待ち合わせ学校からほど近い距離にあるカラオケ店の前で玄弥は1人ポツンと立ちつくしていた。
中間テストも終わり、今は昼に差し掛かる時間だった。「テストも終わったことだしみんなでパーッと騒ごうぜ!」という善逸の提案に賛成したのだが、参加予定の炭治郎、善逸、伊之助の3人は富岡先生から呼び出されてまだ来ていない。
暇を持て余してはいたが、空は青く澄み切っており風はそよそよと涼しかった。玄弥はたまらずあくびを噛み殺すために下を向く。
「オイ、こんな時間に学生がうろちょろしてていいのかァ?サボりか?」
嗜めるような口調の低音がすぐ側で聞こえた。玄弥は思わず顔をあげ、声のした方に目線を動かした。
鍛え抜かれた体躯。思わず凝視したくなるほど整った顔の男前。上下黒のスーツは糊がきいていて一見どこぞの役者だと言われても信じてしまうほどのオーラがある。
しかし大きく開いた胸元や捲った袖の先から見える腕に大きな傷跡が、この男をカタギではないと言わしめていた。
この男を玄弥は知っている。
「さ、実弥さん……」
「不良はオニイサンが補導しなくちゃならねェなァ」
「ち、ちが!今日はテストだけだったんで午前で終わりだったんです!決してサボりなんかじゃ」
玄弥は冷や汗を流しながら両手と顔を横に振って否定した。
玄弥は実弥に強く出られない。それどころか同学年ではタッパもあり強面だと言われる自分が、実弥の前では子犬同然のようになってしまうのだ。
それは数日前、玄弥は自身が働く喫茶店にて客として来ていた実弥の肩に誤ってコーヒーをぶちまけてしまったからだ。
あの時の恐怖を玄弥はいまだに忘れられない。冗談抜きで本気で死を覚悟した。それくらい目の前の実弥の顔は怖く、高校生には耐えられないほどの重圧と怒声で玄弥はその場にへたり込んでしまったのだ。今まで大してミスなどしてこなかったのに一体どうして。よりにもよってこんな怖い人にやらかしてしまったのだと自分の不甲斐なさに目に涙の膜がはる。
しかし玄弥の想像よりも事は思いの外大事には至らなかった。
「あちィなクソが」
舌打ちをしながら上着を脱ぎ、シャツのボタンにも手をかけ始める。
逞しい胸筋よりも下がおもむろに玄弥の目に飛び込んで、思わず顔面が火を噴くほどに熱くなった。
こ、こここんなところで…!!
そう口に出そうになったところで、実弥と同じテーブルに着いていた派手な格好のイケメンが笑い声を上げた。
「ワッハッハ、お前、シャツまで脱いだら絶対公然猥褻で捕まるぜ!」
「るせェ、んなこと言われなくてもわァっとるわ!!」
派手男のおかげでそれ以上の露出は回避されたのだ。
「オイコラそこの愚図!タオルぐらい持ってこい!火傷すんだろォが」
「は、はい!!」
それが玄弥と実弥の出会いだった。帰り際に一発ぶん殴られるかと思ったが、意外にも実弥は手を出すこともなく、コーヒーぶっかけたことを怒るでもなく、「実弥だ」とだけ言った。
「さねみ、さん?」
「愚図でもコーヒーぶち撒けて火傷させた相手の名前くらい覚えられんだろ?」
「は、はい!」
後ろの方で派手男と寡黙で小柄な黒髪の男がくつくつと笑っている。
「この落とし前はまたいつかな」
そう言って頭を2度ポンポンと叩かれた時に玄弥の心臓はバクバクと音を立てた。
次あったら殺されるのかなーー玄弥は心臓の高鳴りを死の恐怖だと決めつけた。
「炭治郎、あ、友達とあとでカラオケ行こって…それで、待ってて」
「ふぅん」
怖いので中々顔を見られないのだが、チラリと上目に覗くと思ったよりも優しい顔をしていた。
「ぁ……」
「平和なもんだなァ、オイ」
