愛してると言って 毎朝のルーティンがある。食事や一通りの身支度を終えたら玄関に向かうのだ。そこに外出予定の有無は関係ない。玄関を開けいつもの場所に視線を向ける。用意したおもちゃサイズの木の椅子。今日は利用者がいるようで、小さな恐竜の人形がお座りし、下にはメモが挟まっている。
『おはよう!今日の夏祭りは会場集合だって!14時にそっちに行くよ。』
エイリアンによって置かれた小さな訪問者を胸に抱き扉を閉めた。まだまだ時間には余裕があるが用意を始めよう。去年の浴衣は何処に仕舞ったか。
同じマンションに入居者するエイリアン。彼に出会った時の事はよく覚えている。呪術師という職業柄、不可思議の存在には見慣れていた。なんなら知り合いに竜人や鬼がいるので、エレベーターで一緒になった生き物の頭に角が生えていようが特段驚くべきことではない。しかし、ほとんど反応しなかった筈なのに、相手は目ざとく擬態を見破られたことに気がついた。狭い密室で自分よりも遥かに強いと分かる異形に追い詰められる恐怖を生涯忘れない。
この恐怖が彼に対する第一印象。ただ彼は僕を害する気は無かったようで、それどころか才能を褒めちぎった。危害を加える気がないのであれば、怯える必要は無い。少し話をし彼がエイリアンの王子であること、地球の娯楽に興味があり黙って母星を飛び出したことを知った。
「地球のこと知り尽くしたら滅ぼすの?」
「滅ぼさないよ!?俺はね、音楽で征服するんだ。」
音楽が一惑星を救うなんて。一風変わったエイリアンに興味を抱き、連絡先を交換し時々顔を合わすようになった。そんな関係は、気づいた時には互いの部屋に招き招かれる程仲良くなっていた。相性が良かったのだ。
それから程なくして彼は、僕の部屋の前に恐竜の玩具や人形を置きはじめた。理由はよく分からなかったが、可愛らしい習慣に答えるため用意したのは小さな椅子。それが求愛行動と知るのは大分後のこと。
「Hi!シュウ!」
「ぐぇ」
鳴らされたチャイムに出迎えれば180cmの巨体が襲い来る。加減されてるとはいえ体格差による衝撃は簡単にいなせるものでは無い。7cm上には、いつもとは異なり前髪を分けた君の顔。
「いいね涼しげだ。…浴衣着るよりタンクトップのままの方が快適じゃない?」
囲いから腕を抜き、晒されたおでこを撫でる。柔らかく微笑んだ表情とは裏腹に、強さを増したハグに身体が浮いた。そして勝手知ったるとばかりに部屋に侵入していく。屈辱的だ、非常に。だが凶悪なエイリアンに力で敵うはずもなく、抗議したところで暖簾に手押しなのは目に見えている。何か含みのある行動ではなく、単に彼のスキンシップの1つであることをこれまでの関係でよく知っている。
冷房の効いたリビングに戻れば、旋毛へのキスと共に降ろされ頬擦りをされる。幼い頃、飼っていた犬が飛びつき顔面を舐め回してきた記憶が蘇った。髪をセットする前で良かった。
「wushu wushu 〜、よし。お願いします!夏祭りには浴衣だよシュウ。」
かまされたウィンクはどう見ても星が飛んでいる。
「はいはい。じゃあ着付けていくね。」
「あれ待って。式神たちがしてくれるの?シュウじゃないの。」
「そうだよ?僕も準備まだだし。その子たちでも問題ないから大人しくしてね。」
しょげているが関係ない。彼のペースに呑まれていれば間に合わなくなる。着せ替え人形を横目にメイクを行う。いつもと同じ手順、同じテンポ、違うのは横からの視線。
「レンもメイクする?」
「んー?特には…、した方がいいかな?最近メンズメイク流行ってるよね」
「いや、興味があるのかなって思っただけだから、そうじゃないなら要らないでしょ。肌綺麗だし顔整ってるんだから。」
「それを言うならシュウもだね。」
