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    hyz0sh

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    hyz0sh

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    体育祭

     熱心に画面を見つめている。何か考えるように、顎のあたりにに添えられた指が、滑らかな肌をなぞるように動いた。綺麗に整えられた爪をもつそれは、男にしてはほっそりしているが筋張っていて誰かを助ける形をしていた。
     横から見ると長く豊かなまつ毛が強調される。髪と同じ金色のそれは、頬に影を落とすほどに存在感がある。
     観察するような視線に気づいたのか、無視できなくなったのかようやく俺に声をかけた。
    「…どうした、爆豪」
    「だれか指名すんのか」
     今年の体育祭の録画だろう。よく知った雄英の学舎が画面に映る。見慣れた運動着を纏った、初々しい存在がちまちまと動いている。
    「そうだな……」
     いつかの自分のように、この事務所に呼んで世話を焼くのだろうか。そうなればインターンで来ている俺に割く時間は、やはり減るのだろう。そう思うとつまらない気分にもなる。多くのヒーローが去り、傷ついている今、後進の育成は重要だと理解はしてる。だが、それでも、今この瞬間だけの邪魔ぐらいは許されるだろう。
     革張りのソファに腰掛けた袴田の隣に行こうと座面に膝を乗せた。軋む音に反応して、画面に向けていた青がこちらを見た。
    「ジャケットは脱ぎなさい。皺になる」
     長すぎて持て余し気味の脚を組むのをやめ、太腿をぽんぽんとたたいて見せた。それが意味することに少し照れ臭くなって、誤魔化すように舌打ちを響かせた。
     言われたことに従って上着を脱ぎ、背もたれにかける。袴田はそれを見咎め何かいいたげにしたが、指先が操ったインディゴブルーの繊維が上着をさらってハンガーにかけた。わかりやすい甘やかしにささくれだった気持ちも和らぐ。
     ソファの上に転がって筋肉で締まった硬い太腿の上に頭を乗せた。
    「でかい猫みたいだな」
    「うっせ」
     皮膚の少し硬い指が、俺の髪をかき混ぜる。
     一年の初めの頃に、この事務所に来た時を思い出す。焦燥と苛立ちに塗れていたあの頃の俺が、馬鹿みたいだと切り捨てた時間を。
     次に来るやつにとって、あの時間はどんなふうに見えるのだろうか。まだ存在しないものについて考えたところで意味がないのに。
    「んで?あんたのお眼鏡に叶うような奴がいるのかよ」
     見下ろしてくる眼差しを独り占めにする優越感。手を伸ばし襟の内側に忍び込む。さらりとした滑らかな手触りに目を細めた。
     あれだけ毎晩熱心に手入れをしているのだから、その結果なんだろう。よくもまああんなに丁寧にやるものだとも思ったが、俺はこの肌がどうにも好きでたまらなかった。
    「お前の目にはどう映る?一年生はどうだった?」
    「さぁな、興味ねぇよ」
    「そうか」
     無愛想な返事でも袴田は気にせず、目を細めて笑った。テレビは変わらず体育祭の様子を流すのに、袴田はこちらを構い続けている。止めるなりなんなりしたらいいのに。
    「……体育祭、いいのかよ」
    「今年は良い子ばかりのようだから」
     チラと視線を画面に向けたが、またすぐにこちらに戻ってくる。髪を手櫛でいじって8:2に分けようとする。俺の髪の癖より強く矯正するのはやめろ。なかなかもどんねぇんだから。まだ寮で8:2坊やだなんだと笑うアホの声を思い出して苛立った。
    「…そんなん、わかんねぇだろ」
     俺は職場体験生を呼びたくないのか呼びたいのかわからない態度を見せている。自分の感情だけなら呼びたくないが、全体を見れば呼ぶべきだ。相反する思考を止めたのは、甘い響きの声だった。
    「今は私の仕事を邪魔する悪い子の相手で手一杯だ」
    「……そりゃ大変だ」
     袴田の手を取る。指を絡めて、引き寄せる。冷たい手の甲に口づけた。
    「他で悪さしねぇように、よぉく躾けておかねぇとな?」
    「全くだ」
     襟を引っ張って下げる。顕になる唇の淡い色に、どこもかしこも色素が薄いのかと感心する。身をかがめてくるのに応え肘をついて体を起こした。
     ほのかに残ったコーヒーの苦味に眉を顰める。下唇に噛みついて引っ張った。