バカにされたのかとも思ったが、実弥の顔は至極嬉しそうだった。初めて会った時からこのかた怖い顔しか見ていなかったので、こんな顔も出来るのかと玄弥は呆気に取られる。
固く大きな手がわしわしとまた頭を撫でるので、玄弥はより一層体が小さくなる思いだった。
「あ、あの」
「アァ?」
「さ、実弥さんは平和じゃないんですか?」
我ながらバカな質問だと思った。カタギの人間ではないのだからそれなりに危険は付きものだろうし、気の休まらない日もあるだろう。
誰がどう見たって実弥は好戦的な男に見えるのだから諍いだって絶えなさそうだ。そしてやはり実弥の答えは「どうだろうなァ」だった。
「どうして俺のことなんか聞くんだァ?ヤクザの男になんか興味持たない方が身の為だぜ」
「だっ、だって実弥さん、優しそうだから…」
「ア?」
「見かけよりもずっと優しいから、実弥さんも幸せだったらいいなと思って。あ、いや、まだ会って二回目なのにこんなこと言うなんて変ですよね」
へへ、と笑った玄弥の目の前には先ほどまで優しげ(当社比)な表情をしていた実弥は居なくなっていた。
圧倒的勝者が弱者を痛ぶる前のサディスティックな笑みに、玄弥は思わず「ヒッ」と声をあげる。
怯えた玄弥に追い討ちをかけるように頭を撫でていた手は玄弥の肩を持った。実弥が触ったところが熱くて仕方がない。
「そんなに俺に幸せになってもらいてェんなら今度俺についてこいよォ。海のよォく見える場所を知ってんだ」
「え……え……っ」
それってまさか沈めるということだろうか。暴挙に暴言の罪で。コンクリで固めてキャリーバッグに押し込まれて投げ捨てられるんじゃ……。
「……不死川、そいつ怯えてる」
「チィッッ!」
玄弥が口をパクパクしている間に、実弥の後ろから小柄な男が現れた。
初めて実弥と出会った時には居た男だ。大きなマスクをしていて、蛇のような鋭い目だけが見えている。
「なんっで怯えるんだよ?!」
「顔が怖い。圧が強い」
「アァ?!!」
「いつまでも遊んでいる暇ないだろう。先方との約束の時間に遅れる」
「へーへー、言われなくてもわあってるよ」
もう1人と言い合いをしていた実弥がおもむろにこちらを向いた。もう先ほどのこわい顔はしていない。本当に、本当に男前だ。
「……じゃあまたな」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと実弥はくるりと玄弥に背を向けた。
玄弥はその背になんで言うべきか考えあぐねる。さようなら、は次会いたくないみたいだし、じゃあな〜!はもっと変だろう。玄弥は考えて考えて結局小さな声で「……はい、また」とだけ言った。
聞こえてないだろうと思ったが、実弥は背を向けたまま軽く手を上げた。
数分後どたどたと騒がしい足音が聞こえてくる。
玄弥は先ほどの出来事が頭から離れなくて顔どころか身体中が熱い。熱くて熱くて卒倒しそうだ。
「玄弥!遅れてすまなかったって、うえ!ど、どうしたんだ玄弥」
1番前にいた炭治郎が心配そうに玄弥のそばに駆け寄り、肩に手を触れる。それだけで玄弥は何かダメになりそうだった。両手で顔を覆い、ワァーッッと声を上げる。
「炭治郎どうしよう!どうしよう!」
「ど、どうしたんだ玄弥!」
「うわっっ玄弥の心臓の音うるっせええ!!爆発でもするのか?!」
心底うるさそうに耳を押さえる善逸を見ながら玄弥は自分が本当に爆発してしまうのではないかと思った。
きっとこれは殺人予告されたせいで心臓がうるさいのだ。そうじゃなかったら俺はーー!
玄弥はカラオケで思いっきり歌ってようやく気持ちを落ち着けたのだった。