近くにできたパン屋が美味いらしい。ジーニアスOfficeのSKが話しているのを聞いた。13時ぐらいにいくとちょうど焼きたてが買えるのだと、聞いてもいないのに教えてくる。
「爆豪、パンは好きか?」
休憩時間の少し前、所長のデスクで指を組んだ袴田が声をかけてくる。今日は平和だから、所内にもすこしばかり穏やかな時間が流れている。袴田が呑気な雑談を投げてくる程度には。
「嫌いじゃねぇけど…」
「では行ってみるとしよう」
早速その高そうなワーキングチェアから立ち上がる。座ってる時はこじんまりして見えるのに、立ち上がった瞬間デカくなるな。
「パン屋とコーヒーショップに行こう」
その手がスマホを操作する。素早いフリック入力は誰かと連絡をとっているようだった。
「紙原もくるから」
なぜ宥めるような声を出すのか。あんたと2人だって別に嫌じゃない。なんとなく、こいつは俺に懐かれている自覚がない気がする。かっこいいヒーローに憧れるぐらい当たり前のことだというのに。
だがわざわざヒーローベストジーニストが好きなんて、本人に言うのは癪に触る。
「先輩も暇じゃねぇんだから…」
そう言った瞬間に、耳元で低い声がした。
「だがもう来てる」
「うわっ」
ばっと振り返ると、ヒーロースーツのエッジショットが呆れたような顔をした。
「うわ、とは随分なご挨拶だな」
「や、だって、無音で背後に立たれたら驚く」
言い訳のように呟いて、驚いてしまったことに気まずさを覚えて襟に顔を埋めるようにする。
「お疲れ、エッジショット」
「お疲れ様です、ジーニスト」
先輩も口を隠しているから表情が読みにくい。それでもこちらを向いた彼の目が優しく細められているのはわかった。
「大・爆・殺・神・ダイナマイトもお疲れ様。調子はどうだ?」
「ぁ、元気、です、先輩は体調とか大丈夫すか」
「ああ、お陰様で。だが、俺は復帰してからだいぶ経つだろう?」
意外と心配性なんだな、と笑う声にだまって顔を逸らした。
「……パン屋行くのに先輩をわざわざ呼んだんか」
「もともと昼食の約束をしていたんだ」
「買ってくるより外で食ったほうが早くね?」
「目立つんだ、我々が食事をしてると」
普通にしてたって目立つだろうよ、と言いかけてやめた。
ミステリアスな雰囲気を売りにしたエッジショットと、普段から顔を隠したベストジーニストが飯食ってたら、そりゃあ人も集まるか。そういえばジーパンは俺を飯に誘う時、個室の高そうな店にばかり連れていく。
「エッジショットは忍だからな、食事なんて無防備な姿を晒すわけにいかない」
この会合は定期的に行われているのだろうか。長い時間をかけて培われた信頼や友好の関係に入り込む隙があるのだろうか。俺は2人といるのに居心地の良さを感じるが、2人にとってはそうでなかったら嫌だと思う。
「…俺ついてっていいの」
小さな声の問いかけに袴田が柔らかくまなじりを下げた。
「私から誘ったんだ、むしろついてきて欲しい」
「ん」
「俺も爆豪がついてくるものだと思っていた」
やわやわと心の内側を毛足の長い物でくすぐられるような心地がする。ふにゃふにゃになる口角がバレないように、また襟に顔を埋めた。
「でも先輩は米派だろ」
ゆるゆるの気持ちをバレないよう、誤魔化そうと話をずらす。
「よく知ってるな」
「好物おにぎりだって」
いつだったかの幼馴染のマシンガントークを思い出す。ジーパンについてもなんか言ってた気がするが、あんまり聞いてなかった。これについてはもう知ってることばかりだったからかもしれない。
「私は今日、もうパンの口だから」
諦めて欲しい、と最年長がわがままを言い出す。
「じゃあ仕方ないな」
先輩は特に未練も見せずに頷いた。東京ならばおにぎり屋もいくらでもありそうなものだが。
