もし世界線2を作ってたなら入れてた話①3-1 入塾
松下村塾の授業が始まった。
僕と銀時だけでスタートかと思いきや、初っ端から数人の塾生が集まっていた。
少し前から、近くの村で先生が呼びかけたりしてたみたい。
子供を寺子屋に通わせたくても通わせられない親とかが興味を持ち、それが噂として広まって、少し離れた隣の村から来ている子もいた。
僕は知識的に授業受けなくても余裕ではあるけど、単純に興味本位だけで受けることにした。
実はこう見えて一時期教師をやっていた身。先生がどんな授業するか気になってさ。
まぁでも本気で受ける気はなかったから、一番後ろの席にいたんだけどね。廊下側にいることが多かったかな。
面白そうな授業はちゃんと聞いて、どうでも良さそうな授業は、いかに筆で綺麗な文字を書けるか練習してた。筆結構ムズい。
最初の方の授業は、読み書きや簡単な計算から始まった。
銀時は最初から一番後ろの外側の席で爆睡かましてたけど。そして先生にげんこつかまされてた。
そんな陽の当たる気持ちよさそうな席にいるからだよって思ったけど、銀ちゃんのイメージ像を壊したくなくて何も言わなかった。銀ちゃんはこれでいいんだよこれで。
「「「えいっ、おうっ!」」」
「そうそう、その調子です。
足を出すタイミングと竹刀を振り下ろすタイミングを揃えて」
前に先生が言っていた通り、勉学と同時に、武術の授業も入ってきた。
平成の剣道の授業よりもラフで実戦向けだけれど、これを元暗殺組織の頭領が指導してる……と考えるとかなりぬるいように感じる。いや暗殺術教えられたらそれはそれで困るけどね!?
「武士の心得として最も重要なものは何だと思いますか?はい銀時」
「えっ……!?
えっと……飯は冷めないうちに食え?」
「お腹が空いて話を聞いていなかったんですね。朝起こしても起きないのだから……自業自得です(げんこつ)」
「ぶべらっ」
「忍、どう思いますか?」
「……どんな時も、冷静であるべき、ですか?」
「そうですね、如何なる時も動じない、それも大切なことです。
それと同時に、君達には、何かに向き合う魂も、大切にしてもらいたい」
「魂…?」
「自分の成し遂げたいもののために、一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと。
君達も、向き合ってみてください。
何のために剣を振るうか、何のためにここで学ぶのか。
自分の将来、やりたいこと、自分のあるべき姿を、共に探しながら、探りながら、学んでいきましょう」
竹刀の持ち方、構え方、振り方から、刀を振るうに当たっての武士の心得をも解く先生。
その言葉の一つ一つから、原作の銀時の戦い方を思い出させた。
「魂、ね……」
この世界で、僕はどう成るべきか。
どんな侍になれるのか。
……いや、どんな侍になるべきか、考えなさい、というのが先生の言葉だな。
僕は、どんな侍に成りたいのだろうか。
3-2 家出
「一本!」
そんなある日。
授業が終わった後、先生の監督の元、僕は初めて銀時と打ち合った。
明日から打ち合いの授業が入るため、僕らを手本にしたいと。
構えなどの指示が事細かく入り、それを覚えながら、初め!の合図で飛びかかった。
気を抜いたつもりはなかった。
相手がただの子供だからと、傷つけてしまう恐れを抱いたのも確かだ。
けれど、30秒ほどの攻防の末、僕は銀時に思いっきり跳ね飛ばされた。
銀時の最初の竹刀を躱した時に、銀時の目の色が変わったのが見えた。
……殺気を、感じた。
それに、怯えてしまったから。
僕は、銀時の自分の命を護ってきたその剣に、立ち向かうことができなかった。
「いい線は行っていましたが……
大丈夫ですか、忍」
「……はい」
倒れたまま動かない僕を心配する先生の言葉で、僕はなんとか平常心を取り繕って立ち上がる。
……銀時を、先生を、護りたい、救いたい、そう思っていた。
けれど、僕の前前世から鍛えてきた剣は、先生は愚か、銀時の剣にすら敵わなかった。
銀時の生きるための剣は、それほどに強かった。
絶対に勝てない。
そう、感じてしまった。
その日の夜。
僕は、銀時が眠り、先生が厠に行った隙を見て、荷物をまとめ、家を抜け出した。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「……ごめん、松陽先生、銀」
短い間だったけど、ありがとう。
最後にそう呟き、僕は家に背を向け、夜道に足を踏みこんだ。
放課後の打ち合いで分かった。
