眉唾でお憑かれ様 最近どうも疲れが取れない気がする。
肩が凝る、頭が重い、気分がどうにも上がらない、寝た気がしない。単純に疲れが溜まっているのかと、睡眠の質が上がるような事は試してみたが、効果はイマイチだった。
どうしたものかと更衣室でモストロ・ラウンジの制服から見慣れたいつもの黒い制服と着替える。
溜め息交じりに語られたラギーの話を隣で聞いていたフロイドは、彼の背後に視線を投げながらポツリと呟いた。
「コバンザメちゃん、見えねーの?」
「は?」
ネクタイを締めようとした手が止まる。
言葉の意味を確かめるように、フロイドに視線を向ける。
「だって居るよ、後ろ」
後ろ、と言われ振り返るも、そこには同じように仕事を終え、制服へと着替えているオクタヴィネルの生徒がいるだけだった。
からかっているのかと、視線を戻すもフロイドの表情からはふざけている様子は読み取れず、胸の内に当惑が広がる。
そうこうしている内にも、着替え終わった他のスタッフは、雑談を交えながらも退出していき、気づけば部屋にはフロイドとラギーしか残されていなかった。
先程までの騒がしさがなくなり、しんと静まった室内。
思わず息をするのも忘れてしまう程の重苦しい空気に耐えきれず、それを取り払うようにラギーは明るく振る舞った。
「フロイド君も実はお疲れなんですか? 今日は早く寝た方が良いっスよ」
お互い大変ですね、と今度こそネクタイを締める。
続いてロッカーから荷物を取り出そうとして、突然肩に重さを感じた。違和感を覚えたのも束の間、耐えきれない程の圧力が肩にのし掛かり、ラギーはその場に蹲った。
「っ、は、何……!?」
「あーあ、無視するからおじさん泣いちゃったじゃん」
「おじさ……?」
誰だそれは、と息も絶え絶えに、顔を上げる。
けれども、フロイドはそんなラギーを助ける素振りは見せず、ただ見下ろすだけだった。
「おじさんはおじさんだよ。何かコバンザメちゃんが娘に似てるんだってさ~。見た目か中身は知らねーけど」
「……はぁ、つまり?」
「コバンザメちゃん、おっさんに憑かれてる」
理由はどうあれ、迷惑な話だった。このゴーストはどうやら意図的に気配を消していたらしいが、いざラギーに黙殺されてしまうと思うところがあったらしい。今は傷心で我を忘れていると、どういう訳かゴーストが見えるフロイドが告げた。
「あ~~、クッッソ迷惑なんスけどっ! これからレオナさんの夜食も作んねーといけないのに」
未だ体は重く、思うように動けない事に苛立ちを覚える。
苛立ちを隠そうとしないラギーにからからと笑っていたフロイドは、ふうと息をつき、そして座り込んでいるラギーに視線を合わせるように、しゃがみ込んだ。
「それで、どうしたい?」
「は……?」
先程までとは違う、獲物を狙うかのような、にやついた笑み。
「どうって……」
「コバンザメちゃんがどうしてもって言うなら、助けてあげてもいいよ」
誰かに借りを、特にオクタヴィネルの連中に作るのは嫌だった。
しかし、半ばストーカーのようなゴースト相手に解決策は思いつかず、逡巡をした後、ラギーは小さく舌打ちをした。
「……何とかして」
「あはっ、いいよ。貸し一つね」
パッと明るい笑みを見せたかと思うと、フロイドの気配は一層近づく。
顔が近づき、フロイドが纏う香水の匂いが鼻腔をくすぐった。吐息が掛かりそうになり、じりと、僅かに揺れ動いた背がロッカーにぶつかる。
「ちょ、何なん──」
思わず顔を背けそうになった顎を掴まれ、固定をされる。次いで、ふわりと唇に柔らかい感触が当たった。
目を見開く。理解が追いつかず、体が強張り、押し返そうにも体に力が入らない。
ただされるがままに、フロイドに唇を許している事に激しく羞恥心を覚えた。
(ウッッソだろ、キスされてるのオレ──!?)