    疲労

     前日の夕方爆豪からの連絡で、帰れないと言う端的な連絡があった。何があったのかを聞ける状態ではなかろうと、承知した旨だけ返した。
     仕事から戻ってテレビをつける。夕方のタイミングで流れるニュースで、爆豪の活躍が報じられる。あいも変わらず口と態度が悪いが、それでもヒーローとして立派に活動しているらしい。ヒーローが出なければならない場面があるのは口惜しいことだが、弟子の活躍をみるとやはり誇らしい。
     ニュースの内容では今日の早い時間に解決したようだし、今夜は帰ってくるのだろう。
     ソファに腰掛け、林檎のマークの愛機を開いた。ニュースをBGM代わりに仕事の連絡を返していく。
     キーボードを叩く音と、テレビの雑音に混ざって、玄関の扉が開いて閉じる音がした。帰ってきた、そう思うともう文章を考えられるだけの集中力は無くなって、彼の動線を考えるのに夢中だ。
     荷物を置いて、次は洗面所。念入りに手を洗う。次にうがいを。後はまっすぐ。
    「つなぐ」
    「おかえり」
     思い描いた通りにリビングに入ってきた爆豪に笑いかけた。やはり仕事は難航したようで、珍しく疲れ切った顔をしていた。
     挨拶の返事の前に膝の上にのって、抱きついてきた爆豪に驚いた。
    「ただいま、つなぐ」
     ぐいぐいと首筋に額を押し付けてくる。猫のような仕草が可愛らしい。筋肉のついた身体はそれなりに重いが、耐えられないほどではない。
    「疲れてるようだな、風呂の用意をしてこようか」
     ぽんぽんと宥めるように、背中を一定のペースで叩く。早く休めたほうがいいと思うが、家に帰った瞬間に張り詰めた糸が切れて動けなくなってしまうものだ。この場が気を緩められる場所であるのが面映い。
    「もうちょい」
     爆豪の髪が肌を刺激するのがくすぐったくて気になってしまう。身動ぐと離れるのを嫌がるようにさらに強く抱きついてくる。
    「爆豪、くすぐったい」
    「んー…」
     爆豪の唇が首の薄い皮膚をなぞっていく。ちゅっ、ちゅっと小さな音と甘い痛みを残していく。珍しく今夜は甘えたいらしい。出会ったころは子供扱いを嫌うし甘えるのは下手くそだったのに、今ではここまでになったのか。感慨深いものだな。
    「爆豪、そろそろ…」
    「…いや?」
    「嫌では、ないが…」
    「つなぐ、きす」
     膝の上にいるのだから奪おうと思えばできるのに、私からの口づけをするのを待っている。爆豪が私の顎に噛み付いた。痛みもないし後も残らないような甘噛み。子猫が戯れてくるようで可愛らしいが、どこか喰われそうな気配もあって気が抜けない。
     強請られるままに唇を重ねる、触れるだけのそれが気に入らないのかした唇に噛みつかれた。
    「いたいよ」
    「舌出せ」
     首の裏に回った手が離れる事を阻止している。そんなことせずとも応えるのに。口を開き舌を伸ばすと間髪入れずに噛み付いてくる。柔く弱い舌に噛みつかれると痛みと快感があって苦しい。擦り合わされる粘膜の厚さと柔らかさに、もどかしくなって体が動く。
    「逃げんなよ」
     体重をかけて乗っておいて、どこに逃げる余地があると言うのだろうか。
     爆豪の手がゆるりと体の上を這い回る。視界の端で太陽が沈んだ瞬間の、悪あがきのような強い光に眩んだ。
    「…かつき」
    「ん?」
    「その、するのか…?」
     準備をしていないわけじゃないが、疲れているのにやることでもないだろう。
    「……あまえてぇだけ」
    「そうか」
     膝の上の体を引き寄せると、完全に身を委ねてくる。昔とは違う出来上がった男の体は重いが愛しい。
    「では、存分に甘えるといい」
    「ん」




