて―、ああ、俺たちがこれ以上何かを言うことなんて、できやしない、そう思った。
     耐えている。そうしてこの人はまだ、ロナルドを信じようとしている。そのことは救いであると同時に、どうしようもなく淋しいものだった。
    一年が経つころには、ギルドの中でもロナルドの話はタブーになりつつあった。ただマスターとヴァモネさんだけは、ロナルドのことをまだ心配しているようだった。マスターは定期的にロナルドの事務所だったところに食事を置いて行っているらしい。
    ロナルドはもともと男の一人暮らしで、自炊能力もほとんどない。そのせいか、いつもどこか疲れたような、そんな印象が拭えなかった。もっともそれはロナルドが若いころ話で、この十数年はずっとロナルドは健康的に見えた。料理は相変わらずできないけど、上手いこと栄養バランスとか考えて食事を取れるようになったんだろう。だけど最近、街で見かけるロナルドは酷くやつれて見えた。筋肉こそついているもののその顔色はいつも血の気が足りてないみたいに青っぽく、そうして目の下には色濃い隈が浮かんでいて。
     やっぱり放っておきたくないって、思った。けれどできることがなくて、途方に暮れる。そんな俺に気付いたのはマスターで、自分の代わりに食事をロナルドに届けてくれないかって、提案してくれた。そのときにはじめてマスターとヴァモネさんがロナルドをまだ気にかけてくれていることを知った。俺は二つ返事で頷いた。
     ロナルドは事務所をノックしても出てくることはなくなった。食事も次来るときまで置き去りにされていることもほとんどだった。けど、中身が減っているときもあったから、繰り返し俺は通った。それがもう五年続いている。
     事務所の看板はまだ扉についたままだけれど、営業はしていないせいか埃で薄汚れている。天井の方からはカタカタと微かな音が通り過ぎていく。鼠だろう。以前は見かけなかったのはきっと、ロナルドが定期的に駆除をしていたからだ。
     事務所の扉の窓越しに覗いた室内は薄暗かった。外から見たときも明かりはなかったから、今夜もまたこの街を徘徊しているのかもしれない。
     ノックを二回した。いつも通り返事はない。知っている。それでも俺は「……ロナルド、マスターの食事、ここ置いておくから」と口にして扉の脇にそっと紙袋を置いた。いつまでこんなことを続けるのか、頭の中の誰かは言う。けど、続けるさ。だってロナルドは仲間で、友人なんだ。少なくとも俺にとってはそうだから、続けるよ。
    「……また、来るから」
     そう踵を返したときだった。室内でドタンッ! 大きな音がして、俺は思わず振り返って立ち止まった。ロナルド、扉越しに呼んでも返事はない。でも、今誰かがそこにいるだろう。そうでなければあんな音立たないはずだ。何か落としたのだろうか。もしかしたらロナルドに何かあったんじゃ―、気が付いたときにはドアノブを握っていた。鍵がかかっている。けれどそれを無視して、力だけで強引に押し開いた。
    「ロナルドッ! どうし―」
     言葉を失った。はたして事務所にロナルドはいた。応接ソファーのあるローテーブルに突っ伏すように倒れていて。そうしてそのローテーブルの中央には―、赤く染まった塵の山があった。
     よく見れば塵の山に半分顔を埋めたロナルドの手首からは、真っ赤な血が流れ出ていて、ぽたぽたと床に血溜まりを作っていく。静かに、確実に、命が流れ出ている。
     なん、だ、これは。ロナ、ルドは何をして、いる。今、目の前で何が、起こって、るのか。頭が回らない。意味が、わからない。
     ロナルドの顔の横で塵の山が静かに動いて―、俺は息を呑んだ。手、だ。骨っぽくて細い手が、塵の山から生えている。その手はそっとロナルドの頬を撫で、ペチペチと叩いた。けれどロナルドが何も反応しないでいると、俺に向かって手招く動作をして。そのまま再び、塵になって消えて。
