プロローグ私は欲が深い人間だ。
1度でも望んでしまったら燃え尽きるまで突き進んでしまうことは己が一番よく理解している。
プライド様の婚約者候補に選ばれるということは間違いなくこの世界の誰もが羨む幸せ者。国内だけでなく国外からも人気の高いプライド様。この国の王女であり第一継承者という肩書を外しても彼女の魅力は色褪せる事はない。逆にその肩書きがあまりにも大き過ぎるからこそ、彼女は今まで誰のものにもならなかった所もある。
聡明で、慈悲深く、常に周りを気に掛けてくださるプライド様は私の理想の王族だ。
たった一人の民の為にすら立ち上がり命を賭してでも助けようと動いてくださる。そんな危なさもある王女を私は守りたいと強く願った。
そして幸運にも近衛騎士となれた。
そして、彼女を本気で愛してしまった。
この気持ちを本人にも誰かにも言う気は無い。彼女とどうかなりたいとも、その隣に立ちたいとも思わない。
ただ、騎士として、彼女がくれた大切なモノを胸に宿し、その側でずっと彼女の幸福な人生を守らせて頂きたい。そう思っていたのに──。
何が起こったのか、まさかの婚約者候補となってしまった……。
その事には動揺はしたものの他の2人を知った今、自分はあくまで婚約者“候補”であり選ばれる可能性は他の2人の方が断然高いことは明白だ。2人はプライド様を私よりも長い時間ずっと側で支えて来たのだから。
プライド様も2人には他の者とは明らかに違う言動を取る。
それが恋愛から来るものではないことは分かっているが、たった1滴、水滴をグラスに垂らすだけで保たれていた均等は簡単に決壊する。そこに羨ましさはあっても嫉妬ない。私は2人とプライド様の間を壊したいとも、ましてやそこに入りたいとも一切思っていない。
彼らがどんな気持ちでプライド様の側にいるのかは近衛騎士として見てきた。
プライド様が2人の内1人を選ばれようと、もし万が一にも別の誰かを選ばれようと、私はプライド様の側で、プライド様が願って下さったように、最期の時まで騎士として、共に側にお仕え出来ればそれでいい。
たが、婚約者候補となり、プライド様と2人をこの1年ずっと見て来た。そして出した結論は──
このままでは2人共全く動かないッ!!
そこに焦りを感じているのは私だけだ。2人はともかく、プライド様までもがその事に不満を感じているようには見えず、3人で学校に通う姿も仲良しな幼馴染みとしか見えなかった。
それは2人の間でプライド様不可侵条約でも締結しているのかと勘繰ってしまった程に!!
まだアーサーの心情は私に近いので理解は出来る。平民生まれの彼が王族になるなど想像も出来ないことだろう。いくら騎士を続けられる特権付きとは言え、簡単には手を出せる相手ではない。日頃の様子を見てもアーサーはプライド様とは一定の距離を取ろうとしている。
一方で分からないのがステイル様だ。
平民上がりの彼は騎士団奇襲事件の時には既にプライド様を心から慕い、敬い、式典では手を出そうとする王侯貴族の男性には圧力を掛けている程にプライド様命の御方だ。確かに彼の立場はプライド様の義弟で補佐、そして次期摂政。王配となるのは立場的に厳しいかも知れない。だが既に何年も摂政と王配業務の両方を学ばれ実績も積んでいる。そんなステイル様だからこそプライド様と、考えられてもおかしくない。ステイル様は昔から義弟としてだけでない感情をプライド様へ向けているのだから。
………まさか2人共未だに自身の気持ちに気付いていない、ということはないだろう。少なくともアーサーは自覚はしている、と確信に近いものはある。
どちらにせよプライド様も2人に対して、婚約者候補と定てからも、それが本人達にバレてからも何も変わらないまま1年が過ぎた。
なぜ誰も動かないッ!!
机を叩きたい衝動を寸前で止める。自室の机とはいえ、シラフで物に当たるわけには行かない。代わりに前髪を掴み遊び、払う。
好きな女性が自分を選んでくれた、それがどれだけ幸せなのか分からない2人ではない。
ではなぜ動かないのだッ!
幼馴染がずっと一緒にいる為に婚約者候補という制度があるわけではない。王女を他の男性から守る為の制度でもない。王女と親交を深める為に少しばかりの特権を与えられたに過ぎない、ただの候補だ。
そして何よりも仲良しこよしとは真逆の血生臭い争いだ。
プライド様の夫というこの世で一番の幸福な席を奪い合う死闘なのだ!!
