兄と弟~if Halloween~ 夜の帳が下りた町はライトアップされた装飾品や街灯でキラキラと輝いていた。
仮装をした子供達の声が楽しげに夜の町に響き渡る。
十月三十一日。今日はハロウィンだ。
しかし、陽気に走り回る子供達とは対照的にクロードの表情は暗かった。
クロードはぐっと唇を噛みしめる。
どうしてこんな事になってしまったのかと。
この世の終わりのような顔をするクロードを見て、メロルドはにこやかに、それはもう苛立ちを覚えるぐらいの笑顔を浮かべながら、クロードの頬をつんと突いた。
「もう、クジ引きで決まったんだからいい加減腹くくりなよ~。せっかく可愛い格好してるんだからさ」
「……うるさい」
ぱし、とメロルドの手を払う。
メロルドの言う可愛い格好。
澄んだ青空のような膝下までの水色のワンピース。白のフリルがついたエプロン。黒のストラップがついたパンプス。
クロードの髪色に合わせるような黒のウィッグに、シフォンのリボンのカチューシャ。
あの子供から大人まで知る有名な小説の主人公の仮装をしていた。
対するメロルドといえば。
黒のスーツに肩には深紅を思わせるマント。頭にはハートをモチーフにした金色と赤を貴重としたクラウン。
そして、片手には何故か鞭が握られていた。
冠や揺れ動く優雅なマントを見る限り、彼はハートの女王をモチーフにした格好をしているようだ。
「俺だけ女装って可笑しいだろ……。兄貴や他の皆は女装じゃないのに」
「は~い、ブツブツ言ってないで子供達にお菓子配るよ~、アリスちゃん」
オレンジ色のカボチャの形をしたかごを持たされると、早速目をキラキラと輝かせた子供達が集まってきた。
「トリックオアトリート!」
「ほら、クロード」
「あ、ああ……」
かごからお菓子が入った袋を渡すと、子供達が笑顔で受け取る。
それで集まってきた数人の子供達は他の大人達のところへお菓子を貰いに行ったが、二人だけ残った少年少女がいた。
少女がクロードに近づき、可愛いらしく小首をかしげる。
「……お姉ちゃん? お兄ちゃん?」
「ぶふっ」
少女の反応を見たメロルドが堪えきれなかったのか、吹き出した。
幼いながらにも女子というべきか。クロードの女装に僅かな違和感を覚えたらしい。
クロードが戸惑い、どう返答すべきか迷っている間に、少女の友人らしき少年が大きく声を上げた。
「はあ? 何言ってるんだよ、男だったらヘンタイじゃん!」
少年の純粋な言葉が刃の如くクロードに突き刺さる。
隣を見れば、メロルドは耐えきれないとばかりに腹を抱えながら、今にも地面に崩れ落ちそうになっていた。
そんな彼にグーパンをおみまいしたくなったが、今は子供達の前だ。ぐっと我慢をし、代わりに彼の足を思いっきり踏みつけることにした。
「いっだっ!!」
そんなことをやっている内に少女と少年の口喧嘩はヒートアップを迎えたようで。
「そんなに言うなら証拠見せて!」
「証拠ぉ~? そんなの」
バチリと少年とクロードの目が合う。
「お姉ちゃん、しゃがんで」
「ん、うん……?」
少年に言われるがままに、中腰になると視線が少年と同じくらいになる。
何をするつもりだろう。そう思っていると、「えいっ」という掛け声と共に、彼の小さな手がクロードの胸元に触れた。
「え……」
「あれ? 柔らかくない……?」
少年の言葉にピシリ、とその場が……正確にはクロードの隣が凍ったような気がした。
少年が何をしたのか、その言葉で全て分かったからだ。
「え……と」
「ごごごめんなさい! もうバカ! 何やってんの!!」
少女がペコペコと謝り、少年にも頭を下げさせる。
少年の行動に驚きはしたが、悪意はないのは分かっていた。
気にしないで、とぎこちなく笑い、その場を納めようとしたときだった。
「アリス~? 駄目だよ、叱るべき時は叱らないと」
「は? あ、に」
「じょ、お、う、さ、ま」
鞭の棒でつ、と顎を持ち上げられる。
表情はとても穏やかに見えるが、目は笑っていなかった。
「……女王様」
「よろしい。さて、可愛い子ウサギちゃん。アリスの……女性の体を勝手に触ったらいけないだろう? ちゃんと謝らないと」
そこで一区切りし、鞭をとん、と少年の肩に当てる。
「首を跳ねてしまうよ」
「ひっ!! ごめんなさいっ、お姉ちゃん!」
メロルドの有無を言わせぬ圧に負けたのか。少年は勢いのまま頭を下げると、そのまま逃げるように去って行ってしまった。
取り残された少女も、もう一度クロード達に頭を下げると、少年の後を追うように駆けていった。