    ファンサ


     大・爆・殺・神・ダイナマイトからのファンサが欲しい。プロヒーローのイベントでしかファンサを狙えないだろうと、少し前から準備していた団扇を握りしめて見つめている。イベントの進行の邪魔にならないように、タイミングを見計らって名前を呼ぶ。
     前に通路のある開けた場所にいるからわかりやすいのではと思ったがそうはいかないらしい。こちらの方向に視線はくるが気づかないのか、なかなか応えてはくれない。そもそもダイナマはファンサをあまりしないから仕方ないか。せめて愛だけは伝えたい、と視線を送り続けた。
     見ているとわかるがやはり誰にもファンサはしていない。それだけが救いかもしれない。
     ふと影がさす。いつのまにか近くにベストジーニストが立っていた。見下ろしてくる翡翠の瞳に心臓が跳ねる。
     周辺から押し殺し切れなかった悲鳴が上がるが、ベストジーニストの反応はない。慣れきっているからか。
     最推しはダイナマとはいえこの造形の良さに見つめられれば、照れてしまう。思わず団扇を持つ位置が上がっていく。
    「そちらを貸してもらえるだろうか」
     それ、と長い指がさしたのは私の持つ団扇だった。がくがくと壊れたおもちゃのように頷いて、団扇を差し出した。
     ジーニストは柔らかく瞳を細め、甘く低い声が響く。
    「ありがとう」
     果たして何をするのだろうかと思っていると、ステージ側を向いて中腰になる。中途半端な体勢は辛いだろうに、微動だにしない。いやっ!すごい、いい匂いがする。なんの匂いなの、香水?体臭???
    「大・爆・殺・神・ダイナマイト!」
     色男というのは声までよくできている。私ではステージまで届かなかったが、ジーニストの声はしっかりとダイナマの耳に届いたらしい。
     赤い瞳がこちらを、いや、ジーニストを捉えていた。団扇を持つ姿に、呆れたような顔をして笑った。笑った!?
     困ったようによそを向いて後頭部をかいた後またこちらに顔を向ける。
     団扇に書いていたのは『ダイナマイト、指差して』だが、応えてくれるだろうか。
     親指をたて、中指と人差し指をこちらに向けた、それはしっかりとジーニストを指している。それはダイナマの癖ではなく、ジーニストがよくやっているものだ。まさか、個レス!?
     ダイナマがジーニストによく懐いているとは聞いていたここまでとは思わなかった。なんだかわからない感動がある。
    「おや」
     ステージの上のダイナマの手が動いた。両手の中指と人差し指でハートをつくった。それは一瞬でだがしっかりと向けられた。ジーニストに。
    「イレイザーがファンサをやらないと言っていたが、そんなことなかったな」
     この広い会場でただ1人に向けたファンサだったが?
    「団扇、ありがとう。彼は少し苛烈なところがあるが、素晴らしいヒーローだ。これからも応援してやって欲しい」
     ふわりとまた綺麗に笑って去っていた。