実際ステイル様の誕生祭後から私に対しての闇討ちは続いている。どこの王侯貴族か知らないが、少なくとも婚約者候補者を殺してでも欲しがる者が一人はいるということだ。
それだけではなく、式典では私に対して探りを入れる者、結婚適齢期の娘や孫娘を紹介しようとする者、殿方を探す女性と絶え間なく声が掛けられている。
男性、女性、あらゆる年齢の王侯貴族が目の色を変える程の事なのだ。
勿論3人が仲良しこよしなのはいいことだ。だが期限は無期限ではない現状、プライド様が相手を決める時が必ず来る。それが候補3人から選ばれる、と決まっているわけではない。
候補はあくまで候補なのだから。
今候補者は私を含め現状維持を保っている。
これまで出会った人物、これから出会う人物が積極的にアピールをすればプライド様の心が持って行かれる可能性は高いのではないか?
王侯貴族にはヴァルやあの双子のディオスのように積極的な者の方が多いのだから尚更だ。
2人が動かない以上背中を押すことは出来ない。
ならば今現状に焦りを感じている私が先陣を切るのがいいのだろう。これで2人も危機を感じ動いてくれれば、そしてプライド様も何かを思ってくだされば………………
そこで毎回頭を抱え机に突っ伏す。
これまでも何度も何度も考えてきた。
だがこれは私にとっては身も心も滅ぼす事になる事も重々理解している為、未だに踏み出せずにいる。
どんな形であれ、婚約者候補に選ばれたという事は少なからずその未来の選択があるという事、私に想像するなと言う方が無理な話だった。
あの御方の隣に立つ。
あの御方に場所を選ばずとも惜しみなく愛の言葉を伝える事も、あの美しい薔薇色の髪を撫でる事も、あの御方を抱きしめる事も、何よりもあの御方からの愛情を独占する事も出来る!
そして──あの御方との子を授かる事すら可能なのだッ!!
そこまで想像すればため息が漏れる。
そこまで考えているのは4人の中で自分だけだろう。彼らはまだ20歳前後、30歳手前の自分とは考えが違って当然だ。自分はアランとは違い女性への興味がないわけではない。
代々受け継ぐ領土がある貴族の次男である自分にも両親はいずれ婚姻をし、子供を授かり、子に自分が持つ全てを残し、それを絶やさず次世代へと繋ぎ続けることを求め教育をした。
10代の思春期ならともかく、今の私の恋愛観は絵本の王子様お姫様のキラキラしたモノとは真逆だ。
おぞましい程ドロドロとヘドロの様に異臭を放ち、粘り、濁って、己を飲み込む様な、それでも何処か妖しくも艶かしさを持つような魅せられるような異様なものだ。
そんなモノをあの愛らしい笑顔をされるあの御方に向けるなど許されるわけはない。
だからこそ純情なあの2人の方がお似合いだ。今は彼女を守りたい想いが強いが、一度覚悟を決めれば最後まで貫き通す2人だ。
彼らがもう少し大人になるのを待ちたいところだが、そんな悠長なことは許されない。
その一つがティアラ様の存在だ。
もしティア様が他国に嫁がれるのであれば問題はなかった。だが第二王女として残る選択をされた。それはとても喜ばしいことだ。だが問題も多い。特に世継ぎ問題は深刻になりかねない。仲の良い姉妹だとしてもその子供同士も仲が良いのかと言ったらそうではない。
レオン王子は実の兄弟と揉めたのだから。
年齢、性別、性格、そして特殊能力何がどんな要因がきっかけで争いが起こるのかは分からない。本人達が仲が良くても周りから圧力が掛かれば──王侯貴族の争いなど綺麗事ではない。
それはプライド様たちもよくよくご理解している筈だ。
ここで思考は何度も堂々巡りを繰り返している。
そして一番の問題はプライド様はどのような考えで私を婚約者候補に選ばれたのか、だった。
〝最期まで一緒に居たい人〟
それはどういう意味合か、曖昧だ。
プライド様は恋愛という物をまだ知らないお淑やかな少女だ。
