楓可不『Little one』「小さくなっちゃった!?」
このHAMAハウスでは時々不思議なことが起こる。リビングスペースに見えない壁が現れて閉じ込められたり、本人の意に反した発言が勝手に口から出てきたり。ついこの前も映画鑑賞を利用したサブリミナル効果の実験があったとかなかったとか。その大半は子タろの実験や発明品なのだが、今回も例に漏れずそうらしい。
「うん。見ての通り、身体が子どもの頃に戻ってしまったみたい。あ! 頭の中はそのままだからまさに『見た目は子ども、頭脳は大人』ってやつだね」
楓も知っている昔の漫画のキャッチコピーを口にする可不可の身体は誰がどう見ても分かるほどに縮んでいる。トラブルさえも楽しんで好奇心に煌めく瞳はそのままに、身体全部がちいさな子どものようで――
「か、かわいい~~~」
楓がへにゃへにゃとへたり込むように屈んでもなお可不可の頭の方が下にある。撫でた頭は普段の可不可よりもひとまわりもふたまわりも小さく、楓の手ですっぽりと覆えるほどだ。元から細く柔らかい髪は指に絡んだらすぐにちぎれてしまいそうなほどに頼りない。
「三歳か四歳くらいかな~って話してたんだよね」
「確かに。我が家の姫や衣川の妹と比べてもそれくらいの年頃だろうか」
リビングに居合わせた昼班の子たちが楓のそばに屈んで可不可を覗き込む。自然と目線を合わせて話しかけているのは宗氏や季肋の妹と関わる機会があるからだろうか。
「いえ。六歳二ヶ月のころです」
少し離れたところで見守っていた朔次郎がいつものように高らかな声で言った。思っていたよりも年齢が高かったことに驚いたあく太が「えェっ!」と声を上げた。
「幼いころのデータですので一ヶ月単位でしか把握していないのが心苦しいのですが……身長、体重その他諸々から間違いないかと」
「はい。スキャンしたデータとも一致します」
一ヶ月単位で身長体重その他諸々を把握し、すぐにそれを照合できるって一体……と思ったがそれが雁金朔次郎なので驚いていたらキリがない。改めて視線を落とした可不可は自分の手をじっと見ていた。短い指を開いたり閉じたりしている。ちいさな、ちいさな手。朔次郎が取り急ぎ仕立てたというティーシャツとハーフパンツから覗く腕も脚も柔らかそうだが、細く蒼白い。
「ふうん……僕がまだ病院暮らしになる少し前ってことだね。ねえ、子タろ、これって健康状態とかってどうなってるの?」
「ん~……巻き戻したいうよりわ単純に縮ませたイメージじゃからの~」
事の発端である子タろがいつのまにか楓の背後から覗き込んでいた。その瞳は可不可に負けず劣らず好奇心に満ちている。
「今のカフカフと変わらないはずじゃ。たぶん、おそらく、きっと!」
「じゃあ、あの頃とは違うんだ」
幼い顔立ちに差した影を、感じ取ったのは楓以外にいただろうか。少なくとも妹たちのおもちゃを持ってくるか、中身は変わらないのだからおもちゃは要らないだろうと議論している昼班の子たちは気づかなかっただろう。
「そゆことになるかの。ああ! そうじゃそうじゃ、効果はカフカフが寝るまでのはずじゃ。眠ってる間にニョキニョキ~っと元のサイズに戻るって算段! 寝る子わ育つ~」
***
リビングにいると囲まれるから。今はいない添が帰ってきたら絶対に面倒だから。建前のように理由をつけた可不可は、朔次郎と幾成が入念にチェックをした上で楓の部屋のベッドにちょこんと座っている。可不可が床に届かない脚をぶらぶらさせても掛け布団の皺が模様を変えるだけでベッドはびくともしない。
「楓ちゃん、抱っこして」
いつもの表情で、いつもの調子で、可不可は腕を広げる。いつものように腕の下に通した手を背中に回し少し勢いをつけて抱え上げた。
「え、あ、軽っ!」
「あはは! いつもより高く感じる!」