     まだ起床には程遠い。意識が浮上し、眠りと現実の境目をぼんやりと揺蕩うような感覚のなかにいる。玄関の扉が開かれ、気を配って閉じる音がした。
     袴田が帰ってきた。それに安堵し、微睡の心地よさのなかであいつの気配が動くのを追う。リビングを抜けて俺の部屋の前に辿り着く、起きておかえりといってやりたいが眠くてなかなか体を起こすには至らない。そうこうしてる間に袴田が慎重にドアノブを捻って中へと進む。遠くのフロアライトは、最低限の光量に絞られていてこの部屋にはほとんど辿りつかない。
     ベッドの縁に腰掛けた。2人分の体重を支えることになったベッドは、軋む音が少ししただけだった。
     壁側を向いた俺の体、投げ出した手のひらに袴田のものが重ねられる。そろそろと指を絡める。研鑽を重ねた男の手が起こさないように気を遣いながら。
     硬い髪は触っても面白くはないだろうに、穏やかにかき混ぜていく。身を屈めるのが気配でわかる。頰にそっと触れた柔らかな感触。子供の穏やかな夜を祈るような触れ方が気恥ずかしい。
    「……おやすみ、爆豪」
     あの青と緑の間の瞳が愛を囁くように柔らかく細める様が脳裏に浮かんで、絡めた指を強くした。
    「っ、起こしたか…すまない」
    「おかえり」
     ぼんやりとした声はまだ眠りの中にいる。
    「ああ、ただいま」
    「まってるから」
    「ん?」
    「まってるから、はよ風呂いけ」
    「寝てしまっても構わない」
    「いい、俺が待ちてぇ」
     体を起こし、まだ躊躇う袴田の手を引く。薄暗いリビングまで来ればあとは平気だろうと手を離す。部屋へと向かう長身を見送り、袴田の趣味で選ばれたソファに膝を抱えて座った。
     小走りのような忙しない足音のあとに、気遣わしげな声が飛んでくる。
    「寝てもいいからな」
    「わーってる」
     ひらひらと手を振って返して、風呂場に促す。
     物音がいくつか、それからややあってシャワーの流れる音がし始める。ざあざあと雨にも似た音にまた眠気が忍び寄ってくる。うとうととして、意識を手放した。
     ぽたりと足の甲に落ちた雫の冷たさに目を覚ました。
    「ああ、起きたか。待たせてしまったな」
     いつもぴっちりとセットされた金の髪は、濡れたまま後ろに流されている。秘匿された額が晒されているのが落ち着かない。だが、いい男だ。惚れ惚れするほどに、目が眩むほどに。オールバックから少し乱れて、細い髪の束が顔にかかっているのもいい。白い肌をつたっていく雫が、顎にとどまってまた落ちていく。
    「髪、乾かさなかったのか」
    「君が待ってるから」
     風呂上がりのルーティンを崩すぐらいの扱いだ、言葉にされずともわかる特別感に口の端が緩む。
    「乾かしてやるよ」
     立ち上がり、代わりにそこに袴田を座らせる。形のいい丸い頭を見下ろした。濡れた髪をかき混ぜるように撫でてから、洗面所にドライヤーを取りにいく。袴田愛用のこのドライヤー、値段を聞いた時に髪を乾かすだけのものにどれだけ金をかけるのかと驚いた。だが、袴田はプロヒーローとしてだけでなく、モデルもやっているからその見た目も商売道具だろう。ならば金をかけるのもおかしいことではないだろう。と、最近になって思うようになった。
     ソファの上で片膝を立て、その上に頭を預けた袴田が待っている。
    「眠いか」
    「いや、だいじょうぶだ」
     あくびまじりのふにゃふにゃした声が可愛い。珍しい姿だとも思う。髪を乾かすとオールバックは崩れてしまう。それだけが唯一もったいないところだ。後ろから袴田の肩を引っ張り、背もたれに倒れさせる。うとうととした眼差しが不思議そうにする。額に口づけを落としてからまた前を向かせた。
    「なんだ」
    「でこ、可愛いから」
    「…そうかな」
     袴田が肩にかけていた髪を抜き去り、それで髪の水分を大まかに取っていく。
     コンセントを差し、温風を出す。あまり温度が上がらないのがこれのいいところらしい。袴田の受け売りだから俺はよくわかっていない。教えられた通りにほどほどに距離を離し、根本から乾かすのをイメージしてドライヤーを動かす。
     袴田が大人しくされるがままになっている。いつかの立場が逆になったようで少しだけ愉快だ。乾かすふりをしてその手触りのいい髪を乱す。
    「……」
    「寝ちまってもいいぞ」
     微動だにしない袴田に声をかける、やはり反応が遅い。
    「……おきている」
    「おーおーんな気抜けた声でよく言うぜ」
     ドライヤーを冷風に切り替え仕上げを施していく。冷風で開いたキューティクルを閉じるのだと教えたのも袴田だった。金の髪を存分に堪能して、ついでになかなか拝めないつむじにキスをする。
    「袴田」
     起きているかどうかを確かめる。
    「寝たか?」
    「……」
     聞き取れないがうめいている。起きていると主張したいらしい。
    「ほら、寝るぞ。お前、立てんのか?」
    「……爆豪、疲れた」
     きゅっと握られた袖に不覚にも心臓が疼くような気がした。ただ可愛らしい言い方でベッドまで運べと伝えてきたに過ぎないのに。
    「はいはい、仕方ねぇやつだな」
     眠くてぐずるでかい子供を抱き上げる。所謂お姫様抱っことやらは、腕にかかる重さに顔を顰めた。
    「重てぇ」
    「そんな泣き言言うからチャートが下がるんだ、情けない」
    「こ、この野郎っ!」