プライド様が特に親しくしている男性は家族と近衛騎士を外せばレオン王子とセドリック王弟、そしてヴァルとケメト、学校の生徒だ。
レオン王子に顔を赤く染める事はあるが二人共盟友としてその地位を保ちそれ以上の感情は望んでいない。セドリック王弟はティアラ様に求婚し、プライド様も応援している。
生徒たちで頻繁に会うのは双子だが、プライド様は完全に否定された。
残るヴァルが一番の問題ではあるが、あの男を王配にする御方ではない。ただ、もしヴァルが本気で口説き始めたら、その時はあの御方の〝心〟は分からない。
多分プライド様はある程度の仲になれば、押せば押すだけ恋愛へと発展する可能性が高い。
そこまで分析すれば頭が痛くなって来る。
もしプライド様が私に望まれた〝最期まで一緒にいたい〟という言葉が恋愛を抜きに今の現状を維持する、という意味だった場合が恐ろしい。
婚約者候補の2人のように均衡を保っているのが正しく、焦っている私が暴走しているということになる。
何度考えても分からないのだ。
プライド様は一体私に何を望んでいるのか、そして私はそれに応えたいのに、応えたら自分が暴走する未来しか見えない。結果、未だにここでグルグルと考えているだけで1ミリも前にも後ろにも進めていない。
私は年齢も立場も彼らの見本にならなければならない大人なのに、だ。
私は婚約者候補の2人の背を押し階段を上がる手助けをすることは歓迎する。
だが私が階段を一段でも上れば、私の欲はその先にある未来を願ってしまい、その欲は止められなくなる。
もしプライド様が2人のどちらか、または他の男性を選ばれた時、私はどうなってしまうのだろうか?
欲して欲して欲して欲して欲して………
燃え尽きた私はもう騎士として立つことさえ出来なくなるのではないか?
プライド様とその夫となった人物を心から祝福し、幸福を願う事は出来る。
だが、あの御方の側にいるだけで私の心はあの御方を欲してしまう。それを隠し切ることは階段を上がった瞬間に出来なくなるだろう。
それは私にとっては死活問題だ。
だからこそ私が動くよりも先に2人のどちらかがプライド様の心を掴んで欲しい。
私が背中を押せるのであれば押す。
何か問題が起きれば相談もする。
だからこそ、どちらかが早く──
「よっ!」
突然の侵入者の声にビクッと身体が跳ねた。
やたら明るいその声で誰かは分かったが、目で確認しようやく身体から力が抜くことが出来た。
「アラン……」
「いや〜呼んだんだけどさ返事ないし、鍵開けても反応無かったからいないのかなっと思って扉開けさせて貰った」
「………………」
鍵を閉めた自室であれ、周りの音すら感知出来ない程に思考の闇の底に居たようだ。あまりの失態にため息と共に前髪を指先で整える。
有事の際の為にアランとは自室の鍵を交換していたが、まさか有事でもなんでもない今、使われるとは思ってもいなかった。
「何のようだ?」
「んー?別になんてことないんだけどな、たまにはカラムとサシで飲もって思って。酒も持って来た」
「そうか」
私がグラスを2つ用意する間に、隣にドカッと座ったアランに差し出せば、そこそこの銘柄の酒を注がれた。
それは私が好んでいる酒だ。
彼なりの気の使い方なのだろう。
それに礼は言わない。
アランは礼を求めているわけでも、気を遣ったことに何かを言われたい訳でも無い。そんな気心知れる友とも呼べる間柄が心地よいと思わせてくれたのはアランが初めてだ。
「そんじゃ、今日も鍛錬お疲れ様ってことで」
「ああ」
カチンッと軽くグラスを当てて飲む。私は一口だがアランは一気だ。それに苦笑しつつ注いでやる。もしアランなら何も考えずに階段を段を飛ばしながら駆け上がるのだろう。私はそれがとても羨ましい。
「で?何を考えてたんだ?」