「はいはい。畏れ多くも王子にメイクを施すことにならず、安心するばかりですよー。」
「シュウ〜。」
「わっ!ちょっと手元が狂うじゃん!もう終わったの。」
のしかかる体重を押しのけ仕上がりを確認する。がっしりとした体格に長い手足、魅力的なパーツを覆う艶のある黒の浴衣が雰囲気を引き締める。彫り深い顔立ちも相まって泰然とした印象が強く出ている。
「サイズとか大丈夫そうだね。羽織はどうする?」
「暑いかな?どっちの方が好み?」
「薄手だしそんなに暑くはないと思うけど。好み、ねぇ…どっちでもいいな。あぁでも、白の方が人混みとか暗闇で見つけやすいかも。」
「じゃあ羽織るよ!」
「分かった。僕もそろそろ着替えないとな。机の上に荷物用意してるから、足りないものないか確認しておいて。あと虫除けスプレーとかもあるから使って。」
「ありがとうshupport!」
満面の笑みを残し荷物のところ向かう大きな身体。かっこよさと可愛らしさのギャップがハスキー犬を彷彿とさせる。そんな事を思いながら、着々と着替えをこなした。
着替えシーンを見たかったが、きっと怒られるだろうから大人しく荷物の確認をする。といっても彼の準備に不足があった事はない。貴重品を詰めスプレーを纏い、あとは手持ち無沙汰。衣擦れ音をを聴きながら、荷物と共に置いてあった人形見つめる。愛を受け取ってくれた証。この子以外にもこの部屋にはその証が至る所にある。
初めて送ったのは小さなプラスチックの恐竜。この求愛給餌に似た行動が地球人には無いことを知っていた。それでも自己満足のために始めたそれに、椅子が用意された時のあの感動。征服感のようなものが満たされる感覚。その一つ一つがこの部屋には詰まっている。
「なにニヤけてるの。そんなに楽しみ?」
「楽しみ。でもそれよりシュウのこと好きだなって。」
「Wow!…。よし、じゃあ行こっか。」
「全然ときめかないじゃん。まって、その子連れてくの?」
「うん。最近ぬい撮りが流行ってるんだって。」
「ぬい…?」
「ぬいぐるみ撮影。」
恐竜の腕をパタパタとさせアピールしてくるのは可愛い。でも荷物と人形を持っていたら手が繋げない。そもそも外でしかも友人達の前で繋いでくれる可能性など0に等しいが、他のものに独占されるのは許せない。奪い取り頭上に高く掲げる。じっとりと睨みつけられる。
「えっと、ほら!落としたり汚れたりしたら嫌じゃん?」
「そうだね。でも身長マウントは許せないなあ。その子、レンゾットさんにお返ししようかしら。」
「わー!まって!!ごめんね!!」
「あっ!セットが崩れちゃうから撫でるの禁止。ほら返して、置いてくるから。」
「はい…。」
「ふふ!元気だして。」
頬に人形の口が当てられる。軽やかで短い毛並みは気持ちがいいが、出来ればシュウがいい。願いを込めて見つめるがスルーされ、人形は棚に置かれた。
「ほら、もう出るよ。忘れ物はない?」
「今日愛してるって言ってもらってない。」
「…。」
「プライベートならいいって言ったのはシュウだよ。」
「覚えてないかも?」
「去年みたいに人前でキスしてもいいなら。」
「あいしてるよ〜。」
「雑だ〜。」
足早に玄関に向かう後ろ姿を追いかける。慣れない下駄に身をかがめていたその時、頭に両手が添えられ、そして髪型を崩さないよう優しく触れる感触が旋毛に当たる。備え付けられた姿見からキスする彼を盗み見た。いつも下ろされている髪の毛は結い上げられ、横髪は耳に掛けているため顔が良く見える。以前彼と共に訪れた美術館に展示されていた女神の絵画を思い出す。慈悲深い御心で民草を抱擁し微笑むその表情は情愛に富んでいた。ちょうど今の彼の横顔のように。離れていく身体に彼自身に視線を戻す。ゆるりと細められた瞳はイタズラの成功した子供のようでもあり。
「仕返しだよ。」
目は口ほどに物を言う。