嫉妬 蝉がけたたましく奏でる音に掻き消されながらマネージャーがタイムを切る声を上げる。ギラつく太陽に奪われた体力を取り戻すべく、木陰に身を沈めスポーツ飲料水を飲みながら息を整えた。いち早く走り終えたルカは仲間達がゴールを目指す姿を観察する。陽炎が揺れるほどの暑さの中、陸上部は大会に向けた練習に励んでいた。
「カネシロ、またタイム更新してたな。」
「っす!先輩も好調でしたね。」
走り終えた先輩が荒い呼吸を整えながらこちらに集合する。優秀な成績を収めるこの部は、受験を控えた三年もまだ引退すること無く部活に参加している。先輩もとい部長は推薦が来ていると言っていたし、次の大会が進路へ影響を及ぼす以上手を抜くことは出来ないだろう。
隣のグラウンドで野球部が球を打上げる高い音が響く。この時間が好きだ。ウンザリする気温だが、ひとたび走り出せば全て置き去りにし、耳に入るは風を斬る音だけになる。高く登る雲の様に身が軽くなりどこまでも加速する。走っている最中は集中で知覚すらできないが走り終えた後、感覚が追いついてきて伝える昂揚が何よりも好きだ。
「…そうだ。次期部長お前な。」
「えっ?俺!?」
「お前以外にいないだろ。誰よりも早いし、性格に見合わず成績安定してるしな。多分顧問も同じこと思ってるぜ。」
「なんか今ディスりませんでした?えぇ…でも俺ただ走っていたいしなぁ。」
「はぁ…。カネシロ見ろ。お前の大好きな生徒会長様がいるぞ。」
「!シュウ!!?」
指さされた方を見れば、体育館裏からシュウと上級生が歩いてくる。帰ったと思っていたが、生徒会の仕事で残っていたのなら一緒に帰れるだろうか。炎天下を涼しげに歩く彼の姿を目に焼きつける。
「犬か?…よく考えてみろ。確かに部長になると昼放課や走る時間を部活運営で消費することになる。でもその間も生徒会長に会えるぞ。あと成績評価もプラスになるしな。」
なるほど悪くない。ただ、今はそんなことより気になることができた。炎天下の中を歩くシュウは日傘を差していなければ、薄手の羽織物も纏っていない。日焼けしても白いままだが、炎症症状の酷いシュウはいつもどちらかの対策をしているのに。脳内で彼の幼馴染である紫が咎めているのが浮かぶ。かの幼馴染は、公言こそしないがシュウがとても大切で、更に言えば容姿を気に入っておりそれが損なわれるのを酷く嫌う。女系家庭に生まれ、美容に厳しい幼馴染のおかげで、シュウは普通の人よりもスキンケアに気を使っている。であるのに何故。
ふと二人が止まり、上級生が花壇の向日葵を指さし何やら話している。上級生が背中を向けた途端、シュウが何かを探すように周りを見渡し、そうして諦めたかのように手で日差しを遮った。その動作で確信した。今ここにいるのはシュウの意思じゃない。
「はあぁ疲れた!2人とも速すぎじゃ、ってカネシロ?」
走り終えた仲間が何か言っているがそれどこでは無い。まだ使っていないタオルを掴み取ると立ち上がり、彼の元へ真っ直ぐに向かう。
「俺は眠れる獅子を起こしちまったみたいだ…。」
「は?部長頭おかしくなりました?てかカネシロ!?どこ行くんだよ!。――あ、あぁ〜あれ闇ノか。なるほど、全然眠れる獅子じゃないじゃないですか。」
「…確かに。常時起きてるな。」
確認して欲しい備品がある。放課後残っていれば、上級生に捕まりそう言われた。備品管理なら申請に基づいて行っているので問題ないはずだが、この上級生はちょっと熱血漢で面倒くさい所があるのを知っているので大人しくついて行く。空調の効いた校舎と違い体育倉庫は蒸し釜の如き地獄の様相を呈していた。呼びつけておいて、やれ無いだの何処にやったなど騒ぐ先輩にウンザリしながら大人しく蒸される。漸くお目当ての物を見つけ出す間に随分と水分を失った。