    執事ごっこ


     シチサンに分けられた髪を崩していく。もう少し流す量を増やし、ハチニイにしていく。あいつはデコを出す形にはしないからと、あれの好みになるようにと整えて櫛を通す。
     まあ、これでいいだろう。鏡の中の自分を見て及第点をだす。
     燕尾の襟を正して、あいつのいるところに向かう。カツカツと革靴の踵がリノリウムの床を叩く音がする。袴田のいる部屋の前にたちもう一度襟を整える、前髪に触れる。
     勢いよくスライド式のドアを開いた。バンッと大きな音に反応して、翡翠の瞳がこちらをみた。
    「おいっ!袴田ァ!」
    「静かに入りなさい」
    「こいっ!」
     立てた親指の先をドアの向こうにむけた。
    「どこに」
    「いいから来い」
     デニムに包まれたその腕を掴む。戸惑う気配は呆れたため息のあとで途切れた。引かれるままに立ち上がった。手首から手に移し、引いて歩き出す。雄英の中とはいえ人には見られないだろう。
    「燕尾か、いいじゃないか。よく似合ってる」
    「……そぉかよ」
    「髪型、わざわざ変えてきてくれたのか?」
    「……うっせ」
     細やかに全部拾い上げてくれる。こういうところが、俺は。
     じんわりと熱が回っていく。頰から首、耳までが熱くなってくる。繋いでいない方の袴田の手が耳に触れた。
    「可愛いよ」
     長身をかがめて笑いかけてくる。細められた瞳に心臓が跳ねる。クールな男が魅せる表情が、俺を落ち着かなくさせる。
    「可愛いわけあるか!」
    「ははは」
    「何笑っとんじゃ!」
    「かっこいい」
     求めていた言葉は気を抜いている瞬間に、無造作に与えられた。心が湧き立つ。
    「かっこいいよ、爆豪」
     唇がむにゃむにゃとしてしまうのを止められない。うまく言葉が出てこない。照れ隠しに手を強く引っ張った。じゃれあいながら歩いた廊下の先、第二家庭科室。なかなか使う機会がない場所に袴田を連れ込んだ。
    「…ここは」
    「借りた」
    「懐かしいな、増築や改築を繰り返してもここは残っているのか」
    「?」
    「紙原…エッジショットと共にいた、手芸同好会の活動の場がここだったんだ」
     愛しい記憶を辿る横顔、眼差しの柔らかさ。大切な思い出の場にいれることが、嬉しい。今度、先輩もいる時にその話が聞けるといい。
    「そっか…」
    「ああ…。それで、爆豪は?ここで何をしたいんだ?」
    「ん、袴田、こっち、すわれ」
     家庭科室の椅子を引き促す。袴田が座るタイミングに合わせて位置を調整した。
    「…ふふ」
    「んだよ」
    「いや、執事らしいと思って」
    「奉仕されとけよ、ご主人サマ?」
    「では次は何を?」
     机の上で指を組んだ袴田が試すような眼差しを向ける。
    「待っとけ」