「明日の演習だ。六番隊とどの様に戦うかだな」
「あー、ビリーのとこか」
「一番隊なら先攻を誰が受けるか考えるが、銃撃戦では──」
適当な話で誤魔化すもアランにはお見通しなのだろう。私の戦術に軽い口調で相打ちを打っている。最後まで聞けば「やっぱりカラムは勉強してんな」と言われた。
アランのようにその場での即断の判断が出来るほど私には度胸があるわけではない。
私が考えている間にもアランは矢の如く自分の意見を答えてしまう。それに何度救われたか。
共に騎士団に残ったのも、アランのお陰だ。
奪還戦でプライド様を守れたのもアランが右手を犠牲にする決意をしてくれたからに他ならない。
私だけでは足りないのだ。
プライド様を守るには私は力不足なのだ。
まだまだ成長過程の2人は互いに補いプライド様を守っている。だからこそ2人のどちらかがプライド様と結ばれれば、そう心から願う。
「やっぱりそういうところがアレに向いてんな」
突然確信を突かれて身体が硬直する。
「ほら、俺は難しいこと分からないしさ、察しも良くない。カラムが居てくれるから一番隊の隊長をやれてる。俺が出来んのって騎士としてあの人を守ることだけだからさ」
「………………」
アランの言葉に下唇を噛む。言いたくなる言葉はいっぱいある。だが、そのどれもが言えない。
例え婚約者候補とバレていても、私は誰にもそれを公表する気はない。だから否定も肯定も出来ない。
「俺は応援してる。お前のことよく知ってるからこそ、な?」
アランは何故か私のことをよく理解している。考えが詰まった時にこうやってふらっと来ては酒を飲んで帰っていくのも一度や二度ではない。
それがたまたまなのか、それともいつもと私が違うのかも己には分からない。
察しの良くない筈のアランにやたら考えを当てられる事も多い。
「お前は考え過ぎるだけだろ。でも出す答えに間違いはねぇからさ、俺達もお前には何度も助けられてんだ。それはあの人もそうなんじゃねぇかな?」
そんなのあの2人の方がッッ!!
言いたい言葉が口から出そうになり口を固く閉じる。幼い頃からあの2人はプライド様のために命を賭して戦い続けている。彼らが何度も何度もプライド様を助けるのを見ている。
それに比べて私は……2人と比べるなど烏滸がましい程だ。
奪還戦でプライド様を止め、未来へと繋いだのは最後はやはりあの2人なのだから。
サラリと彼の大きな手が私の髪を撫で、グチャグチャっと髪を乱暴にかき混ぜる。
「アラン!!」
「いや、さっきから何も言わないからさ」
わりーと言いつつヘラヘラ笑っている。
息を吐いて髪を手櫛で整えながら言う。
「あの御方を助けているのは私よりもお前の方だろ」
「ん?そうか??」
「殲滅戦ではプライド様と共に戦い、防衛戦でははぐれたあの方をいち早く見付けて抱き上げたし、あの瓦礫の中お前の判断と足だからこそ逃げられた。奪還戦の時はお前が右手を差し出してくれた。学校でも攫われたあの御方をお前が救出した。他にも日常的にあの御方をいつも笑顔にしているのはお前の方だ」
一気に捲し立てればアランは「あー」と思い出したように笑い「そうなんだけど、さ」と照れたように頬をかく。
「でもそれって騎士として当然で、特別ってわけじゃねぇだろ?確かに最後の笑顔にしてるは騎士とはちょっと外れてるけど、皆してる事だし」
「騎士として当たり前だとしてもお前だから出来た事だ」
「いや、それは否定はしないけどさ、お前やエリックだって同じ方法でも別な方法でも助けられたって事を言いたいんだ。たまたま俺だったって話よ」
別な──それはどうだろうか?
殲滅戦と学校はそうかも知れないが、防衛戦はアランの足と判断力があったからこそだ。奪還戦でプライド様を止めるために私はあれ以上の方法は浮かばず膠着していた。アランの判断がなければ私はどうしていたのだろうか?