「あったぞ!この整備道具ちょっと調子悪くて見てくれないか。あと数も合わないんだ。」
「えっと…申し訳ないのですけど、見たところで僕にはわかんないので直せないです。もし使えない程なら備品の申請書を提出してください。数に関しては、…もう少し整理してちゃんと数を確認してください。ここの管理杜撰すぎますよ。」
「そう、だな。すまなかった。また整理したら呼んでもいいか?」
「いえ見せられても困るので、数が合わないのなら紛失届の提出をお願いします。」
暇だったとはいえ、こんな無駄な事に付き合わされるなんてツイていない。後日申請書を受け取りに来るようにと手短に伝え、去ろうとすれば呼び止められる。まごついて要領を得ない先輩に断りを入れようとした瞬間、手首を捕まれ外に連れ出された。
「ちょっと!?」
「えっと、そう!花壇の向日葵が綺麗に咲いていたんだ!毎月広報の表紙に花を載せてるだろ。確認しに行かないか?」
「は…、まあそれなら。あの手首痛いので離してもらってもいいですか。」
離された部分はすでに赤くなっている。皮膚の薄い肌が作ったこの痣を見て、浮奇に怒られるなと思った。それに外へ出ると思っていなかったので、紫外線対策を何もしていない。確実に小言を言われるだろう。
花壇に着いて気がついた。普段この時間帯は校舎から出ないため知らなかったが、この辺り日陰が全くない。今日は本当にツイていないな。太陽の元に晒されながら先輩の話し声を右から左へ受け流す。ボンヤリしていればいつの間にか先輩がこちらを見ている。人と話すのに手庇は失礼かと下げるも、日差しに目を焼かれる感覚に顔を顰めてしまう。
「闇ノ。その…もし良かったら今月末の夏まつ―」
「シュウ!」
頭に何か被せられると同時に腰に手が回され後ろに優しく引かれる。抵抗する暇もなく倒れ込むも後ろの人物に凭れ掛かるのみで終わった。声と匂いで分かる。ルカだ。頭に被せられたタオルは目元に影を作り視界が和らげられた。
「ルカ、どうしたの。」
「どうしたの?こっちのセリフだよシュウ。こんなに日差しが強いのに日傘も差さずに。」
「外に出ると思ってなくてね…。タオルありがとう、助かったよ。」
「えっと闇ノ ?」
「あっごめんなさい!話の途中でしたね。それで?」
「シュウ聞かなくていいよ。…先輩残念ですけど、シュウは俺たちと夏祭り回る予定あるので無理です。それで用事はそれだけですか。」
「え、ぁ…いや俺は、闇ノに聞いてて……」
先輩の声が尻すぼみになっていく。見えなくても雰囲気で後ろのルカが睨みつけて圧をかけているのを感じた。口を挟んだらもっと機嫌が悪くなりそうだ。
「はぁ、どの道答えは一緒です。あと、シュウの体調を考えずに連れ回す人に渡すわけないから。――シュウ行こ。」
「えっ?あ、わっ!あの、そういうことなのでっ!」
強く手を引かれ来た道を引き返す。引く力の強さに反して、握る手は随分と優しく握りこんでいる。心がむず痒い。タオルで日を遮ってくれたことも、内出血が起きないように気を使ってくれていることも。出会って2年と思えないほど、僕の事を知ってくれている。今だって昇降口に向かえばすぐグランドに戻れるのに体育館裏へ行くのは、そちらの方が日陰が多いからだ。
「ふふッ」
何も言ってこないあたり、何か拗ねてしまっているのだろう。どう慰め感謝を伝えれば、君を元気な状態でグランドに戻せるかな。
「はあぁぁ~涼しいぃ…。」
体育館か校舎に戻れば、冷涼な空気に身体が包まれた。あんなに涼しい表情していたが、ちゃんと暑かったのか胸元に涼しい空気を取り込んでいる。
「ルカ。タオルありがとう返すね。」
