シルバーアッシュから食事に誘われるのはそう珍しいことではない。なにせ彼の衛士にしてイェラグ最高の料理人とも名高い男が、ロドス本艦に勤務しているからだ。であるからしてその日もまた、ああ久しぶりにマッターホルンの手料理が食べたくなったんだろうな、あの男にも存外かわいらしい面があるものだとしかドクターは考えていなかったのだ。
朝から詰め込まれた会議をはしごして、なんとか指定されたギリギリに艦内でカランド貿易へと割り当てられたエリアへとたどり着く。呼吸を整えつつ名を告げれば、今まさにドアの前で待機していましたといわんばかりの爆速で扉が開いた。
「や、やあシルバーアッシュ。ご機嫌麗しゅう」
「変わりはないか、盟友よ」
「ひぃっ声がいい……!!」
思わず心の声がもれてしまった。だって仕方なくない? 顔も良ければ声も極上、戦闘から会社経営まで文句のつけどころのないカランド貿易CEOを前にして出てくる言葉などおおむね悲鳴くらいである。
「さあ、入ってくれ。食事の準備は整っている」
そうして促されるがままに進んだ奥の部屋には、立派なテーブルとその上にずらりと並んだ見るからに高級なカトラリー一式。え、ここって応接室じゃなかったっけ。高級レストランの個室みたいになってるんだけど。
「ドレスコードが必要だったのならあらかじめ伝えてほしかったな」
「私とお前の間にそんなものが必要だとでも? お前が望むならば私の膝の上で手ずから食べさせることもやぶさかではない」
「うーん、あまりの座り心地の良さに執務室の椅子に戻れなくなったら困るから、今回はパスで」
「残念だ」
ちょっとどころかかなり本気の声だったのは聞かなかったことにして、勧められた椅子に腰を下ろす。注がれた食前酒は少し珍しい地方のスパークリングで、最近その地域で導入されたのだという新しい灌漑設備から一帯における農産品の管理体制についてつらつらと話している間に前菜が運ばれてきた。
「マッターホルン。今日は君の?」
「はい、僭越ながら本日はこの私が腕を振るわせていただきます」
満足そうな対面のシルバーアッシュの顔を見れば、それだけマッターホルンの手料理が食べたかったのだなという納得とともにほんわかとした気持ちになれる。誰にとっても、好きな料理を食べられるのは幸せなことだろう。そのお相伴にあずからせていただけるなんて友人冥利に尽きるというもの。朗々とした穏やかな声音の説明に聞き入りながら、私はいつか彼が過ごしたのであろう家族の食卓へと思いを馳せたのだった。
最後にコーヒーとともに運ばれてきた柑橘とスパイスのジェラートに舌鼓を打ちながら、私は緩んだ顔もそのままにシルバーアッシュへと話を向けた。
「どれも非常に美味しかったけれど、特にメインのステーキは絶品だった。この先ひと月は事あるごとに思い出してしまいそうだ」
「口に合ったようで何よりだ」
「それにしても豪勢な食事だったが、誰かの祝い事でもあったのかな」
把握している限り、本日の日付はシルバーアッシュや親しい人たちの誕生日とはずれているようだけれど、イェラグの祝祭日か何かだったのだろうか。率直に疑問をぶつければ、彼はその白皙の美貌をゆるりとふって、こちらの質問に否を返した。
「いいや、ただの食事だ。友人とディナーを楽しみたかった。それでは理由に足りないか?」
「十分だとは思うが、そういえばメインの獣肉は君が自ら狩ったとか言ってなかったか。多忙な君がわざわざ?」
「イェラグでは定期的に公式行事としての狩りが行われる。お前も見ただろう、禁域での狩りが許されるのはその時だけだ」
「……ん?」
「狩りの獲物は一度は神に捧げられるが、儀式の後は持ち回りで各家に分配される。今回はなかなか立派な角獣が獲れたので、是非ともお前に食べさせたくてな」
「んん????」
ちょっと待ってくれ、今なにかとっても聞き捨てならない単語が聞こえなかっただろうか。私が行ったときのってつまり聖狩で、獲物は神に捧げられるもので、ええと今私の胃袋の中には非常に上質なステーキがあって……??
「あのさ、マッターホルン」
「今回ばかりは流石に手が震えました」
「ガチじゃん! マッターホルンが緊張するくらいガチなやつじゃん! 確かに美味しかったけど!」
頭を抱える。それ以外にどうしたらいいかわからなくなったからだ。はいそこの雪豹、かわいらしく首をかしげるんじゃない。満足してもらえなかっただろうかってそんなはずがないだろう、美味しかったよ! でもそれとこれとは別の話だ!
「ステーキは重すぎただろうか。ヤーカからお前は健啖家だと聞いていたのでフルコースを用意させたのだが」
「美味しかったです……重ねて言うがとても美味しかった……だからこそもうひとこと、食べる前に説明が欲しかったかなー」
わあ、私、神前にお供えされるようなステーキ食べちゃった。どうしろと。どうしようもないね、はい。
「目の前の獲物をむざむざと逃すような狩人はイェラグにはいない」
「つまり確信した上での犯行ってことだな」
「聞き捨てならんな、私がいつどこの法を犯したと?」
「私のほわほわしたあったかい感情を踏みにじったことですー。畜生、今回もマッターホルンの手料理が食べたかったんだろうなってほんわかした私の気持ちを返せ」
「無論、それもまた理由のひとつではあるとも。ヤーカ、離れて暮らす中、お前の料理を一日たりとて待ち望まなかった日はない」
「光栄です、旦那様」
「そうですよね、共謀ですよね。どうせ派遣先の胡散臭い上司だよ私なんて」
「盟友よ。だまし討ちのようなかたちで晩餐に招いたことは謝ろう。だが誤解してほしくはないのだが、お前と喜びを分かち合いたかったことは真実なのだ」
その声で囁かれると陥落しそうになるから卑怯だよな。なんて茶化さなければならないくらい、彼の言葉は真実だと頭では理解できていたから、私はのろのろと顔を上げてかぶりを振った。
「そこは疑わないよ、安心してくれていい。身に余る光栄ではあるが、饗応を受けたことには感謝する」
「ではまた招待を受けてもらえるか」
「次はうちの食堂でもいいかい」
「お前と囲むならば、どんな炉端であったとしても極上の饗宴であるとも」
そうして、以降ときどき豪勢な食事に招かれるようになったのだけれど、日に日に圧が増していく眼差しにいつか私ごとぱっくり食べられてしまうんじゃないかと戦々恐々している。