「防衛戦でははぐれたあの人を助けることは俺一人では出来なかった。お前が俺を飛ばしてくれたからあの人と脱出出来たし。奪還戦ではさ、俺はお前がプライド様の手を止めてくれたからあんな事出来たんだ。もしお前がプライド様を止めなかったら、俺が右手を差し出す前に心臓を貫いていたよ。あの人の手を止められたのはお前だけだった」
「………………」
「だからお前の手柄でもあるんだ。俺を飛ばしてくれた、あの人の手を止めてくれた、それがあの人を救う勝利の鍵だった。だからあれは俺達の手柄だ。そしてあの日戦っていた全員の勝利だ」
防衛戦、奪還戦、両方共にあの日あの場所で戦った誰一人が欠けてもいけなかった。
特に奪還戦はプライド様に直接関わった、関わっていない関係ない、あの日必死だった者全員でプライド様を取り戻したのだ。
だからこそ私は奪還戦の祝賀会で一人でも多くの者に声を掛けようとテーブルを回った。
「な?カラムが言う俺のした事だってお前のした事だって、あの人にとっては同じで、あの人は他の騎士たちにも、他の人にも目に見えない部分まで同じく平等に評価している。そんな人だろ??」
初めてプライド様に声を掛けて頂いたときを思い出す。
殲滅戦で一緒に行動したアランは勿論、後衛だった自分、そして捕まった保護対象を殿で守ったエリックにまで声を掛けて頂いた。
奪還戦後の祝賀会でもプライド様と直接は接触していなかった騎士達のことも労っていらっしゃった。
そう、プライド様はそういう御方だ。
「俺が出来ないことはお前が、お前が出来ないなら俺がやる。俺達が出来ないことなら他の奴らが出来る。一人で何でも出来なきゃならないわけじゃない。そんなの指示役のお前が一番分かってるだろ?」
足りない部分を補う様に人を配置する、私が得意とする部分だ。
「………。………アランなら悩まないだろ?」
もうアラン相手に隠すことは諦め、机に突っ伏した。
悩んで悩んで、この1年、もう限界はとうに越え、悩むのに疲れた。そして悩み事なら、やはりアランに聞くのが一番早い。
「まぁ……でも、俺は迷わないからこそ外されたんだろうな」
どういう意味だ?とアランを見上げれば、彼は頬杖をつき、もう一方の手でまたカラムの頭を今度は優しく撫でる。カラムもその手を払わない。
「あの人がお前を選んだ理由は知らねぇけど、もし俺があの人の相手を選んでいいなら、やっぱりお前を選ぶぞ」
「なんでだ?」
「カラムは自分の事になると察し悪いよな」
あはは、とアランはカラムの手が出る前に頭から手を外す。「アラン!今は揶揄うな!!」と怒れば「わりー」とヘラヘラ手を振りながら酒を飲む。そして「お前みたく上手くは言えねぇけどよ」と前置きした。その顔は先程までのふざけた様子はない。
「俺含めてさ、プライド様の周りってイエスマンというか、プライド様を女神に見ているというか、あの人の言葉は神の言葉で、あの人の言うことを聞かなきゃいけないというか、あの人がしたい事はしなきゃいけないと思っちまうというか、まあ、簡単には否定出来ないんだよ」
その言葉に目を見開き身体を起こした。アランの言いたいことは分かる、防衛戦までは私も王族のプライド様に物を申すなど出来なかった。
深く頷くカラムにアランも頷き返す。
「騎士団長に言われてからさ、よく考えたんだ。プライド様もステイル様も自分よりも頭が良くて王族って地位も上でしっかりしていて、そこに俺達が口を挟むことは出来ないって思い込んでたんだ。でもよく考えたら2人共まだ子供なんだよな」
「………………」
「王族とか騎士とかそういうの取っ払ったら、本当なら俺達大人が彼らを導かないといけないのにな。頭がいいからとか王族だからとか何も考え無しで従っちまっていたなって。勿論2人の考えや策や結論は殆どが正しいけどさ、それを何も考えずに讃えるのと、ちゃんと考えて讃えるのとは違うのかなって。団長もそういう所も言いたかったんだろう?」
私は口を挟まないために頷いた。
「俺もそこからは考えるようにはなった。言わなきゃならない時は言うけどよ、でも多分そういう時は俺よりもお前の方が言うのは早いし的確に指摘出来るだろ?」
アランの問いに私はすぐには返せなかった。確かに作戦と指示、人事の采配や指摘は私の方が得意だ。「な?」とニカッと問われても何も言えなかった。アランの言葉は『何故私だったのか?』の一つの答えだとも思えた。
王族であるプライド様に意見を言うこと、間違いを正すことは簡単ではない。どんなにプライド様が温厚な方であろうと王族にはそれを許さない見えない力がある。
