無題「羽風薫、ってどんなやつだったっけ?」
飯、食いに行こうぜと誘われ、中学からの付き合いである友人二人と一緒に焼肉を食べている時のことだった。羽風薫、名前を口の中で転がしてみる。羽風薫という同級生は確かいた、ような気がする。気がする、というのはその羽風が印象に残りにくいタイプだったからだろう。“羽風”と言えば夢ノ咲の地域では名士の家系で、家が大層裕福であることは同学年の人間であれば誰もが知っていた。だが、羽風薫本人と言えば特段目立つこともなく、かと言って所謂根暗で隠キャというような存在でもなかった。進学校の男子校であったからかヤンチャな人間はそこまでおらず、勉強熱心で物静かなやつも多くいた。羽風はそういう部類にいたような“気がする”のだ。
「どんなやつだったっけ。羽風、羽風…」
トングで肉を網に乗せながら頭を捻る。
「あー…あいつ、男嫌いで有名だったぜ?素っ気ない感じであんまり喋った記憶がねぇなぁ…」
「なんかいつもぼーっと窓の外眺めてなかったか?授業中も上の空っていうか…」
「わかる。でもやっぱりあの家の人間だし、成績は良かったんだよな。テストのたびに廊下に貼り出されてた総合成績あったじゃん?あいついつでも学年トップ3には入ってたよ」
そんなことを話しているとふととある出来事の記憶が蘇る。そう言えば席が隣になったことが一度あった。その頃に少しだけ会話したことがある。
丁度定期考査の返却日で、教室内はテスト返し日特有のガヤガヤとした空気だった。次々と教師に名前を呼ばれ俺の番が来て、立ち上がり緊張しながら受け取りに行った。点数を確認すると90点。ひっかけや応用だらけで陰湿な問題ばかりを出す教師の数学はいつもは赤点スレスレだと言うのに、こんなにも高得点が取れるなんて家で見せたら良くやったと泣かれてしまうのではないかと思ったことが印象に残っているのだ。内心誇らしげに満足していると、隣の羽風が呼ばれ小さく返事をしてから立ち上がった。教師は羽風が目の前に来ると教室の隅まで聞こえるくらいの大きな声で話し始める。
「羽風〜!今回も良く頑張ったな。君のお兄さんもいつも優秀だったが流石羽風さん家の子だな。」
「ありがとう、ございます。でも満点ではないので…」
俺には聞こえたが、小さく返したその言葉は教室内の喧騒で掻き消されただろうか。席に帰ってきた羽風は高得点を取ったというのに何故か顔色が悪く、たったひとつしかチェックが付いていない答案用紙を持つ手は少し震えていた。この後も会話を続けたはずだが内容は朧げで、思い出そうとしても記憶に靄がかかるだけだった。
「それで?その羽風くんがどうかしたのか?」
目の前で大事に育てていた肉はじゅうじゅうと脂が落ちてちょうど良い焼き加減で食べ頃になっている。
「これだよこれ、この今かかってるラジオ」
『ただ今お送りしているのは発売日までタイトルは秘密のUNDEADの新曲♪パーソナリティを務めているのはUNDEADの夜闇を統べる魔王朔間零と、「人類の半分と婚約済みの羽風薫だよ〜♪」』
心地よいテノールと人好きのする優しく甘い声、前者は知らないが後者は聞き覚えのある声で。
「え?これが今喋ってたあの羽風?」
「そうそう」
印象が違いすぎる。そう認識するくらいには声のトーンは自分が知っているものよりも何倍も高く、朔間零という男と漫才のような掛け合いをしており楽しそうな声色だ。中学生の頃の面影は一切なく所謂“高校デビュー”と言うものをしたのだろうか。
「この前薫くんとオフが被って一緒に出かけたんじゃが…」