     ポットとカップに保温ポットから湯を注ぐ。全体を温める必要がある、らしい。淹れられたものを飲むばかりだから、違いはよくわからないが。
     温まったらポットの湯は捨て、茶葉を入れていく。ティースプーンで一杯を人数分、だから今回は二杯だ。ぽさぽさとポットに入れていく。
     勢いよくお湯を注ぐ。勢いがあった方がいいらしい。茶葉がよく動くといいのだとか。赤毛の顔のいいやつがそう言っていた。
     お湯を注ぎ終わったら素早く蓋を閉め、近くに置いておいた砂時計の上下をひっくり返した。
     カップに入れていた湯を捨て、ソーサーと合わせて袴田の前に置いておく。冷蔵庫にしまっていたケーキもその隣に。
     甘さ控えめのレアチーズケーキ。甘いのはそこまで食べないと言っていたが、これならまだいけるんじゃないだろうか。ダメだったら俺が食う。
     砂時計が落ち切るのを見届けた。ポットからカップに注ぐ。琥珀の液体から香りたつ。
    「いい香りだな」
    「よし、飲め」
    「お前が指示を出すのか」
     細い指がカップを持ち上げる。口元に持っていってから、ヒーロースーツの前を開けていないのに気がつき、ソーサーに戻した。ベルトを外し、チャックを下ろす。そこ下の白皙の美貌を晒す。澄ました顔と先ほどのうっかりのギャップにまた落ち着かないような気分になる。
    「それで汚したことあんのか」
    「…まあ、何度か」
    「ダッセ」
    「……」
    「おい、やめろ。借りもんだぞこの服は!」
     燕尾服にほつれを生じさせようとするその指先に威嚇した。袴田はそれをクスクスと小さく笑って、もう一度カップを持ち上げる。色の薄い唇がカップの縁に触れた。
    「……うん、美味しい」
    「当然」
    「流石だな」
     この一言で報われる。頑張ったと思える。
    「ケーキも食え」
    「……まさか、これも」
    「こりゃ砂藤が作った」
    「ああ、シュガーマン。お前の話を聞いてからいつかは食べてみたいと思ってた」
     その手に持つにはデザートフォークは小さく見える。美しい所作で一口分を切って、口に運ぶ。開かれた唇から覗く白い歯の並びまで整っていて、ますます顔を隠す意味がわからない。
    「美味しいよ。シュガーマンにそう伝えてくれ」
    「……ん」
     爆豪、と名を呼ばれる。
    「一緒にお茶をしてくれると嬉しいのだが」
    「ん」
     適当なカップを持って袴田の隣の席に座る。カップに紅茶を注ぐと袴田に注いだのより色が濃い。牛乳を温めておいた方がよかっただろうか。
    「フォークを取ってこよう」
     腰を上げようとするのを抑え、口を開いてみせた。執事ごっこはもうおしまいだ。
    「あ」
    「…あーん」
     与えられた一口は爽やかなレモンの風味がする。
    「君が執事だったのにな」
    「今から俺が食わせてやろうか」
    「いや結構。私は君の世話をする方が好きなんだ」