今の僕は、あまり強くない。
普通の人間と比べたら多少は強いんだろう。
けど、あそこまで銀時にこてんぱんにされるとは思っていなかった。
松陽先生はまだ仕方ないにしろ、同じ子供である銀時とここまで実力の差があるとは。前世や前前世に軽くではあれど培ってきた剣術の腕が、この世界ではここまで通用しないとは。
……このままじゃきっと、これから会うであろうヅラや高杉にも勝てないと思う。
そんな僕が、ずっとここにいていいのか。
先のことを考えると、もし塾が燃やされ先生が連行されるのを止められなかったら、僕はずっと銀時についていくことになるだろう。
けれど、それは銀時の枷になってしまう。
銀時は、先生との約束で、みんなを護ろうとするだろう。
僕のことも、きっと……いや絶対に護ろうとしてくれる。
そんな銀時の荷物になるのは、嫌だ。
頑張って生き延びても、途中で死んでも、今既に始まってしまったこの関係は、きっと銀時を苦しめる。
なら、今のうちに、逃げてしまおう。
ヅラや高杉に会ってない今なら、まだ間に合う。彼らの記憶にも僕は残らないから。
それに、幼い頃の記憶なんて大人になってくうちに曖昧になっていくものだ。なら、友情も記憶も浅い今のうちに消えてしまえば、きっと銀時も忘れてくれるだろう。
そう思い立って。
僕は、簡単に自分の荷物をまとめて、家を抜け出した。
これからの自分の人生はどうなるか分からないけれど、最悪野宿経験も知識も最低限はある。
運良く村や町を見つけたら、どこかで奉公させてもらおう。
……あの虐待野郎たちの奉公も耐えてきたんだ、どんな所でもやっていけるはず。
そう決め込んで足を踏み出した、その時だった。
「行くのか?」
突然、声がかかって、ビクッとして足を止める。
声の主は、銀時。
……音を極力立てないようにして出てきたのに、気づかれてしまったのか。
「……うん」
なんと言えばいいか分からず、とりあえず頷くと、銀時は「そっか」と呟き、そのまま家の中に入ろうとした。
「……止めなくて、いいの?」
思わずそう口走ったことに、自分で驚く。
止めてほしいワケじゃないのに。
忘れてほしいのに。
僕は彼に、何を期待してるんだろう。
僕の問いに、銀時はまた足を止めて言った。
「俺は止めねぇ。
だが……松陽から簡単に逃げられると思うなよ」
まるで自分も何度も脱走を試み、失敗したような言い方。
経験者は語る、といった感じの銀時の言葉に、フッと笑う。
……逃げられなくても、見つかっても、きっとあの人なら分かってくれる。僕の正体を知ってるしね。
「……僕が、君を護れるほどに、強かったらな」
「……?」
「銀」
悔いを吐き出すように呟いた言葉に反応した銀時を、初めて振り返る。
最後に思い出に残すように、その小さな天然パーマを見た。
「短い間だけど、世話になった。
この恩は忘れない。
けれど……君は僕のこと、覚えてなくていいから」
突き放すように「じゃ」と言って歩き出そうとすると、後ろから声が聞こえてきた。
「俺は忘れねーぞ
俺に剣心みてーな相弟子がいたこと」
その言葉に、思わずまた足を止め、苦笑する。
「…僕、赤毛ストレートじゃないし、傷も十字じゃないけど」
「髪型も傷の位置もほぼ一緒だろ」
「や、一緒にされたら剣心がかわいそう」
「そっち?」
るろ剣の主人公みたいなかっこいい剣士になれたらいいけどね。無理だって。
再び、もう二度と足を止めないと覚悟を決めて歩き出すと、最後にもう一度声がかかった。
「俺は決して忘れねーから」
……そうだろうな。
彼は、忘れてくれないだろうな。
けれど、ならばもう思い出さないように。
彼の、彼らの目が届かないところで強くなって、いつか大人になった彼を影から支えよう。
寂しい思いに気付かないふりをするように、僕はそのまま夜道に足を進めた。
3-3 ここに居る権利
森の中を、歩いていく。
ひらけた夜道を歩いていれば、巡回している警吏に捕まってしまう。そうすれば、どんなに誤魔化してもいずれ松陽先生の耳に入ってしまうだろう。
そう考えて、人の入らない森の中を歩いていた。
どこか洞窟でも見つかればいいな……とか思いながら、足元に気をつけて慎重に歩いていると。
唸り声が、聞こえた気がした。
……迂闊だった。
ここは田舎。熊とかも普通に出る江戸時代のど田舎。
ましてや夜となると、何が目を光らせていてもおかしくない。
それを忘れていた。しくじった。
前世までなら、魔法でなんとかなった。
けれど、今回は何もない。
剣は少しできるけど……熊に襲われて、戦える?