それが王族という畏怖だ。
その見えない力が私達を従わせる。
それでもあの夜のようにステイル様とアーサーでは難しい時は最長年である自分がプライド様に申し上げるべきだと前に出た。
だが、それも今だけの話だ。
2人がもっと大人になれば余裕も出来る。2人共現状がそうなだけだ。
やはりアランの答えは一つの要素と言うだけだった。
プライド様の事だ、それだけで決めたわけではないこともすぐに分かる。
そうあの御方は我々が考えもしていない見えていない部分も含めて考えているのだから。
もしかしたら何かの予知によるものかも知れない。それが直接的でも間接的でもプライド様が言うことはないだろう。それにもしそうだとしたら……それこそ私は喜ぶことは出来なくなる。予知というだけで選ばれたなど流石に私の矜持が傷付く。
「な、カラムはプライド様を誰かに取られても平気なのか?」
思わず私はアランを見たがいつものような笑みを浮かべているだけだ。
『誰か』というその『誰か』が問題なのだ。あの2人ならどちらでもいい。ただ、ヴァルやロクでもない者であれば考えものだ。
「お前の他に2人候補者がいる。先越されてもいいのか?どこの誰かも分からないんだぞ?」
「プライド様が選んだ方だ。そこは信じるしかないだろう」
他の2人を知っていると悟られてはいけない。アランは察しが良くないわけでは無い。本当に悪いなら一番隊の隊長など務まるわけはない。そしてカラムに対しては何故かその嗅覚が鋭くなる。
「そこはさ信じてるけどよ、お前を選ぶんだからな」
だはは、と笑い酒を飲むアランを見ても何を考えているのかは分からない。長い付き合いになるが未だアランの事を理解しきれないのにアランは私を理解しきっているのが本当にムカつく。そしてそんなムカつく筈のことなのにアランだと言うだけで嬉しく思う己にはもっと苛立つ。
「俺はお前を応援したいんだよ」
「話が最初に戻ったぞ」
「んー?あはは、やっぱり俺はカラムがいいってことよ!!」
同じ事を繰り返し笑うアランにもう酔ったのかと思いつつ前髪を押さえる。
「好きな人の幸せ見たいんだよ。それがさ、俺が認めた騎士の手で作られたらどんなに幸せか。俺はそんな幸せで笑っているプライド様を御守りしてぇんだ」
その言葉に目が点になる。
「お前がプライド様をどうも思ってないならこんな事言わねぇけどよ?好きなのに、選んで貰ったのに、何もしないなんてお前らしくねぇじゃん」
こっちの気も何も知らないアランに苛ついた。
何よりも──
「私がッ!……私が本気になったら、本気で手に入れたいと願ったらッ!!どうなるかお前が一番分かっているだろッ!!」
〝ッッ決まっているだろう‼︎‼︎〟
幼かったあの日の叫びが蘇る。
自分は彼の事を蹴落としてでも騎士という憧れを手放す事は出来なかった。彼が騎士になれないかも知れない恐怖を抱きながらも譲られた席を立つことなく、しがみついた。
私は強欲だ。
欲しくて欲しくて仕方ないものを目の前に置かれれば諦めきれずに足掻きしがみつく。だからこそあの御方には相応しくない。
「別にいいんじゃね?欲しいなら欲しいで手を伸ばせば、届くもんも届かねぇだろ?」
たった1席、それを求めて騎士を目指してから全てを我慢し、ただひたすらそれだけを求めて毎日鍛錬をし続けた。
「お前のことだ、手に入らなかった時を考えているんだろ??」
駄目だ、アランの言葉に耳を傾けてはいけないと頭で警告が鳴る。それでも、彼の聞き慣れた大きな声は簡単に耳に入ってしまう。
「そんときゃ、俺達がいんだろ??俺達騎士は誰もお前を見捨てたりしねぇよ!」
喉が引くつく。
焼けるように熱くなって目頭に水分が移動するのが分かって慌てて俯き目を閉じて必死に目から水分を逃がそうとするが上手くいかない。
「お前が落ち込んでたらまたこうやって一緒に飲むし、もし身体を動かしたいならなんぼでも付き合う。もしプライド様が選んだ奴を恨んじまったら──」
確信に触れられて身体が強張る。
「無責任に背中を押した俺を恨めばいい」
驚いて顔を上げてアランを見れば、いつもと変わらない笑顔で、バサリ、一瞬で視界が真っ白になった。
部屋に置かれていた適当なタオルが頭に掛けられたと分かったら、そのタオルに顔を埋めた。
「俺の事何発でも殴ればいい、剣でボコボコにしてもいい、俺になら遠慮はいらねぇだろ?」
入隊試験の敗北感がジワリとカラムの心を覆う。
あの日から一緒にいる事の多くなったアランに私は未だに敵わない。