普段の可不可だって、退院して多少体重や筋肉が増えたものの容易く抱き上げられる程度には軽いと思っていたが、幼い可不可は楓が想像した以上に軽かった。片腕でもすっぽりと収まるちいさな身体は力を込めたらバラバラに砕けてしまいそうで、楓は恐る恐るベッドに座り、可不可を膝に乗せた。
改めて腕の中の可不可を見るために頬に手を添えた。同じく楓の手で包み込める小さな顔の中で今と変わらない金色がこぼれ落ちそうなほどに大きく見える。幼児特有のまるく柔らかな頬がほんのり紅潮している。可不可の母からのビデオレターやアルバムでしか見たことのない、楓の知らない可不可の蜂蜜をかけたような瞳にいつもと変わらない楓が写っている。
「楓ちゃん?」
「う~……やっぱりかわいい~」
「ちょっと、くすぐったいよ」
中身は成人した可不可とはいえ、幼児を抱き寄せる成人男性の図はさすがにマズイものがあるだろう、と我慢していた分、小さな身体をめいっぱい抱きしめた。触れ合った頬は見た目以上に柔らかくいつもより少し高い気がする温度がほんのり心地よかった。
「だって、可不可の昔の写真は何度も見たことあるけど、実際に見たらこんなにかわいいんだな~って……本当に安全なのか心配はあるけど……」
「ん~子タろが僕に試したなら平気だと思うよ……それより、ちょっと苦しい」
楓の背中に回りきらない小さな手がぺちぺちと楓の腰あたりを叩く。少し腕を緩めると腕の中の可不可はふぅと息を吐いた。
「楓ちゃんって僕の小さいころの写真見る時もいっつもそんな感じだよね。ちいさい子すきなの?」
「なんかそう聞かれるとよろしくない気がするけど、ちいさい子がすきっていうか、可不可だからかなあ……」
「そう、なの?」
ぎこちなく言った可不可の頬がピンク色からみるみる赤くなる。まん丸の頬が真っ赤に染まり、林檎のようで、食べたら甘そうな膨らみについ唇を寄せた。ますます赤みを増した顔の中心で、小さな口が何か言いたげに開いたり閉じたりしていた。
「ごめん、つい……」
かわいくて。そう続けようとした楓の唇に小さな唇が触れる。いつもと同じ角度に目を閉じそうになったが、触れた唇の小ささにハッとして楓はその小さな顔をそっと掌で押し返した。
「む……。なんで避けるの」
「いや、だって、さすがにこれはダメじゃない?」
「ダメじゃない。仕掛けたのは楓ちゃんでしょう」
「それは……そう、なんだけど」
言い訳を探して彷徨う楓の眼前、鼻先が触れそうな距離で眉を吊り上げていた可不可がふっと頬を緩めた。
「冗談だよ。この身体じゃこれ以上何もしてもらえないなら僕もう寝ようかな。寝たら戻るって言ってたもんね。ああ、でも楓ちゃんはもう少しこのままの方がいい?」
「え、あ……確かにちいさい可不可を見られてちょっと嬉しかったし」
「ちょっと?」
「う……かなり……。そうじゃなくて! 嬉しかったしかわいかったけど」
「けど?」
楓が何を言いたいか、きっともう見通しているであろう瞳が悪戯に楓を見つめている。こういう時の可不可は言わないと開放してくれないし、誤魔化せないということを楓は身をもって知っている。
「いつもの可不可がいいなあ、って――あ、わっ!」
えいっと楓に抱きつくように、可不可が飛びついた勢いのままふたり揃ってベッドに倒れ込んだ。マットレスが楓がひとりで眠る時よりほんのわずかに深く沈んだ。楓の上にのしかかった可不可は満足げに目を細めたかと思うと、とろりと目を閉じた。いつになく急速な入眠に、身体が小さくなった分疲れやすかったのかな、と思っている間に楓の上の重みが緩やかに増していく。子タろの言葉通り少しずつ元の大きさに戻っているようだ。一体どういう仕組みなんだ……という疑問からは目を背けて、楓と出会ったころと同じくらいになった可不可を抱きしめた。
「おやすみ、可不可」
明日の朝にはいつも通りの可不可に会える。また少し重みを増した可不可をそっとベッドに下ろし、掛け布団を引き上げて部屋のライトを落とした。