「 」
ああ、またこの夢か、と目の前に広がる光景を眺めている。俺は夢の中で俺ではない誰かになって、もう一人と話をしていた。なんの変哲もない日常の風景の時もあれば、神と戦うような壮絶な夢の時もある。もう一人の姿もその時々によって様々で、男の時もあれば女の時もあり、瞳や髪の色、顔立ちも共通点はない。たった一つ分かることは、俺はその人をとても大切に思っていたということと、どんな人生を歩んだとしても、必ず死に別れる事になってしまうこと。
この不思議な夢は、俺が物心ついた時から見ている。初めて見た時は人物も世界も曖昧で、そういう夢を見たとぼんやり覚えているだけだった。明確に鮮明になり出したのは五社学園に入学してから。厳密に言えば、由良に出会ってからだ。うららかな春の日、桜舞う花曇り。埋め尽くす人びとの中で、海のような深い紺碧の瞳を、初めて見つけた時のことを今も鮮明に覚えている。あの時、俺の魂が叫んだ。ずっと彼を探していたのだと、ずっと彼に会いたかったのだと。身体が勝手に動いて、胸の内から湧き上がる衝動のままにその手を掴んだ。由良はひどく驚いた顔をしていて、俺はようやく自分が何をしているのか理解した。正直あまり良い出会いであったとは言えないが、それでも彼との親交は続いている。
俺は五社内の生まれで、由良は五社の外から来た学生だ。ごく普通の家庭に生まれて、普通の人生を歩んできた。俺は由良の笑顔を見るとき、何故か胸が苦しくて、泣いてしまいそうになるときがある。この学校で初めて会ったはずなのに、ずっと、彼のそんな笑顔が見たかったような気がしてならないのだ。
「おはよう、水明。……おや、眠そうだね。また例の夢かい?」
正門で声を掛けてきたのは友人の一人だ。彼女は猯の生徒だが、何故か彼女の方から俺に話しかけてきた。初めて会うはずだったが、彼女のことはよく知っている気がした。
「ああ……」
「うーん、やっぱりそれは所謂前世の記憶というものじゃないかな」
その可能性を考えなかったわけではない。人が死に、生まれ変わること。現実味はないが、神が存在する世界なのだから有り得てもおかしくないとは思う。ならば、俺が今まで見てきたあの人が由良だったというのだろうか。
「まあ……その可能性もある」
「歯切れが悪いね」
「夢だからか、あまりこう、実感が持てないというか」
「まあ、そんなものか」
彼女の視線が遠くを見た。その横顔は、ここではないどこかを見て、誰かに思いを馳せているようだった。
「どうしたんだ?」
「いいや、なんでもないよ。ちょっと感傷に浸っていただけさ」
じゃあ猯はこっちで授業だから、と彼女は軽く手を振ってその場を後にする。彼女の様子に違和感を覚えながらも、俺も授業に遅れないように教室に向かった。
いつも通りの日々、今日は天気も良く、開け放たれた窓から風が吹きこんできてカーテンが揺れる。不意に窓の外に目を向けると、仙狐が体育の授業をしていた。無意識のうちに由良の姿を探す。彼は同じ組の友人たちに囲まれて、笑っていた。まぶしい笑顔だった。あの夢を見た日は特に、そう思ってしまう。どうかずっと彼が幸せであるようにと、祈らずにはいられない。
その時、教室中にアラームが鳴り響いた。そして全員が各々の武器や守札を手に取り、教室を飛び出す。神が現れたのだ。格付は松の乙と、危険度は高い。俺も例外なく、契約者に声を掛けて神の元に向かう。
到着する頃には、既に華に塗れた生徒の姿があちらこちらに見られる。特攻型で攻撃方法に長けており、近づけば近距離攻撃、遠距離から狙おうとしてもお構い無しに攻撃が届いてしまう。全員攻めあぐねている、という状況だ。俺の武器は中距離から近距離を得意とするが、核を壊そうと近付くこともままならない。少し距離を置いて契約者に傷を治してもらう。周囲の様子を確認すると、由良の姿が見えた。その瞬間、目の前が白く染まる。青い瞳と、白い柔らかな髪と、由良によく似た姿。桃色のコルチカムの、花が。
視界が元に戻って、神の鎌の一つが彼を狙っているのが見えた。そして気がつくと、俺は走り出していた。「水明!?」と契約者の焦ったような声が背中に届いたが、振り向く余裕もなかった。
「由良!」
彼の身体を咄嗟に突き飛ばす。僅かに振り向いた由良の見開かれた瞳が俺を見る。彼が口を動かした時、何と言ったのか聞き取れないまま、激痛とともに俺は意識を失った。
走馬灯のように、溢れる記憶が俺の視界を流れていく。積み重なった感情が追いかけてくる。
ああ、ようやく分かった。全てを思い出した。全ての始まりの日々を。彼は由良だった。そして俺も、水明なのだ。彼を想い続けた日々、彼のための300年が、俺の手の中に落ちてくる。彼を置いていってしまって、最後まで守れなかったこと。だから次こそは彼を守りたくて、走り続けたこと。300年掛けてもこんな事を繰り返し続けている己の無力さに打ちひしがれる。
「その……水明、どうだ?味とか……」
「……いや、美味しいよ、由良」
最後に由良と過ごした錦愁祭。あのささやかな幸せが、もう一度欲しいだけだった。
不意に目を覚ます。何度か瞬きをして、自分が保健室に寝かされていると気付く。
「……由良?」
ベッドの傍に腰掛ける彼の名前を呼ぶと、安堵したような表情をして、次にキッと目を釣り上げた。
「っ……お前、なんであんな無茶をしたんだ!もう少し当たり所が悪ければ死んでたかもしれないんだぞ!」
由良の怒号をぼんやりと聞いている。由良が、生きている、無事だ。その事実を認識した途端、俺の両の目から勝手に涙が溢れてきた。由良はぎょっとしたような顔を浮かべる。それはそうだろう、俺自身が一番驚いている。だが、涙腺が壊れてしまったように、制御出来なかった。
「……いつまで、いつまでお前を苦しめないといけないんだ。俺のせいで、俺がいるから、お前を苦しめるのか」
「水明……?」
「もう、もう十分だろう。お前はもうさんざん苦しんだのに。いつになったら、幸せになれるんだ」
由良の困惑したような顔を前にしても、俺の口は止まらない。ただの一度だって今まで言わなかったのに、もう駄目だった。とうに俺の魂は限界だったのかもしれない。頭がおかしくなった、と思われるだろうか。今の由良にとって、俺は出会って一年の、ただの友人に過ぎないのだから。でももう、言葉が溢れて、抑えられなかった。
「300年だ、それだけの時間があって、俺は一度もお前を幸せにできなかった。一緒にいる資格なんてない、許されるはずがない。でも、駄目なんだ。お前に傍にいて欲しいんだ」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で感情を吐露する。そして驚く由良の背中に手を回して、俺は強く抱き締めた。鱗も鰭もない、うつくしい身体だ。
「どうしようもなく、離れがたくて、好きなんだ、お前のことが。ごめん、ごめんな、由良」
「どうか、こんなおれを、許してくれ」
そっと背中に回された由良の腕がおれを抱き締め返してくれたことだけが、たったひとつの救いだった。