「ん、」
この2年間、彼の傍で周囲に牽制をし続けそういう輩はいなくなったと思ったのに。誤算だった。タオルを差し出す手首が赤くなっている理由は聞かなくても分かる。豪胆な性格と反対に彼の身体は酷く脆い。陽の光で火傷をし、強く触れられればすぐ内出血を起こし、水に濡れれば体温調節機能が乱れる。喘息を持ってる身で人の事を言えないが、何とでもないような顔で笑って人の手助けをする彼を支えたい。そんな気持ちが早々に恋に変わるのは必然だった。
「あと、助けてくれてありがとう。凄く困ってたんだ。ここまで付き合わせてごめんね?」
「いいよ…俺がしたかっただけだし。」
「ん〜そうだ。これあげる。」
ポッケを探ると何かを渡される。見れば2種類の飴だった。塩レモンとマンゴーのど飴。
「…マンゴーのど飴絶対不味いじゃん。」
「なんでさ、食べてもないのに。まぁ不味いんだけど。眠い時に舐めると目が覚めるよ。」
「ははっ!シュウたまに渋い顔して授業受けてるのそういうこと?」
「そう!本っっっ当に不味いんだよ!」
「なんで買ったんだよ。」
「前に南国フルーツ系のミックスキャンディ食べた時は美味しかったから。それにルカ、マンゴー好きじゃん。本当は美味しいのあげたかったんだけどね。」
「そっ、か……はああぁ。シュウさぁいくら生徒会の仕事とはいえ、一人で残ってやるのはやめてよ。」
シュウの絹肌に忌々しく残る跡を睨みつければ、きょとりと目を瞬かせる。
「違うよ?暫くは生徒会の仕事ないし、あの先輩に呼ばれたのは偶然。ルカと一緒に帰るつもりで残ってたんだ。持ってないでしょ、傘。」
「えっ」
「外見て?かなとこ雲できてるでしょ。きっと部活終わる事には降り出すと思うよ。」
言われて窓の外を見る。あの高く覆い被さるような雲はそういう名称なのか。それよりも―
「俺のため?」
「うん?いや僕が一緒に帰りたかっただけ…待って、先約あったりする?あっ、かのじょ「いない!!!!」」
「俺が誰とも付き合ってないの知ってるじゃん!先約もない!一緒に帰ろう。だから待ってて!!!」
「んはは!良かった、待ってるね。そろそろ戻らなきゃ、ルカ怒られちゃうね。」
先を行く彼の首を見て、汗で少し髪の毛が肌に張り付いてることに気がついた。胸がざわつく。周りが気づくほどの熱視線を送っても鈍感なシュウはただ朗らかに日々を笑う。授業中の顔を見られる事に疑問を持ってほしいのに。
「……シュウさ、俺の事めっちゃ甘やかすけど、他の人にはそこまでだよね。」
「そう?んーそうでもないと思うけど。」
下校してないのも飴のチョイスも俺が理由なのに? ――そこまで言ってしまう勇気はまだない。それにできれば彼が自ら気づいて、自分と同じように好きになって欲しい。
「シュウこれあげる。暑いでしょ髪の毛。」
「え、わっぁ!自分でやるのに…汗で汚れちゃうよ。」
「ははは!俺、走り込んできたとこなんだけど?」
歩きながら結んだそれは不格好だ。夏祭りでは浴衣を着るし綺麗に結い上げられた姿が見れるだろうか。来年は二人で行きたい。シュウがサニーとレンを誘った時、あいつらの表情は憐憫に溢れていた。
「結構時間取られちゃったけど大丈夫?」
「うん。タイム更新したし大目に見てくれるでしょ。」
「調子いいんだ!次の大会も一位とれるといいね。」
また応援に来てくれるのだろう。彼はそういう人だ。より一層励まなければ、昇降口はすぐそこだ。
「そうだ。俺部長になるよ。」
「え!本当!?やったぁ一緒にいられる時間増えるね!」
なんそれで無自覚なんだよ。口からついて出そうになる言葉を塩レモンで塞ぐ。待ち構える炎天下に"行ってらっしゃい"の言葉が背中を押した。