05/04 楓可不サンプル見慣れた病室に電子音だけが響く。規則正しく鳴るその音は、可不可の心臓が問題なく動いていることを示しているが、蒼白い顔で横たわる可不可を見ていると、どうしても不安でたまらなかった。
可不可の病室には楓が今までに買ってきた世界各地の土産品が所狭しと並んでいる。仕事でもプライベートでも国内外問わず旅行に行くことは多かった。いつか可不可に見せたい景色も、いつか一緒に行きたい場所もその度に増えて、お土産を選ぶときにいちばんに思い浮かぶのもいつだって可不可だった。「いつか」はやがて「可不可が20歳になって手術が終わったら」に変わり、昨日そこに新しい約束が加わった。
「可不可、早く目を覚まして」
可不可と話したいことが、聞きたいことが、伝えたいことがたくさんあるんだ。
ーー楓ちゃんの人生も、僕にBETしてよ
ーー賭けるよ
差し出された手を取ることに、迷いは微塵もなかった。
ーー可不可に、HAMAを元気にする仕事に、俺の人生もBETする!
可不可のベッドのサイドチェストの缶に手を伸ばす。中には昨日可不可が病室に残したカセットテープが入っていた。ラベルの掠れからその可不可にとって初めての旅日記は、楓の知らないところで何度も手に取られ、再生されたであろうことが窺える。
ーーお兄ちゃんって、なんであんなに可不可にこだわったんだろうね
椛の声が蘇る。この缶をお土産に、椛と一緒にこの病室を訪れた時の声だ。その時、この缶の中はカセットテープの代わりに焼き菓子で満たされていた。可不可は検査を受けに行っていた。せっかく楓たちが来ているのに、と文句を言いながら部屋を出ていく姿はそれほど珍しいものではなく、よくあることだった。
「お兄ちゃんって」
可不可のいない病室で、自分が買ってきたお土産をさも当然のように開封しながら椛が言った。カフカへのお土産とはいえ、全て置いて行っても可不可は食べきれないことを楓たちはとっくに知っている。その場で開けて楓たちも一緒に食べ、可不可が食べたい分かつ食べられる分を残して持ち帰るのも、もういつものことだ。箱に詰められた焼き菓子の上を、ゆらゆらと指で辿る椛に言葉の続きを促すように、楓は「うん」と相槌を打った。
「なんであんなに可不可にこだわったんだろうね」
「どういう意味?」
迷いつつその中からひとつを選んだ椛が封を切りながら楓をちらりと見る。特産のドライフルーツを混ぜ込んだパウンドケーキは彩度は低いながらもカラフルだ。
「だってお兄ちゃんって無理に距離詰めたりしないじゃない?可不可は違ったなあって」
椛はパウンドケーキをかじりながら、箱の中からクッキーを取り楓に差し出した。選ばせてくれないんだ……と思いつつ箱の中を覗き込んだが、おそらく楓が自分で選んでいても同じものを手に取っていただろう。そのことに僅かに悔しさを覚えながら楓もクッキーの封を切った。
「お兄ちゃんが高校から拠点をJPNにするって言い出したのも可不可が理由でしょう?」
「……それだけってわけじゃないよ」
「でもそうでしょう。驚かなかったわけじゃないけど、妙に納得しちゃったもん。私も可不可のことはだいすきだけど……」
椛はそれ以上は続けずに楓の手の中からクッキーをひとかけら取って楓の口元に差し出した。楓が動かずにいると食べないと思ったのか、そのクッキーは椛の口の中に消えた。
病室を沈黙が満たす。答える言葉が見つかる前に、検査を終えて帰ってきた可不可が「どうかした?」と首を傾げた。
「なんでもなーい」
何も言えない楓の代わりに椛が答え、検査で中断した土産話の続きを始めた。目を輝かせて話を聞く可不可のために、楓もクッキーをつまみながらその会話に加わった。
なんであんなに可不可にこだわったんだろうね。椛の声が頭の中でリフレインする。なんで?なんでだろう。今になっても明確な答えは見つからない。
でもきっと、出会った時から特別だった。
両親の仕事の都合で幼い頃からJPNと海外を行き来してきた。初対面の人とも、言語が違ってもそれなりに仲良くなれるタイプだった自覚はある。世界中を転々としているだけでなく、時々帰国するJPNでも籍を置いている学校は頻繁に変わったが、その度に新しくそれなりの人間関係を築いてきた。年単位で付き合いがあったのはそれこそ従兄である雪風くらいだったかもしれない。それが楓にとっての当たり前で、そのことを寂しいと思ったことはなかった。
可不可に出会うまでは。