滅私、貢献、奉仕。
滅私、貢献、奉仕。
頭で考えて意識して、胸の内に留めるために繰り返す。負荷は欲しいけれど、それは自分を抑えるような圧迫感とは違う。服従したいけれど、この衝動には抗わなきゃいけない。だってなんだか乗っ取られそう。空っぽのはずの僕の中から顔を出そうとしているもの。奥の奥にいたのは無我だったはずなのに、これはなに、きみはだれ。
「さるちゃん、」
「あ? ンだよ、急に。ぼーっとしてたかと思ったら」
さっきまで呼んでも気付かなかったくせに、って言われて、それが自分のことだってすぐには繋がらなかった。いけない、こんなの奴隷失格だ。しっかりしなくちゃ、なんて思ったそばから、こんなことを訊ねる自分がやっぱり信じられない。
「ねえ、さるちゃん。自分に服従したら、僕、どうなるのかなあ?」
「いやお前、唐突すぎてわけわかんねえよ。もっと伝わるように言え」
あれ、優しい。珍しい。そんなん知るか、って言われるかと思ったのに。機嫌がいいのかな、それとも自分が言ったことだから? 自分に服従したことあんのかよ、って。
あのね、僕は報酬なんて欲しくないんだ。労われると居心地が悪くなっちゃう。それなのに、最近ときどき嬉しくなっちゃうことがあって。気まぐれに、何かが返ってきたときに。ううん、誰にでもじゃない、滅多にないことなんだけど。そのときは気付かないまま、しばらくして冷静になると、困っちゃう。役に立つために何だってするのが僕の喜びで、だから何かしなくちゃ、じゃないと寄与できない。でも、なんにもしなくても、なんかいいなあってなっちゃうんだ、こうしてると。どうしてかな、僕の中に広がってる広大な虚無にまだ何かがある、とか? そんなことってあるのかな。
「滅私、貢献、奉仕、って。どれだけ唱えても、しっくりこないんだよねぇ……」
「んなもん簡単じゃねえか。その中のどれでもねえってことだろ」
「それってなに? 僕の知らない僕のこと、さるちゃんは何か知ってるの?」
「おまっ……それを俺に訊くなよ」
そう言ったさるちゃんは焦ったみたいに仰け反って、それから呆れ顔、なんだろうこの反応は。溜息なんかついて、もう、これじゃ僕が変なこと言ってるみたい。結局ヒントも何もないし、なのにどうして、あんなに落ち着きなく騒ぎ立てていた衝動が、今は柔らかくかたちを変えている。もう一押し、根負けして教えてくれたりしないかな。それとも少しいじわる言うのもいいかもしれない。
「ねえ、なんで? 知ってるなら教えてくれたってよくない!? さるちゃんのケチ!」
「はあ!? ケチじゃねえよ! 俺に訊くな、自分で気付け! ……ったく、厄介だな。まあ、お前に関することでひとつ言うなら、」
「言うなら? なに?」
「こんなに我の強ぇ無我、世界中探し尽くしてもどこにもいねえってことなら知ってるよ」
「なにそれ!? どういうこと? さるちゃんこそ、もっとわかるように言ってよ!」
「はーー、疲れた。なんか腹もへったし。いお、なんか作れ」
「えぇ? うーん……もう、わかったよ。何が食べたい?」
何でもいいって返事がくるのはわかってる。でも、言葉通りの意味じゃないのもよく知ってる。キッチンへ向かおうと立ち上がった僕に向けて、さるちゃんが何か呟いた。だけど聞き返してもそこにあるのは答えじゃなくて、弾かれたギターの弦が震えるだけ。
「あ、その曲、僕が好きなやつ」
「知ってる」
「じゃあ作り終わるまで、僕に聞こえるように弾いててよ」
「俺の部屋から台所まで、アンプに繋いで爆音で鳴らせって?」
「そうじゃなくて! 近くで弾いててほしいってこと!」
「はいはい、わかってるよ」
先に行ってろ、と手を振られるから、足取り軽く廊下を進む。自分のことはわからずじまい、でも今はそれも気にならない。効き目の薄い呪文より、今欲しいのは好きな音、きみの声。