    赤い糸1


     ジーニアスオフィスの昼下がり。デスクで船を漕ぐ袴田という珍しい姿に、やや面食らった。長めの首ががくりと動くと苦しそうにもみえる。眠りに落ちた男が手に持ったままのボールペンが、無意味な線を引く前に奪い取った。そんなに疲れているなら諦めて休んでしまえと思うが、生真面目な性格はそれも許さないのだろう。
     触れても起きる様子はない。ここが自分のオフィスだから気を許しているのだろう。だができれば、触れているのが俺だから、であって欲しいと思ってしまう。
    「袴田」
     返事はない。あの低く柔らかい声が聞こえない。
     椅子を動かして、その体を抱き上げた。側から見てるとほっそりとしているから、軽いのかと思ったが、腕にかかる体重はその長身に見合ったものだった。贅肉はなく殆ど筋肉なんだろう。だから、細さの割に重い。
     ワイヤーの上で立ち続ける体幹の強さを思い出す。卓越した技術だけでなく、それを底上げするフィジカルの強さも持ち合わせている。流石トップヒーローだ。絶対に本人には言わないが。
     袴田の身体をソファに横たえると、案の定脚がはみ出る。だがこれはどうにもならないのだから仕方ない。
     片目にかかった髪が邪魔そうだが、触れるとがっちりと固めてあって崩せない。このシンプルなくせにこだわりの詰まった髪型にも入念に時間をかけているのだろう。
     同じクラスの切島なんかはあれで1分だと言うのに。
    「……」
     ガチガチの髪型、防壁じみた襟元、不可侵領域の男の内側に踏み込みたい。降り積もった新雪を踏み荒らしたくなるような、野蛮な欲が首をもたげる。
     そんなことして嫌われたくないのも本心だった。
     綺麗だが、確かに男のものの手を取って甲に唇を押し付けた。それでもまだ起きない、起きないのならばと、ヒーロースーツからほつれた赤い糸を抜き取ってその小指に絡めて結んだ。
     気づかないだろうと思って、気づいて欲しいと願って、左右均等の輪を作っておく。
    「……すきだ。あんたきっと気づいてないけど」
     穏やかな眠りを守るためにブランケットを取りに立ち上がった。仮眠室にならば、袴田の長身にも対応したものがあるだろうか。できる限り音を立てずに扉を潜った。閉まる直前に溢された声に俺が気が付かない。
    「……気づいているさ、ずっと前から」



    赤い糸2

     ソファに横たわったまま、指を飾るものを眺める。小指に絡みついた細く頼りない赤い糸。微睡の淵で聞いた爆豪のか細い声を思い出す。好きだと言った、もうずっと長いこと気づいていて知らないふりをしてきたその言葉。
    「いい加減腹を決めるべきか」
     私も待った。爆豪が成人するまでの4年間待っていたんだ。短いようで長い時間を。赤い糸に口付ける。その瞬間に毛布を手に入れた爆豪が部屋に入ってくる。
    「それ…」
     じわりと耳が赤くなっていくのが見えた。うろうろと視線が彷徨っている。寝てる間に外そうと思っていたのだろうに、私が起きていて動揺している。
    「運んでくれたのは爆豪だったか」
     白々しい響きに聞こえる。あの時点でもうぼんやりと意識はあったのに。大切そうに触れてくるその手に身を委ねる心地よさを求めてしまった。
    「ん、まあ…そ、だけど」
     言い淀む姿は珍しい。小指に赤い糸を巻き付けるいじらしい真似をしたのが、犯人だとバレたかどうかを気にしているのだろう。
    「…はずさねぇのか、それ」
    「解くつもりはない」
    「……なんで」
     迷子になった子供みたいな顔して、目線が下がっていく。体を起こして、爆豪の方を向いた。
    「ああ、なに、どうにも頼りない糸でな、私の個性で手繰り寄せるには弱々しい」
     左腕をまっすぐ伸ばす。小指の先を爆豪に向ける。
    「だから、待っているんだ」
    「なにを…」
    「この糸の先が迎えにくるのを」
     視線が交わる。常に釣り上がった眉尻が下がっている。所在無げな手が腹のあたりの服を握り込むのが見えた。つま先が躊躇うように半歩だけ進んだ。
    「爆豪」
     呼吸の音と衣擦れだけ。
    「……おいで」
     戸惑いを残した小さな一歩が、進むごとに大きくなる。伸ばした小指を彼が掴んだ。
    「…袴田、俺、あんたのことが」
     小指の糸を解いて爆豪の指に巻き直す。
    「好きだ…!」
    「知ってるよ、ずっと前からな」
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    💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖
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