兄と弟。　耐えられなかったんだと思う。
　努力を重ねても重ねても兄と比較され続ける事に。
　いつからだろうか。
　何をやってもそつなくこなす優秀な兄が、憧れから疎ましい存在に変わったのは。
　例えば、だ。学校でテストがある度に教師は勿論、兄を知るクラスメート達に比べられた。部活動では兄は助っ人として引っ張りだこで。優秀な成績を収める兄は生徒会長を推薦されて、その肩書きに恥じぬよう主席で学校を卒業した。華やかな学校生活を送った兄と比べて、クロードの学校生活は灰色そのものだった。何をするにしても兄を知る人物から兄と比べられる。周囲のクロードへの評価は「兄の劣化版」、「悪くはないが、カリスマ性はない」、それが関の山だ。
　そんな日々に嫌気が差して、ある日、身一つで家を飛び出した。外は雨が降っていたが構わなかった。
　行く宛なんてなく、衝動的からくるものだった。ノイズが聞こえなくなれば、場所なんて何処でも良かったのだ。
　ぱしゃん。
　皆が傘を差して歩く中、一人ずぶ濡れになりながら歩く。
　中には少年が傘も差さずに歩いている事に何かしら思う事があったのだろう。声を掛けようとして、しかしクロードの冷たすぎる眼差しに怖じ気づき、結局何もせず帰っていった。
　ふう、と息を吐く。
　前髪からポタリと雫が垂れた。このまま雨が降る中、闇雲に歩いていても風邪を引くのは明白だった。何処か雨宿りが出来る場所を探さねば。
　視線を動かして、自分が今、ようやっと風俗店等が立ち並ぶネオン街に来ている事に気づいた。治安が良いとは言えない場所にいるのは危険だ。
　引き返そうとしたところで、一人の男と目が合った。
　男は雑居ビルの前で佇んでいたが、クロードと目が合うなり、ゆらりと体を動かした。
　ゆらり、ゆらり、ゆっくりと男とクロードの距離が縮まっていく。
　ぞくり、と悪寒が走る。あれに捕まってはいけない。逃げないといけない。
　そう頭の中で危険信号が鳴り響くのに、足が動かない。
　息が、上手く吸えない。そう思ったときだった。
「こんなところにいた～。駄目だよ、こんな危ないところに一人で行っちゃ」
　肩を掴まれたかと思うと、勢いよく引き寄せられる。
　甘い香りが鼻をくすぐる。この匂いは嫌という程、知っている香りだ。
「あに、……き」
「あ～、もうずぶ濡れじゃん。母さん心配してたよ、帰ろ」
「なんで……」
　濡れた髪を、頬を、優しく拭かれる。
　そして、彼が着ていたピンク色の上着を羽織らせられる。
「何でって……。弟が急に居なくなったら探さない？」
「……」
　きょとん、と目を丸くさせるメロルドを見上げる事しか出来なかった。
　兄から逃げたくて逃げ出したのに、その兄に結果的に助けられる事になるとは。
　何も言えず、メロルドからそっと目を逸らした。
「……何か御用ですか？」
　メロルドの柔い、でも冷水のように冷たい声が静かに響いた。
　メロルドが掴む肩にぐっと力が入り、何事かと彼を見上げ、そして彼の視線を辿る。
　男が兄弟を……正確にはクロードを見つめていたのだが、メロルドが声を掛けた事により、逃げるように去って行った。
　男がいなくなった事に安堵していると、メロルドが何処か呆れたようにクロードを見た。
「お前って変なのに好かれやすいから、気をつけな？　今回は僕がいたからいいけど」
「は……？」
「ま、僕が傍にいればいいだけか。うんうん、可愛い弟の事も守ってやるからね」
「え……？」
　一人納得するメロルドに、クロードはただ動揺するしか出来なかったのだった。