幕間:誕生日 思い出すのは、去年の誕生日。
「……あづい」
私はその日、地元を宛もなくぶらぶらと歩いていた。首の裏を焼く太陽と貼り付く空気が不快だったが、引越し先はここまで酷ではないだろうと思うと、多少気が楽になった。
引越し先の学校、玉響学園への編入試験は、結果発表も含めて既に済んでいた。
結果は、無事合格。最近の学校ながら倍率のそこそこ高いのだが、願掛けに学業以外のお守りも色々と買ったのが良かったのかもしれない。
何故だかは分からないが、私は度重なる不運に見舞われる体質だ。道を歩けば転び、犬に追われ、友と遊べば迷子になり、挙句の果てに土砂降りに見舞われる。
幼少期の記憶がそんなものばかりだから、地元に愛着なんてないものかと思っていた。でも、こんな当たり前のはずの景色も、今日で見納めかと思うと、心に隙間風が吹いたような心地がした。
転校先への不安と、地元を離れる不安が涙になってじわりと滲んだ。
そんな涙を隠すため、逃げ込むように入った裏通りにそれはあった。
「おや。随分若いお客さんだね」
レジャーシートの上に、怪しげな品々と、しわくちゃのおばあさん。
「……誰?」
「誰とは失敬な。ここの店主だよ」
「ここ? ……ああ。そういや、こんなとこもあったな」
顔を上げると目に入った、木製の古物商の看板。やけに達筆な筆文字が古い記憶を想起させた。
まだ自分が幼稚園だか小学校低学年だった頃、父が連れてきてくれた記憶がある。とはいっても、古くてボロくて狭かった、というのが正直な感想なのだけれど。
そんな様子で、こんなに目立たない場所にあるのだから繁盛はしていないようだった。その雰囲気が、当時は不気味で怖かった……ような気もする。
「おばちゃん、辞めちゃうの?」
「もう年だからね。店も畳むのさ」
「そっか……」
再び、レジャーシートに視線を落とした。在庫大売り出しとして並べられた品々の、その中に埋もれていた一つに、気づけばやけに惹かれていた。
「……手鏡」
「興味があるかい?」
おばあさんは、その手鏡をすっと拾うと、私に差し出した。
「持っていきな」
「え、貰えないですよ!?」
「いいんだよ。老婆心さ、持っていってくれ」
手に取ってみると、ずっしりとした重さと、冷たい金属の心地よさが手に馴染んだ。まるで、それがずっと私のものだったかのように存在感を主張している。
その蓋をぱかっと開いて覗きこんでみると、きらきらとした、繊細な装飾に囲まれた鏡に、ほの赤い空の色が映し出されていた。
「あ! あの、その、もう帰らなきゃ! ……その、大事にします! ありがとうございます!」
「嬢ちゃん」
「はい!!」
「こちらこそ、ありがとうね」
私はその日、背中を押されるように家に帰った。
翌朝、出発の日。親に無理を言って古物商まで行ったが、そこにはもう空き家しか残っていなかった。
私は普段、見だしなみに特段気を使うタイプではない。だが、その手鏡は、覗き込むわけではなくとも、常に持ち歩かないといけないような気がしていた。
それにご利益でもあったのか、それからは不運な目に見舞われることは少なくなり、良いことだとか、人生の転機だとかが度々訪れるようになった気がする。
そういえば、その後、夏休み中に玉響学園に来た時、なにやら懐かしい顔とばったり出会った。
あの時より遥かに身長を伸ばした彼女は、たしかに当時の面影を残していた。
「ささこぉ!?」
「カニ!?」
久々の邂逅に目を丸くさせたのは私だけではなかったようだ。友達が一人もできない、というリスクはひとまず回避できた。
それからはとんとん拍子で入学し、ささこの紹介で『芸術探求同好会』とやらに迎え入れられた。
「こいつカンパニ。猫被ってるやつだから」
「さささには言われたくないんだけど?」
「なんだオラ」
「やんのかコラ」
私はそこで同好会メンバーとか、でんでん太鼓とか、訳わからないものに歓迎された。もみくちゃにされて、よくわからないことも多かったのだけれど、
「はじめまして! よろしくお願いします!」
それは、鏡が導いてくれた、最高の誕生日プレゼントだったのではないか、と思うのだ。