「仕方ないんすか?米ないんスよ?」
「小麦食べて死ぬわけじゃない…」
「グルテンフリーにすると調子が良くなる体質もあるらしいな」
「ただの好みですよ」
「知っている。学生時代いつもおにぎりを食べてた」
「A組にも毎日蕎麦食ってた奴がいる。あったかくねぇやつ」
「エンデヴァーのところの子だろう」
この穏やかな時間が出来る限り続けばいいと、柄にもなく願った。
***
「俺が取る」
整列した銀のトングを手に取ると、横から先輩がトレーを攫う。
「では俺がトレーを持とう」
やることのない袴田が、視線を彷徨わせた後に小さく頷く。
「では私は財布を出そう」
「…そんなつもりじゃねぇ」
「気になるなら後で精算しよう」
そうやっていつも金を出させねぇのに。
「気をつけろ爆豪、会長はいつもそういってしてくれた試しがない」
「やり口は割れてんぞ」
「悪いことじゃないだろうに」
並ぶパンを眺めながら左手が、かしゃかしゃと無意識に鳴らす音。それを袴田が咎めた。
「パンを威嚇するのはよせ」
「よく見ろ、メロンパンが怯えている」
そろって真顔で言うものだから、本気かどうかがわからない。
「真顔でボケんのやめろや」
「お前が威嚇するから萎縮している」
「きた時より小さくなった気がするな」
「んな、ことねぇ…だろ、なぁ?」
問いかけてもメロンパンは網網の焼き色を見せるばかりだ。
あれこれと指示を出してくる2人に応えてせっせとパンを捕獲しトレーのせる。一つのトレーに乗せるには無理があった感じがしなくもない。
「レジにいくか」
「食い切れんのかこれ」
「爆豪はまだ若いんだから入るだろう」
レジに置かれたトレーに店員が定型文の挨拶を口にする。下げた頭を上げて対面に立つ男をみて目を見開いた。
「ぁ、ベストジーニスト」
「いかにも」
手際よくパンを袋に詰めていくのを、3人で並んで眺めている。
「早いな」
「日々の積み重ねの成果だろうな」
ぽそぽそと交わされる隣2人の会話に店員が耐えきれずに顔を逸らした。スーパーのレジでもおんなじことを言ってたな、こいつら。
袋詰めと並行して行われていたレジうちも完了し、ディスプレイに合計金額を表示される。普通に飯行ったほうが安くすんだろうと思ってしまう。パン屋は必要最低限で済んだ試しがない。
袴田が革のケースからクレジットカードを引き抜き、店員の作業が終わるのを待っている。
「じつは先日ベストジーニストに助けていただいて、お陰で無事このお店を開くことができました。なのでお代は結構です。プレゼントにさせてください」
本当にありがとうございました、と深々と頭を下げると奥にいただろう店員まで出てきて口々に礼を言う。
「ヒーローとして使命を全うしたにすぎない。あなたが無事でよかった」
瞳を細めて笑う。全て見えた方が良かっただろうに、口元を隠す布が勿体無い。
手元で遊ばせていたカードの行き場を失って戸惑う気配もある。
「後輩の前だからカッコつけさせてもらいたいんだが」
「世界一カッケェ奢り方だろ」
「これ以上重ねるつもりなんですか」
「だがな……」
「あっ、今焼き上がりましたよ!これも、これも貰ってください!」
どんどんと袋に詰め込まれていくお礼に珍しく袴田が慌てている。
「そんなつもりで助けたわけじゃ…」
「だからです。見返りがなくても助けてくれたから、だからいま出来るお礼がしたいんです」
いまだに逡巡する袴田の背中を押す。
「ここまで言われたら受け取らねぇほうがダセェだろ」
「……そう、かもな。ああ、ありがたく受け取ろう」
はにかむ眼差し。珍しい照れた横顔。
「先輩が立派なヒーローで我々も鼻が高いな」
「流石は支持率no.1だな」
「揶揄ってるだろう」