背中にぴたりと張り付く温度が急かすように押してくるから、ドアノブを回す手につい力が入った。暗い廊下にガチャリと乱雑な音が響いて、しまった、と眉根を寄せる。けれど原因となった真夜中の闖入者に気にする様子はまるでなく、この部屋へ滑り込む身のこなしは躍るみたいに軽やかだ。
「自分の部屋で休むんじゃなかったんですか?」
追い返せるわけもなく、降参とばかりに両手をあげてみせれば絡まる腕。廊下の真向かい、本来戻るべき彼の部屋には背を向けたまま、背伸びをして爪先立ち。本当に困ったひと、気の向くまま自分のことばかりで。
「天彦こそ、オバケくんと寝たがってたくせに」
さっきまで、もうこんな暮らしは嫌だなんて喚いていたとは思えないくらい、今は随分と楽しそうだ。いよいよ睡魔に抗えないと、誰からともなく広がったその流れのままに、あくびをしながら階段を上っていたはずなのに。
「フラれちゃったね。かなしい?」
「慰めてくれるんですか?」
「まさか。最初からテラくんを選ばないからだよ。自業自得」
「人前で口説かれるの、好きじゃないでしょう?」
それとこれとは別、と身を翻して勝手知ったるひとの部屋、いつからか二つに増えていた枕を並べて早々にベッドへと横たわってしまう。いよいよお手上げだ、断る理由はないのだけれど、こうなってしまうと翌日の早起きがいつもに増して億劫で。少しでも長く留め置きたい思いと無縁ではいられないから、それを叶えるのが難しそうなのが少しつらい。
「ねえ。別荘って、どんなとこなの、」
脈絡のない話の流れに、最近、この人のペースで過ごすことが増えているなと思う。普段は何も変わっていないのに、二人きりになるといつもこんなふうに。唐突なことばかり、手綱を握られているとでもいうのか。とはいえ主導権とかそういうものは、特段欲しいわけでもないから構わないのだけれど。何より、こうしているとかわいいひとのかわいいところが垣間見えるのがたまらない。言葉足らずの曖昧な問いかけに、聞き返しながら隣に並ぶ。
「どんな、とは? 海の近くですよ、前にも話しましたけど。人はあまり多くなくて、街中に比べたら不便なこともあるかもしれません。でも、いいところです」
「部屋に暖炉は? ある?」
「暖炉? ありますけど、好きなんですか?」
寝返りをうった拍子に長い髪が流れる。触ると心地よいそれを何もしなくても美しいのと彼自身は言うけれど、自分を愛することに余念がない人だ。だからこそ、きちんと自分を労り丁寧に扱うことを知っている。頭を撫でて、頬に手を沿わせ目尻をなぞってくすぐると、ゆるりとまぶたが下りてまばたきをする。
「ん、好きなのかな、どうだろ。今までは特別何か思ったことなかったけど、さっき、みんなで集まってたときに、……なんかいいかなぁって、気がしただけ」
肌を撫でるたび声からは力が抜けていく。本当は今にも寝入りそうなのが伝わってきて、戯れた転合とは違う、素直に甘えるしぐさに心くすぐられる。
「それじゃあ、やっぱり招待しないといけませんね。歓迎しますよ」
「でもそれ、みんなで行くんでしょ? またテラくんだけを特別扱いしないなんて、ほんとどうかしてる」
「そんなこと言わないで、夏はみなさんで来てください。きっとそのほうが楽しめますから。冬になったら二人で過ごしましょう。暖炉のある部屋でいいワインを飲んで」
「テラくんだけ?」
「テラさんだけです。他に欲しいものは? 何でも用意しますよ」
じゃあ、ゆるしてあげる、と。今度こそ目を瞑りながら、掠れた声を紡ぐくちびるが笑む。ほしいものはたくさんあるんだ、と言われたけれど、その正体はまだ知らない。