秘密基地、というにはあまりにも他人任せで無責任なものだったけれど、あのころの僕たちにはそんな場所があった。
施設を抜け出すさるちゃんの背を追って走る。畦道を軽い足取りで、用水路を飛び越えて、林を抜けた丘のあたり。建設途中のまま今は誰も来ない、二間程度の小さな小屋。
晴れた日には丘を駆け回った。風の強い日は上空を旋回する大きな鳥を見上げていた。一度か二度、夜に星を見たけれどそのあとすごく怒られた記憶がある。雨の日には、たくさん話して、歌をうたって、絵を描いて本を読んで、また話した。いつもいつも、手元が見えるかどうかもあやしくなるくらい遅くまでそこにいて、それからようやく、渋々と帰っていた。
いま、電気の通らないこの部屋は、あの夕暮れと同じ昏さを宿している。見上げる空からは雷鳴、吹き付ける暴風雨。慌てるのもバカらしくなるくらいの悪天候だ。抗いようもない。
「停電だなんて、ついてないね」
「じゃあ、お前が直してくるか?」
「えっ、すっごい負荷。いいの?」
「いいわけねーだろ、バカ」
なにそれ、自分で言い出しておいて、と。口にはするけど今は頬を膨らませる気にもならない。ソファを占拠して行儀悪く寝そべるさるちゃんの隣、肌触りのいいラグマットの上で僕は膝を抱える。頭だけ、ソファに、さるちゃんに凭れて。
「……I’m singing in the rain」
僕は歌うよ、雨の中で。ただ雨の中で歌って、それだけで──。
雨の歌といえばこれだと思う。古い映画の有名なシーン。冠水しかけた道路で軽やかに、傘を片手にタップダンス。口をついて出たそれに、だけどさるちゃんはなんだか不服そう。
「この大荒れの天気で選ぶ曲じゃねーだろ」
「えー? じゃあなに? 僕、他にあんまり知らないし」
「……Raindrops keep falling on my head」
「あ! 聞いたことある!」
これも古い映画の曲。そのくらいのことしか知らないけど、テレビや何かでよく耳にする。さるちゃんが、さるちゃんの声が、こんな歌をうたうのを聞くのは本当に何年ぶりかってくらいに滅多にないこと。だからなんだかおかしくて。
「さるちゃんだって、こんな天気には合わないよ、そののどかな歌」
それに、さるちゃんにも。そう続けたら、うるせーなって小突かれた。やり返したら今度は行儀の悪い足が反撃してくる。あれ、これってなんだか歌詞みたい。まるで足が長すぎてベッドからはみ出しちゃってるみたいに、って。ベッドじゃなくてソファだけど。
一瞬の閃光に照らされる。次には轟音。世界の全てを遮るような水のかたまりが途絶えることなく落ちてくる。そしてまた光が走り空が壊れるのではないかというほどの雷鳴。あまりの衝撃にふたり、顔を見合わせたら、あとは笑うしかなかった。
「やべえな!」
「え? なに?」
「天気!! やばすぎだろって!!」
「このままじゃ停電したまま夜になっちゃうよ! どうするの?」
「俺が知るかよ! それよりいお、お前こそ晩メシどうやって作る気だ?」
「ふっふっふ、停電くらいで手を抜く僕じゃありません!」
ねえ、やっぱりあの歌の歌詞みたい。僕らは自由で、心配事なんて何もないって。歌って話して疲れたら少し眠って、晴れたら何をしよう。雨が止むまでは、不便で薄暗いこの部屋が、僕たちの数年ぶりの秘密基地。