「……何、子供相手にマジになってるんだよ」
「良い薬になるかと思って。それに悪いことは悪いって教えるのも大人の役目だよ~」
「トラウマを植え付けてるの間違いだろ、あれ……」
その後もメロルドと共に子供達にお菓子を配り歩いている内に、ハロウィンの夜はあっという間に過ぎ、気づけばイベントが終わる三十分前となっていた。
かごの中のお菓子もすっかりなくなり、ラストスパートだとお菓子を補充しに行こうとした時だった。
「……っ」
クロードの足にずきりと痛みが走る。
慣れない靴で歩いたせいか靴擦れを起こしたようだ。
思わず歩みを止め、顔を顰める。
「クロード? どうしたの?」
「……なんでもない」
「何でもないって顔してないんですけど~? どこか痛いの?」
「……」
つん、とメロルドから顔を逸らす。
そんな素直じゃない弟の態度にメロルドは、ふふっと笑ってみせた。
「もう、僕の弟は手が掛かるなぁ~」
「な、ちょっ……!」
背中と膝裏に手を回されたかと思うと、そのまま抱き上げられる。
その様子を見た、近くにいた子供達(主に女子)から黄色い声が上がった。
「お姫様だっこだ~!」
「お姉ちゃん、顔真っ赤~~!」
子供達の指摘に更にクロードの頬はかっと赤く染まった。
「おい、おろせってば!」
「はいはい、暴れない暴れない。怪我人は大人しくしててくださーい」
「一人で歩けるってばっ!」
クロードの抵抗も虚しく。
周囲の視線を浴びながらも、あれよあれよという間にメロルドの部屋に運ばれ、ベッドの上に下ろされた。
そして、手際よく靴とソックスを脱がされ、桶の入った水で丁寧にかかとを洗われる。
「いっ……」
「染みる? でも、ばい菌が入ったらいけないから、我慢してね」
メロルドの長い指が足に触れる度に、ぴくりと体が反応しそうになる。
正直、もう子供ではないのだから手当てぐらい自分で出来る。そう突き放しても良かったのだが、メロルドの表情があまりにも真剣なものだから、言うタイミングを逃してしまっていた。
「はい、これでよし。直ぐ処置したから、あんま酷くなってないよ」
「……ありがと」
「ねえ、クロード」
「何?」
「トリックオアトリート。お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ~」
「……はぁ?」
部屋にクロードの間の抜けた声が響く。
十月三十一日。確かに今日はハロウィンだが。今、このタイミングで言うことだろうか。
「お仕事頑張ったら、疲れちゃった。ご褒美ちょーだい?」
サラリと髪を一房すくわれる。
それを横目にし、メロルドに視線を戻す。彼はニコニコとまるでチェシャ猫のように笑みを浮かべていた。
「ご褒美って……」
「クロードがその格好で一人でお菓子配り歩いていたら、ぜーったい変なの寄ってくるでしょ? だから、警戒してて疲れちゃった」
「変なのってなんだよ」
「え~? 例えば」
とん、と肩を軽く押されたかと思うと体がベッドの上へ沈む。
ぎしり、とスプリングが軋み、メロルドが上に覆いかぶさってくる。
「こういう事してくる奴」
胸元のリボンを解かれる。白く長い指は止まる事なく、ブラウスのシャツのボタンに手を掛けた。
「おいっ……ふざけ」
「ふざけてないよ。クロードは隙が多過ぎ。子供に胸触らせるって何」
「まだ怒ってるのかよ」
「怒ってます~。許してほしかったら、ご褒美くれなきゃ嫌」
メロルドにしては珍しく拗ねているようだった。
クロードは僅かに頭痛を覚えながらも、考える。
メロルドに手っ取り早く機嫌を直して貰う方法を。
「……兄貴」
「ん~?」
メロルドのネクタイを引っ張ると、ぐっと彼の顔が近くなる。
互いの息が掛かりそうな程、近くなった時。その頬に唇を寄せた。
「……これでいいかよ」
そっと唇を離すと、目を丸くさせているメロルドと視線が合う。
「……ぷっ、あはははははっ!」
「はあ……!? 何、笑ってんだよ」
「ご、ごめん。クロードがそんな可愛い事すると思わなくて……くくっ」
「……満足したならどけ。着替える」
「え~、嫌だ。何か今、燃えてきたから」
「……は?」
しゅるり、とメロルドのネクタイが緩められる。
それはまるで、映画のワンシーンかのようで現実味を感じられなかった。
「ハロウィンが終わるまでまだ時間はあるし……。楽しませてよね」
彼はそう言いながら、クロードの手を取ると、唇を手の甲に落とした。