いや、戦うしかない。
そう思って、太めの木の枝を探し、持つ。
そして、地面に伏せ、息を潜める。
死んだふりをすればとりあえず大丈夫ってどっかで聞いた!大丈夫!うん、多分大丈夫!
大きな獣の足音が、近づいてくる。
息を潜めているものの、鼓動はどんどん速くなっていく。
体全体に響き渡る鼓動の音をなんとか抑えるように、ゆっくりと、深く息を吸い、吐く。
頼む……どうにか……
さすがにここで人生ゲームオーバーは嫌だ……
それとも松陽先生たちから逃げた罰か?逃げるなってことだったのか?
ならどうすれば良かったんだよ……
僕はこの世界で、なにをするために転生させられたんだ……!?
主人公たちの足でまといになるため?
それにしかなれないってのに……これ以上彼らの近くにいる意味なんてないだろ……
いてもたってもいられず、恐る恐る目を開ける。
それが間違いだった。
巨大な熊と、目が合ってしまった。
咄嗟に体を転がし距離を取ると、熊が吠え声と共に襲いかかってくる!
……無理だ、これは。
そう思った、その時だった。
「困りますね。
私の教え子を、餌にされては」
暗闇に包まれた森の中、月明かりに照らされて浮き上がるようなその異色は、何度も見てきた後ろ姿。
その姿の主は、細身長身にも関わらず、拳一発で熊をKOした。
「せん……せ……?」
……って、ええええええ!?
松陽先生、その容姿でそれあり!?!?
熊の鳩尾を拳で殴って倒したけど……いや見た目とのギャップ考えて!!
確かにあなたの力かなり強いのは知ってる!夜兎とも渡り合ってたしげんこつで地面に埋まるもんね!けどそれはさすがに……えぇ……
驚きのあまり言葉を失う僕に、先生は振り返る。
「あれ、もしかしてこれは想定外でした?
ドン引きされちゃいましたか?」
「い……や、、えっと……知ってたけど……
頭が追いつかないというか……」
しどろもどろになる僕に、「銀時たちの前では使わないようにしますか…」と松陽先生は自己完結した。
「この森に熊が出ることも、言ってませんでしたね。
まさか君が夜遊びするような子だとは思っていなかったもので」
その言葉に、ギクッとなる。
思わず口を噤んでしまった僕に、手を差し伸べて立ち上がらせてくれた後、松陽先生はしゃがんで僕と目線を合わせ、優しい笑みを浮かべた顔で僕の目をしっかりと見つめた。
「……賢くて利口な君がこんな突飛な行動をしたのは、何か理由があったんですよね。
聞かせてくれませんか、私に」
君は一人で抱え込んでしまいがちですからね。
その言葉に、驚く。
出会って間もないのに、もうそこまで見抜かれているとは。……本当にこの先生には、誤魔化しはきかない。
「……銀の、枷になると思って」
諦めて、僕は家出しようとした理由を話した。
誰かを護るために強くなる銀時。
その、荷物になりたくない。
「このままじゃ……僕は、足でまといにしかならない。
先生も、教え子に何かあったら、何でもするでしょ?
今日も、こうして助けてもらってしまった。
……けど、それじゃダメなんです。
未来を知ってるからこそ……あなたたちの枷になりたくない。だから……」
「しかし、家出したところで、君はこの後どうするつもりだったのですか?
また、以前のような劣悪環境で奉公するつもりだったのですか?
それとも、熊の餌にでもなるつもりだったのですか?」
「それは……」
松陽先生の言葉に、口篭る。
何とかなると思って家を出たけれど、何とかならなかった。
それで、強くなって、いつか銀時を護る?