     俺は金縛りがとけたみたいに慌ててロナルドに駆け寄った。
    「ッロナ、ルド⁉ お前何してんだよ!」
     呼びかけに反応はない。相変わらず酷い顔色だ。とにかく、傷を塞がないと―、ロナルドの手首を見て愕然(がくぜん)とした。そこにはいくつもの傷痕が残っていて、この行為が一度きりではないことを示していたから。

     幸い、ロナルドの命に別状ははなかった。不摂生と睡眠不足、そこに貧血が加わって意識を失っていた、と運び込まれた病院では診断された。病院で点滴を受けて三十分も経ったころにロナルドは目を開けた。それを見て俺はようやく、躰中の力が抜けていった。きっと座っていなかったら今ごろ床に崩れ落ちていた。
    「……ロナルド、お前事務所で倒れてたんだよ」
     顔を覗き込みながら伝えても、ロナルドは相変わらず何も言わなかった。ただ、以前と違って暴れることもなかった。不気味なほどに静かにぼんやりとしている。まだ意識もはっきりしないのだろうか。わからない。ロナルドは何も教えてくれないから。
     それでも言わなくてはいけないことがあったから、膝の上で拳を握った。
    「なあ、ロナルド……、事務所にあった塵の山、あれって吸血鬼だよな。お前、なんで血なんてやってたんだ……?」
     布団の上に投げ出されていたロナルドの指先がピクリと跳ねた。聞こえてはいる。そうして吸血鬼であることも承知している。ああ、それならなんで! 唇がわなないた。
    「危ないだろッ! ロナルド本当に何考えてんだよ! それもこんなに自分を傷付けて! お前いったい何がしたいんだよッ! 退治人ロナルドはどこにいったんだッ‼︎」
     言葉があふれた。気が付けばロナルドの胸ぐらを掴んでいた。鼻先までロナルドの顔が近付いた。でも、ロナルドは表情を変えない。相変わらず凪いだ瞳には何も映らない。その事実に鼻の奥がツンと痛くなって。俺は吼(ほ)え続けた。
    「何とか言ったらどうなんだッ! 言えよ! このダボ‼︎ はっきり言えよ! 立派な口がついてんだろうが! お前本当に狂っちまったのか⁉︎ それならいっそ大人しく引きこもってろ! なんでこんなことすんだよ! ……ッ、心配、なんだよ…っ」
     視界が歪んだ。涙がぼろぼろとあふれ出た。ああ、俺はずっと泣きたかったのかもしれないと、はじめて気が付いた。胸が詰まって声が上手く出ない。どうせ何を言ったって届かないことは、わかっているけれど。
    「ッう、あ…っ、本当、どう、したんだよ…。なあ、話して、くれよ……ッ、頼むから…っ」
     すがりついてもロナルドは何も言わない。微動だにせず俺に掴まれたままじっとしている。ああ、届かない。なんて虚しいんだろう。それでもどうしても、この男を放ってはおきたくない。
    「っは、ぁ…、今日、は、俺、もう帰る、から……、お兄さん、には、連絡、させてもらう。……あとあの塵も、VRCに連絡して―」
     そのときだった。一瞬にしてロナルドの顔色が変わった。ヒュッと風の音が聞こえたかと思ったら、次の瞬間に俺は襟元を掴み返されていて。
    「―――ッ!」
     ガッシャンッ! 激しい音を立ててロナルドに繋がれていた点滴スタンドが倒れた。針が抜けてロナルドの腕から血がこぼれる。けれどロナルドはそんなこと気にも留めずに、ただひたすらに俺のシャツを掴んでいた。
     溺れる人がしがみつくみたいな、必死さが手からも伝わってきた。そうしてロナルドの瞳は焦燥が浮かびゆらゆらと揺れていた。今にも決壊しそうな、ギリギリの何かがそこには見えた。ロナルドの喉が震えて、けれど何も言わない。それでもロナルドは今、俺を見ていた。
     ああ―、わからないことまみれの中、一つだけはっきりした。ロナルドはあの塵の山を、失いたくないこと。それこそ失ったら今にも死んでしまいそうな、そんな表情をロナルドはしていたんだ。