小鳥のように触れ合っていた唇は、次第に深くなっていく。物足りないと言いたげに、フロイドの舌が割って入ってきた。
初めての感覚にビクリと体が反応し、尻尾もぶわりと太くなる。
(──っ、無理)
何でも良いから早く終わってほしい。羞恥心は既に限界を迎えていて、生理的に出た涙のせいか、視界は霞み、彼のゴールドとオリーブ色のオッドアイの瞳がぼやけて見えた。
「ん、ふ──っ」
吐息が漏れ、貪るようなキスは続く。
徐々に体の奥が熱を持っていくような感覚。視界だけではなく頭の中も溶けてしまうかのようだった。
甘く熱いキスにぐらりと目眩を覚える。ゴーストのせいで、力が入っていなかった体にもう己を支える余力は残っておらず、ロッカーに身を委ねながら、フロイドの愛欲を甘んじて受けていた。
口内を犯されていく事に、じわりじわりと快感と呼べる心地良さを覚えていると、ふとその刺激が止んだ。
不思議に思い、閉じていた瞳を恐る恐る開けると、そこにはやや顔を赤く染めたフロイドが見えた。
「気持ちよすぎて、やっば……」
「な」
「何、もっと欲しいの?」
くつくつと笑うフロイドに、カッと体中が熱くなる。
違うと否定しきれず、誤魔化すように彼の胸を叩く。そこで、はっとある事に気づいた。
「体が動く……重くない」
「おじさんいなくなったよ、良かったじゃん」
どこの世界に──少なくともラギーは、キスをして除霊なんて聞いた事も見た事もなかった。お世辞にも頭が良いとは言えない払い方に、今度は頭痛を覚えそうになった。
「あ~~……最悪……」
「そういえば、貸しの件なんだけどさ」
穏やかさが戻った空気に油断をしていた。
そう、この男がタダで助けてくれる訳ないのだ。助けて貰う立場だったとはいえ、条件をつければ良かったと思うも時は既に遅かった。
「ぐっ……オレに出来る範囲ッスよ。そんで、金銭が発生する条件は絶対嫌ッスからね」
精一杯の抵抗を見せる。じと目で見上げるラギーの反応を楽しむかのようにフロイドの口は弧を描いた。
「コバンザメちゃん、オレとカフェ巡りして。ラウンジで新作メニュー作るから、アイデア探ししたいんだよね」
「……えっと、ジェイドくんやアズールくんと行かなくていいの?」
「空気読めし。コバンザメちゃんと行きたいの」
「はあ……あ、オレ金持って──」
「出すから。どう?」
じゃあ、行く。と、しどろもどろに返事をすれば、フロイドはニッコリと笑った。
無茶な要求をされると思っていたので、些か拍子抜けだが、奢ってくれるなら悪くない条件だった。寧ろ──
(よく分からないけど、タダ飯最高──!)
同性に──フロイドにキスをされ、その事に嫌悪感を覚えなかったという事実と、それに伴い芽吹きそうだった感情の名は、目の前にぶら下がれた甘い餌を前に忘れた──と、自分に言い聞かせるように目を伏せた。
ラギーと別れて、オクタヴィネル寮の廊下を一人歩く。
周りに人の気配がない事を確認したフロイドは、指をパチンと鳴らす。
「お疲れさま~。はい、これ報酬ね」
懐から封筒を出すと、見えない何かにそれを渡した。
「おじさんのお陰でコバンザメちゃんと気持ち良い事出来ちゃった。ありがとね」
機嫌良く言えば、何かの気配はふと消えた。
気配が消えた事を見届けたフロイドは、再び自室へと歩み始める。
静寂な廊下に彼の足音がやけに大きく響いた。
「次はどんな手使おうかな〜」
スマホを取り出し、ネットに繋ぐ。検索したのは、ラギーと行く予定のカフェのホームページだった。
「あはっ。デート、楽しみだねコバンザメちゃん」