何を馬鹿なことを思っていたんだろう、僕は。
「どれだけ知識があろうとも、君はまだ、熊一頭倒せないような子供です。
子供は、周りの大人や仲間を頼らないと、生きてはいけない。
大人になるまで、いくらでも周りを頼って、迷惑かけていいんです。だって君は、まだ子供なのだから」
先生は、正体を明かしても、僕を容姿で見てくれている。
否……僕の精神が身体の年齢に引っ張られていることを見抜いた上で、そう接してくれているんだ。
そんな先生に、きっと僕は甘えてしまう。
甘えてしまっている。
……けれど、みんなを、先生を護るためには、救うには、それじゃダメだ。
「……でも」
「いくらでも甘えていいんです。
今のうちに、甘えて、頼って、その中で強く大きくなっていけばいい」
「……」
それでも。
その言葉を素直に受け止めたくなってしまう。
……いいのかな、子供になってしまっても。
未来とか過去とか全部放り出して、ただのこの人の教え子に、銀時たちの悪ガキ仲間になってもいいのかな。
「……銀時も、君に救われているんですよ」
「……え?」
突然のその言葉に、驚いた。
救われてる?僕に?
僕なにかしたっけ?
首を傾げる僕に、「その様子じゃ君は気づいていないようですね」と先生は笑う。
「初対面で、君は銀時を恐れずに簡単に受け入れた。
それは銀時にとって、珍しいことだったのですよ。
……その反応だと、君は無意識だったようですが」
……うん。完全に無意識。
けれどそういえば、未だに銀時が松陽先生と僕以外の誰かと話しているのを見たことがない。
それは、他の子供達が、銀時の容姿を恐れているからなのだろう。
けれどそれは、僕に対してもそうだ。
今の時代、珍妙な見た目の者は、どうしても嫌われ恐れられる傾向にある。
特に子供は、普通じゃないものを恐れ、怖がり、時に虐める。
今までは奉公に必死すぎて周りの目を気にする余裕など無かったけど、僕のこの頬の傷、それすらも恐れられているのか、塾で未だに誰にも話しかけられていない。
それでも銀時は、先生は、僕を当たり前に受け入れてくれた。
……それが普通ではないと。
もしかしたら、誰にも受け入れてもらえない可能性もあると、気づいてしまった。
僕の居場所は、実はここにしかないのではないか。
「それに、本当に銀時を護りたいのなら、近くに居た方が護りやすいでしょう?
なぜ、わざわざ遠回りするような道を選ぼうとしたのですか?」
松陽先生の問いに、僕は何も言えなかった。
……確かに、それはそうだ。
逃げ出したところで、僕の生活の保証がなくなるだけ。
強くなりたいなら、先生や銀時の元で強くなればいい。だってここに宇宙最強のラスボスがいるんだから。
「……僕はここに、いていいの?」
恐る恐る、問う。
誰かのためじゃない、自分の為だけに、ここにいることが許されるのだろうか。
ここにしか居場所がないから、それだけの理由でここに居てしまっていいのか。
「何を言っているのですか。
君が生きるのに、誰かの許可など必要ない。
君は、君自身が生きるために、もっと欲張りになっていいんです。
もっと頼りなさい。
もっと甘えなさい。
人生何度目であろうと、君はまだ子供だ。
完璧でなければならない理由なんてない。
大丈夫、君が何であれどどうあれど、私も銀時も、君を簡単に手放したりはしない」
……今まで、前世の記憶を理由に、居場所を確保するための対価が必要だと思っていた。
誰かを護る力が、誰かの支えになる力がなければ、ここに居てはいけないと。
完璧じゃなきゃいけない。相手に求められるスキルがないと、ここにいる権利は無い。
そう思い込んでいた。
けれど。
弱くても、なにもできなくても、ここにいていいよと。
そんなことを言ってくれる人は、初めてで。
……そうか。
先生、僕はあなたに、頼っていいんだ。
ここまで言われてしまえば、もう家出する理由はなかった。
大人しく先生と共に帰ることを決めた僕の内心をしってかしらずか、先生は僕に言う。
「そんな君に一つだけ、お願いしたいことがあります。
頼まれてくれますか?忍」
なんだろうと首を傾げながら頷いた僕に、先生は言う。
「私になにかあった時、ずっと銀時の傍にいてやってください。
銀時を、傍で、見守ってあげてください」
僕の肩に手を置き、まっすぐ僕を見つめた先生の目は、将来の不安に僅かに揺れていた。
「他の誰にも頼めない。
全てを知る、君にしか頼めないのです」
僕達を護りたい、けれど護りきれる自信はない。
それは、先生が零した、初めての弱音だった。
襲いかかる時代の波に対する怯えか、それとも身のうちに潜む虚の影に対する怯えか。