    「……ロナ、ルド、」
     喉がカラカラに渇いていた。どうして、そう聞きたい。けど、お前はそうしたいんだな。お前はきっとそのために、今まで行動していたんだな。それがわかったから。
     俺は一つ息を吐くとゆっくりと口を開いた。
    「わかった……。VRCには、連絡、しないよ。……でも、こんな倒れるような真似はもう、しないでくれ。そのときは俺、連絡するからな」
     きっと退治人としても人間としても、間違っていることだと知っていた。それでもロナルドの、友人の懇願を拒絶はしたくなかった、だから。
     ロナルドの手がゆっくりと離れた。ロナルドは笑った。お兄さんが見せたみたいな、笑うのに失敗したみたいな下手くそな笑顔で。ああ、ロナルドもまた何かに耐えているのだと、知った。
     間もなくしてバタバタと看護師さんの足音が聞こえてきた。



    退治人ロナルドが我が息子を殺したのは、五年前の新月の晩だった。
    震える声で本人から電話が入った。どうしよう、ドラ公が死んだ、違う、きっと俺が殺した―、死んで塵になってそのまま、消えた、と彼は言った。
     ドラルクがすぐ死んでしまうことは、息子を知る者であれば周知の事実だ。それはもちろん共に暮らすポールも同じことだが、消えた、その言葉の意味がわからなかった。……いや、理解をしたくなかったのかも、しれない。
     私はすぐさま御真祖様と共にポールの元へ向かった。彼は事務所でいつもの退治人装束をまとい呆然と立っていた。その腕の中には目を閉ざしたマルスケの姿があって、嫌な予感に喉が引き攣った。
    『何があったの?』
     私と違い落ち着いた態度で御真祖様はポールに尋ねた。御真祖様がマルスケに手をそっと伸ばす。マルスケはぴくりとも反応をしない。まさか、まさか―、込み上げる予感に目眩(めまい)がした。
    『ドラ公と、喧嘩、して……、でも、それはいつもの軽い、そういうやりとりで。俺も、アイツも本気じゃなかった。ドラルクが、そんなに言うなら出て行くぞ、って……、怒鳴って俺が、勝手に出て行けよ、って言った…。いつもなら、本当に出て行ったら困るのは君だろって、ドラ、ルクは笑うんだ……、けど、俺が、俺が出て行けって言った途端、アイツの躰、崩れ……、はじめて、ドラルクも、驚いた顔してて……、そのまま塵になって、床に落ちた途端に…っ、消えた』
    『……この子もそのときから動かなくなった?』
     瞳を閉ざしたままのマルスケの頭に触れながら御真祖様が確認をした。はたしてポールは首肯した。その瞬間プツリと頭の中で何かが切れる音がした。
     俺の脚は即座に動き、ポール、いや、退治人ロナルドに襲いかかろうとして―、見えない何かに弾かれた。
    『ッ⁉︎ 貴様ッ! それは何だ! 我が息子に何をしたッ!』
    『え……?』
     退治人ロナルドは狼狽えているようだった。彼は攻撃を受ける寸前、避けるでも対抗するでもなく目を閉ざした。それは恐怖によるものではない。俺の攻撃を黙って受け入れようとする姿勢で、それが一層絶憤りに拍車をかける。
    赦せない。赦せるはずなどない! ドラルクに何をした! 何を‼︎
    『ドラウス、落ち着いて』
     狼の姿に変身し、再び退治人ロナルドを襲おうとした俺の肩を叩いたのは御真祖様だった。どうしてそれほどまでに冷静でいられるのか、まるで理解ができない。正直、退治人ロナルドの話は意味がわからない。ただ、厳然たる事実としてドラルクの使い魔が動かなくなっている。それはつまり、つまり―。
     ふっと、力が抜けた。変身もとけ、その場に膝をついたまま立ち上がれなくなった。手が、震えている。躰の中を闇が渦巻く。視界がにじんで、喉が焼ける。獣のような呻き声が喉奥から溢れた。
    『ドラルクはまだ完全には死んでないよ』