「それに俺達騎士はいつもお前に助けられてんだから、そんな時ぐらいお前を支えさせてくれよ」
ぽんと背中を叩かれた。その小さな小さな刺激で簡単に堰き止めていたダムは決壊した。
あの日怪我した絶望から一人で耐えていた。
必死に隠して、アランにバレても黙っているようにお願いした。
決勝でアランと当たり、どんなに策を練っても敵わないと思った。
それでも諦めるなど出来なかった。
敵わないと解っていても子供が駄々をこねるように足掻いた。
足掻いて足掻いて足掻いて……何年もの想い全てをぶつけても勝てなくて、それでも諦めきれなくて、渾身の剣が届かなくても、蹴り飛ばされても、頭の中には勝つことしか無かった。
どんな形であろうとアランを踏み付けてでも手に入れたい、それしか考えていなかった。
だからこそアランの事も足の怪我の事も黙って主席入隊の席に座り続けた。
終わってから気付く呆れるほどの自身の貪欲さと後悔と絶望はもう2度と味わいたくない。もう騎士になれたのだ。子供の頃から憧れた騎士に。それで充分だった。もう自分の為に身を焦がし、手を伸ばし、貪欲に求める事は止めて、人の為に尽くそうと思っていたのに。
再び、求めてしまった。
それも今度はとんでもなく身分違いで、自分には手を伸ばすのも憚れる程の高嶺の花だ。
それでも、今横には彼がいてくれる。
そして私の周りにはあの日憧れた騎士がたくさんいてくれる。
──もう一人で手に入れられない絶望に怯えなくていいんだ。
そう言って貰えたことがどれだけ心強いことか。
「それに」
続けるアランの優しい声に、ぐちゃぐちゃの顔を上げてタオルの隙間からアランを見た。
隙間から見るアランはとても優しい顔して笑った。
「あの時のお前が今までで一番カッコ良かったぞ」
あの時死を覚悟して挑んだ。そうでもしなければ夢は潰えることが解っていたから。
なのにあんな醜態がカッコイイとは、そのアランの表情から嘘や揶揄いではない事は長い付き合いで分かる。思わずヘラっと笑ってしまった。
「嘘だな、もっとカッコイイ場面はいっぱいあっただろ」
「いやいや、俺お前のあんな必死なところ初めて見てコイツカッコイイなって思ったんだよ」
「あはは」
今まで泣いていたのにアランの言葉に笑ってしまった。どんよりとした雲がどんどん消えて、太陽が差したような晴れやかな気持ちになる。アランにどれだけ助けられて来たのかもう数えることも出来ない。
彼が隣にいてくれるからこそ自分は今も騎士として、子供の頃憧れた騎士を目指せている。そして力を抜くことも出来る。彼の大きな手がまた私の頭を撫でてくれるのが今はとても心地よかった。
そんなカラムを見てアランは思う。
新兵時代、いつも冷静で涼しい顔していた優等生のカラムがあんなにも欲望を剥き出しにして向かってきたのは心底意外だった。勝負は見えていたのに必死に俺を倒そうとぶつかって、どれだけ足が痛かろうと最後まで諦めなかった。
そこまで騎士になることを求めていたコイツの心を知ってしまえば惚れないわけはない。
常にコイツは騎士として振る舞っていたのだから。
そんなカラムに騎士を辞めて王配になれと背中を押すことは出来なかった。それにカラムが騎士を辞めるのはやっぱり自分も嫌だった。
だが今なら騎士を辞めずにプライド様と婚姻が出来る。騎士としての仕事は減るかもしれないし、もしかしたらある程度は制限が設けられるかも知れない。
それでも騎士は騎士だ。
カラムならば騎士と王配と並行して業務を行えると確信している、そして何よりプライド様を誰よりも任せられる。
他の婚約者候補者をアランは知らない。
だがそれは全く問題ではなかった。
アランは誰よりもカラムがいいのだから。
いつも誰かの為に動き、誰かの為に心を痛めている親友はとてもプライド様に似ている。だからこそその心に寄り添うことも、その心を止めることもカラムには出来る。
いつも誰かの為を願うコイツが、自分が欲しいものに対してはその貪欲さから伸ばしたい手を抑え付けている。それでもその心はどうしようもなくて涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で苦しんでいる。本当はその席を手に入れたいと藻掻いているのならば、その背中を思いっきり押してやるのが俺だけが出来る役目だろう。
そんな貪欲に求めるお前は、どんな時よりやっぱりカッコイイとアランは思っていた。
無条件に無防備に頭を撫でさせてくれる彼の涙を流しながらも穏やかに笑う顔を見ながら
アランはもう大丈夫だな、と確信した。