未来を知る僕は、それに少しは対応できるから。
「……頼まれて、くれますね?」
「……はい。」
頷くしか、なかった。
頼まれている。求められている。
“君にしか”って言葉に僕は弱い。
奉公所でも過去の人生でも、認められない、要らない存在だと言われる経験を散々してきた。
そもそも転生者というイレギュラーな存在、主人公と共に冒険したいという僕のエゴだけで、今まで彼らと共に過ごしてきた。今回こそは流石にそれは許されないだろう、勝手にそう思い込んでいた。
自分という存在が求められている、そう言われてしまえば、断れない性格だった。
……それをも分かって、松陽先生はこの言葉を選んだんだろうな。
「……ずるいな、先生」
「なんですか?」
「いえ、何も」
聞こえてたはずなのにとぼける先生に、聞かれなかったことにして、僕は先生と共に家に向かって歩き出した。
……銀、やっぱお前もすげーな。
結局お前の言う通りになっちゃったよ。
ほんと、この師弟は、全部お見通しなんだから。
「そんな君に、指導を一つ。
子供の夜遊びなんて、100年早い」
「ぶべらっ」
初の松陽先生のげんこつをくらって気絶した僕は、気がついたら松下村塾の布団の上で寝かされていた。
「だから言ったろ?」という銀時に、ただ苦笑するしかなかった。
先生、銀。
何があっても、僕はあなた達を全力で護る。
けれど、その力がつくまで。
たくさん甘えて、頼って、そうやって大人になっていこう。
だって僕は、まだまだ子供なんだから。
3-4 一歩
翌日。
まだ頭が痛むな……と思いながら、教室に向かって歩く。
登塾してきた塾生の一人が向こうから歩いてきたので、いつも通り左頬の傷を隠すよう、壁に寄る。
そこで気づいた。
壁を作っていたのは、僕の方じゃないか。
ふと、そう思って。
「……おはよ」
勇気を出して、声をかけてみる。
相手の男の子は一瞬驚いた顔をしたけれど、
「おう、おはよ」
手を上げて返してくれた。
ここで初めて自分から会話ができた、その達成感を噛み締めながら行こうとすると。
「……なぁお前、松陽先生と一緒に住んでる奴の一人だよな。
名前はなんて言うんだ?」
後ろから、声をかけられた。
相手が、僕をしろうとしてくれている。
そう感じ、振り返り答える。
「尾岸 忍」
この“尾岸”の名は、塾が始まる前に先生につけてもらった。
僕は自分の名字を覚えていなかったから。
……それが師と兄弟子と相弟子から1文字ずつ取った贅沢すぎる名だと気づいたのは、だいぶ後だったんだけど。
「……そしてこっちが、銀……坂田銀時」
「なっ、なんだよ忍!?」
ちょうど隣を通り抜けようとしていた銀時の腕を引き、会話に混じらせる。
人を避けがちだったのは、銀時も同じだったから。
一緒に、この一歩を踏み出したくて。
「こう見えて、ジャンプが好き」
「お前何勝手に急に人を捕まえて人の自己紹介してんの!?」
「僕も、ジャンプ好き。
サンデーから入ったけど」
「お、おう?」
「え、お前サンデー派だったの?」
「マガジンも好きだよ。
ちなみに松陽先生は、阪神が好き」
「急にジャンル変わったんだけど!?」
ボケたら、相手の子がいいツッコミしてくれた。
だって先生の好きな漫画知らないもん。てか先生漫画読むの?
すると彼は、喜々として言った。
「お前らもジャンプ好きなのか!
しってるか、東の方の河原によく落ちてんの」
「何ソレ、初耳なんだけど!?」
「今日も落ちてるかなぁ……
終わったら探しに行こうぜ」
相手の言葉に、銀時が飛びつき、自然と放課後の遊びの約束が入った。
こうして、また僕らは、新しい世界に一歩踏み出せたんだ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
そんな忍と銀時と塾生の会話を壁越しに聞きながら、松陽は微笑む。
忍には、一歩を踏み出す力がある。
銀時も忍も、置かれてきた環境から、無意識に多くのものを諦めてきた。
人の温もりも、人並みの幸せも、全てを自分には得られないものだと、諦めてきた。
諦めざるを得ない、そんな環境で育ってきた。
だから、自然と壁を作ってしまう。
自分は他とは違うと、無意識に隔離してしまう。
けれど忍は、昨日の自分との会話一つで、その壁を自ら突き破った。
しかも自分だけでなく、銀時の手を引いて。
彼が知る本来の世界に、彼は居なかったのかもしれない。
けれど、今既に松陽は、忍の居ない世界を想像できなかった。
銀時には、彼が必要だ。
この先の未来に、忍は存在するべきだと。
それはともかく。
「誰か、私と阪神語りができる塾生はいないものでしょうか……」