     御真祖様の言葉に私と退治人ロナルドは弾かれたように顔を上げた。御真祖様は『失礼、』と退治人ロナルドの頬に手を伸ばした。するとバチッと御真祖様の手が弾かれる。私を弾いたものと同じだ。忌々しいほど眩い光が御真祖様の手にまとわりつき、接触を拒んでいる。けれど御真祖様がその光を強く拳の中に握り込めば、ふっと光は消えてなくなった。そうすれば何ものにも阻まれることなく、御真祖様の手が退治人ロナルドの、ポールの頬に触れた。
     御真祖様は一つ頷いてから自分の手を離し、こう言った。
    『呪いを連れて帰ったね、ロナルド君』
    『……呪、い?』
     ポールはいつもより青褪めた顔で御真祖様の言葉を繰り返した。ようやく私は合点がいった。そういうことか、腑に落ちた。
     そう呪い、と御真祖様は呟き窓の方に向かった。閉ざされていた窓が開けられると生ぬるい風が吹き込んできた。
    『正確には、君たち昼の子にとっては祝福。でも我々夜の民には呪い。銀や十字架と同じ。ポール君、どこかで祈りを捧げられた記憶は?』
     ポールの目が見開かれた。唇がわななき『昼間、に』と切り出した。
    『県外の教会から、裏庭に下等吸血鬼の巣ができたから、撤去依頼が入ってて……、その帰りに教会の人が、あなたにご加、護を…、って、俺を見送って』
     胸に鉛が落とされるようだった。真実として敬虔(けいけん)な信者からの祈りは、御真祖様の言う通り我々には呪いでしかない。夜を祓(はら)う呪いだ。我々が銀や十字架を嫌うのもまたそれに祈りが込められているからだ。
     だが、捧げられた祈りだけでは通常、我々を殺すほどの力はない。先ほどのように刹那触れられないことはあるかもしれないが、それとて護られているとわかればいくらでも対処法はある。ドラルクの場合はたしかに一度は死んでしまうかもしれないが、完全なる死にはならな―はっと息を呑んだ。わかって、しまった。
    『そう。君は神の遣いから加護(しゅくふく)を受けた。そうしてその加護(しゅくふく)に言霊を乗せた』
    『……こと、だま?』
    『出て行けって、言ったでしょ? その言葉が祈りとして届いた。今までも何度も言ってきた言葉は特に強いから』
     だからドラルクはここから消えた―、ここに、いられなくなったのだ。
    『ッそんな! そんなつもりで言ったんじゃねぇッ‼︎ 俺は本気でアイツに出て行って欲しいなんて―ッ』
    『うん、でも祈りは届いてしまった。それが現実』
     ポールはふらりとよろけて、壁に背をつけた。そのままずるずると床に座り込む。真っ青な顔は我々夜の者によく似て見えた。
     この人間(ひと)の子に、本気で悪意があったわけでは、ない。わかっている。それでも私は彼を赦すことはけしてできやしなかった。
    『…………さっき、ドラルクがまだ、死んでないって、言ったのは?』
     震える声でポールが聞いた。腕の中には相変わらずマルスケを抱きしめたままだ。その子も返してもらわないと、私が一歩踏み出そうとしたのを御真祖様が『ドラウス』呼んで引き留めた。
    『……御真祖様(おとうさま)、この男にそこまで説明する必要はもうないでしょう。彼はドラルクを殺した、それは真実なのですから』
    『そうだね。でも故意じゃない』
     御真祖様がポールに向き直った。窓から入った風が強く吹いて、御真祖様のマントをたなびかせる。
    『ロナルド君、ドラルクの躰は今ね、見えざる力に弾かれて塵の状態でこの街を彷徨っている。通常ならすぐに引き寄せあって戻れるけれど、祈りがそれを阻む。形を取り戻したら、またここに帰る意思が、あの子にあるから』
     御真祖様の言葉は真実だった。あの子がここに帰ろうと考える限り、祈りはドラルクが姿を取り戻すのを赦さない。それは昼の祝福を受けた子を害することに繋がるから。
    『竜の血は強い。時間をかければ少しずつ近くの塵とは引き寄せ合い、形を作れるようになる。ただあの子が君の元に帰ろうとしていれば結局同じ。昼の祝福を受けたポール君はまたドラルクを殺してしまう』
    『御真祖様、だから早く私たちだけで探し保護すべきです』
    『うん、けどドラウス、わかってるでしょ? それじゃああの子はたとえ形は取り戻せても中身は空っぽだ。躰を蝕(むしば)む昼を消さないとね』
     ロナルド君、御真祖様が呼んだ。声はどこまでも平坦に底を見せずに、昼の子へ問う。
    『君、ドラルクのために呪われてくれる?』


    *******************************
    ・執筆中のため内容は変更される可能性があります。
    ・このあとヒマリ視点・ノースディン視点・ドラルク視点・ロナルド視点などが入る予定です。
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    💴👏
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    46thRain

    DONE退治人を引退し転化予定の八月六日のロナドラSS①です。
    ソファ棺開催、そしてロナくんお誕生日おめでとうございます!
    ②(https://poipiku.com/5554068/9163556.html)
    転化前50代の8月6日「――君を転化する日だが、明後日の八日でもいいかね」
    デザートのプリンを食べ始めたところで唐突に言われたものだから、ロナルドは危うくプリンをテーブルにこぼすところだった。スプーンから落ちかけたそれを慌てて口に運んで味わう。いつも通りうまい。ごくりと飲み込んでから、八日ねぇ、と頭の中で呟く。
    転化自体は異論ない。むしろ結婚してから二十年がかりでやっっとドラルクを説得したのはロナルドのほうだ。
    つい先月退治人も円満に引退したし、そろそろ本格的に決行日を定める必要もあると思っていた。ただ気になったのは、ドラルクがわざわざ八日を指定したことだ。
    「構わねぇけど……なんで誕生日に?」
    明後日の八日はロナルドの誕生日だった。独りだった頃はただ事実として歳を重ねる日に過ぎず、忘れていることも多々あったがドラルクが来てからは違う。毎年あれこれと計画して祝ってくれるものだから、いつの間にかその日が近付くとそわそわと楽しみになっていた。それこそもう還暦を迎える今なお。
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    ロナルドさんちのノラネコ 遮光カーテンは安物だったが、毎日けなげに朝日を遮ってくれている。昼近くになってやっと日差しがまぶしく感じられる。今日目が覚めたのも朝とは呼べない時間帯だった。朝はやくに起きることが健康に良いことを知識として知ってはいても、それを実行はできない。【ロナルド様】はいつも夜遅くまで活動していた。【ロナルド様】でなくなった今も、その習慣が抜けきらない。

     食卓には一人分の空のおわんと、箸と、コップがきちんと並べられていた。冷蔵庫をあけると料理の乗った皿がふたつ置かれている。今回用意されているのはさんまの蒲焼と、ほうれん草のおひたしのようだ。さんまは茶色く美味しそうな色合いをしていて、ほうれん草はまだ瑞々しい色合いで綺麗に同じ方向をむいて並んでいる。さんまが乗っている皿はレンジにいれてボタンを押した。そして、しょうゆを探す。……見つからない。以前だったら冷蔵庫に入っていたのだが、今は無いようだ。棚にも見当たらない。あまりなじみのない名前の調味料ばかりが見つかる。ちょっと見ないうちに台所はすっかり自分のテリトリーではなくなってしまった。
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